帝都の神聖石
滑らかな表面に光を吸収して拡散する輝かしい形に、綺麗だという印象が一番だった。
あの形は見たことがある。宝石のダイヤが美しく見える形として有名だ。
それと同じ形をした神聖石は、ダイヤとは比べ物にならない大きさで床から少し浮いた状態で部屋の中央に静かにその存在を主張していた。
他には何もない殺風景な部屋なのに、そこに満ちている神聖力が寂しさを感じさせない。むしろ荒れ狂ったように神聖力が乱れて部屋の中を満たしていた。
普通に息ができるはずなのに、息苦しさを感じてしまう。
意識して呼吸を繰り返すと、ゆっくりとその場に馴染んでいくのがわかった。
「何しに入ってきたのよ。ここはあなたたちが入ってきていい場所ではないわ」
落ち着いてきたところで急に叫ぶような声が聞こえてきた。
部屋に入った時に神聖石の前にリリス様がいたのは確認していたけれど、声を掛ける余裕がなかった。
心を落ち着かせてから声を掛けるつもりでいたら、先にリリス様が口を開いたようだったけれど、明らかに敵意が含まれた声だった。
この荒れ狂った神聖力の中で平気そうにしているのが不思議だ。もしかして神聖力を感じ取れていないのだろうか。
ロンデル様とカイル様を確認すると、少し居心地が悪そうな雰囲気があるけど、私程苦しそうではなかった。もしかすると神聖力を感じやすい私だから抵抗を感じやすかったのかもしれない。
そう考えると、平然としていて私に文句を言っているリリス様の神聖力がどれほどなのか想像できてしまう。
リリス様の怒りが私にしっかりと向けられている。
補佐聖女を辞めた私がここに入ってきたことに戸惑いと怒りがあったようだ。でも、私はジーン様の許可を得て入っているから、リリス様に文句を言われる筋合いはない。
動揺する必要もないので、私は私のやるべきことをしよう。
「大丈夫ですか?大聖女リリスは気にしなくていいですよ」
気を遣ったのかロンデル様が声を掛けてくれた。私は口元に笑みを浮かべて小さく頷いた。
平気だという意図はすぐに伝わったようでロンデル様も穏やかに頷いてくれる。
リリス様のことは放っておくことにして私はもう一度神聖石に目を向けた。
「かなり危険な状態ですね」
ロンデル様も神聖石を見て状況がわかったようだ。見た目には問題ないように見える神聖石ではあるけれど、神聖力は部屋の中で荒れている。それを出している神聖石の中も明らかに力が乱れている。石に触れなくてもわかるくらいなのだから、危険なのは間違いない。
「そうですね。詳しく調べないといけませんが、放っておくことはできません」
私は呟きながら神聖石に近づいた。
「まず、詳しい状況を調べます。その後どれだけの保護ができるのか試さないといけません。ジーン様の力も借りないといけないと思います」
ジーン様はまだ部屋に入ってきていない。部屋の状況を私が先に確認してからジーン様にも入って来てもらおうと思っていた。体の調子が良くないジーン様に無理はさせられない。私1人で何とか出来るのならその方がいい。私を信じて先に部屋に入れてくれたのだ。
神聖石は静かに存在しているけれど、神聖力は乱れている。表面だけを調べても意味はないこともわかっている。第3都市の時と同じように深部を調べなくてはいけない。
あの時は力に翻弄されて一度失敗した。その後にコツを掴んで保護ができたけれど、目の前のは帝都の神聖石だ。この国で一番強い力を持っている神聖石だからこそこの場所が帝都になったと聞いたことがある。それほどの神聖石なのだから、振り回されたら第3都市の時と比べられない負担がのしかかってくる気がした。
慎重にやりたいけれどそんな時間もおそらくない気がしている。
呼吸を整えて神聖石を見上げてから、私はリリス様に視線を向けた。私が来るまでの間に何か起こったのか、神聖石の保護をどこまでしていたのか聞きたかった。
「リリス様。神聖石の保護はどこまでしましたか?」
「なにを偉そうに」
質問したら悪態をつかれた。その気持ちがわからないこともない。朝に補佐聖女を辞めた私が堂々と部屋に入ってきて神聖石の状態を聞いてきたのだから気に入らないと思われてもしょうがない。
でも、今はそんなことを言っている場合ではない。それをリリス様も理解しているはずだ。
