墓地と噂とヨミガエリ
「うわぁ…マジで真っ暗じゃん…」
蝉の鳴き声が五月蝿く響く夜中の墓地で、俺は1人溜息を吐く。
就職と同時に上京した俺だが、「元気な顔が見たい」という親の希望で、現在数年ぶりに実家に帰省していた。早朝に自宅を出て、新幹線で約4時間の移動。昼過ぎに地元駅に着き、夕方には久方ぶりに祖父母の墓参りをして、線香をあげてきたのだが…。その時、スマホを墓前に忘れてしまったことについ先程気付いて、慌てて取りに来たという訳だ。しかし…
「参ったな…こう暗いんじゃ、じいちゃん達の墓に辿り着くのもひと苦労しそうだぞ。」
自分が上京する前は、墓地の近くに建つ街灯の光で、夜でもこの辺りは明るかった筈…。と記憶していたが、考えてみればもう何年も前の話だ。
こんなことなら懐中電灯でも持ってくれば良かった。と、再び溜息を吐いたその時だった。
「あれ…キミ、もしかしてタクくん?」
「うわぁっ!??誰だ…って!お前サクラか!?」
突然真後ろで響いた、鈴を転がすように澄んだ声。振り向くと、そこには上京前に喧嘩別れした筈の元恋人…サクラの姿があった。彼女は付き合っていた頃と寸分違わぬ、柔らかい笑みを浮かべて話す。
「久しぶりだね〜っ!こっちに戻ってきてたんだ!?ところで、こんな夜中にお墓に何の用事?」
「いや、夕方墓参りに来た時にスマホ忘れて…。
でも思ったよりも暗いから、どうしたもんかなって考えてた。」
「なるほど、おっちょこちょいな所は変わってないなぁ。でも一人で来るなんて危なくない?
…ここ、変な噂もあるのに。」
「噂?この墓地、なんかあったのか?」
「あ、タクくんが東京行った後の話だから知らないのか!あのね…この墓地で若い男の子がいなくなっちゃうって噂があるんだよ。」
サクラは何かを気にするように周りをキョロキョロしながら小声で話してくれた。
「いなくなっちゃう男の子達には共通点があってね。皆んな短髪で、20代半ばくらいで、メガネを掛けてるんだって。ちょうど今のタクくんみたいな…。」
「えぇ…?でもまぁ、ただの噂だろ?気にしたって仕方ないって。」
「でも流石に一人は危ないよ!!
…ね、私も一緒に行ってあげようか?」
「え?」
「私、自分のスマホあるし!照らしてあげるから、サクッと終わらせちゃおうよ!」
よし!決まりね!!そう言うが早いか、サクラは俺の手を引いて墓地の中へと入って行く。
お人好しな所もどうやら変わっていないらしい。ひんやりと心地よい手の感触を感じながら、俺は言葉に迷っていた。
別れた原因は、俺の上京だった。サクラのことは愛していたが、それ以上に今の会社で働くことが大切だった俺は、彼女になんの相談もなく上京を決めた。会うことは滅多に出来なくなるが、その分毎日電話する。たくさん話そう。遠距離恋愛だけどきっと大丈夫。そう考えていた俺とは反対に、寂しがり屋のサクラは俺と離れてしまうことを泣いて嫌がった。
何度もぶつかり合い、平行線のまま関係は悪化していき…最後は売り言葉に買い言葉、といった勢いで別れてしまったのだ。
今振り返ると、悪かったのは自分だと思う。…あの頃のことを謝るべきだろうか?
しかし、別れた時の出来事などなかったかのように穏やかに振る舞うサクラは、もうとっくに俺との記憶を過去にして、前に進んでいるのかもしれない。今更触れられたくもない話だとしたら?
