実力
「信じられない。午前中で患者の治療を終えてしまうなんて」
「午後からは追加の患者をエイレンと一緒に回るから、シーナは書類整理をお願い」
私は何事もなかったように執務室に戻ると、後ろからついてきたシーナは呆然としたように部屋に入ってきて自分の席に着くと心ここにあらずといった雰囲気で言葉を漏らしていた。
とりあえず午前中に治療を終わらせることができた。
基本は聖女や聖人たちが怪我人の治療をするけれど、酷い怪我など大聖女か大聖人が治療した方がいいこともある。そういった治療患者を回されたけれど、補佐聖女の時と同じようにどんどん治療していたら、一緒についてきていたシーナは後ろで呆然としていた。補助として力を借りることもなかったので、彼女は次の患者の部屋への案内役をする程度になってしまった。
シーナの実力も見ておくべきだったのに、私は自分の今の状態を確かめるため全部の治療をしてしまったのだ。
はっきり言って、今までと変わりはない。神聖力が強くなったり治療の効率が上がったとも思えない。ただ、自分の中にある神聖力の流れがスムーズになったような気はした。
それくらいしか気が付いたことがなかった。カムイ様は黙って私の肩にずっと乗っていたけれど、特に反応することもなくて、神聖石の中に入ったことでの影響というのはないに等しいということがわかっただけだった。
変わりない自分にほっとする反面、新しい力でも備わっているのではという期待があったとも言える。でも残念ながら新しい力はない。
『我の中に入ったことで、お前の神聖力が少し変わったのは間違いない。ただ、周りからすればそれほど違いは感じられないだろう』
少しだけ落ち込んでいると、肩にいたカムイ様が私の考えを読んだように言ってきた。
『大きな変化はない。お前の神聖力の強さも相変わらずだ』
もともと神聖力は強い。それが弱まっていないということがよかったと思うべきなのだろう。
周りに人がいるので私は小さく頷くだけにした。
午後からの患者は少ないだろうから、帝都周辺の町や村の神聖石の情報がまとめられた資料を読む時間ができるはずだ。聖女や聖人を派遣すればいいけれど、緊急性が強いものがあれば私が出向くのも考えてもいいと思っていた。巡礼の途中で立ち寄ることもできるし、急ぐ場合はその場所だけ先に向かうこともできる。
巡礼が行われることは決まっていても、出発日はまだ決まっていない。その間にできることをして、大聖女セシリアとして周囲に認めてもらうことも必要だろう。
昼休憩を取ったら、またすぐに仕事だ。
補佐の時は食堂に行くことが多かったけれど、大聖女は自分の部屋で食事ができる。
そこは便利だなと思いつつ部屋を出ようと立ち上がった時、廊下でばたばたと走る音が聞こえた。
「なんだか騒がしいですね」
エイレンが眉間に皺を寄せて扉を見つめる。
「何かあったようですね。私が見てきます」
世話役のカリナがすぐに立ち上がって部屋を出て行った。補佐聖女ではないカリナは私の世話役としてここに居るけれど、補佐聖女が少ないこともあって雑用などもこなしてくれていた。
早く私が補佐聖女を決めないと、いつまでも彼女は本来の仕事に戻れない。そこは申し訳ないなと思いつつ、カリナをこのまま補佐聖女にしてしまうことも考えてもいいかなと思っている。
神聖力もそれほど弱いわけではないし、シーナやエイレンの仕事ぶりを間近で見ていたら補佐としての仕事もすぐに慣れてくれると思う。
いい考えかもしれないと思っていると、先ほどのバタバタとした足音が再び聞こえてきた。
それと同時にカリナが部屋に戻ってくる。
「どうしたの?」
その表情はどこか硬かった。
「ついさっき、帝都周辺で第2都市からやって来た小隊が魔物に襲われたそうです」
その言葉に部屋の空気が一気に冷えた気がした。
「状況は?」
私の問いかけにカリナは一度深呼吸をしてから口を開く。
「正確には移動していた小隊の近くを魔物の群れが通りかかっただけのようですが、その群れに馬が敏感に反応したようです。急に興奮状態になって暴れた馬から落馬したのが数名。その暴れ馬が他の馬に興奮を伝播させたのか、他の馬も暴れ始めて荷馬車を引きずったまま走り出し、他の荷馬車に衝突したそうです」
荷馬車には荷物だけではなく人も乗っていたらしい。そのためその衝撃で外に放り出された者もいれば、荷馬車につかまって馬の暴走で一緒に振り回された者もいた。
「怪我人が多数。詳しい症状まではわかりませんが、全員神殿に運び込まれる予定です」
「すぐに神殿の広間を確保して。怪我人を全員神殿内に運べるようにします。ライム様にも連絡を」
ライム様の方でもすでに状況を耳にしている可能性はある。怪我人が多ければ私もライム様も動く必要があるはずだ。
