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036総力戦

 体力の温存を考えず全力で廊下を駆ける由比するが

 その後ろから迫るマチェット。


 理想のフォームで走ったとしても中学生の体躯ではせいぜい100mで12秒台。重い蛮刀を持っているにも関わらずマチェットはそれを遥かに凌駕する速度で駆ける。このままでは近いうちに追いつかれると思われたそのとき、由比するがが通り過ぎた道に扉が降りてくる。


 《クラッキング完了。援護は任せて駆け抜けてー》


 院内放送を利用して聞こえてきたのはワン・フーの声。

 今や病院内は彼の制御下であり、災害用隔壁を操作したのだった。


 ほっと息をつけそうな展開。

 しかし、由比するがは速度を維持する。


 相手は野生の化け物級。


 富士崎由比の身体とはいえ、朝霧 みずちの戦闘能力で押し負けた相手だ。油断は禁物と肝に銘じる。


 駿河の考えに呼応したかのように、彼女は隔壁が閉じる寸前に僅かな隙間に滑り込み通過する。


 《うわ。何あれ。じゃ、こっち。ぽちっとな》


 ワン・フーは監視カメラでこちらの様子が見えているのだろうか、今度の隔壁は下から上がってくる。


 マチェットはそれを背面跳びのように背を地に向けて飛び越える。彼女は猫のように空中で身体を捻り、両脚で着地した。


 《うっひゃー。もうこうなりゃ隔壁のオンパレードや》


 上から、下から、左右から、回転しながら周囲から閉まる隔壁。

 その一切合切を超人的な身体能力で超えてくるマチェット。


 次々と繰り出される障害物を超える僅かな時間、それはおおよそ両者の足の差で相殺されていた。


 「距離が開かねえ」


 愚痴を言いながら、由比するがは階段を駆け上がる。


 《ローション部隊発射》


 今度の声の主は本ミッションの司令官、吉田 海王星ねぷちゅーん。彼の合図と共に大量のローションが由比するが通過した階下にぶち撒けられる。お湯で丁寧に溶かれた摩擦係数がほぼ0の状態。この液体の上で立ち上がることはおおよそ不可能と思われた。


 対して、マチェットは高く跳ね上がると壁にナイフを深く突き刺した。くるりと回りナイフの柄の上に乗ると、そこから再度ジャンプしローション地帯を飛び越えた。


 《やるではないか。P4をポイントKIDNへ、R1はダミーゲートを用意せよ》

 《先生、何言っているのかわかりません》


 マチェットが次々と障害を超えてくるためか、司令部での混乱の様子も放送されていた。



 上階へとたどり着いた由比するが

 待っていたクラスメイトが彼を誘導する。


 続いて顔を出したマチェット。

 彼女が姿を現したときに白色のガスが噴霧される。


 《催涙ガスだ。流石の君でもこれには叶うまい》


 マチェットは布で口と鼻を覆うと、目を瞑って駆ける。

 先ほどの一瞬で捉えた通路に向かって。

 彼女の記憶は正確であった。


 ホールから通路に届いたと思われたその瞬間、


 ドゴッ


 彼女は大きな音を立て、壁に衝突した。


 よく見ると衝突したのは壁ではなく壁に貼られた巨大パネル。そこにはホールから見た廊下の録画映像が引き伸ばされ映されていた。


 マチェットは額を押さえて、涙しながら床を転げ回る。


 《はーはっはっは。軍師、吉田 海王星ねぷちゅーんを舐めるな、小娘》


 高笑いの海王星ねぷちゅーん。彼の肩書はいつの間にか司令官から軍師へと変わっていた。





 ※ ※ ※


 《はーはっはっは。軍師、吉田 海王星ねぷちゅーんを舐めるな、小娘》


 ナジュムはカチカチとボタンを連打する。

 しかし、何の反応も起こらない。


 《ざんねーん》


 続くワン・フーの煽りに苛立ちを隠せないナジュム。彼女は操作盤に握った拳を叩きつけた。そして、倒れた竜胆と彼女に駆け寄る比良坂静香にメスを向けと要求を突きつけた。


 「今すぐ、由比を止めろ」

 「誰が止めるか。ざまあみやがれ」


 竜胆の悪態は更に彼女の心をかき乱す。


 感情のままにメスを振り下ろすナジュム。


 バスン!