じっと見つめて答えを待っていると、リリス様は私を見下すように視線を向けてきてから口を開いた。
「わたくしの力で保護していたところよ。もう力が付きそうだったから大聖人様に代わっていただこうと思っていたところよ。あなたが保護できるというのなら、やってみればいいわ」
もっと詳しい状況を聞きたかったけれど、これで我慢するしかないかもしれない。
言いたいことを言って満足したのか、リリス様が神聖石から離れて扉へと歩いていく。なんだか嬉しそうに見えたのは気のせいかもしれない。
とりあえず場所を譲ってもらったので、私は神聖石の前に立った。
神聖力は変わることなく乱れている。第3都市の神聖石の時は一瞬の歪みで終わっていたのでしっかりと調べないと見逃してしまう状況だった。でも目の前の神聖石はそんなことを隠すことなく力が乱れていることを主張するように存在していた。
そう。力を主張しているような感じがするのだ。
まるでそこに神聖石の意思があるかのようで、第3都市の神聖石の時にも思ったことだった。あの時は力に振り回されて思ったけれど、今は押し寄せてくる神聖力から感じている。
考え事をしていると息が苦しくなってきた。深呼吸して意識的に呼吸を繰り返して落ち着かせると、私は両手を神聖石に向かって伸ばした。
触れられる距離ではないけれど、乱れている神聖力を通じて神聖石を調べようと思った。まだ直接調べると何が起こるかわからない。目を閉じて神聖力を感じる。
神聖力を受け止めるのではなく受け流していく。そうしないと押しつぶされそうだ。受け流しながら神聖石の状態を確かめていく。
はっきり言って、力が乱れすぎていて神聖石の状況がわからない。
「1人では無理ね」
ここはジーン様の力を借りたほうがいい。
そう判断してジーン様を呼ぼうと思ったら、急に後ろで声が響いた。
「離しなさい。わたくしを誰だと思っているの」
突き刺さるような鋭い声に振り返ると、リリス様が扉の前でカイル様に腕を掴まれて叫んでいた。
怒りをまき散らして腕を振りほどこうとしているリリス様だけど、カイル様は黙ってじっとリリス様を見ていた。激しく暴れるのにびくともしない。聖騎士の腕力がすごいのか、リリス様の力が弱すぎるのかわからないけれど、カイル様は冷静で、リリス様が取り乱しているようにしか見えなかった。
「わたくしに歯向かえば後悔することになるわよ」
「どう後悔するのか教えてもらおうか」
挑発するようにカイル様が言い返すと、リリス様の顔色が一瞬にして悪くなった。
強気に言ったはずなのに、カイル様の声は冷静を越えて怒りを含んだように冷たかった。聞こえた私でさえ背筋に冷たいものを感じてしまった。
「何が大聖女だ。ろくに神聖石の保護もできずに逃げようとしている人間が、どの口で言う」
「わ、わたくしだって、保護をしましたわ。でも、神聖石に力が及ばないのよ」
「その程度で大聖女を名乗っていたとはな」
声だけで怖いと思ってしまったのか、リリス様は何も言えなくなってしまって視線を泳がせている。
言い返したいけれど、神聖石の保護ができなかったことは事実なので言葉が出ないのかもしれない。
だけど、今はそんなことをしている場合ではないと思う。できれば部屋の外でやってほしいと冷静になれば思ってしまった。
それよりもジーン様を呼ばなければとロンデル様に声を掛けようとすると、リリス様が私を見た。ばっちり視線が合うと、何かを思いついたように目を見開いて口を開いてきた。
「あの子だって保護ができないじゃない。わたくしよりも神聖力があるはずよ。あの子ができないことをわたくしができるわけがないじゃない」
リリス様。自分で力が弱いことを告白して大聖女に相応しくないという宣言をしていることに気が付いていますか。
私を貶めようとしたのかもしれないけれど、墓穴を掘っているようにしか聞こえなかった。
「自分が何を言っているのか理解できていないな」
先ほどまで怒りを纏っていたカイル様が呆れたような声を出した。
こんなやり取りをいつまでも聞いているわけにもいかない。私は特に反応することなくロンデル様にジーン様を呼んでほしいと伝えた。
「私1人では難しいと思います。ジーン様の力をお借りしたいのですが」
