こき使われる
「これくらい、あなたでもできるでしょう」
そう言われて渡された書類に目を通すと、内心ため息をついてしまった。いつも仕事量が多いのは当たり前だけど、今日はそれ以上の量になっているように思える。それでもうんざりした顔をしないのもいつものことだ。
目の前で椅子に優雅に座っている大聖女リリス様はうねりのある金髪に指を滑らせながら、傲慢な態度を崩すことがない。これくらいの仕事はできて当然だと目が物語っていた。
「わかりました。すぐに仕事に取り掛かります」
「休みを取ったのだからしっかり働きなさい」
休みの分を今日に上乗せしたのだろう。補佐聖女は他にも4人いる。私が休んでいた日は分担するのが普通のはずなのに、周りを見ても、他の補佐聖女達は我関せずと言った態度だ。
その態度と仕事量から、仕事を分担するという考えがなかったことは明白だ。私が戻って来た時に溜めていた仕事を押し付ける気満々なのが伝わってくる。
部屋の中を一度見渡してからもう一度心の中でため息をついた。
大聖女だけではなく補佐聖女にも問題はある。
それでも書類に目を通した限り私ができる範囲の仕事だし、ここで余計なことを言うと後が面倒になることもわかっているから、何も言わずに仕事をすることにした。
大聖女という役目をリリス様に任せるのだとカリナに納得してもらったのが昨日のはずなのに、ちょっとだけ失敗したかなと思うこともあったりする。
でも、リリス様と争って大聖女の座を奪うことになれば、神殿内にも混乱を招くことになる。
そう考えるとやっぱり面倒ごとが増えるだけだ。
リリス様は2年前に指名を受けて大聖女の任についた。トールス伯爵家という商売で生計を立てている有名な富豪の令嬢。大きな商会の会長を父親が勤めていて、リリス様に喧嘩を売ればトールス商会に喧嘩を売ったようなことになってしまう。
神殿は身分に関係のない組織とされているが、実態はやはり貴族の者たちが平民を見下している雰囲気はあるし、後ろ盾のある貴族出身者には逆らってはいけないという暗黙のルールがあると言っていい。
私の家も貴族ではあるが男爵位だ。伯爵には及ばない。
聖女は平等だというのは建前だと昔家庭教師に言われたことを思い出す。
あれが正解だったと思いながら、とりあえず資料を抱えて部屋を出ることにした。
「補佐聖女にしてもらえたのだから、しっかり働かないとね」
「そうね。貴族とはいえ所詮は男爵家。補佐ができるだけありがたく思わないと」
部屋を出て行こうとすると、リリス様の横に立っていた2人の補佐聖女が私をあざ笑うように口を開いた。
黒髪に青い瞳のユリア=アルタモレと、茶髪に濃い茶の瞳をしたティナ=ルーベン。身分として伯爵家の令嬢ではあるが、それほど裕福な家柄ではなかったはず。でも、男爵より上であるのは間違いないのと、2人とも私よりも3つ年上だということもあって、補佐聖女になってからいつも見下すような言い方と態度を取ってくる。
私も含めた補佐聖女は5人いるけれど、すべてリリス様が聖女の中から選んでいた。
私は半年前に突然選ばれたけれど、他の4人はリリス様が大聖女になった時に一緒に補佐として指名を受けていた。
私から言わせると、補佐というより取り巻きにしか見えない。
大聖女に舞い込む仕事は多い。それをすべてこなしていては大聖女の身が持たないため、それを補佐するために補佐聖女が選ばれるはずなのだけど、彼女たちもあまり仕事をしていない。
リリス様の機嫌を取りながら、結婚相手を探して、依頼してきた相手の身分で対応を変えている。
地位が高く資金が豊富な貴族令息を狙っているらしい。
「いつまでそこに突っ立っているつもりなの。早く仕事に行きなさい」
言い返すこともせず、同僚である補佐聖女に内心呆れていたら、リリス様の不機嫌な声が飛んできてしまった。
「すぐに」
それだけ言って部屋を出る。これ以上留まるとさらに仕事を増やされてしまう気がした。
「今日はカイル様が来られる日よ。あなたたちすぐに準備をしなさい。わたくしを美しく仕立てるのもあなたたちの仕事よ」
「リリス様はいつも完璧です」
「その美しさにカイル様も惚れていますよ」
廊下に出て後ろで扉が閉まる直前、先ほどとは全く違う軽いリリス様の声が聞こえた。
振り返ったが、その時には扉が完全に閉じられていて、部屋の中の様子は見えなかった。
カイルという名前が聞こえたので、今頃乙女のような声で楽しそうに会話をしている気がした。
「身だしなみや煽てる前にやることがあると思うけど」
これくらいの小言は言ってもいいだろう。幸い廊下を歩く人がいなかったので声に出してみた。
「さて、仕事をしますか」
気を取り直して抱えている資料にもう一度目を通してみた。
「まずは、先に治療が必要そうなところから行きましょう」
補佐聖女は、大聖女ができない仕事を代わりにやることが多い。大聖女への仕事の依頼は多いため、1人でさばくことはできない。そこで聖女でも大丈夫だと判断されたものは補佐役が代わりにやる。
