移動中にて
「このまま行けば、次に到着する町に泊まることになる」
軍馬で移動しながら、背後から聞こえてくる声に私は振り返ることなく頷いた。
昼食を済ませるとすぐに村を出て第3都市へと向かうことになった。
再びの移動に、次に休めるのは今夜泊まる場所までないということがわかってしまう。ザックさんに体力の回復をしてもらったので、身軽に馬に乗れたけれど、町に到着したらきっと疲弊した状態になってしまいそうだ。
簡単に想像できてしまって、今度はカイル様の手を借りないで動きたいと思ってしまった。
さすがに昼間のあれは恥ずかしかった。
「体調は大丈夫か?」
さらに声が聞こえてきて、私はすぐに頷いた。治療を受けたことはカイル様も知っているのに、出発する前にも確認をされた。私をか弱い聖女だと思っているのだろう。村でのことを思い出すと反論がしづらいけれど、何度も確認される程弱くはない。
「大丈夫です。次の町まで頑張れます」
振り返れないので少し声を大きくして言っておく。カイル様は背後にいるので私の返答をどう受け止めたのか表情で推測することはできなかった。その後無言だったので、とりあえず納得してくれたのだと思うことにした。もしかすると信用していない可能性もあるけれど、わからないので前向きに考えておく。
順調に町へと向かう道を走っていく馬にもだいぶ慣れてきたと思う。最初はスピードに翻弄されてしまっていたけれど、神聖石の欠片のおかげで今は呼吸も楽だ。
周囲を見る余裕ができたことにほっとしながら、草原を見渡した。
山は遠くに見えるだけ。川も森も視界には入らない。ただひたすらに草が生えているだけの光景に、村から町へと行くための整備された道があるだけだ。
神聖石が発見されて村や町が作られると、その場所に人が不自由なく移動できるようにするため、必ず道が整備される。馬だけでなく馬車もちゃんと通れるようにすることで人だけでなく物資の移動もスムーズにできるようにしているのだ。
数少ない魔物から安全に暮らせる場所は貴重なので、国として力を入れていると聞いたことがあった。
私が育った村も道が整備されていたので、聖女になるために帝都へと向かうのに大きな問題はなかった。
「何もないですね」
「そうだな。魔物さえ出てこなければ、こういう場所も人が住める環境ではあるだろうな」
何気なく呟いた言葉をカイル様が聞き取っていた。ただひたすらに草原が広がる場所。魔物に襲われることさえなければ人が暮らせる環境として良い場所だと思うことに同感だった。
今はどこにも魔物の姿は見えない。軍馬には神聖石の欠片が付けられているし、神聖力を持っている聖女と聖人がいるためか警戒しているのかもしれない。
神聖石の欠片で魔物避けをしていれば移動はそれほど苦労しない。魔物に遭遇する確率が下がるのは助かる。ただ、強い魔物だと魔物避けをしていても攻撃してくることもある。そうならないためにより強い魔物避けを取り付けて移動する者もいれば、商人などは大事な商品を護るため護衛を雇うこともある。
そうやって人々は魔物から身を護って地方への移動をするのだ。
「順調にいけば日が沈む前には町に到着だ」
町に着いたらザックさんと一緒に街の神聖石を見せてもらおうと話していた。テル村長のように間違った認識をして神聖石を失うようなことがあってはいけない。ゆっくり体を休めるのはその後になるだろう。
村の神聖石が危険な状態であったことはカイル様には話していない。村がある領地に関しては伯爵である貴族の事であり、カイル様に話せば皇太子殿下にも伝わるだろう。そうなれば職務怠慢で伯爵が処罰される可能性が大きい。ただ、神聖石の問題に関しては申請がなかったとはいえ神殿の管轄ともいえる。
結界が消える前に神聖力を注ぐことができたので、大きな問題が起きなかったことから、皇太子殿下にまでこのことを伝えるより、神殿に持ち帰って今後の対策をしっかりやる方がいいはずだとザックさんとも話し合っていた。
後にばれてしまった場合、隠していたと咎められる可能性も十分にあるけれど、神殿側の問題として報告しなくても大丈夫だと思ったというつもりでいる。あまり事を大きくしたくないというのも本音である。
「前方に2つ・・・いや3つ何かいるな」
