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噂話

第3都市から帝都へと帰ってきて2日が経った。

帰ってきた日は、机の上の書類整理と出来る限りの依頼をこなして終わることになった。

当然休んでいる暇なんてない。

唯一救いだったのはロンデル様の言葉が効いたのか、私が執務室に戻って来た時の書類の量がほとんど変わっていなかったことだろう。

減っていたらよかったと思うけれど、それを期待してはいけない。

次の日も残っていた仕事をこなして過ごすことになって、私は大聖女の執務室にほとんどいることがなく、神殿内を動き回っていた。

そのため帰ってきて2日目になって、周りの視線がなんだかおかしいことにようやく気が付いた。

少し仕事も落ち着いて、朝食堂でいつものように1人で食事をしていると、妙に視線を感じた。

振り返ると、数人が私を見ていたのは明らかだった。だけど、誰1人として声を掛けてくるわけではなく、全員が一斉に視線を逸らして何事もなかったように食事をしている。

変だなとは思ったけれど、首を傾げながら朝食を再開する。するとまた視線を感じて振り返ってみた。でも誰もが視線を逸らして私と話そうとする人はいなかった。

明らかにおかしな雰囲気。

私の恰好が変なのかと一瞬思って、服が乱れていないか確認したけれど、特に汚れがあるわけでもなくいつも通りの聖女の制服だ。

とりあえず朝食を済ませて神殿に向かうことにした。

ただ、神殿に入っても謎の視線を感じることになった。

少し離れた場所から私を見ている聖女や聖人。

こそこそと何かを話しているけれど、その内容までは聞き取れない。

私と視線が合えば、すぐに立ち去ってしまって、私は首を傾げるしかなかった。

周りの様子が気になるけれど、仕事の時間ということでまっすぐ大聖女の執務室に向かうことにした。

部屋に入る前に一度深呼吸をしておく。

帝都に戻って来たから、私は仕事で部屋にいることがあまりない。それでも書類整理など自分の机で仕事をするときはある。ただ、部屋にいてもリリス様はあれ以来何も私に話しかけてこなかった。仕事の依頼を押し付けるためにいろいろと理由を言いながら新しい書類を渡してくることがあったのに、それがなかった。それはそれで少し不気味な気もしてしまったけれど、仕事をこなすことが先だと思って気にしないことにしていた。

補佐聖女達は無言で私の机に仕事を置いていくのはいつものことだ。反論すれば睨まれるけれど、仕事内容はこなせる範囲だったから、結局私が動いていた。

今日はいったいどんな依頼があるのか。

机の上に置かれた書類の量をまずは確認することが仕事の始まりになる。

「おはようございます」

心の中でよしと掛け声をかけて部屋に入ると、リリス様に補佐聖女全員が部屋にいた。

私の挨拶に視線を向けたけれど、誰も返事をしなかった。

返事がないことを気にすることはないけれど、部屋に入った瞬間、なんだかいつもと違うような気がした。

何がと言葉で表現するには違和感があるとしか言えない感覚だったけれど、確かに何かが違う気がした。

自分の机を見ると、書類が積まれている量が多いような気がする。でもそれは違和感とは関係ないと思う。

他の補佐聖女の机は綺麗に整頓されていて、仕事がないのではと思えるほどだった。

とりあえず座って書類に目を通そうとした時、隣に座っているユリアが声を掛けてきた。

「今日は来ないかと思ったわ」

「え?」

何のことを言っているのかわからなくて首を傾げると、ユリアは口元に笑みを浮かべていたけれど、目が笑っていなかった。私を見下しているのがはっきりとわかる。

それでも彼女が何を言いたのかわからなくてじっと見つめていると、見下していた視線が哀れな人を見るように変化した。

「何にもわかってないのね。なんだかおもしろくないわ」

そう呟いたけれど、私はどう反応したらいいのかわからなくて他の補佐聖女も見てみた。全員が私に視線を向けてきていたことに気が付く。

誰もが楽しそうに私を見ている。私が何かここで反応してくることを期待しているように思えたけれど、何を期待しているのかわからないため、私はただ補佐聖女達を見渡してから、仕事をした方がいいだろうと判断して、机の上に積まれている書類に目を移した。

「ここに来るまでに誰かに何か言われなかったの?」

呆れたようにユリアが話しかけてきたので、私は手にした書類を机に戻してもう一度ユリアを見た。

「ここへ来るまで、特に誰かと会話はしませんでしたよ」

朝食時も移動中もみんな私を見つけてひそひそと話をしていたのは確認できている。でも、話しかけてくる人はいなかったし、私も聞くことをしなかったから誰とも会話がなかった。

「あなた、友達もいないわけ」

友達はいるけれど会わなかっただけなのに、誰も私に興味がなくて会話する人もいないのだと決めつけるような言い方はちょっと失礼だと思った。ただ、ここで反論すると話が先に進まないような気がして、私は否定も肯定もしないで黙った。

