神聖石の管理
「これで今日の分の治療は終わりね」
要望のあった患者の治療をすべて終えて、報告書をまとめるため与えられた部屋で1人書き物に没頭していた。本来この部屋は大聖女と補佐聖女が全員で使う仕事部屋なのに、他の補佐聖女が机に向かってものを書いて仕事をしている姿を見たことがなかった。すべての仕事を私がしているわけでもないのに、彼女たちはいったいどこで書類整理をしているのだろう。
まさか何も報告書を書いていないということはないと信じたいが。
それよりも現在私1人しか部屋にいないというのもどうなのだろう。
現在の補佐は私を含めて5人。残りの4人はいつもリリスの側にいて、彼女をもてはやしては機嫌をよくする努力ばかりしている。そのうえ、大聖女に依頼してくる高位貴族の令息によく見られようと着飾ってみたり、とにかく自分を売ることに時間を割いている。
彼女たちも聖女ではあるが、ほとんど仕事をしている姿を見ないし、ほとんどを私に押し付けている。
気が付けば窓の外はもう夕暮れだ。日もだいぶ沈みかけていて、1時間もすれば真っ暗な時間になってしまうだろう。今は夏なので日が長いのが救いだけど、それだけ遅くまで仕事しているということでもあった。
「昨日の休みが夢のようだわ」
仕事をしないで自由に動ける日がすでに懐かしくて、恋しく思ってしまう。
ここで嘆いていても仕方ないので書類を整理して、帰り支度を始めた。
他の補佐聖女の机はまっさらで仕事をした形跡はやはりない。私の机の上にだけ置かれた大量の書類を片付けて部屋を出た。
「夕食には間に合いそうでよかった」
神殿に所属する者たちは、男女で別れた宿舎で寝泊まりしている。貴族出身で帝都に屋敷がある者は屋敷に帰るが、それ以外は皆宿舎を利用していた。そして宿舎と繋がって食堂もある。食堂に関してはどちらの宿舎とも通路で繋げて聖女も聖人も同じ場所を利用できるようになっていた。
開いている時間内であればいつでも利用可能で、今の時間ならまだ十分に食事ができるはずだ。
今日は何を食べようかと考えながら廊下を歩いていると、数人の聖人が集まってこちらに歩いてくるのが見えた。その中に2人の聖女が混ざっている。
1人がセシリアの親友であるカリナだと気が付くと、向こうも気が付いたようですれ違う時に声を掛けてくれた。
「お疲れ様。これから帰るところ?」
「今日の仕事は終わったからね。カリナはまだ帰れないの?」
帰れるのなら夕食を一緒にと思ったけれど、先を歩く聖人たちが抱えている箱に視線を向けた。
「まだかかりそうだね」
返事を聞く前に何か作業があることは察しがついた。
「今日は遅くなりそう。神聖石の欠片が大量に見つかったから処理をしてほしいって依頼が来たの。量が多いから少しやることになったけど、通常の仕事の他に請け負うことになったから、これから作業になるわ」
「そういえば、南方の伯爵領で神聖石が見つかったって話があったわね。その周辺に欠片も見つかっているとは聞いていたけど、そんなに大量だったのね」
魔物に支配されてしまった大陸で人間が安全に生きていくためには神聖石の力が必要になる。
神聖石の聖なる力が魔物を弱らせたり寄せ付けなくすることで安全を確保できるけれど、そこに聖人や聖女の力を加えることで、結界を張るという技術が生まれた。それによって魔物を完全に排除して集落を形成することができるようになった。
大陸にはまだ発見されていない神聖石が沢山あると言われているけれど、魔物がうようよいる場所に行って神聖石を探すのは危険が多い。そのため神聖石の発掘は時間がかかってしまう。
自分達が積極的に動いて神聖石を発見するというより、誰かが通りかかった場所で魔物が少なかったり、襲われたことがない場所を噂で聞いた程度から、ひょっとしたらという希望から調査が少しずつ始まって、神聖石の発見につながることが多い。
最近、南部の伯爵領で発見されたという話を耳にしたことを思い出した。どうやら調査が進んでいるらしい。小さければ村程度、少しでも大きければ新しい町が形成されるかもしれない。
「確か、ここよりも第3都市の方が近かったと思うけど、そっちの神殿で対応してくれなかったの?」
神聖石が発見されるとその周辺から神聖石として結界を張ることはできなくても、神聖力を宿した小さな石が発見されることが多い。その小粒の石は神聖石の欠片と呼んでいる。その欠片は聖物として使われるため収集することは大切な仕事である。
「第3都市で発見された神聖石の調査をするみたい。欠片も重要な物だけど、結構量が多いらしくて、向こうの神殿だけでは処理が追いつかないから、こっちに回されてきたそうよ」
