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034デリート

 低い姿勢のまま由比するがへと真直線に駆けるマチェット。深く踏み込んだと思ったら、彼女は宙に跳ぶ。勢いそのままに振り下ろされようとする刃。


 まずい。これは受けきれない。


 受け流す構えを取っていた由比するがは大きく後ろへ跳んだ。


 眼前をよぎる凶刃。

 前髪が数本パラパラと散る。


 そのまま床に叩きつけられた蛮刀マチェットは地へと深く食い込んだ。

 その姿を確認するや否や、由比するがはマチェットへと疾駆する。


 「待て」


 竜胆の静止を無視して踏み込む由比するが。彼女を迎えたのは力任せに地面から抜かれた蛮刀の刃先。それは刃を下に向けたまま下から上へと掬い上げられる。


 既のところで避ける由比するが

 刃先に切り裂かれた制服のスカーフが千切れ飛ぶ。



 竜胆のフルスイング。

 背後から襲いかかったそれを目も向けず片手で受け止めるマチェット。そのまま竜胆の得物を捻り上げる。即座に手を放し左のローキックを御見舞する竜胆。併せて由比するがも懐に入り込む。マチェットは身体を捻り由比するがの攻撃を躱しながら、竜胆の蹴りを左脚の裏で受け止める。崩れた体勢のまま左手で蛮刀マチェット由比するがに振り下ろし、バットのグリップエンドを竜胆の足に叩きつける。


 身をかがめて躱す由比するが

 痛みを堪えて踏ん張る竜胆。

 二人は同時にマチェットから距離を取る。


 「この手の野生タイプは若干苦手なんだが」

 「俺はすげえ苦手だよ」


 由比するがの愚痴に愚痴で応える竜胆。


 マチェットは無表情のまま、バットを手放し、蛮刀マチェットを両手で構え直す。



 ※ ※ ※


 「ハァハァ」

 「ぜえぜえ」


 戦っていたのはたかだか数分間。強者マチェットとの戦いの中では、二人にとってそれは果てしなく長い時間に感じていた。


 由比するがは目立った怪我こそないものの、制服はビリビリに裂け、スカートからは白い腿があらわになっていた。

 竜胆は手足の打ち身を堪えて、欠けた得物を手にしていた。先端が斜めに欠けたそれの隙間からは発泡ウレタンが顔を見せている。


 そして傷だらけの室内。床や壁、机や椅子などボロボロで酷い有様になっている。由比するがは荒い息を整えながらも、比良坂邸の傷痕はこうやって付いたのかと呆れていた。



 「マチェット。遊ぶのはその辺にしなさい」


 ナジュムの言葉にため息を吐くマチェット。

 由比するがは彼女から恐ろしいほどの殺気を感じた。


 このままでは死ぬ。

 今、一番必要なのは冷静さ。


 由比するがは小さな胸を抑え、

 ゆっくりと鼓動を数える。

 ゆっくりと。


 転生ボーナスの戦闘技術を信じろ。

 ……それ自体がどこから得られたか謎だが。



 目を見開いたとき、心はとても静かだった。


 眼の前に迫る蛮刀マチェット由比するがはその軌跡に沿うように刃を走らせる。


 シャオンッ

 金属の擦れる音。


 凶刃は予測された軌道から歪に流れを違える。



 怪訝な表情を浮かべるマチェット。

 対して駿河はただ静かに視界全体を俯瞰した視線を向けていた。


 得物ナイフの長さでは力を吸収し、受け流すことは不可能。そのため、由比するががとった手段は刃を滑らせながらの打ち払い。


 鏡面を間に挟んだかのように対象に構える二人。


 刃先を合わせたところから巻き込むように歪な軌道を描く。シャオンッ、シャオンッと擦れる音を響かせながら、次々と歪な剣を振るう女と少女。その異様な様に竜胆とナジュムは傍観者となっていた



 由比するがは内心焦っていた。


 理由の一つはマチェットとのフィジカルの差。彼女の動きを学習しきっても、その差は埋まらず防戦一方になる可能性は高かった。

 もう一つ。こちらが致命傷だった。富士崎由比の耐久面と体力は一般的な中学生のものであるということ。現状の戦い方は手首、肘などの関節の負荷が極めて高く、テニスの試合のように場をコントロールし耐久面を補填することができそうもない。


 竜胆するがは逡巡する。


 彼女が由比するがと戦ったときと展開が似ているが、それからの巻き返しが見られていないことに疑問を感じる。そして、肉体的な性能では自分ですら由比を圧倒していたことを思い出す。富士崎由比ではマチェットに勝てない。だからと言って、自分がこのレベルの戦いに加わることは逆に由比の負担になってしまうかもしれない。


