お誘い
こんなに清々しい気持ちになるとは正直思っていなかった。
部屋を出て荷物を抱えながら廊下を歩いていると、何度か視線を感じた。
噂を知っている聖女や聖人が私を見つけて驚いている様子や困惑している。なかには蔑むような視線も感じたけれど、誰もが噂を信じているわけではないということがわかる。
ただ声を掛けることはできないようで、こそこそと話しているだけだ。
「とりあえず荷物を部屋に運びましょう」
周囲のことはこれからの私の態度で変わっていくだろうから気にする必要はない。
それよりも今は抱えている荷物を宿舎に運んでしまいたかった。
「セシリア!」
宿舎に戻るため歩いていると、大きな声で私の名前を呼ばれた。
「カリナ」
正面から目を見開いて早足に私に近づいてくる親友がいる。慌てた様子からたぶん私の噂を耳にして探していたのだろう。
「おはよう」
「おはようじゃないわよ。何呑気な挨拶してるのよ」
「えっと・・・なにか用かしら?」
とりあえず要件を聞いてみることにした。
「まさか、噂のこと知らないの?」
「噂って、私が聖人や聖騎士をたぶらかしているっていうやつかしら」
「知ってるじゃないの」
声が大きい。廊下に響いて周囲のいる人たちの視線が一斉に私に向けられてしまった。
「ついさっき聞いたばかりだけど、カリナはあの噂を信じているの?」
「セシリアの実力を知っている私が信じるわけないでしょう」
さすが親友。噂が嘘だと最初からわかっていて、私のことを心配して探してくれていたようだ。
真実を見ていなくても、最初から私を信じてくれている人がいるというのは嬉しい。
「ついさっき、そのことをリリス様から責められたところなの」
性格には補佐聖女達に責められて、リリス様から遠回しな脅しをされたのだけど、すべてを捨て去ってきたところだ。
「あいつら、自分達がしていることを棚に上げて、セシリアの噂を責め立ててきたの?」
リリス様や補佐聖女達に聞かれたら大変な言葉遣いだけど、カリナも彼女達がまともに仕事をしていないことを理解しているから出てくる言葉だ。注意しなければいけないとわかっていても、その言葉を受け入れてしまっている自分もいる。
「噂を突いてくる前に、自分達の日ごろの行いを見直すべきじゃない」
「それは今後、身をもって自覚することになると思うから、それ以上の言葉はいらないわ」
「どういうこと?」
黙っていたらいつまでも悪態をつきそうなカリナだったけれど、私の言葉に首を傾げた。
「噂を沈めてあげると言われたんだけど、断ったの。それで、私の噂が目障りのようだったから、補佐聖女も辞めてきたところよ」
頭を下げてまで噂を沈めてほしいとは思わなかった。大量の仕事は問題なかったけれど、これ以上リリスの下で働いていたいと思わなくなった。だからすっぱりと補佐聖女を辞退してきた。
詳しい内容は言わなかったけれど大雑把に経緯を話すと、カリナはぽかんと口を開けて私を見ていた。それが補佐聖女を止めると言った時の補佐聖女達の顔と同じだったので笑いそうになった。
「今日はいろいろと手続きがあると思うけど、明日から一緒に仕事ができるわ。よろしくね」
笑顔を向けると、カリナははっとしたような顔をしてから目を輝かせた。
「よく決断したわ。あんな環境にいたらセシリアがそのうち潰れるかもしれないと心配していたのよ。働かない聖女なんか放っておいて、私と一緒に頑張りましょう」
手を取られて歓迎されている。ずっとカリナは私の心配をしてくれていた。それでも私は大聖女の補佐として働くことを嫌だと思わなかったので、やめるように言われることは一度もなかった。
「今夜は部屋に行くわ。一緒にパーティーしましょう」
相当喜んでいるようで、私の部屋に押しかけて騒ぎたいと思ったらしい。