出来れば私1人で保護をしたかったけれど、予想以上に部屋の中の力が乱れている。ここは大聖人様の力もあった方がいい。
「わかりました」
部屋の外にはジーン様が待機してくれいている。呼べばすぐに来てくれる。
「わたくしを無視するなんて、なんて生意気なの。補佐聖女にしてあげたというのに、恩を返すこともしないで」
ロンデル様が部屋を出て行くと再びリリス様が叫び出した。カイル様が腕を掴んでいるので動けないし、カイル様は怖くて噛みつけない。だから私に怒りをぶつけてきたようだ。
恩を返していないと言うけれど、私の力を利用するために補佐聖女に取り立てたことを知らないとでも思っているのだろうか。仕事を押し付けて都合のいい仕事だけをしていたリリス様には十分楽をさせてあげたと思う。それなのにさらに恩を返せというのはどうなのだろう。
言い返すべきか、このまま黙って聞いているのも面倒な気もする。
そんなことを考えていると、部屋の扉が開いてロンデル様が戻って来た。その後ろにジーン様がいて、さらにもう1人補佐聖女達を威圧していたサイガ様も入ってきた。補佐聖女達は入ってこなかったので許可が出なかったのだろう。
サイガ様が入ってくるとカイル様に腕を掴まれているリリスを見た。ただ見ただけだと思うけれど、睨んでいるかのような迫力がある。それが伝わったのか騒いでいたリリス様がぴたりと静かになった。
「大聖女リリス。君には失望させられたよ」
ジーン様が静かになったリリス様に気が付いて残念そうに言った。
「大聖女としてもっと力を発揮してくれるかと思っていたのだが、予想以上に力がなかったようだね」
「だ、大聖人様、違います。わたくしはできる限りの力を神聖石に注ぎました。ただ、それ以上に保護が追いつかないだけで、わたくしは何も悪くなど・・・」
「本当にそう思っているのか?」
大聖人様はいつも穏やかで落ち着いた印象を持っていた。でも、この時のジーン様は心からリリス様を軽蔑するような冷たい声を出していた。聞いていた私でさえ背筋に冷たいものを感じてしまう程だった。
直接言われたリリス様は目を見開いて固まってしまった。
「何も改善されているようには感じられない。神聖石の深部に触れて保護したのか?これは大聖女として当たり前のようにできるはずなのだが」
「神聖石の深部?」
ジーン様の言葉にリリス様がきょとんとした顔をした。その反応に私は驚いてしまった。
「神聖石の深部を調べていないのですか?」
大聖女となったのなら本を読めるはずだ。私が持っていた本は1冊だけど、他にも数冊が大聖女の手元にあると聞いている。リリス様も大聖女に選ばれたのなら読んでいるはず。その中に神聖石の深部を調べる方法は載っていたはずだ。
「まさか、本を読んでいないの?」
驚いて声が出てしまったら、リリス様に睨まれた。
「何の話をしているのよ」
「大聖女の部屋に歴代の大聖女達が読んできた本が置かれていたはずだ。それにすべて目を通しておくのは大聖女の義務になっている。当然大聖人である私にも同じ本がある。そこに神聖石の記載があるだろう。保護の仕方や調べ方。他の神聖石との違いなんかも書かれている」
神殿には大聖女の執務室と、寝泊りできる部屋もある。本来大聖女に選ばれた聖女はその部屋で生活することになっているけれど、リリス様はトールス伯爵家から通うことを選んだ。毎日馬車で送り迎えをされていたけれど、部屋を利用することはできる。
その部屋に本が保管されているようだ。私はソフィア様に渡された本だけを読んでいた。そこには神聖石の深部のことも書かれていた。私が持っていたからリリス様は読めなかったのかと思ったけれど、ジーン様は何も言わなかったから、おそらく他の本にも書かれているのだろう。
「そ、そんな本。読んだことなんて・・・」
リリス様の目が泳いでいる。読んでいないと告白してしまった。これは大問題だ。
天井を仰ぎたくなった。この非常時になんてことを言っているのだろう。
「まさかと思うが、読めなかったのではないだろうな」
リリス様の告白を聞いて、ジーン様が気が付いたように口を開いた。大聖女に選ばれたのだから読めないなんてことはないはずだ。そう思っていると、リリス様が再び目を泳がせた。