補佐聖女2人がすぐに動いてくれる。
私もすぐに大広間に移動することにした。
「午後からの治療は急患以外は他の聖女に任せるようにするわ」
カリナも午後からの予定をすぐに変更するために動いてくれる。
優秀な補佐や世話役がいて助かったと思った。私は補佐聖女をしていた時はこんな風に素早く動いてくれる人が周りにいなかった。
ただ、これが普通だということを私はすぐに気が付くことができなかった。
すぐに部屋を出て大広間の状況を確認することで頭がいっぱいになってしまっていた。
大広間は神殿に入ってすぐのところにある。向かっているとだんだん人が増えてきて飛び交う声も大きくなってくる。
聖女や聖人だけではなく神官たちも大広間に向かっている。
だんだん人口密度が上がっていく中を私も同じ方向へと歩いていたけれど、誰も私に会釈してくる者はいなかった。忙しさもあるけれど、私が通り過ぎていくのを気づいていないような感じだった。
大聖女としての認知度の低さを実感させられてしまった。
だからといってがっかりすることもないとわかっている。
大聖女になったからそれで終わりでは意味がない。ちゃんと私の力を示して大聖女セシリアとして周囲に認められなければ、リリスのような大聖女になってしまう。そんなことになってはいけない。
大聖女になったのだから力を惜しむことも必要ないはずだ。
そんなことを考えていると、人が行き交う大広間に到着していた。
白い制服姿が目立つけれど、その中に数人の怪我人が混ざっているのがわかる。もうすでに小隊の怪我人が運び込まれ始めていた。
「状況は?」
近くを通りかかった聖人に声を掛けると、まだ若い聖人は私の顔を見て驚いたように固まった。
「怪我人の数や程度はわかっているの?」
固まってしまった聖人にもう一度話しかけると、彼ははっとしたように口を開いた。
「正確な人数はわかっていませんが、数十人はいると聞きました。重傷者を優先的に運んでもらっていて、大聖人様が治療をしています」
どうやらライム様の方が先に動いていたらしい。
視線を動かすとすぐにライム様の姿を見つけられた。
あちこち傷ついているのか血に染まった怪我人の前に両手を添えて治療をしている。
わずかな光が怪我人を包んでいく。その光がゆっくりと血の流れ出ている傷を塞いでいた。
その近くでは補佐聖人の2人も治療をしている。ライム様だけでは手が足りないので協力して治療をしているようだった。
「怪我の軽い人たちは庭の方に運ばれて聖女や聖人が治療することになっています」
隣にいる若い聖人が説明してくれた。彼も庭で治療をするために神殿から出ようとしていたのだろう。
これ以上引き留めてはいけないと思いお礼を言って私はまだ治療を受けていない患者の治療をすることにした。
どんどん運び込まれてくる怪我人は皆どこかに傷を作って血だらけだ。骨折や打撲の人もいるだろうけど、やっぱり血が流れている人の方が酷い怪我のような印象を受けてしまう。
「セシリア」
誰から治療するべきか患者の様子を見て判断しようとしていると私を呼ぶ声がした。
聞き馴染みのある声に振り返ると、皇太子殿下の護衛騎士をしているカイル様が少し驚いた顔をして立っていた。
「カイル様。どうしてここに?」
皇太子殿下の護衛騎士なら城にいるはずだけど、なぜ神殿にいるのだろう。前はリリスの我が儘で護衛騎士をやらされていたけれど、今はその任もない。
「用事があって来たんだが、緊急事態に遭遇して怪我人の搬入を手伝っている」
神殿にやって来たカイル様は、魔物に小隊が襲われたことを耳にしたらしい。どんどん怪我人を運びたいが人手が足りないようで居合わせたカイル様も手伝っていた。
カイル様の後ろにも床に寝かされた男性がいる。
額から血を流していて、苦しそうに呻いていた。
それを目にした私はカイル様との会話を無視するように男性に近づいた。全体を見て彼はすぐに治療をしないと危険だと判断する。意識がはっきりしていないようにも見えるけれど、呼吸が乱れている方が気になっていた。
「落馬した上に、暴れた馬に踏まれたらしい」
カイル様が隣にしゃがんで説明してくれる。聞いただけで痛々しい。
「すぐに治療します」
骨も折れているようで、内臓に損傷もありそうだ。すぐに神聖力を流して男性の体を確認する。
予想通りの状況に私はすぐに治療を始めた。
男性の体を包み込むように神聖力を流していき、傷ついた部位を回復していく。
呻いていた男性の呼吸が少しずつ落ち着いていき、それと同時に傷が癒えていくのがわかった。
「回復が速い」
誰かがそんなことを言ったけれど、私はそれに反応することなく治療を続けた。