「今朝から神殿内はあなたの噂でもちきりなのに、本人が気が付いていないなんて、よっぽど間抜けなのね」

「噂?」

ひそひそと何かを話しているのは見ていた。それが私に関する噂であったらしい。しかも、私に誰も話しかけてこないことから、きっといい噂ではないだろう。

「第3都市に行くことを志願したけれど、聖人や聖騎士たちを誑し込んで全部自分の手柄にしているって噂よ」

「・・・・・は?」

第3都市に行くことを選んだのは私自身だった。でも、その後の聖人や聖騎士を誑し込んだとか、手柄を自分のものにしたとかは身に覚えがない。

聖人というのはザックさんの事だろう。聖騎士とは3人いたけれど全員のことを示しているのだろうか。

それに気になることがあった。

「手柄というのは具体的には?」

詳しい内容がわからなくてユリアに質問すると、彼女は一瞬言葉に詰まった。噂程度だから知らないという態度ではなく、なぜか目を泳がせている。

「私たちが第3都市に行った仕事のことを言っていますか?それとも道中の話でしょうか?」

行きも帰りも町や村に立ち寄って神聖石の保護をしてきた。第3都市の神聖石の保護に関しても、具体的な内容を知る人は限られている。

「そ、そんなこと私が知るわけないでしょう。噂があるだけよ」

噂の出処は同行した人たちではないだろう。それよりもこんなくだらない噂を流しそうな人が目の前にいると思えた。

ただ、適当に噂を流したせいか、突っ込まれると下手なことが言えないようだ。

明らかに動揺している姿を見ると、最初から噂なんて流さなければいいのにと思ってしまった。

「私は第3都市に行って神聖石の保護をしてきました。そのことは第3都市の神殿の代表が知っていますから、もしも疑いがあるのでしたら問い合わせてください」

ここは正攻法でいってみよう。

ザックさんやカイル様の証言では私を庇っていると思われて、噂が本当になってしまう可能性がある。それよりも第3者となれるラニア様やベリル様の名前を出した方がいいはずだ。

案の定部屋にいる補佐聖女は誰も口を開かなくなった。お互いに視線を向けてはどうするべきかを静かに会話している。証拠はなくても、噂を出処が彼女たちだという確証は得られた。

「噂の真偽なんてどうでもいいのよ」

静かになった部屋に突然リリス様の声が響いた。焦っているわけではなく落ち着いた声に、私は数回瞬きをしてからリリス様を見た。

声と同じように悠然とした態度のリリス様が座っている。

感情の読み取れない瞳が私に向けられていて、背中に冷たいものを感じてしまった。

「どういうことですか?」

補佐聖女達は噂のことで私を見下そうとしていたけれど、リリス様はそんなことを気にしていない様子。それよりも何か先にあるような気がした。

「噂が出回っている時点で、私の補佐聖女が男をたぶらかしているということになるのよ。嘘か本当かを確かめる者なんていないわ。あなたの噂のせいで私にまで悪い影響が出るということよ」

私の噂のことよりも、自分の保身の方が大事だと言っているように聞こえるのは気のせいではないだろう。ため息をつきたくなったけれど、ぐっと堪えた。

「ですから、その噂が嘘だということを証明すればリリス様への悪い影響はなくなるのではありませんか?」

真偽を確かめるべきだと主張したつもりだったけれど、リリス様は私の話など聞いていないかのように視線を逸らすと窓の外を見た。

「真偽を確かめている間に噂はどんどん広がっていくのよ。たとえ嘘だったとしても、噂を本当だと思い込む人間はいるわ。そうなれば結局そんな補佐聖女がいるわたくしに問題があると言われてしまうかもしれない」

一度広がった噂は鎮めるまでに時間がかかる。その間にリリス様への影響を考えているのだろう。

噂を流したのは当然私ではない。犯人の見当はついているけれど証拠もない。

噂が嘘だとはっきりさせた方がいいとは思うけれど、それよりも先にリリス様の機嫌がねじ曲がっていくような気がした。

他に方法があるだろうかと考えていると、窓に視線を向けていたリリス様が私へ顔を向けた。

その時の表情が私には歪んで見えたのは気のせいだったかもしれない。

一瞬驚いて瞬きをすると、無表情のリリス様がそこにいた。

「でも、わたくしならその噂をすぐに潰してあげることができるわ」

「え?」

突然の申し出に困惑するしかない。

何を考えているのかわからないことに恐怖のようなものを感じていると、リリス様の口元に穏やかな笑みが浮かんだ。ただ、笑みに見えてもそれが心の中と同じとは限らない。

「大聖女の立場なら、これくらいすぐに解決できるわ」

胸の奥がざわついた。

リリス様は私が噂を消してほしいと懇願してくることを望んでいるように思えた。そうすることで自分の立場がより上にあるのだと思い知らせようとしている。大聖女に逆らってはいけないのだと言葉にしないでわからせようとしている。

そう思った時、噂は補佐聖女が流したと思っているけれど、それを指示したのはリリス様なのだと理解してしまった。

私が第3都市の神聖石の保護に成功したことを知って、周囲の態度が私に好意的であることも気が付いたのだろう。だからこれは牽制なのだろう。

私を潰すのではなく、立場をわからせて従わせたい。

補佐聖女の分際で、大聖女リリスよりも目立つような功績を上げるなと言われているようだ。

「・・・私は」

途端に体の力が抜けるような感覚があった。

どれだけ仕事を押し付けられても、リリス様の力が私より弱いことに気が付いても、本当に大聖女が必要な場面でリリス様がしっかりと大聖女として動いてくれるのなら、私は影から支える立場でいいと思っていた。