結局俺はハッキリ答えが出せないまま、曖昧に口を開く。
「サクラ、あのさ…ごめんな。」
「んー?何が?」
「いやその、…スマホ取りに行くの、付き合わせちまってさ!しかもこんな夜中なのに…」
「なーんだ、さっきから暗い顔してると思ったらそんなこと?いいっていいって!困った時はお互い様でしょ?」
「でもお前、墓地とか幽霊とか、怖いの苦手だっただろ?」
「ちょ、もう!それは昔の話!私、この数年で色々変わったんだからね!??」
「へぇ、なんか意外だ…。じゃあさ、子供舌でピーマンとセロリが食べられないのも克服したのか?」
「うっ、、それは…その…」
しどろもどろになるサクラに、俺は思わず笑いを溢す。いつの間にか俺達は、あの頃に戻ったかのように、自然に会話を弾ませていた。静かな墓地に、俺達の声だけが響いている。サクラのスマホのライトが小さく照らす砂利道を、手を繋いだままゆっくり進んでいく。
どれくらいそうして歩いていただろうか。
「…おかしいな。じいちゃん達の墓、いい加減見えてきても良いのに…」
自分のスマホがないので時計は見れないが、体感にしてもう15分は歩いている。道に迷った?いやそんな筈はない。祖父母の墓はこの一本道の脇にある。真っ直ぐに進んでさえいれば辿り着けないわけがないのだ。
それなのに、歩けど歩けど祖父母の墓は見えてこない。いくら広い墓地とはいえ、こんなに歩いていればもうとっくに突き当たりまで来ている筈なのに。
「なぁ…サクラ。なんかおかしくないか?」
「……」
「…サクラ?」
それまでは笑顔で話していたサクラが、何故か急に押し黙る。会話が途切れ、辺りに静寂が広がった。
その時、俺はふと疑問に思った。
(なんか…静かすぎないか?)
夕方墓参りに来た時も。先程墓地の前で暗さに立ち往生していたときも。周辺一帯、五月蝿いくらい蝉の鳴き声で溢れ返っていたのに、それがいつの間にか全く聞こえなくなっている。蝉の声だけでない。風の音、木々のざわめき、当たり前に聞こえていた筈の音が全て消えて、不気味な静寂に俺達は包まれていた。
じわり、と額に嫌な汗が滲む。音の消えた世界が急に、ひどく気味の悪いものに思えて、寒気がした。
「なぁサクラ…一回戻らないか?せっかく付いてきてもらったのに悪いんだけど…。スマホなら明日また取りに行くから、だからさ。」
「ダメ。」
「え…?」
「ダメ、タクくん。…静かにして。」
先程までとは打って変わった低い声と、厳しい口調。ただならぬ様子に今度は俺が押し黙った。
…その時。
(なんだ…?足音?)
俺達の背後で、音がした。
ヒタリ…ズルリ。
ヒタリ…ズルリ。
ヒタリ…ズルリ。
足音にしては奇妙な。何かを引きずるような。
そんな音が、後ろからゆっくり俺達の方に近付いてくる。
ーこの墓地、若い男の子がいなくなっちゃうって噂があるんだって。
サクラから聞いた噂がフッと頭をよぎる。
まさか、そんな馬鹿な。ただの噂だ。でも…これは。
全身の筋肉が強張った。心臓が早鐘を打ち、危険を察知するかのように肌が粟立つ。
(う、動かないと。ここから早く。離れないと。)
オカルトの類は基本的に信じていない俺だが、振り向かずとも本能が理解していた。背後で響くソレが…ただの足音じゃない事を。
しかし『今すぐここから離れろ』と危険信号を出す頭とは裏腹に、身体はハァハァと浅い呼吸を繰り返すだけで、言う事を聞かない。
そうしている間にも、足音は確実に近付いてくる。
ヒタリヒタリ、ズルリ。
ヒタリヒタリ、ズルリ。
そして段々と、微かだがハッキリとした声が聞こえてきた。
『…カエレ』
「ひっ…!!」
「…タクくん、大丈夫。」
思わず情け無い声を漏らした俺に、サクラは前を見たまま静かに、だけど強い口調で告げる。