男性の怪我はすぐに治療が終わった。
包まれていた光が消えると朦朧としていた意識がはっきりしたのか、男性がゆっくり起き上がって自分の体を確かめている。何が起こったのかわかっていない様子だ。その説明をしている暇は私にはなかったので、近くにいた神官に彼を任せて、私は別の怪我人の治療に向かった。
すると、なぜかカイル様も一緒についてくる。
不思議に思いながら首を傾げてカイル様を見つめると、彼はそこにいることが当たり前であるかのように頷いた。
「皇太子殿下の命を受けて大聖女セシリア=ローズネルの護衛をすることになった。詳しい話はこの場が落ち着いてからにしよう」
大聖女がリリスだった時は彼女の我が儘で護衛騎士をすることになっていたカイル様だったけれど、今度も皇太子殿下が護衛をするように命じたらしい。私は護衛が欲しいとは言った覚えがない。
どういうことなのか気になったけれど、カイル様の言う通り今はゆっくり話をしている時でもない。
目の前には多くの怪我人が運ばれてきている。まずは治療が優先だ。
次の患者を治療しようと運ばれてくる人たちの怪我の状態を確かめていると、入り口でひときわざわつきながら誰かが運ばれてくるのがわかった。
ざわつきの中に戸惑いが含まれていて、運んできている人たちがどこか諦めたような暗い顔をしている。
それが気になって私はすぐに足を向けた。
「患者を診させてください」
声を掛けると運んできた人たちが一瞬痛々しそうにお互いの顔を見合わせた。
運んだ患者に何か事情があるのだろうか。
そう思いながら患者を確認したとき、私は息を飲んだ。
「馬車で移動していた貴族令嬢がいたようです。小隊と一緒に行動していて馬の暴走に巻き込まれたみたいで、荷馬車とぶつかって馬車が大破して割れたガラスを被ったようです」
運ばれてきたのは私よりも年下に見える成人を迎えたかどうかの少女だった。全身血だらけで小さなガラスの破片があちこちに刺さっているのが見える。傷自体は小さいように見えるけれど、馬車は大破していたということなので、馬車の中でもみくちゃにされていた可能性もある。
意識がなく、ぐったりしている様子から危険だと判断できた。
運んできた人たちも助からないと思っているようで、だから暗い顔をして神殿に入ってきたのだ。
「すぐに治療をします」
私がそう言うと、周りが顔を見合わせて動揺しているのがわかった。
たとえ神聖力を持っていて傷を治せる力があっても、あまりにも酷い怪我や怪我人本人に生きる気力と体力がなければ治療したところで助からないこともある。
症状を見る限り呼吸はまだしているけれど弱々しくて、全身の怪我がひどい。誰が見ても駄目だと判断してしまいそうだけれど、私はまだ諦めるには早いと思った。
『これくらいならお前の力で問題ないはずだ』
すっかり忘れていたけれど、カムイ様がいつの間にか頭の上に乗っている。重さを感じないので声を発してくれないと存在を忘れてしまいそうになる。
ただ、私も同じ考えだった。この子はまだ助かる。
「はじめます」
床に少女を寝かせてもらうと、私はすぐに治療を始めた。
神聖力で体の状態を確認する。馬車の中で揉まれたのだろう。あちこちに打撲の跡がある。強くぶつけたのか骨が折れているのも確認できた。それに加えて割れたガラスが全身に刺さっている。
このまま傷を塞いでしまうとガラスの破片が体内に残ってしまう可能性もあった。
『中の治療が先だな。傷は比較的浅い』
カムイ様が私の力を通して少女の状態を確かめたらしく、まるでカムイ様が治療しているかのように説明している。なんだか不思議な気分だけれど、それは気にしないで私は治療に専念した。
まずは内臓や骨の治療をする。それが終わったら、今度は傷に刺さっているガラス片をゆっくりと神聖力で取り除いていく。同時に傷も塞いでいくことで出血も抑えていった。
これがとても繊細な作業になる。ただ神聖力を流すだけとは違うので神経を使う。
「・・・すごいな」
カイル様の感嘆の声が聞こえたけれど、それに反応できるだけの余裕がなかった。
すべての傷口が塞がったことを神聖力で確認できるまで治療が続けられ、傷が塞がったことがわかると私はゆっくりと瞼を開いた。
全身血だらけで今にも命の灯が消えてしまうそうだった少女は、地や泥で汚れてはいるけれど、落ち着いた呼吸で目の前に横たわっていた。
「終わりです。どこかで休ませてあげてください」
私はそれだけ言うと、先ほどまで暗い顔をしていた人たちが呆然としたように少女と私を見ているのを気にすることなく次の患者へと向かった。
そうやって次々と運ばれてくる患者の治療は続き、すべてが終わる頃には夕方を迎えることとなった。