私が考え事をしていると、急に隣に並走してきたイスカ様がまっすぐ前を指さした。
少し遠くてはっきりとした形をまだ捕らえられないけれど、何かがいるのだけはわかった。ただの野生動物か、それとも魔物か。
「魔物避けがあるから魔物ではないと思いたいが」
イスカ様の言葉に同感である。
聖騎士の護衛が3人いるのだから、魔物と遭遇して戦闘なったとしてもきっと大丈夫だろう。そう思えるくらいには聖騎士の戦闘能力が長けていることは知っている。
それに軍馬で移動しているので、逃げることになっても大丈夫な気がする。
「・・・狼のようだな」
距離が縮んでくると、その姿がはっきりをしてきた。
真っ黒な毛に覆われた塊に見えていたものが、顔や尾がはっきり見えてきて狼の形がわかってきた。
ただ、普通の狼ではないこともわかってしまった。
まだ距離があるのに、その姿をはっきりと捉えられたのは大きいからだ。
「この距離ではっきりわかるってことは、近くに行ったらもっと大きいことになるね」
軍馬のスピードがだんだん落ちていく。やがて足を止めてしまうと、後ろについていたベン様と同乗していたザックさんが呑気な口調で言ってくる。この状況に恐怖がないらしい。
そう思いながらも、私もそこまで恐怖を感じていなかった。
「神聖力で退けて先を急ぐか、倒してから進むか」
冷静なカイル様の声が聞こえてくる。
「戦闘になるのでしたら、私たちで魔物の動きを弱らせることはできます」
神聖力は魔物が嫌う力だ。
神聖石の欠片で魔物避けをしているけれど、このまま走り続けて狼の姿をした魔物がこちらに攻撃を仕掛けてくる場合欠片の力が効いていないことになる。戦闘が始まるのなら、私やザックさんの神聖力で魔物を弱らせることは可能だ。ただ、神聖力は魔物を弱らせるだけで殺すことはできない。強い力で退けても倒せなければ魔物が消えることはない。聖騎士たちが一撃を与えなければいけない。戦闘になるなら、簡単な手助けはできる。
「そうだな。もう少し近づいてみて反応を見てみよう。ちょうど道を塞ぐようにいるようだし、居座るようなら倒すしかない」
町へと続く道は整備されているけれど、魔物を寄せ付けない工夫がされているわけではない。道はあくまでも人間の都合で作られたもので、魔物には関係ない。
馬移動なので道を外れても問題ないけれど、このまま放っておけば次に馬車で通る誰かが被害を受ける可能性もあった。
止まっていた軍馬が再び走り出したけれど、少しスピードを落として近づいていく。
狼の魔物はこちらに気が付いていないのか、警戒している素振りを見せていなかった。こちらに向かってくる様子もない。
神聖力にも気が付いていないのなら、鈍感な魔物なのかもしれない。そんな風に思いながらだんだん距離が近くなってきて、狼の巨体がわかるようになってきた。
「・・・大きい」
初めて見る大きさに戸惑いの声が漏れてしまった。
軍馬に乗っている私たちよりさらに大きい。軍馬も通常の馬より大きい体格なのに、それを簡単に超えるくらいの大きさがあった。そして、狼は3匹。近づいたことで私たちの存在にやっと気が付いたのか、じっとこちらに視線を向けてきた。
すぐに攻撃してくるかと思ったけれど、狼たちは動く気配を見せなかった。それが余計に怖さを感じさせて、私は背中にゾクッとした感覚があった。
これは確実に戦闘になる。それが頭をよぎった瞬間、軍馬がスピードを落として止まろうとして、それと同時に後ろの気配が消えた。
「え?」
振り返るよりも先に馬の横にカイル様が降り立ったのが見えた。
「カイル様」
「セシリアはザックと一緒にここに居てくれ」
そう言うと、並走していたイスカ様が軍馬に乗ったまま先へと走った。ベン様もザックさんを馬に残して降りている。どう戦うかを彼らは相談することなくすぐに動き出していた。
聖騎士2人が走り出して呼び止める暇がなかった。
ここに居ろと言われたけれど、どうしたらいいのだろう。
「とりあえず様子見かな」
心を読んだかのようにザックさんがゆっくりと近づいてきて言う。
「この距離だと僕たちの神聖力はあまり影響しないだろうね」
ここから神聖力を放ってもまだ魔物まで距離がある。動きを鈍らせるためにはもう少し近づきたい。
