033マチェット
「畜生! 何がどうなってやがる!」
竜胆茜。いや、もう一人の比良坂駿河はバグ・ナグを蹴り飛ばした後、背中から金属バットを取り出すと由比に相対した。
そして彼女はそれを振り下ろす。
「仲間割れでもしてたのかよ?」
「普通、回答待ってから攻撃しないか?」
由比は避けながら彼女を揶揄する。
竜胆茜からみた富士崎由比。
比良坂邸では帰宅時に襲撃されているため、襲撃者と由比は仲間であり、邸宅内にいたのは囮のためと受け取るのが普通だろう。そして、その時の負傷が治る前での皇家のプレハブ強襲。親友である裕太を拐う。敵側の一味と認識されていると見て間違えない。
竜胆茜の攻撃を回避しながら、駿河は考えを巡らせる。
竜胆茜を説得する方法。由比は彼女が比良坂駿河だという事実に気づいた時から心の片隅で考えていたことだ。方法はシンプル。比良坂駿河しか知らないことで、かつ親友にも恋人にも母親にも話さないであろうこと、それを口にすれば良い。そうすれば、富士崎由比が比良坂駿河だとわかる。だから、由比は言葉にする。あの日の告白を。
「好きです、やらせてください!」
それはあの日、比良坂駿河が菊理那美に告げた言葉。
「あ? 何言ってやがる」
「やりたいです。やらせてください!」
混乱する竜胆を横目に由比は台詞を続ける。
訝しげな竜胆。
だが、次の言葉に彼女はピタリと攻撃をやめた。
「那美のことは好きだった。だから告白した。だが、振られても良かった。いや、振られることを望んでいた」
悩ましげな表情を浮かべる由比。
竜胆は口を開け、呆然としていた。
「何故なら、数日前に幼なじみから受けた告白を茶化して、泣かせてしまったから。悲しませてしまったから。だから、馬鹿な俺は一度こっ酷く拒絶されるべきだと思っていた」
「……てめえ」
竜胆の言葉からは怒気が失せていた。
「今年の5月18日13時17分。富士崎由比の中で俺が目覚めて確認した時刻だ」
全てを言い切った由比は竜胆の瞳をじっと見つめる。
「畜生……そういうことかよ」
視線を地に向け、臍を噛む竜胆。
彼女は悔しげにぼやいた。
『リンドウ!』
二人の駿河の邂逅を中断させたのは、先程蹴られて倒れていたバグ・ナグの怒声だった。
彼はふらつきながらも立ち上がる。
そして、腰の鞘からナイフを引き抜いた。
その姿を確認すると、由比はナイフを逆手に、竜胆は金属バットを正眼に構える。
三人はゆっくりと足を運ぶ。
バグ・ナグは由比を警戒しながらもその注意は主に竜胆へ。
竜胆は彼の左側、ナイフを持つ手側にゆっくりと回り込むように。
由比は竜胆とは逆に回り込み、挟もうと動いていた。
突如、場が静から動へと切り替わる。
由比に突きつけられる刃の先。手に持つナイフの刃で軌道を外へと反らす。シャンと金属が擦れる音が響く。背を向けた男の肩へとバットを振り下ろす竜胆。しかし、バグ・ナグは開いた身体の勢いそのままにくるりと回転してナイフのソングホールを彼女の得物へと向ける。
弾かれるバット。
苦虫を噛み潰したような顔を浮かべる竜胆。
そのまま男は刃を振るおうとする。
しかし、由比が男の背を蹴ったことにより、それは叶わなくなる。
体勢を崩し躍り出た男を待っていたのは竜胆の前蹴り。
今度は後ろに数歩、足を縺れさせる。
その足を駿河の足が掬う。
倒れかかる男の左腕に振り下ろされたバット。
それはナイフを叩き落とすどころか、前腕部をポキリと折り曲げた。
『ぐああああ』
叫び声とともに転げ回る男。
由比はナイフを拾い奥の扉側に、竜胆は入り口側にと男を逃さないために油断なく回り込む。
「……なあ。強子も俺たちの敵じゃねえんだよな?」
ある程度は演技混じりだったのか、男は飛び起き建物の入り口側、竜胆の側へと走る。由比はナイフを投げて、男のふくらはぎに命中させる。
「強子が俺らの臓器が自分に移植されたことを知ったのはつい先日だ。真実を知って大泣きしてたぞ」
竜胆のコンパクトなスイングが転びそうになっている男の右の膝に当たる。
「裕太を拐ったのは何でだ?」
由比は悶え転がる男の右腕にナイフを刺した。
「てめえが敵か味方かわからなかったからだ。危害は加えてねえ……ちょっとバトルのときにボールペンを尻の穴に突き刺したが」
その傷ついた両腕に竜胆は手錠をはめる。
そして、胸座を掴み持ち上げた。
「那美はどこだ?」
「ん? 何で那美?」
竜胆が男に投げかけた質問に駿河は疑問を覚える。
「那美がこいつらに拐われた」
「拐われたのはグエンだろ?」
「ゴーメンナサイヨー」
「グエンじゃねえよ」