 竜胆するがはそこまで思考を巡らせると、ナジュムに向かって走り出す。


 「なっ」


 驚愕するナジュム。

 振り返るマチェット。


 竜胆するがは勢いそのままに蹴りを放つ。

 由比するがはその隙を逃さず、ナイフを突き入れる。



 ナジュムは竜胆の蹴りを身を捻り躱すと、懐から取り出した凶器で彼女の腿を真横に切り裂いた。鮮血が飛ぶ。


 「いつ私自身が戦えないと言いましたか?」


 マチェットは由比の渾身の突きを紙一重で躱すと、柄を彼女に叩きつけた。狙われた顔を両手で防いだが、その代償は小さくなかった。部屋の隅まで飛ばされたナイフ、そして一撃で痺れて使用不可能になった両腕。由比するがは両膝を付けた。


 『微妙な幕切れだな』


 両の足で立った勝者の二人が地に転がる敗者に言葉を投げる。


 ここに勝敗は決した。




 「大丈夫か、竜胆」

 「お前こそ、そのだらりと下げた両手は大丈夫なのかよ」


 由比するががちらりと見たところ、竜胆の太ももの主要な血管は傷ついていないように見えた。また、自分の両腕もひびくらいは入っているかも知れないが、完全な骨折を起こしてしまっているわけでもなさそうだと自己診断する。