 しかし、振り下ろされるはずの凶器は重い発砲音と共に腕ごと弾かれる。


 「うがぁあ」


 右前腕部に直撃したナジュムは真っ赤に腫れ上がった腕を押さえてのたうち回る。



 「暴徒鎮圧弾って結構でかいんだな」

 「油断しないで」

 「比良坂、足見せて」


 旧3年1組のクラスメイトでサバゲ部の部長でもあった香坂 春兎。今回、潜入にあたり実際に警察で使われるゴム弾を使わせてもらえると聞き、潜入チームに参加。


 旧3年1組で那美の親友、田中 愛梨あいりーん。誘拐された那美の身を案じ、潜入チームに参加することを決意する。特に取り柄はない。


 旧3年1組の保健委員、霧ヶ峰 悶舞蘭もんぶらん。現在は看護学校で勉強中。万が一のための衛生兵として潜入チームに加わる。本人はあまり乗り気でなかったが、竜胆茜の胸揉み放題を条件に了承を得た。



 「隔壁は閉まったままのはず。どうやってここに」


 苦痛に顔を歪めるナジュム。

 彼女の問いへの返答は軍師、吉田 海王星ねぷちゅーんから語られた。


 《予め伏せさせてもらってたのさ》

 「嘘をつくな。さっきまでここにマチェットがいたのよ」


 ナジュムはマチェットに絶対の信頼を寄せていた。本国でも選りすぐりの戦闘のプロフェッショナル。護衛から暗殺までこなす最強の兵の一角でもある。ナジュムにはマチェットの目を逃れて潜入するなどおおよそ不可能に思われた。


 だが、吉田 海王星ねぷちゅーんの言葉はその信頼を超えるものだった。


 《そちらに戦闘のエキスパートがいるように……》


 声に呼応するように部屋の隅から足音もなく姿を表す四人目の人物。


 《こちらにも潜入のエキスパートがいる!》


 「もう……足を洗ったつもりだったのだがな」


 歩を進めるのは山城銀次。

 『旧3年1組犯罪三銃士』の最後の一人。窃盗、空き巣、車上荒らしの常習犯。高校卒業後の一年、警察から徹底的にマークされるも二回の逮捕で済んでいたその腕前はもはや一流のプロの域に達していたその彼が、懲役刑から戻り犯罪から足を洗ったはずの男が、友の危機に駆けつけていた。



 四対一。竜胆が戦線に復帰すれば五対一になる。戦闘が本職ではないナジュムは戦闘での勝利は早々に諦めていた。彼女に取れる手段は二つ。時間稼ぎと人質を取ること。しかし、人質に取れそうな負傷した竜胆と非戦闘員の比良坂静香の周りには彼らが陣取っている。


 ならば別の人質を取るまで。


 そのように決断したナジュムは駆ける。部屋の奥へ。


 「俺は良いから追え。あの糞女、那美を人質に取る気だ」


 その実、竜胆の考えは的を射ていた。


 田中 愛梨あいりーんはその言葉を聞くやいなや、疾走するナジュムを追いかける。香坂 もそれに続いて駆けだした。



 逃げるナジュムと追う二人。

 先程の由比ゆいとマチェットとは逆の立場になった追う側と追われる側。


 追う二人は何度も暴徒鎮圧弾を撃つが、動く的にはなかなか当たらない。


 そうこうしている間にナジュムは二つ、三つと扉をくぐる。


 「先生! 隔壁とかは?」

 《んー。ない》


 天を仰ぐもワン・フーに否定され、状況がかなり追い込まれていることを改めて知らされる二人。銃を乱発するが、焦ってぶれる絞りでは掠りもしない。


 追われるナジュムと追う二人の距離は、当初よりも離れていた。

 二人は焦燥感に駆られる。


 「那美……なみー」


 田中 愛梨あいりーんの願いは叶わず、


 ナジュムは最後の扉に手をかける。





 ※ ※ ※



 「ここ。一般道。なんです。けど!」


 疎らな車を躱しながら目的地へと急ぐ由比するが

 それを追跡するマチェット。


 バイクに乗る二人は郊外でチェイスを繰り広げていた。


 こうなった原因は二つ。一つはマチェットが催涙ガスを吸い込んだのは演技であったこと。それに騙され、以降の罠が機能しなかった。二つ目は彼女のバイクの性能が竜胆のそれよりも格段に上だったこと。


 マチェットは並走しながら、由比するがに近接すると蛮刀を(マチェット)を振るう。


 「危ねえ」


 ブレーキを踏み、車体を傾け、身を屈める由比するが

 その頭上を掠める蛮刀。


 由比するがは慣性のまま流れる車体のスロットルを一気に回して、進行方向を直角に変える。アスファルトには焼き付いたタイヤの跡が弧を描く。


 裏道をショートカット。


 「地の利は我にあり」


 勝手知ったる地元の道。

 いや、朝霧が作り上げた記憶化された情報網か。


 自虐しながらも、これからのルートをシミュレートする由比するが



 ドスン!