カイル様がここに留まるように言ったのは神聖力を使わなくても倒せるという判断のようだ。
「大丈夫ですか?」
魔物との戦闘は騎士たちがするもので、私たちは怪我をした人を治療するため神殿でいつも待機していることが多かった。こうやって見えるところで戦う姿を見守ることはない。
村にいた頃も魔物が襲ってくることはあった。そういう時は父が雇っている傭兵団が戦っていた。それも結界の外での戦闘で、私は屋敷の中に避難して待つことしかできなかった。
イスカ様が馬に乗ったまま狼たちの間をすり抜けるように走っていく。
すると、一匹が急に飛び出してきてイスカ様に襲い掛かろうとした。それを剣で薙ぎ払って襲われることなく走り抜けていく。一匹が地面に倒れると、残りの2匹が咆哮を上げて走り出した。
イスカ様にではなく、後を追いかけるように走ってきていたカイル様達に。
息を飲んで手綱を握る手に力が入ってしまう。
カイル様とベン様それぞれに狼が襲い掛かる。鋭い爪で襲ってくる相手を避けると、剣で薙ぎ払う。その一撃で狼が地面に倒れこんで動かなくなった。
カイル様もベン様も無表情で倒れた狼を見ていた。
すると、狼の形をした魔物は黒い煙になって姿を消してしまった。
魔物の生態は解明されていないけれど、倒すと煙になって消えてしまうことは知られている。そこに痕跡が残ることはない。ただ、魔物が纏っている神聖力とは違う負の気とでも呼ぶべき残滓がわずかに残ってしまう。それは神聖力を持っている者だけが感じ取れる気である。
それも時間とともに空気に溶けるように消えてしまうので、カイル様達は魔物が消えた後もじっと地面を見ていた。きっと気の残滓を確認しているのだろう。
「思っていたよりあっさり終わったね」
ザックさんは何事もなかったように言うけれど、私は初めて間近で見てしまった戦闘にドキドキが止まらない。
魔物に遭遇したことよりも、ここで戦闘が始まった緊張と聖騎士たちが無事であった安堵が混ざっているような気がする。
軍馬に乗って走り抜けたイスカ様が先に戻って来た。
「2人とも大丈夫かい?」
「見ているだけですから、問題ありませんよ」
「私は・・・初めて間近で見ました」
胸を押さえて魔物との戦闘に緊張していたことを伝えると、イスカ様はニコッと笑った。
「誰でも初めては緊張するでしょう」
彼らは魔物に苦戦するとは思わなかったようだ。いつものことだと思って戦っていたのかもしれない。
「でも、良い経験になったと思います」
これからは帝都に戻れば魔物と戦う場面を見ることはないだろう。ただ神殿で怪我人が搬入されるのを待つことになっても、騎士たちがどんな風に戦っているのか想像することができるようになる。それは経験として役に立つかもしれない。
前向きに発言すると、イスカ様は嬉しそうに頷いた。
「ここで怯えられて帰りたいと言われても困るからね。強い聖女でよかったよ」
「強いですか?」
「気持ちで負けてしまうと、第3都市まで行けなくなるだろう。まだ初日だから、第3都市まで何度か魔物に遭遇する可能性はあるからね」
これで終わりだとは誰も言わない。結界の外にいる以上魔物と出くわす可能性はまだあるのだ。
ここで魔物と戦う姿を見て帰りたいと泣かれでもしたら、彼らは困っていただろう。
「大丈夫です。先に進みましょう」
「前向きな聖女はありがたいですね」
私が力を込めて言うと、戻って来たベン様が穏やかに言ってきた。隣のカイル様もどこか安心したような顔をしている。みんな私が泣き出すと思っていたようだ。なんだかずっとか弱い聖女だと思われている気がする。
「聖女が全員泣き出すような人ばかりだと思われているようですね」
少し拗ねたように言うと、ザックさんが楽しそうに笑った。
「気の弱い聖人だっているから、魔物と遭遇したら気を失っているかもしれない。それと比べたらセシリアさんは腰が据わっているように見えるよ。それに、あの大聖女の補佐だからっていう心配をみんなしているんだよ」
「おい、ザック」
堂々と大聖女リリスを否定するような発言をしているのが伝わってきた。ザックさんはリリス様が働かないで、他の聖女に仕事をおしつけていることをしっかり理解しているようだ。そして、ここにいる聖騎士たちもわかっているからこそ堂々と言っている。
