039エピローグ
あれから季節は巡り、再び桜の花が舞い散る頃になった。
ぼんやりと窓の外の桜を珍しそうに左目で眺めていた一人の少女。その肌は褐色で、この国では珍しい色でもあった。
視界に入ってきたのは黄色い帽子の子どもたち。
楽しそうに笑顔で友達と話しながら歩いて行く。
学校へ向かうのだろう。
文化は異なるが、そこに住む人々の笑顔は変わらないものだなと少女は思わず微笑んでしまう。
そうだこのことも書こう。
彼女は机の上にあった書きかけの手紙に、目に入ったことを追記する。
まだ肌寒さはあるためか、彼女は白いワンピースにカーディガンを羽織っている。いや、もしかしたら彼女の住んでいた地域はここよりも温かいところなのかもしれない。
※ ※ ※
「ビアンカとフローラだったらみんなビアンカ選ぶよね。あーしが有利」
「どちらかというと小泉さんの方がビアンカでフローラのような…… 」
「どっちの味方?」
■菊理那美
高校のときに比良坂駿河から告白され付き合うことになる。二年後、竜胆茜の姿になった駿河と同行。吉良に捕らわれ、比良坂駿河の肺、腎臓を移植される。高校卒業後は県内の大学に進学し、現在は三年生。富士崎由比や小泉強子とは付き合いが続いており、強子の隙を見つけては由比にアタックしている。
■田中愛梨
駿河の高校のときのクラスメイトで那美の親友でもある。那美が吉良に拐われたときは奪還部隊に立候補し、彼女を無事救出する。那美と同じ大学に進学。高校時代は那美と駿河と付き合うことを良しとしなかったが、現在では応援している。
※ ※ ※
「茜。レポート見せてー」
「自分の力でやらないと駄目ですよ」
「今回だけだから」
「もう。仕方ないですね」
■竜胆茜
三年前、病にかかり右目の視力を失う。比良坂静香の勧めもあり、二年前に比良坂駿河の角膜を移植する。その時の条件として後に試薬の被検体となることを了承する。茜の身体を操った駿河は、静香、那美、裕太らと協力して吉良が行っていたパラサイトの研究の拡散を止めようとする。事件後はデリートで駿河の意思は消滅。現在は県立大学の薬学部の四年生。駿河が身体を支配していたときに必修の単位をいくつも落としていたが、翌年から挽回し留年はせずに済んだ。とは言っても薬学部は六年間のためあと三年間も勉強だが。
※ ※ ※
「皇くーん。こっち向いて」
「キャー」
「カッコいい」
「ちょっと裕太君。あの人達相手にしないでよ」
「ご、ごめん」
高校時代は比良坂駿河のクラスメイトであり親友。比良坂駿河の死後、自らを律して文武両道の道を進む。その過程で甘さは優しさに、弱さは自信に置き換えられ、中身を伴うにイケメンになる。二年前、竜胆茜の姿をした駿河に頼まれ同行する。再三に渡り、敵の最高戦力であるマチェットを退け、密かに中東勢にはライバル視されていたりする。国立サイレントヒル大学の三年生。同じ大学の彼女もいて毎日が充実している。モテるためか、彼女が徐々に交友関係に厳しくなってきているのが最近の悩み。
※ ※ ※
「ちょっと、駿河。バフ切れてる」
「MP空だからちょっと待って」
「管理くらいちゃんとしなさいっていつも言ってるでしょ」
■比良坂静香
元国家プロジェクト、汎用臓器移植の研究のリーダー。小泉家から吉良に要望があった移植臓器の調達のために息子を殺される。その際に無理やり竜胆茜の角膜移植もねじ込む。約二年の歳月をかけて完成させた試薬Pを竜胆茜の自主的な協力の元、打ってもらい二年ぶりの息子との再会となった。リンカーネーションプロジェクトを世に出すつもりがなく、それをビジネスにしようとしていた吉良と対立する。事件後はリタイアを決意。由比とネットゲーム三昧の生活を送る。
※ ※ ※
「由比。いつまで寝ているのですか?」
「うーん。あと二十四時間」
「馬鹿をお言いなさい」
ベッドで寝転んでいた由比は布団を剥ぎ取られた。
「今日はことさら大事な日でしょうに」
「あー。そうだったわ」
■小泉強子
高校生のとき駿河の肝臓を移植される。二年後、富士崎由比の姿をした駿河に協力を要請され、比良坂駿河死亡の事件の真相、そして連続殺人事件の解決に努める。その過程において由比と恋仲になり、今では一緒に暮らしている。国立サイレントヒル大学経済学部三年生。
■富士崎由比