 背後で音がしたので由比するがは思考を止めて、ちらりと後ろを振り返る。

 そこにはマチェットが乗ったバイクがいた。


 「うそん」


 由比するがは思わず泣きそうな顔を浮かべていた。



 急加速してバイクをぶつけてこようとするマチェット。


 由比するがはそれを避けるため、周りに視線を向ける。

 目に入ったのは縁石。


 それに向けて加速する。


 傾斜を利用してバイクごとジャンプ。

 そして空中で勢いそのままにくるりと回転。


 すれ違う宙のバイクと地上のバイク。


 宙に向かって地から振るわれる蛮刀マチェット


 由比するがは片手を放し、身を捻る。


 紙一重。


 身体のあった場所を通過し掠める刃。


 バイクは着地する。

 今までの進行方向と同方向を向いて。


 前後が逆になった直後、

 マチェットは車体を傾け、二輪ドリフトしながら速度を落とす。

 片手に持った蛮刀マチェットを振りかぶって。


 由比するがも併せるようにドリフトさせる。


 狭い路地裏を二台のバイクが同じ速度で横向きで滑っていく。


 たまたま散歩していた五十嵐さんは、その様に仰天していた。



 ドリフトしたまま大通りへと二台のバイクは侵入する。


 横から飛び出してきたバイクに急ブレーキを踏む車。

 その車に追突する後続車。

 鳴り響くクラクションと衝突音。


 それらを無視して、二台は同時にスロットルを回す。


 繰り返す加速と減速。

 由比するがは並走しないように。

 マチェットは並走するように。

 縦横無尽に二台のバイクは駆け回る。



 このままでは埒が明かない。


 そう考えた由比するがは打って出ることを考える。


 バイクのスロットルは右。よって、マチェットが蛮刀を持つのは左手。由比するがは意図してマチェットの右側につけ、マチェットの乗るバイクに蹴りを入れる。


 そのタイミングで彼女はバイクを捨てて飛び降りた。


 彼女のバイクはそのまま由比するがの乗るそれに衝突する。



 由比するがは宙に投げ出された。


 その身体の行く先は対向車線。



 そして、迫りくる2トントラック。




 ※ ※ ※


 《ERROR。登録されていない人物です》


 『は? ふざけるな!』


 何度もドアノブを握るナジュム。

 口について出たのは自国語での罵り。


 《認証のアルゴリズム自体を書き換えたでござる》


 「ナイス、リーダー」


 すんでのところでナジュムの進行を食い止めた城島。

 血が出そうなほどに臍を噛むナジュム。


 開かない扉の向こう、強化ガラス越しに眠る那美の姿が見える。

 タッチの差で間に合ったのを改めて二人は理解した。


 「ここまでのようだな」


 竜胆ら四人も駆けつけ、状況は静香を除いても五対一。

 勝利かと思われたときに、多数の走る音が近づいてきた。



 『間に合ったか、ナジュム』

 『ぎりぎりね。私が試薬を持ってるから、間違ってもこちらには撃たせないで』


 ナジュム側の援軍。警備兵だろうか、防弾チョッキを着込み、実銃を構えた十人ほどの男達が銃口を向け、竜胆らを取り囲む。


 竜胆らも銃口は上げたまま。

 その先にはナジュム。


 ナジュムは竜胆らの命を簡単に奪えるが、それは自分が持つ試薬Parasiteの保護と天秤に賭けねばならない。


 両者ともに動くに動けないそのときに、放送が聞こえてくる。


 《甘い。甘すぎるぞ、ナジュム》


 ナジュムの脳裏に嫌な予感が過る。


 《そちらの援軍が来られるということは》


 再び聞こえる多数の足音。


 《こちらも来られるということだ》


 カーボネートシールドを盾に十数人の人間がなだれ込んでくる。

 そして、その隙間から突き出される何本ものスタン警棒。

 叫び声をあげ、次々と気を失う警備兵。


 ナジュムに向けてもゴム弾が一斉に放たれた。

 彼女は咄嗟に試薬を抱え込んで、その身を盾にした。


 「ああああああああああ」


 悲痛な叫び声が響き渡る。



 あとに残ったのは、気絶した警備兵の山と、うずくまったボロボロの一人の女。


 「悲願……私達の……」