 「ここまでかな。そろそろ比良坂静香を呼んでもらいたいのだが」


 ナジュムが上から目線で呼びかける。


 「ばーか」

 「誰が呼ぶかよ」


 二人は敗北はしても心まで折れているつもりはなかった。



 《……ぃ》


 スピーカーの向こうからかすかに漏れ聞こえる声。


 《誠が死んだのは、ツイてなかった》


 発された言葉。誠とは七瀬誠のことだろう。


 《腎臓の移植は24時間がタイムリミットなのは知ってるかい》


 七瀬誠が移植されたのは比良坂駿河の腎臓。


 《彼の死は完全に想定外だったんだ》


 断続的にマイクをONにしている。

 それにくぐもったような声。

 先のノイズもそうだが、音声通話の相手は人が多い場所にいるようだ。


 《どうしたと思う?》


 ナジュムが端末を操作し、モニタの画面が切り替わる。


 そこには那美が映っていた。

 手術台で寝かされ、ドレープで覆われている。

 そばには手術衣を着たナジュムと数人の人達。


 ドレープの隙間から覗いていた那美の腹部をナジュムがメスで切り裂く。


 「「てめえ」」


 かつての恋人に襲いかかる惨状に駿河は思わず拳に力が入る。



 《そのときに気づいたんだ。追加実験の方法と、臓器の保管方法を》


 再び画面が切り替わる。

 今度も手術台で寝かされているのは那美。

 だが、ドレープの開口位置が異なる。先程の下腹部ではなく、胸部であった。


 《三つの臓器、肺と二つの腎臓は彼女の中さ》


 三度目の切り替わり。

 映されたのは、元々映っていた眠る那美の映像。


 《元からあった臓器は捨ててしまったよ》


 「殺す。殺してやる!」


 竜胆は立ち上がり、腿からの流血も気に留めず、感情のままにバットを振るう。



 「降参です」


 その澄んだ声は入り口の方から聞こえてきた。


 かつては毎日聞いていた声、失われてから気づいた大切な家族。

 二年という月日は長かったのか、由比するがが知る姿から十は老けて見えた。


 カランと音を立てバットを落とす竜胆。

 彼女は再び、床へとペタリを座り込む。



 カツカツと音を立て部屋の中へと進む靴音。


 《その声は静香かな? 初めまして》


 誠。それに静香。中東では人を表すとき苗字は使わず名前だけで呼ぶのが一般的だ。人を呼ぶときは名前かフルネーム。流暢な日本語だが、ネイティブではない。


 「姿は見せてくれないの?」

 《デリートを準備しているのだろう。見せるわけがあるまい》


 デリート。細胞記憶の活性化を阻害する薬。一度投与されると二度とスタンバイ状態に至ることはなくなる。


 「その薬は悪用されると大変なことになります。一度だけだと約束してくれますか?」

 《約束する。元より一度成功すれば良いのだ。そいつと違ってな》


 静香が吉良に視線を向ける。

 その瞳は悲しげなものであった。


 黄色のアンプルが静香の手からナジュムの手へと渡される。


 「パラサイトをやっと。やっと手に入れた。はははは……あーはっはっはっは」


 ナジュムの笑い声が木霊する。




 ※ ※ ※


 「何で死体をあんなふうにした?」

 「ん? そこの女から聞いてないのですか?」


 竜胆の消え入りそうな声を拾ったのはスピーカーの向こうの人物ではなく、ナジュム。彼女は顎で由比するがを指した。


 「ん? ええと、たぶん俺が駿河かを確認するため?」


 由比するがは曖昧に返す。


 「は? 何でそうなるんだ?」


 竜胆の言葉に、由比するがは改めて疑問を覚えた。


 何故、遺体から臓器を全部取り出したのか。

 何故、取り出した臓器で飾ったのか。


 それらの疑問の他に未だ明確な解が見いだせていないいくつかの謎。


 何故、二年前の死亡時の記憶がないのか。

 何故、比良坂駿河が目覚めたときに一人だったのか。

 何故、知らないはずの実在する人物が夢に出てきたのか。

 何故、七瀬誠の既往歴がないのか。

 何故、転生ボーナスがあるのか。

 何故、吉良が本を渡してきたのか。


 ――『誠が死んだのは、ツイてなかった』


 ……比良坂駿河は本当は何人いたのか。



 全ての欠片が由比するがの中で完全に一つに埋められた。


 だが、全てのピースが集まったパズルの画はとても残酷で、醜悪極まりなく、由比するがにとっては救いのない、絶望のるつぼでしかなかった。



 「ぐおおおおおおぉぉ、まじかよ、畜生、ふざけるなよ」


 由比するがは思わず苦悶の声を上げる。


 「お前ら。俺が『富士崎由比』か『比良坂駿河』のどちらかを確かめたかったわけじゃなかったのかよ!」


 「素晴らしい演技ですね」


 ナジュムの応えは由比するがの考えを肯定したと捕らえられるものだった。



 「俺が吉良の作ったパラサイトを投与されたのはいつだ?」

 「ご自分が一番ご存知でしょうに」


 富士崎由比このからだは試薬P改を投与されてから、寄生した記憶が長らく目覚めなかったわけじゃない。俺は比良坂駿河ではない。由比の記憶とのハイブリッドでもない。


 本当の比良坂駿河の実体験を伴う記憶は

 現在、この体に

 一片たりとも存在していない。



 大病を患っていない七瀬誠が臓器を移植した理由は実験の協力者だから。試薬Sは二年前には完成している。新薬の試薬P改を試す上で、貴重である移植済みの被検体、富士崎由比の前に汎用被検体である七瀬誠で実験していないわけがない。つまり、富士崎由比の実験に踏み切ったということは七瀬誠の試薬P改の実験は成功している。以上から、七瀬誠の中身は比良坂駿河であった可能性は極めて高い。


 三人目の。いや、二人目の比良坂駿河はここにいた。

 比良坂駿河の記憶はここ、吉良の研究施設にあった。


 二年近く前、少なくとも一年半前にはそいつは目覚めた。そいつは俺より遥かに上手く富士崎由比を演じきった。つきっきりだった研究者達は落胆し数を減らしていく。そのタイミングでそいつは七瀬誠に接触した。同じ研究施設なんだ、容易いはず。


 そうしてそいつは比良坂駿河の記憶を七瀬誠するがから口頭で吸い出した。


 その後、そいつは催眠術か何かで自分の記憶だけを封じる。残ったのは七瀬誠から聞いて出来上がった比良坂駿河の記憶と、富士崎由比の身体。死亡直前の記憶がなかったのは、比良坂駿河の記憶の中でも不要な部分を削ぎ落としたから。


 記憶喪失などでも言葉を喋ることができるのは、言語記憶が完全になくなることがないから。防衛本能や思考能力も同じだ。だから、記憶を封印しても、そいつの言語の知識、判断能力、音楽の技術、戦闘技術、スポーツの技術等が脳裏に刻まれたままになる。つまり転生ボーナスとは全てが封印しきれなかったそいつの技能。


 そいつは、

 そいつは富士崎由比のどこにいた?


 試薬P改、Power-on、Parasiteは励起したStandby臓器の細胞記憶を増幅させる。Standbyは少なくとも二年前にはMechanismがきちんと判明していなかった。試薬SがなくてもStandby状態になっていることがあるのではないか? そして、複数のStandby臓器がある場合、どのParasiteが肉体を支配する?