「タクくん、今から私が向かう場所に付いてきて。絶対に、何があっても振り向いちゃダメ。声を出しちゃダメ。それから…私の手を離しちゃダメ。」
わかった?そう尋ねるサクラに俺は必死にコクコクと頷く。この状況で女の子に頼りきりだなんて、男としてどうなのかと思うが…そんな事を気にしている余裕があるわけもなく。俺は恐怖を紛らわせるかのように、繋いだ手に更に力を込めた。
「行くよ…走って!!!」
そう言って駆け出したサクラの手を離さないように、俺も全力で走る。すると、背後にいる『何か』が纏う気配が明らかに変わった。さっきまでとは違う。明確に俺達を追いかけてきている。
ヒタヒタヒタヒタヒタヒタ
ヒタヒタヒタヒタヒタヒタ
ズリズリズリズリズリズリ
いる。後ろに。一人ではない何人、何十人もの気配。俺は息を切らしながらサクラの隣を走り続けた。
恐怖でいっぱいになりながら。時折足首や肩を掠めるヌルリとした『何か』を必死で振り払うように全力で。
「タクくん、着くよ!!」
そう叫んだサクラが足を止める。目の前には、細く狭い…洞窟のような穴があった。
こんな洞窟、この墓地にあっただろうか?
そんな俺の疑問を掻き消すように、サクラが隣で安堵の声を漏らす。
「間に合って良かったぁ…、この中に入ればもう奴らは追ってこれないから大丈夫。さ、行こう。」
「待って、入るってこの中に!?」
「怖いの?大丈夫だって、私も一緒だし!」
そう言って彼女は笑うが、俺は足を動かせずにいた。いけない。早く中に入らないと奴らが来てしまう。現に背後の足音は今も近付いて来ている。急がないといけないのに。
「ねぇ…タクくん。早くしないと奴らが来ちゃうよ。早く入ろうよ。」
「サクラ…でも、俺。」
サクラの声音が少し余裕のないものに変わる。
それでも俺はまだ動けない。先が見えない暗い洞窟、その中から微かに吹いてくる風と…その風が運んでくる、何かが腐ったような鼻の曲がる匂いが、足を竦ませていた。なんとなく、『此処に入ってはいけない』と。自分の中で何かが叫んでいる気がして。
…すると、繋いでいた手に強い力がかかったのがわかった。ギリっと締め付けられた左手の痛みに、思わずサクラの顔を見る。彼女は変わらず穏やかに微笑んだまま…大きく見開いた瞳だけを、爛々と光らせて俺を見つめていた。
「タクくん…なんで中に入ってくれないの?」
「…ごめん、でもこの洞窟、なんか。」
ヒタヒタヒタヒタヒタヒタ
「ねぇ、また置いてくの?また離れるの?」
「サクラ…?」
ヒタヒタヒタヒタヒタヒタヒタヒタ
「嫌だよ。やっと見つけたのに。ホンモノを見つけたのに。」
「サクラ…手っ、痛いっ…!」
ヒタヒタヒタヒタヒタヒタヒタヒタヒタヒタ
「ねぇ、タクくん。」
ーーもう絶対、離してあげない。
サクラに強く手を引っ張られるのと、ヌルリと濡れた無数の『何か』が、俺の肩を、服を、足首を掴んだのは同時だった。
「うわぁぁぁっ!!??」
「大丈夫…大丈夫だよタクくん。ほらおいでよ。エヘ、フフッ…ずゥっと一緒ニいようネェ?」
「ひぃ…っ!??」
怖い。潰れるくらいに強く俺の左手を掴みながらブツブツと呟くサクラは、もう完全に目の焦点が合っていなかった。
サクラに掴まれた手。無数の『何か』に掴まれた身体。それぞれ反対の方向に引っ張られ、身体が裂けるのではないかという程の痛みに襲われる。
俺は全てを振り解こうとただメチャクチャに暴れた。でも抵抗を嘲笑うかのように、身体はどんどん暗い洞窟に引き摺り込まれていく。
とてつもない悪臭。肉が腐ったような匂いに吐瀉物が喉元まで迫り上がるのを感じた。闇の中で段々体の感覚がなくなっていき、意識が遠のく。
サクラはそんな俺を、ニチャリと歪んだ笑みを貼り付けたまま眺めている。
(誰か、誰かっ…!!)