 その言葉を最後に彼女は気を失った。

 割れたアンプルの欠片と黄色い液体に突っ伏すように。



 「あっちは大丈夫なのかよ」


 一息ついた竜胆。彼女の心配に吉田 海王星ねぷちゅーんは力強く答える。


 《大丈夫だ。援軍を送ってある》




 ※ ※ ※



 宙に投げ出された由比するが

 その身体の行く先には対向車線。

 そして、こちらへ向かう2トントラック。


 色を失いモノクロのスローモーションになる視界。


 舗装された道路。壊れた二台のバイク。街路樹。宙に浮く自分。迫りくるトラック。ボロボロの制服。ナイフ。道路の両脇の建物。道行く人々。羽ばたく蝶。ひび割れたアスファルト。


 どうしたら良い?


  使える道具がない。


 由比するがは必死で助かる道を探るが、解が見つからない。


  掴むものがない。


 遅い時間の流れの中、刻一刻とトラックの進路へと向かう己の身体。


  対向車を止められない。


 由比するがが諦めずに生き残る道を計算する。


  衝突の衝撃を生き延びる術がない。



 しかし、やはり結果は回答不能。



 絶体絶命のさなか、


 そこへ一本の鍛え上げた腕が伸びてくる。



 それは由比するがの制服を掴むと慣性の法則を真っ向から力でねじ伏せた。


 「うぐぅ!」


 首がしまって由比するがは思わず声を漏らす。


 急に速度の戻った視界。

 白黒から色鮮やかな世界へと戻ってきた。


 クラクションを鳴らしながら先程まで自分がいた位置を通り過ぎるトラック。

 道路に弧を描くタイヤの軌跡。

 己を抱え込む力強い腕。


 「今度は僕が助ける番だったね」


 耳に届いたのは、良く聞いていた声。


 見上げてみると、よく見れば部位ごとには知っているが、トータルで見ると馴染みのない顔。


 「裕太?」


 彼はニコリと口端を上げると、由比するがにバイクを預け、己の身につけていたヘルメットをガボっと彼女に被せた。



 彼はマチェットに対峙し、腰に差していた日本刀をスラリと抜くと正眼に構える。



 『スメラギ……』


 マチェットは背中に固定していた蛮刀マチェットを構え相対する。彼女の眼光は由比するがや竜胆を相手にしていたときより、一段鋭くなっていた。


 「いけ、ここは僕が引き受けた」

 「しかし」


 場を去ることを促す裕太に由比するがは逡巡する。


 「頼む、駿河……


  これはあの日、

  僕が無し得なかった光景なんだ」


 彼が心に描いているのは、比良坂駿河を富士崎由比の凶刃から守れなかった過去の弱い自分。彼は二年前から別人とも思えるほど変わった。その原動力はあの日の後悔なのだろう。あの日、駿河を病院に向かわせる原因を作った自分への。



 『逃げると、代わりに皇を殺すぞ』

 「大丈夫、僕は強い」


 両者の言葉は通じていない。だけど、噛み合うその様から何か通ずるものがあったのだろう。


 台詞とともに、由比するがを背に仁王立ちになる裕太。

 彼は何かを成し遂げたかのように清々しい顔をしていた。


 「倒してしまっても構わんのだろう?」

 「僕の台詞だって言ったよね」


 由比するがは言われる前に再度、裕太の台詞を奪った。


 苦笑しながらも、どことなく嬉しそうな親友。


 それはよく知る癖だった。



 彼は確かに強くなった。


 それでも勝算の望みは薄いだろう。


 だからこそ、由比するがは口を一文字に結ぶ。


 彼の決意に水を差すわけにはいかないのだから。



 由比するがはスロットルを回す。


 全ての戦いに決着を付けるために。



次回『037アーイシャ』

 後輪が滑り、タイヤは弧を描く。

 グリーンサンドの緑の粉塵を舞い上げバイクは止まる。

 突然の事態に由比のクラスメイト達は驚き呆れ、乱入者に顔を向けたまま思考が停止していた。

 みんなを安心させるため、由比するがはヘルメットを取り、顔を見せる。

 「アーイシャはどこへ行った?」


あなたの脳裏に神戸の妄想が焼き付く

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