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会いたい人

目の前の扉を見つめて俺は内心ため息をつきつつノックをした。

「カイル=アズクリフです」

名乗るとすぐに少し声を高くした明らかに嬉しそうな声が返ってくる。

その声を聞くとうんざりした気持ちになるが、これも仕事だと言い聞かせて扉を開けた。

「カイル様。お待ちしておりました」

甘ったるい声と香水が効きすぎているのではないかと思う匂いに部屋から出たくなる。それを堪えてソファに座っている女性へと視線を向けた。

大聖女の執務室は入って目の前にテーブルが置かれていて、それを挟むようにソファが向き合って置かれている。その奥に補佐聖女達の机が並べられていて、さらに奥に大聖女の机が置かれている。

大聖女には他にも個別の執務室と寝泊りできる部屋が用意されているが、今の大聖女リリスが使っている気配はなかった。

そんなことを考えている場合ではない。部屋に入って最初に目を向けたのはソファに悠然と座っている女性だ。

少しうねりのある金髪に青い瞳が愛おしそうにこちらを見てくる。明らかな好意に、喜ぶ男性は多いかもしれない。だが俺はリリスを恋愛対象に見ていないので全く嬉しくなかった。むしろ毛嫌いしている。

部屋には大聖女が書類仕事をするための大きな机と椅子が置かれているが、ソファに座っている彼女が書類と向き合って仕事をしている姿を見たことがない。俺が訪ねるとわかっている時は必ずソファにいるし、突然の訪問になったとしても、机に向かって仕事をしている姿を見た覚えがない。

指摘すれば見ていないところでしているのだと言われそうだが、机の上がいつも綺麗で仕事をしているとは思えなかった。

そもそも彼女は仕事などしていないのではないだろうか。

「そんなところに立っていないで、座ってください」

甘ったるい声。

背中に悪寒のようなものが奔ったけれど気づかないふりをして、いつも通り無言でリリスの正面に座った。

いつも通り紅茶と茶菓子が目の前に置かれる。リリスの近くにはいつも4人の補佐聖女がいて、彼女たちが流れるような作業で場を整えていく。補佐聖女ではなくリリスという令嬢に使える侍女にしか見えない。

口元に笑みを浮かべて、リリスの機嫌は良いようだ。

だが、そんなことはどうでもよかった。ここに来たのは談笑するためではない。俺は仕事でここを訪ねてだけなのだ。仕事で会っているのだから、そちらも仕事をしてほしいと心から思う。

「皇太子殿下より、大聖女リリス様に巡礼を行うようにという要請があります」

すぐに本題に入ることにした。

大聖女は定期的に都市の周囲に点在している村や町に行って神聖石の状態を確認するという仕事がある。

人々が安全に住むためには神聖石は重要な物だ。神聖石の力を借りて結界を張ることで魔物の侵入を防ぎ、畑を耕して作物を育てることが可能になった。ただ、小さな村や町は神聖力を使える者が常にいるわけではなく、定期的に神殿から派遣される聖女や聖人から神聖力を補充してもらって結界を保っていた。

そうしなければ神聖石自体に問題が起こることはそうないが、結界を維持することができなくなってしまう。

聖女や聖人の派遣で維持されているとはいえ、年に一度は大聖女か大聖人が巡礼という形で訪問することが今までの行事になっていた。

それが、リリスが大聖女になってから一度も行われていない。

「他の聖女や聖人が定期的に神聖石に力を与えているのだから、わたくしが直接行く必要は今のところないと思いますわ」

確かに聖女や聖人でも神聖力を与えて神聖石を維持することは可能だ。

もっともな意見に聞こえなくもないが、聖女と大聖女では違いがある。大切に保存されている神聖石自体に異常がないかを確認し、異常があった時に対応できるのが大聖女の本来の目的だ。聖女はただ神聖力を与えることしかできない。その違いを理解しているはずなのに、リリスは聖女や聖人がいれば大丈夫なのだと、よくかわかない自信で巡礼を拒否していた。

彼女が大聖女になってから2年が過ぎたが、今まで一度も第1都市である帝都を出た記録がない。大聖人が代わりに動ければよかったのだろうが、体調を悪くしている大聖人は帝都から出る事さえ難しいだろう。

カイルが護衛騎士になって1年になるが、何度か巡礼の話をしてみたがはぐらかして終わりにされてしまっていた。だが、今回は皇太子の意見として話を切り出していた。

「ですが、皇太子殿下も気にしているようです。前任の大聖女様までは巡礼をしていたのに、リリス様になってから行わないのはどういう訳かと」

「確かに、今までの大聖女様や大聖人様は巡礼をしていましたが、ここ2年、私も大聖人様も巡礼していませんが、特に大きな事故もなく問題が起こっているという話も聞きません。巡礼自体そこまで重要なことではないのかとわたくしは考えています」

今のところ問題が起きていないことが自信になっているようだ。大聖女が動かないのならもう1人の神殿の代表である大聖人が巡礼を行えばいいのだが、高齢で体を壊しているため神殿から出られない。だからこそ若い大聖女に動いてもらいたいと皇太子は考えているが、目の前の大聖女は動く気配がない。

