008転生
チュンチュンと聞こえてくる雀の鳴き声。
「ふわー」
小さな口を大きく開けて、かわいい欠伸とともに背を伸ばす。
欠伸には脳の覚醒を促す作用がある。脳の視床下部の中にある室膀核の低酸素に陥ると促される働きがあることが論文で報告されていたな。
そんなことをまだ十二分には働いていない状態で駿河は考えていた。
知らない天井だ……
……って、病院に泊まっていたのだったな。
先程の思考から5分ほど停止期間を経て、再び考えたことがそれだった。
小さな手をベッド脇に伸ばす。
その手は一台のスマートフォンをつかむと手元に寄せた。
「ん? 俺のスマホじゃない」
男は黙ってアンドロイド。比良坂駿河のポリシーの一つだった。しかし、手元にあるのは某林檎社製のスマホ。
事故で壊れて買い直してくれたのかな?
生まれた推測をすぐに否定される。
スマホには目立った傷がない。その一方で年季を感じさせるほど色が剥げたストラップがついていたからだ。
「誰かの忘れ物かよ」
再び可愛い声が口から発せられる。
誰の声だ? そんなことを考えていたらスマートフォンがヴンと音を立て起動し始めた。
画面には見たこともない少女の顔が映される。
年は中学生くらいだろうか。
大きく目を見開いていた。
マーカーが彼女の瞳や鼻、口などに合わさる。
ピピッと音がして文字が出る。
『本人認証完了しました』
「ん? んんん?」
あふれる疑問で思考が停止する。
ふと、視線がスマホからそれを持つ手に移る。
いつもあるはずの指の長さの2/3ほどしかなかった。
スマホを置いて、手の甲を見る。
産毛が生えてない。
裏返して手の平を見る。
潰れたマメの跡もない。
シーツをめくる。
ピンクのパジャマから細い足が見えた。
顔を触る。
すべすべした感触。
部屋を見渡す。
個室なのか、手洗いと書かれた札が室内の一角を示していた。
立ち上がる。
普段より視界が低い。
トイレに駆け込み、鏡を見た。
目に入ったのは先程の少女の姿。
「だ、だだ、誰じゃこらー!」
本日一回目の可愛らしい叫び声が上がった。
※※ ※
富士埼由比14歳。エスカレータ式のお嬢様学校に通う中学2年生。家族構成は父母のいわゆる核家族。親しい友人は少数。
スマホから確認できた少女の情報はおおよそ以上であった。
屈伸をする。
ジャンプをする。
腕立て、腹筋……
ジャブ、キック……
貧弱だが身体能力問題なし。結果に少しほっとした顔を見せる。
続けて彼女は眉間に指をあて記憶を探る。
富士埼由比の記憶は一切なし。
比良坂駿河の記憶は5月14日の事故後病院で過ごしたところまでしっかりしていた。
そして、それらとは別に比良坂駿河が持ち得ない知識がある。
具体的には語学、精神学、医学、格闘術、科学技術などである。
「これが転生特典なのかね……」
裕太が病院に持ってきた異世界転生小説を思い出しながら由比の体は軽く愚痴を言う。
次に比良坂駿河の情報をスマホを使って検索する。
出てきたのは、某化物語の某キャラクターばかりであった。加えて地名が少々。
「シット!」
目に見える範囲で現代と相違ない情報だが、似た別世界ということも考えられた。だが、あまりにも類似したこの環境は駿河がもともといた世界と同じではないかという疑念をかき消せないでいる。そのため駿河の痕跡を探ることをやめられないでいた。
コツコツコツ……
スマホをキレイな曲線を描いている爪に叩く。
そのとき、駿河は閃いた。
『5月14日』。駿河の最後の記憶がある日付。それを検索条件に加えてみた。
推測は的中。
目に入るのは『サイレントヒル総合病院にて深夜、高校生刺殺』を書かれたネットニュースの見出し。
「刺殺ぅ?」
当日事故にあっていたこともあり、事故の後遺症だと思っていた駿河。
彼は少女の体で本日何度目かの叫び声を上げた。