大陸には大きな都市が12存在する。その都市に必ず神殿があり、神聖石に関してはすべて神殿で対応することになっていた。今回は南方で発見された神聖石は、同じ南方にある第3都市で調査が行われていたはずだ。
ただ、欠片の調査も同時進行していて、予想以上の量に悲鳴を上げたようだ。こういう時は他の都市の神殿が協力することはよくある。
「できるだけ急いでほしいみたい。でも、私たちも他の仕事があるから、どうしてもこの時間になるのよね」
神聖石の欠片は、防具や武器にはめ込むと、魔物は嫌がる。特に武器に使えば、神聖力を浴びることになって魔物へのダメージが大きくなるという利点があった。そこにさらに神聖力を持った者が扱えばより強固な武器にすることも可能だ。それ以外にも生活で使う物にはめ込むことで聖物としての扱えるようにもできる。ただ、神聖力を持っていないと発動させられないという難点はある。
それでも、神聖石の欠片は使い勝手が非常に良いので需要もかなりある。そのため発見されるとできるだけ早く調査をしてほしいと思うのは当然だ。
今回は伯爵領で発見されたので、その伯爵の所有物となる。
「調査と選別が今回の依頼内容。聖物にするのは第3都市の職人に依頼するらしいから、とにかく欠片の仕分けを急ぎたいみたい」
「新しい村か町ができることになれば、そこで使う聖物の確保もしたいでしょう。人が安全に暮らせる場所が増えるのは良いことよ」
「あまり忙しすぎるのもどうかと思うわ」
定時で仕事を切り上げたいカリナは、確定された残業にうんざりした顔をしていた。これも聖女の仕事なのでそんなに嫌がらないでほしいと思ってしまった。
「大変ね」
はっきり言ってその一言に尽きる。これは神殿の大事な役割でもある。調査ができるのは神殿に属している聖女と聖人だけ。人数が限られているため1人当たりの仕事も多くなるのは仕方がない。
「・・・セシリア」
急にカリナが弱ったような声を出してきた。それだけで何を言いたいのかわかる。
すぐに視線を逸らしてみたがすでに遅かった。腕を掴まれて上目遣いをしてきた。
「親友が困っているのを見過ごすの?」
「他の聖女や聖人がいるでしょう」
今日はもう帰って休みたいと思っていたけれど、ここでカリナに会ったのが運の尽きなのだろうとも思ってしまった。
「みんな忙しいのよ。たまたま手が空いた私たちに押し付けられた仕事だし」
視線を戻すとカリナの隣に立っているもう1人の聖女の真剣なまなざしに気が付いてしまった。始めて見る顔なので新人のようだ。補佐聖女をしていると、新人の聖女との顔合わせをする機会がめっきり減ってしまったことを改めて気づかされてしまう。
廊下の先に視線を向けると、箱を抱えた聖人たちは先を歩いていてすでに後ろ姿が遠い。
もう一度カリナを見ると、期待のこもった視線が突き刺さった。
少しでも人数が増えれば仕事量が減るし早く帰ることもできる。無言の圧力にここで突っぱねる勇気は私にはなかった。
「わかったわ。明日に響かない程度なら手伝ってあげる」
「やった。さすが親友」
嬉しそうにするカリナに、今度何か奢らせようと思った。
すぐに先を歩いていく聖人たちの後を追うと。彼らは少し広い部屋へと入った。聖人は5人。カリナ達を合わせると7人で作業することになるのでそれなりに広い部屋を用意していたようだ。私が増えても作業スペースは問題なさそうだ。
大きな机が1つ部屋の中央にあり、囲むように椅子が置かれている。もともと会議などをするための部屋だ。
聖人たちがそれぞれ抱えていた箱を机に置くと、中身の神聖石の欠片を広げていった。
「思った以上にあるわね」
第3都市では捌ききれない分だけだと思ってたので、多いと言ってもそれほどではないと思い込んでいた。
これを全部やろうとすると明日までかかりそうな量だ。
「できる範囲でいいのよ。残りはまた後日になるだけ」
私が増えたことを聖人たちに伝えたカリナが戻ってくると、すぐに椅子に座って目の前の神聖石に手を伸ばした。
まずは汚れや傷をチェックしていく。それが終わると神聖力を少しだけ流して神聖石の性質を確かめていく。良質な物は穏やかな力が戻ってくるが、質が悪いと不安定な力が戻ってくる。壊れかかっていたりすると使い物にならない。
神聖石は発見される場所が様々で土の中からだったり、川や湖の中から出てくることもある。同じように神聖石の欠片もいろいろな場所から発見されるため、状況によっては使えない物もあるのだ。どれだけ小さくてもそこに神聖力が宿っているので、弱くても弱いなりに聖物として使うことも可能だ。大きさよりも使えるかどうかが重要になる。