「他の聖女や聖人たちで村や町を維持できるのなら、わたくしが動かなくても神殿が民を護っているのだと安心してくれますわ」

「ですが、現在の大聖女がどういった人物なのか、巡礼をすることで直接知ることができます。会えることで民が今以上の安心感を得られると思います」

食い下がってみたが、リリスは考えることもなくすぐに否定してきた。

「神聖石に護られていれば問題ありませんわ。大聖人様が動けない今、わたくしが神殿を離れるのは得策ではないと思います。あなたたちも、そう思うでしょう」

後ろに立っている4人の補佐に尋ねると、4人とも深く頷いてリリスの味方をする。

「リリス様が行かなくても神聖石に問題があるという話を聞きません」

「他の都市からの聖女や聖人の派遣でも間に合うなら、わざわざリリス様が行く必要はないと思います」

補佐達に言われて満足そうにするリリスを見ていると、これ以上何を言っても無駄だとわかる。皇太子殿下の言葉でも動かないとは、リリスは皇族を侮っているとした思えない。

「では、殿下にもそうお伝えします」

これ以上は話していても無駄だと判断して立ち上がった。すると、リリスは慌てたように呼び止めてくる。

「今来たばかりではありませんか。せっかくお茶を用意したのですから、もう少しゆっくりされてはいかがですか?」

期待の混ざった眼差しに俺が怒りを覚えていることを彼女は気が付かないだろう。だが腹の底に怒りを押し込んで無表情のまま会釈するとそのまま部屋を出た。

何か呼び止めようとしていたようだが、それを無視して廊下に出てしまう。途端にため息が零れてしまった。

「なんで俺がこんなことを」

リリスの護衛騎士を任されて1年になるが、正直いつ来てもうんざりだしストレスしか溜まらない。

俺は本来皇太子殿下の護衛騎士として所属している。

アズリクフ伯爵家の二男として生まれた俺は、兄が後を継ぐことから、自分は騎士を目指すことを幼い頃に決めていた。貴族が通う学園に入りそこで同級生となった皇太子殿下と親しくなり、将来騎士を目指していることを話すと、卒業後、皇太子の護衛騎士として任を受けた。簡単になれるものではないが、俺には少ないながらも神聖力があったことで、聖騎士にもなれたことが選ばれた要因でもあった。

神殿で神官になれる程度の神聖力だが、それでも力を扱えることはメリットになる。

神聖石の欠片を宿した聖物を扱うのに神聖力が必要になるからだ。騎士ではあるが剣を扱えない場合、神聖力で聖物を扱って皇太子を護れるという面があるのだ。

日々騎士として剣の腕を磨きながら、護衛騎士の仕事をこなしていたのに、1年前に大聖女リリスと顔を合わせたのが運の尽きだったと言えるだろう。

リリスに気に入られたようで、すぐに皇太子の護衛騎士にもかかわらず、大聖女の護衛騎士にという要請が神殿側からきてしまった。どうやらリリスの好みの顔をしていたらしい。

「・・・最悪なことを思い出した」

当然、皇太子の護衛騎士を務めているので断ったが、その後もリリスは諦めることなく要望を出してきたのでうんざりしていたことを思い出した。

要請が何度かきて、いい加減にしてほしいと訴えようかと本気で考えていた時、急に皇太子が兼任という形ならリリスの護衛騎士にしてもいいという許可を出してしまった。

さすがにあれは驚いて言葉を失った。

だが、仕えている主が許可したのだから従うしかない。それに、何か考えがあっての許可だということも後になってだが気が付いた。

それから1年、城と神殿を行き来しするという生活をしている。

我が儘大聖女と顔を合わせるたび、貧乏くじを引いたと心から思ってしまうのはいつものことだが、いい加減早くこの生活から脱したいと最近思うようになってきている。

顔を気に入られている以上、リリスから護衛騎士を止めてもいいとは言わないだろう。

「好きでこの顔になったわけじゃないのに・・・」

そんなことをぼやきながら神殿を出るため歩き出した。

皇太子殿下には2人の側近騎士がいる。公の場に出ることの多い皇太子の側にいつもいることから、出自がしっかりしていて見目も良いことが条件になっていたという噂は聞いたことがある。真偽はわからないが、実際にカイルは女性からの人気が高い顔をしている自覚はあった。

だからといって大聖女に選ばれたいと思ったことは一度もない。

「殿下の命令だ。しっかりと役目を果たさないと」

自分に言い聞かせるように呟きながら歩いて、廊下の角を曲がった。

「あ、カイルじゃないか」

知った声に視線を向けると、相手が笑顔で近づいてきた。

「ザック」

白を基調とした神殿の制服であるローブに身を包んだ男性は俺の幼馴染のザック=ツル―だった。

同い年で彼は男爵家の長男だ。強い神聖力を持っていたため爵位を継ぐことなく成人すると神殿に入ってしまって聖人として働いている。男爵家は弟が爵位を継ぐことになっているそうだ。