 目だ。

 10年前に富士崎由比に移植された目。


 日本では臓器移植のドナーの情報がアクセプタに渡ることはない。だから目の持ち主が誰だかわかることはない。だが、ヒントはあった。吉良から受け取った本、殺害現場の遺体の装飾。あれが『比良坂駿河』か『そいつ』かを識別するための半別紙センサだったとしたら。


 だったとしたら、目の支配者ドナーは……



 違う、現状優先すべきはこの思考ではない。


 由比するがは現状の勝利条件と敗北条件の再設定をする。


 勝利条件は全員の保護。そして那美の奪還。


 それは静香の試薬P改の譲渡では成り立たない。追加の実験を行うことが想定されたから。その場合、比良坂静香の臓器、竜胆茜の眼球、富士崎由比の心臓、菊理くくり那美の肺と腎臓、小泉強子の肝臓のいずれかの摘出を意味する。いや、この場合は既にParasiteが起動している竜胆と由比は除外される可能性が高い。



 由比するがは周りを見渡す。負傷した竜胆、彼女は先程立ち上がった。まだ戦えないわけじゃない。非戦闘員の静香。彼女は何故一人だけ現れた。多少息を乱したマチェット。敵の主戦力。細腕で戦闘が得意とは思えないナジュム。彼女の主な仕事はおそらく医者。戦闘員としては補助レベルのはず。この場にいない要素は強子に頼んだ援軍と旧3年1組のメンバー。不確定要素としてナジュム側の援軍。




 必要なアクションの一つ目は――


 ――マチェットをこの場から取り除くこと。



 由比するがは脳内で勝利への道筋をシミュレートする。



 小さな胸を抑え、

 ゆっくりと鼓動を数える。

 ゆっくりと。



 自らの中に作り上げる第三の人物を。

 ナジュムらが想像している姿を。

 吉良から渡された本の著者を。

 天才と謳われた殺人鬼を。


 ――――朝霧 みずちを。


 元にするのは、吉良から受け取った本。スポーツや戦闘時に垣間見る冷静冷徹な判断力。そして、このシナリオを描いた狡猾さ。


 脳内を目まぐるしく行き来する電子信号。シナプスを経由させ演算していく。無数の情報インプットとそれから得られる無数の情報アウトプット。計算しては畳み込み、最適化を行う。それを並列的に幾重も実行する。


 情報は少ないができるはず。

 過去にも『朝霧 みずち』が『富士崎由比』を、

 『比良坂駿河』が『富士崎由比』を作り上げてきた。



 やがて演算が終わり、結果が得られる。


 偽物だらけのActress。



 それはゆっくりと目を開く。

 暗闇に染まった視界は人工の光で満たされた。


 姿こそ変わっていないが、それの仕草や表情、何より纏う空気が一変していた。

 そのあまりの変わり様に、場の空気が一気に張り詰める。



 富士崎由比であったものは艶やかな目つきで竜胆を見つめる。


 「初めまして、茜」


 そこには由比の無邪気さも駿河の斜に構えた様もない、人生の酸いも甘いも噛み分けたような妖艶な女がいた。


 「……てめえ、誰だ?」


 それは笑うことで応えとする。


 「そちらの身体の方が快適そうですね」


 続けられた言葉、そのときにそれが浮かべた表情は獲物を見つめる獣の顔。微笑を浮かべながらも目は笑っておらず、じっと竜胆の動きを見ている。


 竜胆は思わず身震いする。


 「この少女の身体はいまひとつ不便でして。手足が短く動きにくい。その他の部位も未成熟過ぎです。胸より二の腕のほうが固いくらいです。胸より二の腕の方が。まあ、身体があるだけマシですが」


 言いながらそれはくるりと回る。


 「先程の茜の質問にお答えしますね」


 再び顔を向けられた竜胆は口を開けて呆然としていた。


 「彼らは『私』と『比良坂駿河』のどちらかを判断しかねていたのですよ。『私』が『富士崎由比の振りをした比良坂駿河』の演技をしていないかを」



 竜胆に言いたいことを言い終えたのか、はたまた竜胆茜の反応に満足したのか、それはナジュムの方に向き直る。


 「あなた達。あなた達も勘違いしています」


 ナジュムはビクリと身構えると数歩下がる。

 彼女の前にマチェットが緊張した面持ちで蛮刀を構えていた。


 「私は死体を見るのが好きなのではなく、人を殺すのが好きなのです」


 それは先ほどと同じように言いながらくるりと回る。

 ただし、その回転の間にナイフを投げながら。


 早くはない。しかし不意をついたそれはマチェットを驚かせるだけのものでがあった。回転がかけられたナイフはテニスのボールのように弧を描く。彼女は辛うじて蛮刀で弾いたものの、正面から投げられたナイフが何故横から襲ってきたのか、彼女にはその現象の想像が出来なかった。


