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第一章 波乱

徳川秀忠の視点から描く関ヶ原。だいぶ新鮮だと思うのでよかったら見てみてください。

 太閤秀吉が亡くなると、豊臣政権内部には徳川家康率いる武断派と、石田三成率いる文治派と言う二項対立が生まれた。しかしながら家康は二百万石を超える大大名。二十万石ほどの大名である三成が叶うはずもなかった。自身と対等にものを話していた前田利家が死ぬと、対立相手であった三成らを五奉行の座から引き摺り下ろし、名実ともに豊臣政権の権力を手中に収めた。しかしながら三成も指を加えて見るだけではない。家康に不満の諸侯を集め、その総大将として毛利輝元を担ぎ、反逆の狼煙を上げた。家康もこれに対抗して大名を集め、体制を着々と整えた。そして両軍は関ヶ原でぶつかる事となる。

 「秀忠よ」家康は口を開いた。「真田昌幸が離反し、上田に帰った事は知っておるであろう。わしらは東海道を通り、大坂へと向かうが、真田が敵に回った今、これだと背後がガラ空きじゃ。そこで軍を二つに分け、わしらは大坂へ。第二軍は上田じゃ。」家康は秀忠を指差した。「第二軍の総大将は、秀忠。お前に任せる」

「ですが父上…」秀忠は答える。彼は元来、戦は苦手である。戦は兄の秀康の方が格段に上手い。秀忠の得意分野はというと生け花である。「私が第二軍の総大将と言う事になりましょうか…でしたら兄上の方が適役と言うか…戦なら、私より兄上が上手いと…」家康の顔がしかめ面になっていく。「ごちゃごちゃ申すでない!やれと申しておるのだ!このわしが!」二言もない。秀忠は渋々承諾した。そうして家康を始めとする本軍は東海道を渡り、大坂を目指して出発した。

 

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