それが本来の大聖女をサポートする補佐聖女の役目だ。
役目なのだが、今のリリス様と他の補佐聖女の関係は、ふんぞり返っている大聖女に媚びている補佐聖女の図にしか見えない。仕事は自分のしたい仕事だけして、後はすべて私に押し付ける。だからこそ、今私が抱えている書類の量が多い。
周りがこのことを知ったら、明らかにおかしいと訴えてもいいのだが、リリス様に逆らえば後ろ盾となるトールス伯爵家に何をされるかわからないという恐怖から、わかっていても何も言えない者がいることも知っている。大富豪ともいえるトールス伯爵家によって痛い目を見るか、社会的に抹殺される可能性だって十分に考えられる。みんな考えていることは一緒だろう。
カリナのように言いたいと思っているが私に止められて、敢えて今はおとなしくしてくれている人もいる。彼女が厄介ごとに巻き込まれるのはできれば見たくないという気持ちも正直ある。
仕事量は多いが、私も抗議するつもりは今はない。それをわかってくれている親友に感謝している。
面倒ごとに巻き込まれるのが嫌だというのもあるが、補佐聖女という立場でこっそりいろいろと調べものができたり、扱っていい案件が増えたり、悪いことばかりではないのだ。
本当にリリス様のやっていることがひどいということになれば、同じ立場の大聖人様の耳にもいつか入るだろう。たとえ体を動かせなくても大聖人様の意見を無視することはできない。
今は大聖人様が動く気配もないから、好きなようにやらせてもらっているというのが現状だろう。
「まずは、バジック伯爵様の治療ね」
伯爵家からの依頼ということで大聖女が担当になったのだろうが、治療内容を読むと複雑骨折と書かれていた。少し手間取りそうな内容のようなので私を担当にしたのだろう。
なんとなく予想ができる。リリス様も神聖力を持っているから治療は当然できる。ただ、時間がかかりそうな案件や複雑そうなものは丸投げしてくるのだ。爵位がもっと高いか、治療をすることでリリス様が得をすると判断したときは彼女が動くこともある。
バジック伯爵は爵位こそ伯爵だが、トールス伯爵家よりも格下になるはずだ。それに複雑骨折と聞いて手を出すことを止めたのだろう。
すぐに伯爵が案内されている部屋へと向かうことにした。
廊下を歩いていると、何人かの聖女や聖人とすれ違う。みんな私に気が付くと足を止めて軽く会釈してくれた。神殿に来て2年半経ったけれど、年齢的にはまだまだ若輩者の私だが、明らかに年上の人たちも頭を下げてくれる。それは大聖女の補佐という立場だからだ。聖女の中でも大聖女の補佐に選ばれることは栄誉なことであり、同じ聖女であっても一目置かれる存在となる。大聖女にはもちろん敬意を表すが、補佐として選ばれた者たちにも同じように対応してくれる。
ただ、今の大聖女や補佐聖女達に対して態度では敬意を表しているが、全員が心からの敬意を持っているかといえば、おそらく違うだろう。
私に対してもどれだけの人が態度と内心を一致させているかわからない。とりあえず補佐聖女としての仕事はしっかりこなさなければとは思う。
私が補佐聖女になったのは半年前になる。神殿で働き始めてまだ2年しか経っていなかったスピード出世に最初は周囲も疑問と非難の声が囁かれていた。カリナは心配してくれていたが、そこは実力で証明していった。
今では非難する声は聞こえなくなったけれど、そのかわり大聖女の身代わりとささやく声を聞いたことがある。
確認したことはない。リリス様も私の仕事ぶりを見て使えると思って補佐聖女にしたのだろう。
都合がよかった面もあったので私もすぐに引き受けたのだから、非難することも哀れに思われる必要もないと思っている。
それよりも実力を認めてもらえることは正直嬉しいことだった。
廊下を歩いていくと目的の部屋が見えてきた。
扉をノックする。
「聖女セシリア=ローズネルです」
ここにバジック伯爵が待機しているはずだ。
「どうぞ」
中から声が聞こえたが、はっきりとした声で元気そうに聞こえた。きっと伯爵ではなく従者が返事をしたのだろう。
そう思って中に入ると、ベッドに横たわって脂汗を滲めせている黒髪の青年と、その横で椅子に座った白髪の老人が出迎えてくれた。
状況からして青年がバジック伯爵本人なのだろうが、思っていたよりもずっと若くて驚いた。
背筋を伸ばして年配にしてはしっかりとした雰囲気を持っている人は執事だろうか。
「バジック伯爵様ですね。本日は複雑骨折と伺っています」
資料を見ながら確認すると、椅子に座っている白髪の老人が口を開いた。
「庭の木の手入れをしていたのですが、梯子から足を滑らせて落ちてしまったようです。普通の骨折なら一般の聖女様に依頼するべきですが、どうやら複雑骨折の疑いがあり大聖女様に依頼をさせていただきました」
彼の話を聞いていて、違和感があった。
「伯爵様が自ら庭の手入れを?」
伯爵家ともなれば専属の庭師がいるだろう。それとも庭いじりが好きな方なのだろうか。
そんな疑問を浮かべていると、老人が明らかに意味深な笑みを浮かべた。
