04 災難
うわ、こいつは生意気そうだ。
突如茂みから飛び出し、俺の顔面に突っ込んできた子どもを一目見て、そう思った。
燃えるような赤い髪。赤い瞳。
だいたい十歳くらいか?
顔立ちは綺麗な女の子だ。
ただ、態度が悪い。目つきも悪い。鬼の形相だ。
自分から頭突きしてきたくせに、何をキレてんだこのガキは。
そこまで観察していて、俺は「あれ」と気が付いた。
「狼人族の子ども……!」
ソラがハッとした声を洩らした。
目の前の少女は獣人だった。
それも狼の獣人だ。
ソラが言うには精強な部族らしい。
だが、そんなことよりも、俺は思わず手を伸ばしてしまっていた。
無意識で体が動いてしまったのだ。
「獣耳を見たら、やっぱ触らずにはいられないよなー」
「ちょっ!? ふへ、くすぐ……たい……ッ」
俺は少女の獣耳を両の手で触った。
頭の上にピョンとついた、もふもふの赤い獣耳だ。
「急にな……やめ……やめ、ろ……」
少女はくすぐったそうに、頬を赤くして抵抗した。
ソラはポカンとしていた。
うん、いい感触だ。このもふもふを触れるのなら、頭突きされたことなんてなんのその。
「あんた……ぅ……そろそ、ろいい加減に……っ」
これは本能的な行動だ。
きっと俺は、以前から獣耳が好きだったんだろう。
……でも、変な趣味はないよな?
俺はちょっと不安になった。
そんな不安を抱いたせいで、俺は少女がぶちギレ寸前だったことに気付かなかった。
「いい加減に……」
赤い瞳がギッッ、と吊り上がった。
「しろーーッ!!」
「ぶはっ?!」
渾身の右ストレートをみぞおちに頂戴した。
小さな女の子から放たれたとは思えない、腰の入ったいいパンチだった。
「がは……っ!」
俺は膝から崩れ落ちた。
腹を抱えて無様に悶えた。
「なんなのよあんた!! 初対面でいきなり耳を触ってくるなんて、失礼なやつねッ!!」
二本だけ伸びる鋭い犬歯を剥き出しに、少女は怒りに声を震わせた。
いや、正論だよね。
さすがのソラさんも「うんまあそうだよね」と困り顔を浮かべている。
でも、不可抗力じゃないか。
獣耳を見たらつい触ってしまったのだ。
にしてもコイツ、全力で殴ってきやがったな。
なんて凶暴な女だ……。
「あんた、もう一発蹴られたくなかったら、こうべを垂れて地に這いつくばりなさいッ!!」
少女が怒鳴った。
俺は大地に蹲りながら答えた。
「すでに土下座に近い態勢だけど……ガキのくせになんて威力しやがる……」
「あー、これはたしかに土下座に近いわね。ふっ、いい眺めだわ」
少女はゴミを見るように嘲笑った。
こんのクソガキ。いつか馬乗りになってボコボコにしてやる……!