「明日も仕事でしょう」
「そうかもしれないけど、それよりもこっちの方が大事でしょう」
私が補佐聖女を止めたことが嬉しいのはわかるけれど、ちょっと複雑な気持ちになってしまう。
「これからは定期的に休みが取れると思うから、その時に一緒に出掛けましょう。美味しい物をたくさん食べるのはその時に」
私が宥めるような仕草をしながら苦笑すると、カリナは楽しい夜になると思ったのにと口を尖らせていた。でも、決して不満があるわけではない。
「まずは部屋に荷物を運んでしまうわ。そのあといろいろと手続きをすることになると思う」
リリス様は私がいなくなることで、今まで逃げていた仕事をしなければいけなくなる。もちろん補佐聖女達も同じだ。
まずは普通の聖女に戻るという手続きをしなくては明日からすぐに動くことができないだろう。
ただ、補佐聖女を止めるうえでリリス様から許可は必要になる。そのためのサインをもらいにもう一度執務室に行かなければいけない。その時に何を言われるのか覚悟はしておこう。
カリナと別れて宿舎に戻ろうとした時、再び声を掛けられた。
「あら、そんなに荷物を抱えて、どこに行くつもりなの?」
聞き覚えのある声に視線を向けると、最近は神殿に来ることが少なくなったためここで会えるとは思っていなかったイリアナ先輩が首を傾げて私を見ていた。
「イリアナ先輩。今日は神殿に来ていたのですね」
「用事があって来たのよ。それよりも随分荷物が多いようだけれど、仕事が大変なのかしら」
荷物を抱えた私を上から下まで眺めてから、再び首を傾げた。
「急ぎの仕事?」
「違います。これはその・・・」
補佐聖女を辞めてきたとここで話してもいいだろうか。
カリナには堂々と話してしまったけれど、イリアナ先輩は私の教育係だった。いろいろとお世話をしてくれた先輩に補佐聖女を辞めてきたと言ったら心配されそうだ。
先輩も大聖女の仕事ぶりを耳にしているはずだ。教育係として後輩の私を可愛がってくれていたので、リリス様にあまり良い感情を持っていないことを私は気が付いていた。そんな大聖女の補佐を辞めたと知ったら、カリナ同様喜びそうな気もするけれど、ここは神殿だ。大聖女を否定するような行動を将来皇太子妃となるイリアナ先輩がしていたと知られたら、神殿と皇家に亀裂が生まれるかもしれない。
今は穏便にやり過ごして、後で報告したほうが良さそうだ。
「ちょっと荷物を運んでいるだけです。それよりもイリアナ先輩は用があるのでしたね。誰かと会う約束でしたら、私のことは気にしないでください」
とりあえずここを立ち去ろうとすると、イリアナ先輩がにこやかな笑顔を向けてきた。
「用事はセシリアにあるのよ。私はセシリアに会いにここへ来たのだから」
「え、私?」
会う予定はなかったはずだ。数日前に会ったけれど、その時に何か思いついていたようだった。そのことが関係しているような気がして、同時にこの先の話は聞かない方がいいような気がした。
「あの、荷物を運ばないといけなくて」
「そんなに急いでないから大丈夫よ。ただ、私と一緒にお城に行きましょうっていうお誘いに来ただけだから」
なぜそこで城なのか。一緒に行くということに胸の奥がざわついた。
城には私の事情を知っている皇太子殿下がいる。そして、目の前にはその皇太子の妃になる予定のイリアナ先輩が笑顔で立っている。
「私が一緒にお城にですか?」
「そうよ。ずっとあなたのことをユリウスに紹介したいと思っていたのよ。私の自慢の後輩だって」
他意はないように思えた。純粋に後輩の私を殿下に紹介したいと思っているように見えて、優しい善意が鋭い刃になって私に戻ってきていることに気が付いていない。
カイル様は私のことを話しているはずだから、会うとなれば大聖女候補として見られるだろう。
