流れて行き出す記憶の彼方
ふとした瞬間に記憶が
フラッシュバックしてくる
いきなり断片部分を
映像化してだ
蘇るのは
良い記憶じゃない
ほとんどが失敗の映像化
おいおい良い記憶は
心の奥深くに
しまい込まれて
なかなか引き出せないのだろうか
日々の経験は
まるで違う場面から
始まっているはずなのに
無数の動線は違う歩みを
写し出しているのだろう
例えば寒さにしても
感じ方は異なる
体全体が寒いとか
手足だけが寒いとか
さまざまな形態で
経験を得ることになる
記憶を引き出す場合に
覚えていたことから
先に出すのであろうが
例えば言葉を会話にする場合も考えながら
不快感を与えないように
選びながら話す
これが結構大変なことであり
たくさんの言葉を記憶
または覚えなければ
会話の最中には
出て来ないものである
私の感覚では役者のように本来の自分とは違う
自分を演じているようだ
もっと本を呼んで
言葉や文字を会得しなければならないとは
感じるが
読書自体が嫌いじゃ
物書きの進化も無いなと
思ってしまう
例えば
思考じゃなくて
感覚で記憶から
言葉や文字を引っ張りだせば
情緒などは現れない
ちっとも面白くは無い
会話や物書きにしか
ならないものである
もう少し言葉や文字に
色気を与えることを
取り入れれば
日常や物書きの場面でも
豊かな表現が出来るのではないかと
感じている