 「それに何より美しくない」


 それは吉良のポケットからナイフを取り出すと、彼の腹をスパッと縦に斬る。


 「ナジュム。鉗子ありません?」

 「え? いや。え?」


 突然の質問にどもるナジュム。彼女はそれの行う一挙一動全てに混乱させられていた。


 「仕方ありません」


 それはゴソゴソと自分の服の中を弄ると、ブラジャーを取り出した。ナイフで一閃、そこからワイヤーを抜き取る。


 「切り取る前に縛るのは基本ですよ」


 それは各臓器の口をワイヤーで縛るとテキパキと解体していく。

 空っぽの腹に完全に切り離した頭を詰めると、今度は左手から右手へと腸をクルクルと巻いていく。そして、いっぱいの臓器を両手で大事そうに抱え込ませる。右目をくり抜くと、遺体が身につけていた腕時計を眼窩に入れる。時刻は13時40分。学校に行っていれば五時間目の体育の授業が始まった頃だろう。


 「彼には感謝しているんです。身体をくれましたし……ね」


 それの満面の笑顔に、解体する猟奇的な様に、あまりにも自然な仕草に、そして出来上がったオブジェに、その場の誰もが圧倒されていた。



 「『私』に気づいたのはテニスのときでしょうか?」


 今度はナジュムではなく、モニタに向かって話しかける。


 「だんまりですか」


 それは腕を組んで考えたふりをする。


 「では、興味がありそうな話を……」




 「比良坂博士の薬も状況によっては失敗する可能性があります」

 《何!》


 話し相手が即時に反応したことに、それは満足気な顔を浮かべる。



 「本来、人間が得意な記憶方法はイメージ記憶です。画像を幾重にも畳み込み、情報を削減することにより膨大な量のデータを保存します。そして情報を引き出すときにはそれらを逆解析して一致性、関連性を繋ぎアウトプットできる形とします。細胞記憶とは、ガーピーガガガガゴゴゴ」

 《何だ?》


 遺体の遺棄の直後に真面目な説明をしたかと思ったら、今度は口で擬音語を言い出したそれに誰もが唖然としていた。


 「すみ、せん。聞き取りにく、です。もう少しボリュ、あげていただけないでしょうか」


 今度は片言で途切れ途切れ言単語を発する。


 《……ぃ》

 「ガーピーガガということはぁぃぅぇぉ」

 《今度は聞こえん。こちらのスピーカーの調子が悪いのか? 》


 わざと声量を抑え、スピーカーの声の主を困惑させる。そこから一拍。そのタイミングで由比するがは大きく胸を膨らませ息を吸い込む。


 「なっかやまー!」


 そして、大声でクラスメイトの名を叫んだ。


 《……がーう! ハル! エイチ! エー 》


 スピーカーの向こう側から漏れ聞こえる声。


 その直後、ブツンと音を立てて通信が切られた。





 虫の音一つ聞こえない静寂。

 立て続けの出来事に誰もの脳が処理をしきれなくなっていた。


 「母さーん、デリートって奴を頂戴。

  あと、竜胆。バイクの鍵くれ」


 由比するがは静香、竜胆に普通に声をかける。


 「挿しっぱなしだ。バイクの場所はこの建物の空いてた窓のそばにある」


 先に応えたのは竜胆。

 彼女は先の二の腕のやり取りで演技だと確信していた。


 竜胆の返答に我に返る静香。

 彼女はバッグを弄ると急いで投げた。


 濃い赤紫色のアンプルを。



 それは大きく放物線を描き――


 パシンッ!


 ――由比するがの手のひらに収まった。




 「マチェット。ナジュム」


 最後に由比するがは敵の二人に呼びかける。


 「アスタラビスタ、ベイベー」


 彼は笑顔で親指を立てた。

 そのまま、脱兎のごとく室外へと駆け出した。



 呆然と彼を見送る一同。


 先に正気に戻ったのはナジュムだった。彼女は叫ぶ。



 「マチェット! ユイを止めて!」



次回『035プロローグ』

『私』が目を覚ましてから半年、

 吉良康介にパラサイトを投与され、富士崎由比の体で長い眠りから覚めて半年が経過した。


あなたの脳裏に神戸の妄想が焼き付く

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