俺は子ども相手に情けない復讐を誓った。
いや、俺が悪いのはわかってんだけどね。
「ちょっとごめんね? お互い謝らなくちゃいけないところはあると思うけど、そんなにいじっぱりな態度をとっても、ぶつかっちゃうだけじゃない?」
そこで、みかねたソラが間に入ってくれた。
彼女は相手に目線の高さを合わせ、優しく微笑みかける。
「まずは自己紹介から始めない? 私はソラっていうの。あなたのお名前は?」
「なによあんた、子ども扱いしないで! おばさん!」
「お、おば………………」
がーん、と。ソラの頭に雷が落ちた。
優しく歩み寄った彼女の心は、狼の牙にガブッと噛み付かれた。
「......ぉば………………さ…………」
ソラはおばさん扱いされたショックで凍り付いてしまった。
なんて素直な子だろうか。
真に受けすぎだろ。
……まあ、こうなったら仕方ないな。
俺は「いてて……」と腹をさすりながら立ち上がった。
「なあ、さっきはいきなり耳を触って悪かったよ。よかったら、少しだけ話を聞かせてもらえないか?」
「はあ? なに気安く話しかけてんのよ! いきなり痴漢してくるような男と話すことなんてないわ、この変態!」
「獣耳を見たら条件反射的に手が動いちまったんだよ……。本当に悪かった。このとおりです」
「ハッ、どんな変態な構造してんのよ、あんたの体! 今すぐ死になさい!」
……うん。これはダメだな。
俺への印象が最悪なせいで、謝罪を全く受け入れてもらえない。
なおもこちらを睨み付けてくる少女。
どうしたものかと、俺は目頭を押さえた。
「子どもに変態呼ばわりされる趣味はないんだけど……とりあえず、なんで急に茂みから飛び出して、俺に頭突きしてきたのかくらい教えてくれないか?」
「そんな趣味があったら今すぐぶち殺してやるわ」
「なんで急に茂みから飛び出して、俺に頭突きしてきたのかくらい教えてくれないか?」
「二回も言うんじゃないわよ!? ……ったく、しょうがないわね」
開き直って二度も尋ねると、少女は諦めたように腕を組んだ。
「私が急いでたのは魔獣に追われてたからよ。それで走って逃げて………………って、あぁッ!! こんなことしてる場合じゃないわ! 早く逃げないと魔獣に追いつかれちゃうじゃないッ!!」
少女はハッとした顔で声を荒らげた。
「……まじ?」
俺は顔をしかめた。
え、嘘でしょ?
こいつ、魔獣から逃げてる最中だったの?
このままだと『魔獣に追われてる人と遭遇する』っていう話が実現しちゃうの?
鳥の糞が頭に落ちてくる確率だぞ?
「そ、そうだ! あんた、お願いだからわたしを助けなさいっ!」
「いや断る」
俺は即答した。
頭突きと腹パンチがちらついて、つい断ってしまった。
少女は顔を赤くして地団駄を踏んだ。
「はあ!? なんでよ! ちゃんとお願いしてるじゃない! ぶつかったことなら悪かったわよッ!!」
「いや、全く誠意を感じねーよ……。けど、魔獣が来るってのは本当か? だとしたらふざけてる場合じゃないぞ!」
「ふざけてなんかないわよ! なんとか撒いたんだけど、あいつら鼻が効くししつこいのよ! お願いします!!」
おお、なんて図々しいガキンチョだ。
とか文句を言いたいけど、マジでそんな状況ではない。
魔獣除けの石はあくまで魔獣除け。
遭遇してしまえば効果を発揮しない。
兎にも角にも、すぐにここを離れるべきだ。
「おいガキンチョ、ひとまず一緒に逃げてやる! だから、魔獣が来る方向を教えろ! それと、あそこで固まってるお姉さんにあとで謝れ!」
「わ、わかったわ! ヘルハウンドなら茂みの遥か奥にいるわ! あと、私の名前はアピスよ! 覚えておきなさい!」
そう言って、アピスは自分が飛び出してきた茂みの方を指差した。
「ソラ、落ち込んでる場合じゃない! こいつのせいで魔獣が来る。逃げるぞ!」
「まじゅう……魔獣!? 大変、すぐに逃げないと……って、落ち込んでないもんっ!」
魔獣という言葉で、ソラの意識が現実に戻った。
なぜか落ち込んでいたことは認めなかったが、それをからかう余裕はなかった。
ソラに魔獣が来る方向を教え、俺達は走り出そうとした。
「あぁッ!!」
その、瞬間だった。
鼻をぴくぴく動かしたアピスが、急に大声を上げたのだ。
俺は「急にどうした」と聞こうとした。
だが、遅かった。
『ガルァァァアッ!!』
「「「……ッ!?」」」
直後、茂みから魔獣が飛び出してきた。
それも四匹もだ。
俺達はすぐに取り囲まれた。
背中を合わせて周囲を警戒しながら、顔を青ざめさせた。
「クソっ、遅かったか……!」
「ヘルハウンド……それに四匹も……っ」
「うそ、なんで!? こんな早く追いついてくるなんて……っ」
全身を紺色の毛並みで覆った、鋭い鉤爪と牙を持った四足歩行の化け物。
その恐ろしい姿を目の当たりにして、俺は立ち竦むことしかできなかった。