大聖人ライム
資料を読み始めて数日。
3年間の資料というのは、私が思っていた以上に多かった。
カリナから簡素に説明を受けたりしてできるだけ手短に資料に目を通していたはずだけど、やっぱり集中して取り組むと気力も体力も削られていく。
ここまでの資料を読み漁るのは神殿に来てから初めてのような気がした。補佐聖女をしていた時にも大量の資料を机に積まれていたけれど、いつもすぐに必要な案件を振り分けて行動していることが多かったから、机にかじりついてずっと資料とにらめっこは経験がない。
「疲れたな」
まだ半分読み終わったかどうかというところで、私はポツリと言葉を零した。
「今日はこのくらいにしておきましょうか。午後からは大聖人ライム様と面会でしょう」
まだ作業はあるけれど、今日は疲れたのでここまでにしてくれるようだ。疲れすぎるとせっかく資料を読んでも頭に入ってこない。それでは効率が悪くなるだけだ。
カリナもそれは理解してくれているから、打ち切ってくれたようだ。
それにロンデル様がライム様との面会を午後に予定してくれた。
話し合いは早い方がいいということらしい。すぐに日取りを決めてくれて知らせてくれたのだ。
私がライム様の執務室に行って話をすることになっている。
ライム様も忙しい身だから、遅れていくわけにもいかない。私が動けなかった分、ずっと1人で大聖女の仕事も抱えてくれていた人だ。
カリナが資料の片づけをしてくれるということだったので、私はすべてを任せることにしてすぐに部屋を出た。
ライム様の執務室は歴代の大聖人達が使っていた場所だ。
前回部屋に行った時はジーン様が使っていたけれど、たった数日でライム様の部屋になっている。
その事実に少しだけ違和感があった。周りからすると3年の月日が経っているから、ライム様の執務室という認識は当然ある。でも私は目が覚めたら執務室を違う人が突然使っているように見えて、まだそのことに慣れない。
でも、ここで生活していくのだからジーン様が亡くなって、新しい大聖人がライム=ダイオンになったということを受け入れなければいけない。
「今度ジーン様のお墓参りをしないといけないわね」
私に協力してくれて神聖石の保護を手伝ってくれたジーン様。なにもお礼を言えないで眠ってしまったし、目覚めたら亡くなっていた。せめて私が目覚めた報告とお礼を言いたいなと思った。
神殿の中は変わりないけれど、すれ違う人が覚えている人と知らない人が混ざっている。これも時間が過ぎ去った証拠になる。
そしてすれ違う聖人も聖女も、私を見ると一瞬動きを止めてから、少し迷うような素振りを見せて会釈をしてきていた。
大聖女がセシリア=ローズネルになったことは知らされているし、神聖石の保護のため姿を見せないことも知っていた。そんな私が数日前に目を覚まして姿を見せ始めたと知って、誰もが戸惑いの様子を見せていた。
その気持ちはわからないでもない。
姿を見せなかった大聖女。神聖石の保護をしていると聞かされてもそれを確かめる術を誰も持っていなかった。大聖人様は姿を見せない私を大聖女と定めてしまい、周囲の聖女や聖人は困惑していたことだろう。それでも受け入れるしかなくて日々を過ごしていたはずなのに、そこへ私が姿を見せた。
大聖女だと言われていても、どう対応したらいいのか迷っている様子だった。
ここは私から声を掛けた方がいいのかもしれない。
挨拶程度の声掛けから始めればいいかなと思って、近くにいる聖女に声を掛けようしたところで、背後から私を呼ぶ声が聞こえた。
振り返ると見覚えのある男性が手を振りながら足早に向かってくるのが見えた。
覚えている姿より少し大人びて見えるのは3年という月日のせいだ。少しずつではあるがそのことを理解できるようになって、私も順応してきているのだなと思えた。
「ザックさん?」
念のため疑問形で名前を呼んでみた。
「・・・僕の事忘れちゃった?」
目の前まで近づいてくると、ザックさんが悲しそうな顔をしてきた。ただ、本当に悲しんでいるというよりも悲しそうなふりをしているようにしか見えない。
「ザックさんですよね」
確認すると、ザックさんは朗らかに笑った。
変わりない笑顔に、ほっとする。
「久しぶりだね」
ザックさんにとっては3年ぶりだ。私にとっては数日ぶりである。
「お久しぶりですね。ザックさんは少し大人びたのでしょうか?」