「どこか怪我でもしたのかい?それとも大聖女様の話し相手?」

「・・・後者だな」

うんざりしたように返答するとザックは憐れむような視線を向けてきた。

「それは、お疲れ様」

「大したことはしていないが、わざわざ神殿に来なければいけないのは面倒だ」

幼馴染みであるザックには気兼ねなく自分の心境を話せる。彼も俺の状況を知っている。

大聖女の我が儘を彼の方が身近に見ているだろうから、同情もしてくれている。それに俺がうんざりしていることも理解してくれて、それを周りに言いふらすようなこともしない。

念のため廊下に人がいないことを確認してから、声を落として話をすることにした。

「大聖女が神殿から出ないのが、いろいろと問題になりつつある」

俺の言葉にザックも思うところがあるようだ。

「大聖人様が動けないことで、神聖石の管理をしなくていけないという理由で出ようとしないことは知っているよ。それでも周辺の村や町に巡礼くらいはしてもいいと思っている聖女や聖人はいるんだ。だけど、強く言うこともできない」

「実家の伯爵家が影響しているのだろうな」

返事はしなかったがザックは軽く頷いた。大富豪の伯爵家のご令嬢だ。リリスが好き勝手出来ているのは伯爵家の力が背後にあることは周囲の誰もが知っていて、余計なことをしてはいけないという暗黙のルールが出来てしまっている。

事業を起こしてそれが成功したリリスの父であるトールス伯爵は、大聖女の選定時にも裏で金を使って根回しをしていたという噂があった。だが、その証拠は掴めていない。噂だけで追及することはできない。

もっとも、リリスが大聖女としての実力があるのかどうか確かめれば済むのだが、それを強く言える人間がいないのも事実だ。大聖人が率先して動いてくれればよかったのだが、体調を崩して長時間の仕事もできない状況のため、リリスの実力を実際に確認したいと強く言えないところもあるらしい。

それでも、リリスが大聖女になって2年ほど経つが、巡礼は行われず、怪我人の治療は高い爵位の依頼や大金を積んできた者に対して行っているらしく、それ以外は補佐が補っているという話を何度か耳にするようになっていた。

皇太子殿下もこの話を聞いたことで、その真偽を確かめるため俺を大聖女の護衛騎士に送り出していた。

大聖女として本当にふさわしいのかを確かめることが、俺の大事な任務でもあるのだ。いわば監視役だ。それと同時に伯爵の噂などの真偽も確認できれば、リリスを大聖女から引きずりおろすことが可能になるだろう。ただ、慎重に動かなければ、後ろ盾である伯爵に気づかれると厄介だ。

「なんとかリリスを糾弾できる材料を揃えないと」

「慎重に見極めるしかなさそうだね。僕も何か情報があれば伝えるくらいはできるから」

俺が神殿にいない時は、ザックが色々と情報を集めてくれていた。持つべきものは信頼できる幼馴染である。

「とにかく頑張れとしか僕は言えないな」

「他人事みたいに言うな」

とにかく、リリスの監視役になっていることは悟られてはいけない。

そう思うのだが、あの好意を全面的にむき出しにして擦り寄ってこようとする態度を目の前にすると、どうしても笑顔で接することができない。優しくしてしまったら余計に付け込まれて気分が悪くなりそうだ。

「何か異変があればすぐに知らせるから、そんな嫌そうな顔は神殿内でしない方がいいよ」

考えていたことが顔を出ていたらしい。同情するようにザックが苦笑いを浮かべている。

何か変わったことがあればすぐに知らせてくれるはずだ。

「頼りにしている。俺は城に戻るから、大聖女のこともそうだが、大聖人の事も何かあればすぐに知らせてくれ」

高齢で動くことがあまりできなくなってきている大聖人はいつ儚くなってもおかしくないという噂が静かに流れていた。直接会っていないが、そう長くは生きられないと予想している。

大聖女に並ぶ立場の人間がいなくなれば、それこそ神殿はリリスの好き放題になりかねない。それが何より一番の心配事だ。

「大聖人様はまだ大丈夫だと思うよ」

どこからその自信が来るのかわからないが、今はザックの言葉を信じることにした。

彼と別れて神殿を出ようとしたところで、ふと1人の聖女のことを思い出した。

1か月前にたまたま出会った彼女だが、その後一度顔を合わせたきり会っていない。

周囲に見つからないように聖女が暮らしている宿舎に行って、お礼の菓子を持って行ったが友人だという聖女が対応しただけでその時は不在だった。神殿に来ればどこかで顔を合わせることができるだろうと思っていたが、今日も会えなかった。

「一体どこにいるのやら」

すれ違うとか、遠くに姿を見るくらいあってもいいように思うが、何故か探している聖女には会えない。

会いたくない大聖女には会わなければいけないが、会いたい聖女に会えないのはちょっとだけ寂しい気持ちになる。

「そのうち会えるだろう」

そう思うことにしてそのまま神殿を後にした。


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