帝都の神殿に来たのはソフィア様との約束があったからだ。ソフィア様を支えられる聖女になることを目標にしていたけれど、神殿に来る前にソフィア様はこの世を去ってしまった。それでもソフィア様が護ってきた帝都の神殿で働こうと思った。

ソフィア様のように多くの人を癒して帝都を守っていくという新しい目標を持っていたから、リリス様の下でも働いてこられた。

仕事の量が多くても、押し付けられることがあっても、私に対して脅しのような圧力をかけて牽制をしてきたことはなかった。

それが目の前の大聖女は微笑みながら、私に膝間付けと言っているような雰囲気を漂わせていた。

それを理解した瞬間、私の心の奥にひっそりと仕舞われていた感情が崩れていくような気がした。

深いため息が口から洩れる。

これは諦めだ。

「わかりました」

リリス様が眉を顰めるけれど、そんなことを気にするつもりはない。

吐き出したため息は呑み込めない。私は前に進むことだけを考えることにした。

「悪い噂のある補佐聖女を従えていることができないというのであれば、私は今を持って補佐聖女を辞退します」

部屋が静かになった。誰も私の言葉を聞いていなかったのかと思ってしまったけれど、補佐聖女達が口を開けてぽかんとした表情をしている。全員が同じ顔をしていたので笑ってしまいそうだったけれど、何とかそれを堪えてリリス様を見れば、リリス様は不思議そうな表情で私を見ていた。

「あなた、自分が何を言っているのかわかっているの?」

「わかっています」

口に出したことで心が軽くなるのを感じた。それでようやく私はずっと鬱積していた物を吐き出したのだと気が付いた。帝都を守るためと言い聞かせてきていても、リリス様から押し付けられる仕事の量は多かった。耐えていた部分は必ずあったのだ。裏で支えていけばいいと考えていたはずなのに、心が解放されたことで、私は見ないふりをしていた自分の感情に気が付けたようだ。

「私のような補佐聖女がいては今後の仕事にも影響が出るかもしれません。その前に私がリリス様から離れれば、噂でリリス様が苦しむことはありません」

「噂は消えないのよ。あなたはずっと男をたぶらかしている聖女という汚名を被ることになることをわかっているの?」

「問題ありません。噂がどうであれ、それを黙らせられる実力を見せればいいだけです」

本当に男をたぶらかして成果を横取りした聖女なのか、実力で神聖石の保護をした聖女なのかは周囲が判断すればいい。私は自分の持てる力でやるべきことをするだけだ。

「私がいなくても補佐聖女は他に4人います。仕事に支障が出るようなことはないでしょう」

今まで私がほとんどの仕事を請け負ってきたから、それを4人で分配することになる。

そのことに思い至ったのか補佐聖女達は顔色を変えた。

でも私の知ったことではない。

「あんたがいなくなったら、私たちに仕事が回ってくるじゃない」

隣のユリアがそのままの言葉を言ってきたので笑ってしまいそうだったけれど、それを我慢して私はわざと呆れたような表情をした。。

「4人いるのですから問題ないと思いますよ。大聖人様の補佐役は3人と聞いていますが、全員優秀で請け負った仕事をすべてこなしていると聞きます。こちらはまだ4人もいるのですから、手分けしてやれば大丈夫ですよ。それに大聖女様が選んだ補佐聖女ですから、優秀でしょう?」

にこやかな笑みを作って言ってみれば、ユリアが顔をひきつらせた。ここで反論すれば自分達は優秀じゃないということになる。それがわかったから何も言えなくなったのだろう。

「リリス様も問題ありませんね」

噂が問題になっていたのだ。その元凶である私がいなくなれば解決になる。

「荷物の整理をしたらすぐに出て行きます。短い間でしたがお世話になりました」

「わたくしはまだ承諾していないわ」

リリス様が少しだけ慌てたように言ってくる。私がいなくなると優雅な大聖女生活ができなくなると思って引き留めるつもりかもしれない。でも、ここに固執する理由がなくなった私は遠慮なく口を開いた。

「噂を沈める根回しも必要なくて余計な労力を使わなくなりますよ。悪い噂でリリス様が何か言われる心配もありませんし、言われたとしても、すでにいなくなった補佐聖女の事ですから気にする必要もありません。良いことばかりですね。仕事の配分が変わりますが、優秀な補佐聖女に大聖女様がいるのですから、私が抜けても問題ありませんよね」

もうリリス様の補佐聖女に戻るつもりはない。

机の引き出しにしまってあった私物を取り出して抱えると、私はそのまま部屋の扉の前に立った。

振り返って部屋の中にいる全員に視線を向けてから深々と一礼する。

「明日から普通の聖女に戻ります。お世話になりました」

清々しい気持ちで私は部屋を出て行った。


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