その態度に私は息を飲むしかない。
「読めないの?」
大聖女なら読めて当然。私が読めるのはソフィア様が後継者として認めていたからだと聞いていた。私の方が先に後継者として選ばれていたけれど、後からでも大聖女にリリス様が選ばれているのだから本を読めてもいいはずだ。
「どうやら我々は勘違いをしていたようだ。神殿として大聖女を選んだのだから問題ないと思っていたけれど、本はリリス=トールスを大聖女として認めていなかったようだ」
「そんなことあり得るんでしょうか?」
私は信じられなくてジーン様に質問していた。原理はわかっていないけれど、大聖女に選ばれた人は本を読むことができる。それが読めなければ本が大聖女として認めていないことになるという。
「大聖女と大聖人という存在が生まれた時に、あの本も作られたと聞いている。あれは神聖石に関係している本で、本が読めるということは神聖石が認めた存在ということになっている」
ジーン様の説明だと、リリス様は神聖石に大聖女として認められていないということになる。
リリス様を見てみると、呆けたような顔をしている。ジーン様の話が理解できていないのかもしれない。
「わたくしが、大聖女ではない・・・」
部屋にいる全員に確認するように視線を向けるけれど、誰もリリス様を味方するような言葉をかけることはなかった。
「何ということだ。体調不良を理由に全面的に神殿で大聖女の選定を任せていたのだが、問題ないと判断した私にも責任があるのだろう」
首を振ってジーン様は諦めたように呟いた。
「このことは後で話すことにしよう。今は目の前の問題を解決しなければいけない」
そう言って話を切り替えた。
そうなのだ。今はリリス様のことを話している時ではない。神聖石は今この時も不安定に力を出している。
「リリス=トールスを連れて行きなさい。ここに居ては邪魔になる」
ジーン様がカイル様に指示すると、静かに頷いてカイル様がリリス様を引きずるようにして部屋を出ようとする。
すると、リリス様が突然暴れ出した。
「違う。違うはずよ。わたくしが大聖女なのよ」
カイル様の手を振りほどこうとしたけれど、カイル様はがっちりとリリス様の腕を掴んで離さなかったので逃げることなくその場で暴れていた。
乱れた髪を気にすることなく、気が触れたように目を見開いて叫ぶ。
「わたくしが大聖女よ。みんなわたくしに跪いていればいいのよ。大聖女に選んだのは神殿じゃない。わたくしは何も悪くないわ」
「まったく、この危機的状況で暴れるとは、大聖女としての資格すらないな」
今まで黙っていたサイガ様が口を開いた。低く重たい声にリリス様が一瞬にして黙ってしまった。
「リリス=トールスが大聖女になることに疑問を持っている皇太子殿下は、君のことをずっと調べて監視していた。その中で大聖女選定に不備があったことは調べられている。証拠を揃えるのに時間がかかっていたが、必要ならリリス=トールスが大聖女に相応しくないという証拠を見せてもいいぞ」
カイル様がリリス様を押さえつけて静かに言った。
「何を言って・・・」
カイル様の言葉が理解できなかったのか、リリス様が呆けたような顔で床に膝をついた。追い込まれていることを頭が理解しているけれど、体が追いついていないような感じだ。
「俺があなたの護衛になったのは皇太子殿下の指示だ。ずっと疑問に思っていた殿下は監視の意味を込めて許可したのだ」
「ずっと、監視・・・」
まったく気が付いていなかったのか、リリス様はカイル様の真実が衝撃だったようだ。
気に入って手元に置いていた聖騎士がスパイだった。
皇太子殿下はずっとリリス様を疑っていた。そんなことを考えることなくずっとカイル様を口説こうとしていた。
「俺があなたを気に入ると本気で思っていたのか。そんなつもりは毛頭ないし、今後そんなことを考えられる状況は来ないだろうな」
とどめを刺すようにカイル様が言うと、リリス様はがっくりと全身の力が抜けたように床に伏せてしまった。
それで許すカイル様ではない。そのまま腕を掴んで部屋からリリス様を引きずって出そうとする。それをサイガ様が手伝って2人でリリス様を部屋から出した。
静かになった部屋に私はこれで大聖女リリスはすべてが終わったのだと思えた。