十二歳のときに比良坂駿河を殺害。彼の心臓を移植される。その半年後、吉良の薬により、目の移植元である朝霧 蜃に精神を乗っ取られる。朝霧は由比を装ったため実験は失敗したと認識される。その後一年かけて七瀬誠から比良坂駿河の記憶、経験を聞き取り、自己暗示などを駆使して擬態する。駿河として覚醒してからは、小泉強子らと比良坂駿河死亡の事件の真相、そして連続殺人事件の解決に努める。現在は中学三年生。
※ ※ ※
小泉家の離れにある専用の病室。真っ白な部屋にある一つのベッド。そこには眼帯を付けた少女が横たわっていた。
「どう?」
「不思議。目を突いた感覚がまだ残っている」
アーイシャは見えない右目を触ろうとする。それは顔を斜めに横切っている猫の形をした眼帯によって妨げられた。
「ユイか?」
「大人びてきたろ?」
由比はセクシーポーズを取った。この一年で彼女も成長していた。背も伸び、体つきも女っぽくなっていた。肩甲骨くらいまで伸びた髪がサラサラと揺れる。それでも由比の原型は消えるほどではなく、アーイシャの認識がわずかに遅れたのは、刺々しさが無くなった雰囲気の影響が大きいのだろう。
「どれだけ経った?」
「一年くらいだ」
「ちゃんとウンムの記憶を全部覚えたのか?」
「当たり前だ。今度は中学卒業の一年でお前が全部覚える番だぞ」
あのときは録画中であったことや、時間に追われていたことから目で確認し合った内容。アーイシャも彼女の母も納得行く最適解。それは、聖母から由比へ、由比からアーイシャへと記憶を口頭ベースで移すこと。由比の中身は別人。既に一度、由比の擬態も駿河への擬態も成功させている。
そして、あれから一年。既に聖母から由比へと記憶は移された。あとは、由比からの情報でアーイシャが聖母の記憶を全て覚えきれたら完成する。だが、課題は別にもある。それは朝霧 蜃。彼女が出てきたらおしまい。だから――
「目はどうした?」
「再移植、両目ともな。Sのお陰で誰のものでも良いからな。あれから即だ」
「お陰様で、二千万円返済するまで由比はわたくしのものになりました」
朝霧 蜃の排除。元々、Sが投与されているのは心臓。主従が逆転しているが本来、目の励起は付属物に過ぎない。だったら、生きたまま、目を除けばどうなる? それを示したのはアーイシャ自身の体。吉良の不完全なスタンバイを投与し、それから目を抉る。状況が類似しているからこそ可能な手段。由比の実験結果からアーイシャへフィードバックできるなら、その逆も然り。
果たして、実験は成功した。
アーイシャがアラビア語で撮影していたのは、その場での聖母の説得を確かにするため。由比は自殺を止める側であることを国民に知らしめるため。そして、アーイシャが協力的に聖母に成り代わっているとは夢にも思わせないための三つの目的があった。
「やはり励起は心臓も眼も両方起きていたか」
「やはりって、確定していないのにアンプルを打ってから目を突いたのか?」
「自信はあったが検証前だった。失敗してたらどうせそこまでだ」
由比は確信があって行った行動かと思ったがどうやらそうでもないらしい。あそこで第三の人格が出てきたら袋叩きに合う可能性もあったということだ。
「あのとき一発殴ったが、もう一発いいか?」
「やめろ。聖母様のご尊顔だぞ」
腹が立った由比は自身のストレスの解消を提案するが、それは横からの軽口で止められた。
「マチェット!?」
「慌てるな、彼女は協力者だよ」
由比は慌てるアーイシャを嗜めた。
先程の言葉の主はマチェット。彼女はこの一年で日本語をマスターしていた。今では尊敬語も使いこなしている。なんでもこなすその様に由比は完璧超人の存在を認めそうになっていたものだ。
「今では聖母親衛隊の隊長だよ。フォローは任せろ」
「聖母様の御前だろが」
マチェットはシーシャを吸う合間にタメ口で説明する。
由比はツッコミを入れるが、彼女はバレなきゃ良いんだよと呟きながら煙で輪を作って遊んでいた。
「ナジュムは帰った。帰国後のために場を整えてもらう役割でな。あいつは功労者扱いになっているからマジ気をつけろ」
力強い味方に苦笑するアーイシャ。
帰国後は一人っきりで秘密を守ることを想定していただけに、嬉しいハプニングでもあった。
「そうだ。お母さんから手紙を預かっている」
由比は大事そうに手紙を取り出すと、アーイシャの前に差し出した。
アーイシャはそれを受け取るために左手を伸ばす。
その腕にはアラビア語で『ユイを信じて』と刻まれていた。
アーイシャは手紙を開く。
その手紙の冒頭にはこう書いてあった。
『私の愛するアーイシャへ』