イリアナ先輩は何も聞かされていない状態で、私を殿下に会わせようとしている。
どうするべきか悩んでしまった。
ここで断ればイリアナ先輩の顔に泥を塗ることになる。純粋に私を紹介したいと思っているイリアナ先輩の提案を無下にすると傷つけてしまうことになるし、良好な関係が壊れかねない。
皇太子殿下に会うことになれば、大聖女の後継として品定めされることだろう。そして、国のことを第一に考える皇族としては、私を大聖女にさせようといろいろ画策している可能性が高い。
そこに巻き込まれる覚悟があるかと自分に問いかけてみたけれど、まだそこまでの気持ちがあるとは判断できなかった。
思い切って補佐聖女を辞めたからといって、大聖女になるという宣言ではない。
とはいえ、将来の皇太子妃の誘いを一介の聖女が断ること自体あってはいけない気もする。
「急いでいないから大丈夫よ。午後から一緒にお茶を飲む約束をしているの。その時にどうかしらと思って誘いに来たのよ。もちろんあなたは仕事で忙しいことも知っているけれど、そこはいろいろと理由を付けて一緒に行けるように私がするわ」
将来の皇太子妃としての権力を使うわと嬉しそうに話されると、逆に怖いと思ってしまった。
リリス様に私を借りたいというつもりのようだ。理由はいろいろと用意していそうな気がする。
計画的に動いているようだけれど、補佐聖女を辞めたので、リリス様の許可はいらない。
それよりも今ここで行くことを約束したほうが良さそうだった。
「わかりました。今は手が離せませんが、午後からでしたらご一緒します」
荷物を運ぶのがまずは先だ。そして、もう一つ大事なことを伝えなければいけない。
「リリス様のところに行って私を借りたいと伝える必要はありません。つい先ほど補佐聖女を辞退しましたので、今は普通の聖女です」
リリス様の許可を取りに行ったら、私が補佐聖女を辞めたことはばれてしまう。人づてに知るよりは自分の口から素直に伝えた方がいいと判断した。
「補佐聖女を辞退した?」
首を傾げるイリアナ先輩はどうしてそうなったのか理解できない様子だった。なので、私は噂のことから順に説明することになった。
途中で口を挟むことなくイリアナ先輩は静かに私の話を聞いてくれていたけれど、ここは廊下だ。行き交う聖女や聖人が時々いて、説明するならどこかの部屋に行けばよかったと後悔することになった。
「それは・・・おめでとう」
話が終わると静かな声でイリアナ先輩が言った。カリナのように喜ぶことはしなかったけれど、私がリリス様から離れたことを賛成してくれていることがわかった。
「あんな大聖女に私の自慢の後輩がこき使われていたのはいい気分ではなかったから、これでよかったのよ」
「先輩、ここは神殿です」
リリス様の耳に入ったら大変だ。周りを見たけれど誰も通らなくてほっとする。
「ふふ、口が滑ったかしら」
悪びれることなくイリアナ先輩が指先で口元を隠した。
「普通の仕事は明日からになると思います。手続きをこの後する予定でしたから、お城に行く時間はあります」
お茶の約束をしているらしいけれど、それほど長い時間ではないだろう。皇太子殿下だってそれほど暇ではないはずだ。
「それなら後で迎えに行くわ。服装は気にしないでそのままでいいから」
皇太子殿下に会うのならそれなりの恰好が必要かと思った。私も貴族の端くれだ。ドレスは一応という程度だけど持っている。でもすでに流行りを通り越しているので今着ると変に注目を集めそうだ。
それよりも聖女として今の制服で会った方がずっといい。
イリアナ先輩も今は聖女の制服だ。その恰好のまま行くのであればきっと違和感はないだろう。
そんな風に思った私は、城に行く時に後悔することをこの時はまだ予想もしていなかった。




