静寂の神聖石
静かな部屋の中に浮かぶ神聖石。
それしかない部屋。
目の前の光景に俺は言葉が出なかった。
ダイヤの形をした神聖石は淡い光を放って穏やかに存在しいている。その透き通るような神聖石の中に膝を抱えて穏やかな表情のセシリアがいた。
どうやって入ったのかはわからない。眠っているように目を閉じている。
「セ、セシリア・・・」
何とか彼女の名前を呼んでみたけれど、当然のように返事はなかった。
言葉が出ない。手を伸ばした指が震えているのがよくわかる。
自分の手を見つめると指だけでなく体が震えていることに気がついた。
何が起きているのかわからない。ただ、セシリアがなぜか神聖石の中にいる。
目の前の事実を現実として受け止めきれていないことも自覚できていた。手を伸ばしても彼女に触れることはできない。
一歩踏み出そうとして膝に力が入らなかった。自分の体を支えきれずに崩れるように膝をついてしまった。
「どうして」
彼女を部屋に1人してから何が起こったのだろう。
神聖石の保護をしているとばかり思っていた。それともこれも保護なのか?
俺は聖騎士であって聖人ではない。神聖力は持っているけれど、神殿のことに詳しいわけでもない。ましてや神聖石のことを詳しく知っているわけでもない。
もっと詳しい人に聞くしかないだろう。
そうなると大聖人様しかないと思った。
目の前の神聖石を保護できるのは大聖女と大聖人だけ。それならこの状況がわかるのもジーン様だけだろう。
「これは、一体・・・」
セシリアを迎えに来たつもりだったけれど、ジーン様を探さなければと膝に力を入れようとして失敗する。立たなければと思っていると後ろで驚いた声が聞こえた。
振り返るとロンデルが驚いたように神聖石を見つめていて、その後ろにサイガに支えられてジーン様もいる。
「ジーン様。部屋で休んでいるはずじゃ」
じっと神聖石を見つめたジーン様は静かな表情で俺を見た。
「この状況を説明できますか?」
静かな声に俺は首を横に振った。部屋に入った時にはもうこの状況だったのだ。
「わかりません。すでにこの状況だったので」
「神聖石がセシリアを望んだのでしょうね」
ジーン様はサイガに神聖石のそばまで連れ行ってほしいと言った。状況がわかっているような雰囲気に俺は混乱する気持ちをぶつけてしまった。
「セシリアは無事なのですか?」
眠っているように見えるけれど、生きているのかさえわからない。そう考えると背筋に冷たいものを感じる。
「生きていますよ。眠っているという表現が一番いいかもしれないね」
この状況を知っているようで、ジーン様が静かに語り出した。
「大聖女の本にきっと記載があったのでしょう。それをセシリアは読んでいたから出来たことだろう」
大聖女かその後継者しか読めない本。そこに神聖石の保護について記載があるらしい。その中に神聖力の使い方もある。
「普段なら使うことのできない方法も、神聖石の前で使えたのかもしれない」
ジーン様が簡素にぽつぽつと語っていく。
とても難しい方法のようで、神聖力に満ち溢れた場所でなければ使えない方法。この部屋は神聖力に満ち溢れた神聖石の部屋であるから可能だということらしい。その力を借りて神聖石の保護を行ったと思われた。ただ、神聖石の中に自ら入るという方法はジーン様も知らないことのようで、目の前の光景に困惑しながらも納得しているような雰囲気があった。
「私の知らない何かが起こったのだろうね。それをセシリアが知っていたかどうかはわからないけれど、彼女はもしかすると納得したうえで行動したような気がする」
そう言われて俺は衝撃を受けてしまった。
何が起こったのかはセシリアにしかわからない。それでも、その状況を彼女が納得して神聖石の中に取り込まれた可能性があるなんて。
「そんな・・・」
神聖石に取り込まれた彼女はどうなるのだろう。
見た目には石の中で眠っているようだが、いつか出てくるのだろうか。それとも。
「詳しいことを調べてみる必要があるだろう」
神聖石には大聖人ジーン様でなければわからないことも多い。おそらく本を読み返して今の状況をより把握したうえで、セシリアが今後どうなるのかを調べるつもりでいるのだろう。
このことに関して俺は何もできない。すべてジーン様に任せるしかない。
そう思うけれど、諦めきれない自分が心の奥にいることも理解していたし、何もできない現実に悔しさも込み上げてくる。
色々な感情が俺の中で渦巻いてしまって、上手く返事をすることができなかった。
もう一度神聖石の中にいるセシリアを見た。
彼女は穏やかな表情で膝を抱えて眠っているようだ。
「・・・生きているんですよね」
不意にそんな疑問が出た。
眠っているだけを言われたのに、まだ信じられない気持ちが口からこぼれてしまったようだった。
取り込まれたことで彼女の命は尽きてしまった可能性はないだろうか。姿はそのまま残っているけれど、彼女はもう戻ってこないのではないか。
「より詳しいことは調べてみないといけないが、私が知る限りの情報では生きている。だから希望を捨ててはいけない」
セシリアはいつか戻ってくる。その希望を抱かなければこの状況を受け入れることはできない気がした。
ジーン様も詳しいことを調べてくれると言っているのだから、それを信じるしかない。
「約束が・・・」
ふと、彼女と交わした約束を思い出した。
すべての事態が収束したら彼女に話したいことがあるという約束。
きっとセシリアも話を聞こうと思っていたはずだ。
頬に冷たいものを感じて俺ははっとして頬に手を当てた。