第3都市に一緒に向かった時は、青年に近い雰囲気があったように思う。でも今は大人の男性という感じがした。それでもザックさんはザックさんのままである。
「セシリアは変わらないね」
私の時間は3年間止まっていたので、そういう感想になるのは納得してしまう。カリナも同じことを言っていたし、他の人たちもきっと考えていることは一緒だろう。
「今はもう大聖女セシリア様と言わないといけなかったね」
思い出したようにザックさんが手を叩く。私の姿を見つけてすぐに駆け寄ってくれたけれど、聖女セシリアとして接してくれていた。でも立場が変わってしまったことを思い出して一歩引くように軽く会釈をしてきた。
その対応がなんだか寂しさを感じる。
私もまだ大聖女としての意識がほとんどないから、今まで普通に接してくれていた人たちが急に態度を変えてしまって複雑な気持ちになってしまう。
「今までと変わりなく接してくれるとありがたいです」
第3都市に向かった時のように聖女と聖人として話ができたほうが気が楽になる。
するとザックさんは顔を上げて苦笑していた。
「さすがに今まで通りというわけにはいかないと思うよ。でも、セシリア様が望むなら、周りに人がいない時くらいはそうさせてもらうよ」
様付けは続けるつもりでいるようだけど、対応は変わらないようにしてくれるようだ。そのことに少しほっとした。
「呼び止めてしまったけど、どこかに行く予定だった?」
廊下で立ち話になってしまっていた。
「大聖人様のところへ」
今後の話し合いをする必要があったので、私から訪ねることになっていた。
「引き留めて悪かったね。僕も仕事に戻るよ」
目が覚めてからザックさんとは会っていなかった。私の姿を見つけて声を掛けてくれたのは嬉しい。でも、彼も仕事の途中だったみたいで、軽く手を振って足早に去っていった。
今度ゆっくり話ができる時間が作れたいいなと、その後ろ姿を見て思う。
気を取り直して私は大聖人ライム様の執務室に向かうことにした。
その間もすれ違う聖人や聖女は数人いたけれど、誰も私に声を掛けてくることなく軽い会釈をする程度だった。
辿り着いた大聖人の執務室はジーン様が使っていた部屋をライム様が引き継いでいるだけで特に変わった様子はなかった。まだ扉の前だから変わるはずもないが中がどうなっているのか気になった。
ノックをして中に入ると、部屋の中もジーン様の時と変わりなかった。部屋の持ち主が代わればその人の好きなように内装を変えることはできるけれど、ライム様はすべてをそのまま引き継いでいた。
私にとっては数日前にジーン様と話した場所。だけど、ジーン様はもういない。そして、大聖人が座る場所にライム様が堂々と座っていた。
ほっとするような残念な気持ちもあるような。ちょっとだけ複雑な気持ちになってしまった。
「わざわざ来ていただいてありがとう」
「私の方が余裕がありますから」
ライム様は仕事で忙しい。私は3年分の資料を読むのに忙しい。でも、手を離すことができるのは私の方だ。
執務室にはサイガ様もいて、すぐにお茶の準備をしてくれる。
私はソファに座るように促されて、数日前に座ったことを思い出しながら同じ場所に座った。
向かいにライム様が移動してきて、ここからが本題になる。
「ロンデルから話を聞いていると思うけど、セシリア様には巡礼という名目で大陸各地を回っていただきたいのです」
「私が目覚めたことを知らせるのと、大聖女としての実力を示すためですね」
「ご理解いただけてありがたいです」
眠っている間にいろいろなことが変化していった。私の中では数日の感覚でも、3年という月日が流れたことを受け入れなくてはいけない。
「巡礼では数名の聖人と聖女を伴うことができます。護衛は聖騎士を付けてもらえるようにこちらで手配をしておきます」
巡礼の手配はライム様が取り仕切ってくれるらしい。私は出発する日までに3年間の重要な出来事を頭に叩き込んでいき、先々の情報も調べておかなければいけないだろう。
帝都だけではなくて、他の都市も3年で変わったことは沢山あるはずだ。
そんなことを考えると出発までにやることが山積みになってしまった。
「一緒に行かせたい聖人や聖女がいるなら教えてください。長旅になるでしょうから、気心の知れた者が一緒の方がセシリア様もいいでしょう」