もちろん強い神聖力を持った神聖石の方が使える幅が広がるし、強い神聖力を宿した武器を作れば、魔物討伐に大きな貢献ができるのも確かだ。
目の前に4つの袋が用意され、そこに入れていく。1つは不良品用。残りは使える神聖石をサイズで3つに分けていく。
カリナの隣に座って私も作業を始めた。すると、隣に新人の聖女が座って作業を始めるが、明らかに私のことを気にしてちらちらと視線を送ってくるのがわかった。
そんなに見てくるのなら声を掛ければいいのにと内心苦笑してしまった。
「はじめましてよね。私はセシリア=ローズネルよ。大聖女の補佐をしている聖女だけど、あなたの名前を聞いてもいいかしら?」
「あ、メグ=リディスターと言います。1か月前に成人して神殿に来ました。聖女としても新人なのでわからないことも多くて」
声を掛けられないようなのでこちらから話しかけてみた。成人したばかりなら18歳だ。あどけなさもあるが、これから聖女としてしっかり働こうという意欲も茶色の瞳に宿っているように見えた。くせ毛なのか、後ろで束ねた同じ茶色の髪が背中であちこち跳ねている。
今は先輩聖女と一緒に仕事をこなして覚える時期だろう。
神聖力を持っている者は成人すると各都市にある神殿に行く。そこでどれほどの神聖力があるのか審査が行われ、一定の力を越えると聖女として認定される。それ以下だと神官という役職をもらうことになる。神官だと神聖力は持っていても聖女のように患者の治療を行えるだけの力を使うことができない。そのため神殿で神官として働くか、外に出て一般人として生活するかを決めることができる。
ただ、聖女や聖人に選ばれた者たちは基本的に神殿の保護下に置かれ、神聖力を磨きながら神殿で働くことになる。メグは帝都生まれで神聖力があるということがわかっていたらしく、成人してすぐに神殿に来て聖女の資格があるかを確かめたようだ。
私にも新人の時代があったことを思い出す。先輩聖女の後を追って仕事を覚えるのが最初は大変だった。
1年間の新人時代を経験して、2年目からは他の聖女と同じ扱いを受ける。そして2年が過ぎると今度は先輩聖女として新人の指導をすることになっている。
だけど私は2年が過ぎた時にリリス様の目に留まって補佐聖女になってしまった。補佐聖女は新人の教育に携わることはない。大聖女の補佐で忙しくなるからだ。
「大聖女の補佐をしているから、あまり会う機会がないと思うけど、わからないことがあったらいつでも声を掛けてちょうだい」
私も2年は神殿で働いている。教えてあげられることはあるだろう。
とはいえ、仕事で神殿内を動き回っている私に相談してくる者は、今のところ1人もいなかった。それを寂しいと思っている暇も実はないことに気が付いてしまう。
「セシリアはいつもどこかで仕事をしているから、所在不明が多いのよ。会えた方が珍しいかもしれないわね。そういうことだから、相談事は私たち一般の聖女にした方がいいわよ」
悲しむべきかと思っていると、カリナが新人とのせっかくの接点を潰すような発言をしてきた。
反論するべきだったのだろうけど、カリナの言っていることも正しいため言葉が出てこない。
「外の仕事がないときは神殿にいることが多いわよ。珍獣みたいな言い方しないでほしいわ」
とりあえず反論を試みるも、説得力に強さがない。
「仕事ばっかりじゃない。後輩の面倒くらい私たちに任せなさい。セシリアは休む必要性も知っておくべきだわ」
「神聖石の選別を手伝わせておいて、よく言うわね」
「ちょっとだけ手伝ってほしいなぁ、って声を掛けただけよ」
あれは強制感が強かった気がする。
そんな話をしながらも決して手を止めることはない。神聖石の欠片の選別をしながら軽口が言える2人にメグは感心したように視線を向けてきていた。
「メグ、手が止まっているわよ」
「あ、はい。すみません」
カリナの指摘にメグが慌てたように神聖石に手を伸ばす。まだ神聖力の使い方に慣れていないようだ。
自分にもこんな時代があったなとふと思い出した。
メグのように成人してからではなく、もっと幼い頃だ。私は幼い頃に村を定期訪問していた聖人に神聖力を見出されていた。そのため、訪問する時は必ずその聖人が神聖力の使い方を教えてくれたのだ。成人前から力の使い方を教わることは珍しい。私に教えてくれた聖人は見込みがあると思ってくれていたのだろう。
懐かしさを感じながらも手を動かすことを止めることはなく、時々会話をしながらしばらく神聖石の選別をすることになった。