「助けて…!!!」
最後の力を振り絞り、叫んだ時だった。
ふわり、と。線香のような香りが漂う。優しい香り。生前の祖父がいつも纏っていた香りに似て…温かい。
『帰れ…!!!』
耳元でしわがれた懐かしい声が聞こえた。
繋がっていた左手が勢いよく解け、辺りが真っ白い光に包まれる。俺は、身体を掴んでいた無数の『何か』によって、眩い光の中心へと引っ張り上げられていく。
霞む視界の中、最後に映ったのは。
ひしゃげて血に濡れた顔を歪め、真っ赤な涙を流しこちらに手を伸ばす、サクラの姿だった。
*******
目を覚ますと俺は、墓地の前にいた。
近くを見回したがサクラの姿はない。手には自分のスマホ。響き渡る蝉の声。
辺りは、街灯の光で明るく照らされていた。
********
あの後、どうやって実家に戻ったのかは覚えていない。玄関で出迎えてくれた母は、ただならぬ様子で震える俺を見て驚き、俺が落ち着くまで幼子にするように背中を撫でてくれた。
そしてポツリポツリと事の顛末を話すと、青ざめた顔で言った。
「サクラちゃん、アンタが上京した年の夏に亡くなったのよ。」
サクラは俺と別れたことが心の傷になり、俺が上京してから数ヶ月の間、ずっと引き篭っていたらしい。しかしある日、意を決して俺に会いに行こうと家を出たその先で、交通事故に遭い命を落としたと。
「ちょうど今日みたいな…暑くてジメジメした日のことだったわ。ごめんね、アンタになんて伝えたら良いかわからなくて…言えなかったのよ。」
でも、無事で良かった。きっとおじいちゃんやご先祖様達が守ってくれたのね。
そう言って泣く母に、俺は黙って俯くしか出来なかった。
お人好しで、よく笑う。寂しがり屋のサクラ。彼女は死んだあともずっと俺を探していたんだろう。あの噂…俺と似た容姿の若い男を、何人もあの洞窟に引き摺り込んでしまう程。きっと寂しかったんだろう。
そしてもう一つ。最後に俺を包んだあの香りと、祖父によく似た声が発した『帰れ』という言葉…。思い返して、ふと思った。俺達を追いかけていた『何か』は、危害を加えようとしたんじゃない。サクラに手を引かれるまま、あの世に片足を入れかけている俺を…必死に元の世界に帰そうとしてくれたのではないか?と。
なんとなくだが、そんな気がした。
(…サクラ。)
あの出来事からもう1年が経つ。俺は今年は帰省しなかった。都内の自宅で、ぼんやりとテレビを観ながら、彼女のことを思い出していた。
母さんは『神主さんにお祓いをしてもらったから大丈夫』と言っていたが…サクラは成仏出来たのだろうか?それともまだどこかで、俺を探しているのだろうか?
そんな事を考えていると、ピンポーン。と軽快な音を立ててインターホンが鳴った。もう夜も更けている時間に、一体誰だろう?そう思いながらモニターを見ると、帽子を目深に被った若い女がいた。顔は見えない。
「あの…どちら様ですか?」
インターホン越しに尋ねたが返事はなかった。代わりに、ドアの外からは鈴を転がすように笑う声が聞こえてくる。
ドッと心臓が鳴った。
全身から吹き出す冷や汗が身体を伝って落ちていく。俺はその場から動けずにいた。
女は帽子をゆっくり取り、モニター越しに目を合わせると、歪んだ微笑みを浮かべる。
『ずゥっと一緒ダよ、タクくん。』