「彼は私の専属の庭師です。新人ではありますが、腕は確かなので雇ったのです」
「・・・なるほど」
どうやら大きな勘違いをしていたようだ。バジック伯爵は椅子に座っている老人で、ベッドに横たわっているのが庭師になる。
「骨折したのは伯爵様ではないのですね」
念のため確認をすると、伯爵は眉根を寄せて小さく頷いた。
「使用人では治療はしてもらえませんか?」
「それは・・・」
視線を移せば、隣で苦しそうに痛みを堪えながら青年が黙ってこちらを見ていた。その瞳はどこか諦めを含んでいるように感じられた。使用人となれば平民だ。大聖女に依頼できる立場ではない。
リリスがこの場に来たとしてもきっと拒絶されていただろう。
彼は治療を拒否される覚悟をしているようだ。もしかすると最初から諦めているのかもしれない。
伯爵に視線を向けると、彼も駄目もとで依頼したのだと表情で物語っていた。
そんな2人を見て、私は自然と言葉が出てきた。
「本日大聖女様は多忙のため、代わりに補佐である私が担当することになりました。まだ聖女になって新人といえる立場です。実は村出身でして帝都に住んでいる貴族様方の名前と顔が一致していないのです。伯爵様の治療だと思って処置したのですが、どうやら付き人の治療を間違ってしてしまったようですね」
完全な独り言として話していく。
急に話し出したことで2人が驚いた顔をしていたが、お構いなしに続けた。
「もちろんこちらの手違いですので、代金はいりません。あっ、伯爵様の治療ももちろんしますが、そちらの治療代はいただきますね」
満面の笑みを向けると、伯爵が表情を崩した。
私の言っている意味が伝わったようだ。
小さく頷いてからベッドに横たわっている庭師に近づいた。
左足のふくらはぎが腫れあがっている。触れると強烈な痛みに襲われるのは予想できるので見るだけにした。
これだけでどう治療するべきか判断できる。
「治療を行っている間は集中しますので、できれば静かにお願いします」
そう前置きしてから両手を左足に近づけた。
意識を集中させて怪我をした部分に神聖力を流していく。まずは怪我をしている部分の詳しい状態を神聖力で探っていき、骨が正常な状態に戻るように想像しながらゆっくりと力を注いでいった。
折れている場所は2か所。1か所ずつ丁寧に治していくことにする。
青年の顔を見ると、少しずつ苦しそうにしていた表情が穏やかさを取り戻していくのがわかった。
怪我をして腫れあがっていた足がゆっくりと正常な状態へと戻っていく。
これ以上の治療はいらないと判断したところで手を離した。
「もう大丈夫ですよ。念のため歩いて確かめてください」
青年が落ち着いているのを確認してから部屋の中を歩くように勧めた。
「はい」
少し怖さがあるのか、床に足を付けて立ち上がるがすぐに歩き出そうとしない。それでも足に力を入れて床に立ったことで、怪我が治っているとわかったようだ。パッと明るい表情になると部屋の中を歩き始める。
「どこか痛いところはありませんか?」
見逃してしまった怪我があると、のちに後遺症として痛みが出る可能性がある。梯子から落ちたと聞いたので、他にも打撲などもあるだろう。確認するが、青年は首を横に振った。
「落ちた時に左足から地面に落ちたので、他の場所は平気です」
軽い打ち身はあるようだが、治療するほどではないようだ。
「これからは気を付けてください。すぐに治療できないで骨が固定してしまうこともありますから。今回は運がよかったと思ってくださいね」
平民である使用人が大聖女の治療を受けられるはずがない。伯爵の名義で治療を受けられることになったが、私が担当したからこそ治療してもらえたと言っていい。
伯爵もそのことはわかっているようで静かに頷いていた。
「ありがとうございます。駄目もとで来たのですが、庭師の治療を引き受けてくださったこと感謝します」
骨折すればしばらくは動けなくなる。長い休暇を余儀なくされ、彼以外に伯爵家の庭を任せられる人がいないのかもしれない。伯爵が怪我をしたということで神殿に来てみたようだが、使用人であるとばれてしまえば拒否される可能性は大きい。それでも連れてきたことから大事な庭師であることは間違いない。
「書類には伯爵様の治療は完了したと報告しておきます。ついうっかり使用人の治療をしてしまいましたが、その分の治療代は私のミスですので結構です」
ついうっかりを強めに主張しておいた。
神殿の聖女や聖人の治療にはお金がかかる。そのお金が神殿の維持費になるのだから貴族も大人しく払ってくれるからありがたい。
今回は伯爵の治療ということで払ってもらうことになる。
「わかりました。ありがとうございます」
伯爵が頷くと、部屋の中を歩いていた庭師の青年が深々と頭を下げてきた。
これで最初の治療は終了となった。
「次の治療がありますので、私はこれで」
そう言って部屋を出た。治療はこれで終わりではない。気持ちを切り替えて、次の患者が待っている部屋へと行くのであった。