指先が濡れていることに気が付いて、俺は泣いているのだと自覚した。
もう会えないかもしれない。話したかったことを伝えられない。
生きていると言われても眠っていて意思の疎通はできないのだ。
その現実に気持ちの奥に押し込めていた物が溢れてくるようで、我慢できずに涙となっていた。
もうどうすることもできない。
俺は自分の無力さを痛感するしかなかった。
挫けそうな気持をジーン様の言葉で耐えていると、それは突然に起こった。
頬を撫でるような優しい風が、俺の涙を救い取っていくような気がした。
「え?」
その風には神聖力が含まれていたような気がして、顔を上げると何も変わらない光景がそこにある。
だが、今度は泣いている俺を慰めるように涙を拭っていった風が、俺を包み込むように優しく通っていくのを感じた。
「セシリア・・・?」
彼女はいまも神聖石の中で眠ったように動かない。でも、今彼女が触れてくれたような感覚が俺の中に芽生えたのは確かだ。
泣かないでほしいと言われているようで、大丈夫だと励まされたような気がする。
目の前の状況を見ると何も大丈夫ではないと思うのに、セシリアは笑って大丈夫だと言っているような気がして頭が混乱する。
「セシリア=ローズネル。君は今神聖石の中で戦っているのか?」
ジーン様が呟くように言って支えてくれているサイガから離れて神聖石の前に立った。
両手を神聖石に伸ばして指先がそっと触れると、神聖石がわずかに明滅した気がした。ジーン様に反応しているようだ。
優しい神聖力が部屋の中に満たされるのを感じて、俺は部屋をぐるりと見回した。
何か変化があったわけではない。神聖力が部屋を満たしていく。それを感じるだけだけど、俺の心は悲しみから穏やかな気持ちに落ち着いていくのがわかった。
「・・・そうか」
不思議な感覚にとらわれている間に、ジーン様は何かを得たようで納得したように声を上げた。
振り返ったジーン様は大聖人としての威厳に満ちた顔をしていた。それを見て俺は自然と背筋が伸びる。
「セシリア=ローズネルは神聖石の保護のため自らの力を神聖石に同調している」
「同調ですか?」
ロンデルが首を傾げると、ジーン様は静かに頷いた。
「神聖力が乱れていて安定しないため、自分の力を混ぜて神聖力を安定させることに専念している」
そうしなければ神聖石が壊れかねない。そうなれば帝都の結界がなくなるだけではなく、新しい結界を張ることもできず帝都は魔物の餌食になる。
多くの犠牲者が出るのは簡単に想像できてしまう。
「彼女は生きているんですね」
神聖力を注ぐために彼女は自分を犠牲にした。今も神聖石の中で眠るように生きている。
ただ、生きていたとしてももう会話をすることも触れることもできないという不安が心の奥にあることも確かだ。
「神聖石の中で生きているというのが正しいだろう。神聖石の力が安定したら戻ってくることも可能なようだ」
俺を安心させるようにジーン様が穏やかな声で言ってくれた。
「戻ってくる」
その言葉に俺は膝に力を込めて、ふらふらしながらも神聖石の前へと立った。
触れそうな距離に立ち止まると手を伸ばそうとしてジーン様に止められる。
「下手に触ってはいけない。セシリアがいることでやっと安定している状態だ。下手な接触は力を不安定にするかもしれない」
もしもまた神聖力が乱れたら、中のセシリアにもどんな影響が出るのかわからない。
伸ばしかけた手を引っ込めてじっと神聖石の中のセシリアを見上げた。
「いつ戻ってこられるのかわかりますか?」
「それは私にも・・・」
ジーン様は静かに呟いた。どこか寂しそうな雰囲気にジーン様に目を向けると同じようにセシリアを見上げているけれど残念そうにしている。
「私が感じ取れたのはセシリアが生きていて神聖石を安定させているということ。神聖石が元に戻ればセシリアの役目を終えて戻ってこられるということだ」
会話をしたわけではない。触れた指先から流れてきた神聖力がジーン様にそう感じさせたらしい。
詳しいことはわからない。漠然とした情報だけを受け取ったに過ぎない。
大聖人だからできた方法というわけではなく、神聖石に触れた瞬間にジーン様の中に流れ込んできたという。
これ以上のことは何もわからないらしく、ただ、セシリアが神聖石の保護を終えるのを待つしかないという結論になった。
「代わってあげられるのなら、この老いぼれがやるというのに」
まだまだこれから大聖女として力を振るえたはずのセシリアではなく、老い先短い自分が代われたらとジーン様は思ったようだ。だが、体調が悪いジーン様では神聖石の中に入れたのかはわからない。もしかするとセシリアだからこそできた方法なのかもしれない。
もう一度神聖石を見上げる。
彼女は穏やかに眠っているように見えるけれど、神聖石の中で1人今も戦っているのだろう。
「俺たちにできることはありますか?」
「待つしかないだろうね。彼女が戻って来た時に受け入れてくれる人たちがいれば、きっとセシリアも喜ぶことだろう。それに、帝都が安全な場所であり続けることも必要だろう」
セシリアが戻って来た時結界は保たれているから魔物に襲われることはない。それよりも今回のリリスのようなことが起こって神殿が混乱するようなことがあってはいけないだろう。彼女が戻って来た時穏やかに過ごせる環境を作ることが今俺にできることなのかもしれない。
「必ず戻ってこい」
いつになるのかわからない。
それでも俺は彼女が戻ってくる日を待つという覚悟を持って神聖石の中にいるセシリアを見つめた。




