01 落下と星明り
夜の森を鬼が走っていた。
「ハァ、ハァ、ハァ!」
少女で、腰程までに長くて黒い髪が揺れている。その揺れる頭にある一対の角が僅かな星明かりに照らされてホウホウと輝いていた。
暗い暗い夜の森の中で少女は逃げていた。
「そっちに逃げたぞ!」
「追え! 絶対に逃がすな!」
「オークションの目玉だぞ!」
魔法使いと鬼達の怒号が背後から聞こえる。
少女の心臓がバクバクと鳴り、肺がフルフルと縮み上がる。
「逃げなきゃ、逃げなきゃ逃げなきゃ!」
走りながら辺りを見る。見た事が無い夜の森だ。遠くからは魔物の鳴き声がしていて、いつ目の前に出てくるのかも分からない。
いったい何処に逃げれば良いのか? 追手はもう自分を見つけてしまったのか。
ザワザワと風で葉が擦れる音がして、枝を踏み折る足音が大きく鳴った。
「あそこだ! 音がする! あっちだ!」
「追え追え! 杖を出せ! 拘束魔法だ! 無傷で捕まえろ!」
「ッ」
追手に気付かれた。少女は息を呑む。
走るしかなかった。少しでも速く、少しでも遠くへ、足を上げるのだ。
「ハァ、ハァ、ハァ!」
体はもう傷だらけ。服はもうぼろきれ同然だ。
怖くて前に出していた手は枝葉に切られ、枝葉を踏み締める足は焼けるように痛かった。
心臓が痛くて、手足が痛くて、少女の眼からは涙が溢れていた。
怖くて、悔しくて、恐くて怖い。
結局、自分は呪われているのだ。このまま諦めて捕まってしまう方が良いのでは無いか。
諦観と絶望が耳元で囁く。
「ハァ、ハァ、ハァ!」
それでも少女は走った。走るしか無かった。
少女に残されたたった一つがこれなのだ。
「バインド!」
魔法使い達が杖を出し、そこから放たれた何本もの光輪が少女を掠めた。
「あっちか!?」
鬼達が疾駆し、少女とは別の方向へと走り去った。的外れだ。まだ見つかっていない。それだけを希望に走るしかない。
何処へ?
少女はここが何処か知らない。
いつ魔物が出てくるかも分からない夜の森。
何処へ逃げれば良いのかさえ見当が付かない。
走れ、走れ、走れ。
もう限界だと叫ぶ足を、吸っているのか吐いているのかも曖昧な肺を無理やり動かす。
逃げ切れるという確信があるわけでは無い。むしろ、頭の何処かできっと捕まってしまうのだろうと諦めている。
でも、足が止まらない。希望など見えないのに少女は腕を振って眼からはボロボロと涙を出して、少しでも速く、少しでも遠く、と足を動かしていく。
少女は鬼だったから、その体は強靭だ。踏み慣れない森の地面を風の様に疾駆する。
けれど、少女は戦士では無い。だから、敵の追跡は少女にとって凶悪だった。
「レインフォース!」
背後へ目を向ける。遠く、魔法使い達の体が輝いている。身体強化の魔法だ。
そして、魔法使いと鬼達がこちらへ跳んで来た
速い。少女は全力で走っているのに、追手との距離が縮まって行く。もう大まかな場所はバレてしまっている様だ。
我武者羅に走る。ただ一直線に。少しでも距離を取るために。
「ハァ、ハァ、ハァ!」
ヒュウウウウウ。
その時、風の音がした。
きっと森の外からだ。そう少女は考えた。
平原にさえ出られれば、全力で走れる。もっと速く逃げられる。
少女は足には自信があった。
そう思って少女は風の方向へと進路を変えた。
夜の森は暗い。視界が滲み、まともに前が見えない。
そして、少女は風の出口へとたどり着き、その眼に満点の星明りが映った。
「あ」
一瞬の浮遊感が少女の足を襲う。
地面が急に無くなっていたのだ。
少女は気付かない。自分が崖へ飛び出てしまったことを。
そして、少女は落下する。
眼下には岩肌。
それを認識する前に意識を落とし、グシャリと音が鳴った。