どれくらいの時間がかかるのかわからないけれど、各都市を回ることになればずっと一緒にいる聖人や聖女達になる。それに護衛騎士も聖騎士を借りることになるけれど、彼らも知っている顔ぶれの方がいいと思った。
そう考えると第3都市に行った時のメンバーは一緒にいてほしいと思った。
「それでしたら聖人ザックは一緒がいいですね。それと私の世話役をしている聖女カリナも同行させられたらと思います」
他にも顔見知りを選びたい。
「わかりました。聖騎士に関しては皇室に申請しておきます。それと、巡礼のルートはセシリア様が決めてください」
帝都から一番近い場所から行くのもいいけれど、各都市の事情も考えながら回るルートを考えた方がいいはずだ。そのためには現状がどうなっているのかを知らなければいけない。
「わかりました。できるだけ早くルートの設定をします」
巡礼の順番によっては荷物の量も変えることがあるし、帝都に近ければ戻ってくるという選択肢もある。
色々と頭の中で今後のことを考えなければいけないだろう。
「それから、セシリア様が帝都を離れている間、大聖女の不在を補うための人材を集めておきました」
随分と仕事が早い。補佐聖女は大聖女が選定することになっているけれど、私は3年間の間に入れ替わった聖女達をまだ把握しきれていない。ライム様が候補を出してくれるとありがたかった。
「実は、先代の大聖女ソフィア様についていた補佐聖女を集めておいたんです」
「ソフィア様の補佐聖女ですか」
リリス=トールスはすでに大聖女としての資格を失い、大聖女として名を連ねることから除外されている。そのため私の前の大聖女はソフィア様となった。
憧れの大聖女ソフィア様には会ったことがあったけれど、その補佐達とは顔を合わせたことがなかった。
私が神殿に来た時にはソフィア様は亡くなっていて、補佐達も各都市に移動になっていた。
それでも、ソフィア様の補佐をしていたのだから優秀な聖女であることは間違いない。
そう考えて、第3都市で聖女の代表をしていたラニア様を思い出した。
「すべての補佐聖女を集められたらよかったのですが、集まってくれたのは2人です」
ソフィア様の補佐聖女は4人いて、ラニア様は神殿を離れられないということで辞退したらしく、もう1人も帝都の神殿には行けないという連絡が来たそうだ。
残りの2人も別の都市の神殿にいたけれど、補佐としてもう一度復帰してほしいというライム様からの要望にすぐに応えてくれたらしい。
本来は私から頼むべきことを、ライム様は積極的に動いて目覚めたばかりの私をサポートしてくれる。
「いろいろと準備をしてくださり、ありがとうございます」
「そんなに畏まらないでください。眠っていなければ同じ年でもありましたし、本来は先にセシリア様が大聖女になっていたのですから」
眠っていたから何も知らないけれど、ジーン様は私をすぐに大聖女として定めてくれていた。本来は会議が行われて、大聖女を誰にするのか相談する場が設けられるはずだけど、リリスの件で信用を失ってしまった。それに神聖石に入り込んで帝都の結界を保つという前代未聞ながらもやってのけたセシリア=ローズネルこそが大聖女に相応しいとジーン様が声を上げたことで会議などすることなくあっという間に決まってしまった。
「経験からいうと、ライム様の方が上ですよ」
先に大聖女になったからといっても、私はずっと眠っていただけ。ライム様はその後大聖人になっていて、大聖人としての経験は私よりもずっと積んでいることになる。
年齢は気にしないとしても、私はこれから大聖女として自分の力を周囲に認めてもらう必要があると思っている。そのための先輩にライス様はなるはずだ。
神聖石の中にいたことを知っているのは極僅か。私が姿を見せなくても帝都を守っているのだと公表はしているけれど、実際に姿を現して力を示さないと周囲はきっと半信半疑のままだろう。
「私にとってこれからが大事になるでしょうね」
神聖石の中に入る前、大聖女になることを悩んでいた頃が懐かしく思える。皇太子殿下の前で大聖女になる覚悟をしたけれど、なったという実感を持てないまま大聖女の座についてしまった。
ソフィア様の遺志を継いで大聖女セシリアとして人々に認知してもらわないといけない。
「困ったことがあればいつでも言ってください。協力しますから」
ライム様の言葉に心強さを感じながら、穏やかな話し合いはその後も続いていった。




