第6話 罪
彩名夏月。
小学校3年から5年までクラスが一緒だった。
彼女の最初の印象は「優等生」である。
彼女は常に1番だった。
俺を含めた男子数人が2番手グループで団子になっていたが、彼女はまるで孤高の存在であるかのように、軽々と俺たちの上を超えていくのだ。
そんな彼女と仲良くなったのは4年生になってからだったか。
彼女が書いた詩を見せてもらったことがあった。
窓から小鳥が飛び込んできた、その情景を描いた詩。
色鮮やかな小鳥を虹にたとえた詩。
自分には思いつきもしない瑞々しい表現が衝撃だった。
それを形にできる彼女の才能がまぶしかった。
当時から綺麗な子だったけど、なお一層輝いて見えるようになった。
思えば、あれが俺の初恋だったのだろう。
俺は彼女の詩を、才能を絶賛した。
そんな俺に、彼女ははにかみながらも、その後も自作の詩や小説を見せてくれるようになった。
俺たちは急速に仲良くなり、お互いの家に遊びに行くことも増えた。
そんな幸せな日を1年以上も重ね、小学5年も終わろうかという時、事件は起こったのだ。
俺と夏月が付き合ってるという噂が同級生の間で囁かれるようになった。それをクラスの男子に囃されて、焦った俺はあろうことか、最悪の対応を選んでしまった。
「俺がこんなブスと付き合ってる訳が無いだろーっ!」
言った瞬間、しまったと思ったが、もう引っ込めることはできなかった。むしろ、言ってしまった自分を何とか正当化したいという子供の浅はかさで、さらに酷い言葉を叩きつけてしまった。
「ブース、ブース、お前なんか好きじゃねーや!」
つーっと、夏月の頬を涙が一筋伝い、無言で教室を飛び出していった時も、追いかけることもしなかった。心配したのかもしれない誰かが声をかけてくれたのも振り払って、「俺は悪くない、俺は悪くない」と、ただ自身を正当化し、皆の冷たい視線を見えないことにしてしまったのだ。
何故そんな対応をしてしまったのか、自分でも良くわからない。
自分で言うのもなんだが、それまでの俺は人気者だった。それが、勘違いをさせてしまったのかもしれない。こんな酷いことを言っても、軽口として、みんな流してくれると。
でも、そうはならなかった。
翌日から、クラスの女子全員が敵になった。俺への憧憬の眼差しは、軽蔑へと180度向きを変えた。
夏月に謝罪する機会を得られないまま、彼女が転校することになったことも事態を悪化させた。今なら父親の転勤に伴う転居だったとわかっている。でも当時のみんなは、俺に酷いことを言われた夏月が耐えられず出て行ったと受け取ったのだ。
女子だけでなく、男子からも徹底的に無視されるようになった。プリントは俺の席だけ配られなかった。筆箱が隠され、外履きをどこかに捨てられて、泣きながら裸足で家に帰った。翌日には上履きがゴミ箱に投げ捨てられていた。
その学校では、クラス替えは2年ごとだったから、6年になってもメンバーは変わらず、俺はただひたすら孤立の中で過ごすことになる。
中学に上がるとき、さすがに両親が教育委員会に掛け合って、校区外の学校に通えることになった。小学校のメンバーと引き離した方がいいという判断だったろう。
だけど、入学した中学校では、既に小学校で出来上がったコミュニティが堅固な壁を作っていた。俺は、積極的ないじめこそ受けなかったけれど、なじむこともできなかった。友達の一人もいないまま、ただ漫然と学校と自宅を往復するだけの日々。それが俺の中学生活だった。
そんな俺の罪が、どうしようもない幼さと浅はかさ故に傷つけてしまった少女が、同じ教室にいる。
今は入学式は終わり、オリエンテーションのために皆がそれぞれのクラスに移動している。
多くの生徒は、友人を作ろうと早速、周囲の同級生に話しかけている。そんな中、俺は下を向いていた。夏月に見つからないように。
これじゃ、中学の時と変わらないじゃないか、という思いも、夏月の視線に晒される恐怖には勝てなかった。今さら彼女が俺を非難してくることは無いかもしれない。それでも、俺はどういう顔をして彼女と接すればいいと言うのか。その思いが、俺の視線を机の盤面のみに張り付けていた。
そうこうしているうちに、担任の先生が入ってきた。
「はい、みんな注目! 担任の北野七瀬だ。ナナ先生と呼んでくれていいぞ。教科担当は世界史だ」
担任は20代後半から30代前半くらいの女性。目力の強い、ハッとするような美人である。メリハリのあるスタイルも手伝って、先生に言われるまでも無く、生徒全員が注目していた。
「よし、まずは、みんなに自己紹介してもらおうか。名前と出身中学だけじゃなくて、趣味とか、これだけは負けないぞ、みたいなのがあったらアピールしてくれ。これが自分だ!とみんなに売り込むつもりで」
ウっと言葉に詰まった。
当たり前だ。新しいクラスの始まりで自己紹介があるのは。
そんなことわかりきっていたのに。
逃げることもできない、針の筵──
50音順に座っている座席順に発表する。2番目に立ち上がったのは夏月だった。
「彩名夏月です。北中から来ました。趣味は読書と音楽鑑賞、それとピアノが好きです」
凛とした彼女の声が響く。少し高くなった、でも聞きなれた澄んだ声。
だけど、耳をくすぐる、その心地よい声すら、今の俺には咎人を断罪する声のように響く。
そうやって、ただひたすら下を向いていたが、とうとう自分の順番が来た。
「高科了です。県外の中学から、3週間前に引っ越してきました。趣味はラノベ、ゲーム。よろしく」
夏月の方を極力見ないようにしながら、早口で一気にまくしたてると、注目を浴びないように、急いで席に座る。だが、その時、驚いたような声が聞こえてきた。
「高科……君?」
その声を発したのが誰か、よくわかっている。
だけど、声の主を見ることができない。
彼女の表情が怖くて。軽蔑の眼差しが怖くて……。
その後、一通り自己紹介が終わった後、明日以降に向けてオリエンテーションが行われ、今日は終了となった。
急いで教室を出ようと、鞄をひったくるように取り上げると出口に向かう。
その背に、今一番恐れていた声がかけられた。
「高科君、待って」
「彩名さん、ごめん」
立ち止まってはダメだ。振り返ってはダメだ。
今は急いでここを出よう──
「待って、お願いだから!」
一際大きな声に、ざわめいていた教室が一瞬にして静かになる。
恐る恐る振り返ると、野次馬根性丸出しの多くの瞳の中に、真摯に何かを訴えようとしている瞳があった。
「高科君、お願い。話があるの、あなたに」
次回は10月18日(金)20:00頃更新。
第7話「赦し」。お楽しみに。