いや、私が補佐聖女だとわかっているのだから、もう少し言い方を考えたほうがいいような気もする。
少し慌てたように制止するカイル様は私が今の発言をリリス様に告げ口されると思ったのだろう。そうなると大聖女の機嫌を損ねることになる。おそらくザックさんも影響を受ける可能性は大きい。
聖騎士たちの視線がお互いに交わされて気まずそうな雰囲気になってしまった。
だけど、私はザックさんを見て彼が笑顔を向けてきたことから、私がどう反応するのかをわかっているようだった
リリス様の神聖力が私よりも弱いことは承知している。本当に大聖女として矢面に立たなければいけない時に大聖女としての振舞いをしてくれるのなら、私はリリス様が大聖女でいることを否定するつもりはない。こそこそ動きながら補佐をしていることに今のところ問題はないと思っていた。
少数ではあるけれど、周りがリリス様の力に気が付いていることは知っている。
ザックさんもその中の1人なのだろう。そして、私がリリス様の悪口を耳にしても怒らないという確信があるようだ。
「リリス様は帝都から出たことがありませんから、魔物に遭遇したら卒倒するかもしれませんね」
聖騎士たちが警戒する気配を壊すように、予想外の答えを言ってみた。
「リリス様が動けなければ、補佐がしっかりサポートできるように経験を積むのは良いことでしょうね」
聖騎士たちが顔を見合わせて戸惑っている。
それをザックさんが笑いを堪えて見守っていた。
「ザックさん」
私が注意するように名前を言うと、彼は笑いを堪えるためか頬がピクピクと動いていた。
「ごめん。セシリアさんとはほとんど仕事をしたことはないけれど、なんとなくどんな対応をするのかわかる気がしたんだ」
わざとあの大聖女という発言をしたのだ。
「でも、これで君がどういう立場なのか彼らにも伝わったように思うよ」
視線を聖騎士たちに向けると、彼らはどこか安堵した表情を私に向けていた。リリス様を否定することに敏感に反応しない。面倒な補佐聖女ではないという認識が出来てくれた。
とはいえ、リリス様の悪口をいつでも言っていうことではないことを、彼らもわかっているだろう。
「とりあえず先に進もうか」
馬に乗っているイスカ様が先頭を歩き出した。それに頷いたカイル様とベン様も再び馬に乗る。それと同時に馬が一斉に走り出した。
「・・・本当に大丈夫なのか?」
「え?」
再び馬に揺られて無言でいると、後ろからカイル様が声を掛けてきた。
「魔物との戦闘が初めてなら、誰だって怖いと思うだろう。本当は帰りたいと思っているんじゃないか?」
みんなの前で気丈に振舞っていても、本当は魔物と遭遇して帝都に帰りたいと思っているのではないかとカイル様は考えたようだ。振り返れないのでどんな顔をしているのかわからないけれど、心配されているような気がした。
「大丈夫ですよ。確かに魔物は怖いですけど、聖騎士が3人もいますし、神聖石の欠片もちゃんと機能しています。第3都市まで無事に到着できると信じています」
今回魔物に遭遇したのは魔物避けが効かない強い魔物だった。それでも、聖騎士たちが一撃で排除してくれたおかげで先に進めている。怖くないと言えば噓になるけれど、彼らを信じて進むしかない。
それに、もしも魔物に襲われたら自分の神聖力で魔物を追い払うくらいはするつもりでいた。逃げなくても弱らせることで聖騎士たちが倒してくれるはずだ。魔物は神聖力を嫌う。聖女なのだから神聖力で援護くらいはするつもりでいた。
そんな説明をすると、少しの間カイル様は無言になったけれど急に笑った気配を感じた。声には出さないのに、明らかに笑っている。
「本当に強い聖女のようだな」
今のは誉め言葉として受け取るべきだろうか。
「ありがとうございます?」
「疑問形なのか」
どう反応したらいいのかわからない対応をすると、カイル様がどこか楽しそうに言ってきた。
彼のこんな反応は初めてだ。顔が見られないことを残念に思ってしまった。
その後は特に会話らしいものもなく、私とカイル様の間に穏やかな空気が流れていたのは感じ取れていた。それがとても心地よいということに気が付くことができたのは、今晩泊まる町に到着してからの事だった。