「ゴーメンナサイヨー」
由比の訂正に間髪入れずに突っ込む竜胆。名前が出るたびに檻の方から聞こえてくる謎の謝罪の声。これまで緊張の連続だったからか、弛緩した空気が場に流れていた。
由比は念のため檻の中をもう一度確認した。
そこにいたのは、彫りの深い東南アジア系の濃い顔。
やはり木下グエンだった。
「どう見てもグエンだろ!」
「ゴーメンナサイヨー」
「「お前は黙っとけ!」」
彼は二人の駿河に静かにするよう促されることとなった。
「あれはグエンだけど、拐われたのはグエンじゃねえよ」
「じゃあ、あのグエンはどうしたんだよって、そういうことか」
竜胆の説明になっていない説明。
しかし、由比は何となく状況を察した。
『那美はどこにいますか?』
突然アラビア語で話しだした由比に目を剥く二人。
「しゃべれるのかよ」
『しゃべれるのかよ』
彼らが上げた驚きの声は、言語こそ違うが同じ意味だった。
一通りの尋問が終えた竜胆はスマートフォンのアプリを起動させる。
そこには少し大人っぽくなった友人の面々が雁首を揃えていた。
「こちら駿河。富士崎由比は敵じゃなかった。強子もだ。それとグエンが動物園の猿みたいに檻に入っているから助けてやってくれ。あと、自称裕太のライバルを縛っといた。予定と少し違うが、富士崎由比と地下へ向かう」
「こちら司令部、了解した」
ノリノリで応えた司令官は、元3年1組の担任であった吉田海王星26歳。その外見は二年前とほとんど何も変わっていなかった。
「実はこちらも駿河です。どーぞ」
つい悪ノリしてしまった由比。
彼は竜胆の後ろにまわり、両の手で彼女の頬をツンツンしながらカメラの範囲に入る。
「またTSかよ」
「可愛い」
「結婚してください」
反応は様々だったが、友人の一人である早坂翔がロリコンであったことが判明した。サッカー部でキャプテンまで務めていた彼の豹変ぶりに由比は少し引きつつも言葉を続ける。
「強子たちもグループに入れておいて。あと、裕太に誘拐と尻の穴の件を謝っておいて」
由比が想定したのは、裕太奪回のために竜胆が旧3年1組のメンバ全員を説得して、小泉家の倉庫を襲撃したこと。先程得られた那美も拐われたという情報から、おそらく友人、恋人の両方を奪われ、竜胆は最後の手段に出たのだろうと思われた。そして、監禁場所がわからないため人海戦術でローラー作戦を実行したこと。グエンは捕まることも承知の上でローラー役を担っており、捕まることで竜胆に怪しい場所としてここを知らせたのだろう。
「くぁwせdrftgyふじこlp」
先程のロリコンが尻の穴発言に何を勘違いしたのか声にならない奇声を上げたところで、竜胆はアプリを閉じた。
「こっちだ」
竜胆は由比に声をかけて先行する。
※ ※ ※
長い地下への階段。
二人は足音も気にせず、歩みを早める。
階段を降りた先にも長い通路。
その突き当りにある扉を竜胆茜は蹴破る。
広い空間。その真中に巨大な機械。機械からは無数にケーブルが伸びていて、それが天井に、床にと繋がっている。機械の周りにいくつものモニタ。そのモニタの一つには眠る菊理那美の姿が、他の一つには『sound only』と文字が表示されていた。
そして、機械の前に三人の人物。
「鍵はかけてなかったんだけどね」
声の主は吉良康介。比良坂静香と同じ研究をしていた研究員。
彼はメガネをクイッと人差し指で上げた。
「初めましてですね。私はナジュム」
流暢な日本語で話かけてくる外国人。
見たことのない女。年齢は30くらいだろうか。吉良よりも知的な印象を受ける。
「マチェット」
最後の人物の名前は由比の隣、竜胆の口から聞こえた。
あのときの中東人の片割れ、女の方だ。
あのときと異なり曲線を描いた大きな蛮刀を片手に持っている。
マチェットを見つめる竜胆は、由比の目には少し緊張しているように見られた。
「由比君。騙されたよ」
どことなく上機嫌の吉良の声。
「ほら、見てください。私の薬も完成していたのですよ。はははははは」
彼は振り向き、モニタに向かって高笑いを上げる。
おそらく彼は上階のバグ・ナグとの戦いを見ていたのだろう。竜胆との会話から富士崎由比の中にあるのが比良坂駿河の精神であることを確認。二回目の移植においても自身の作った試薬P改の効果があったと認識したのだと思われる。
《残念。君の薬は失敗作だよ》
スピーカから吉良の発言に対する応えが聞こえてきたと思ったら、その場が鮮血に染まる。
「あ? あがああがぁ……」
吉良の首から吹き出していた。
真っ赤な血が。
彼の首は7割ほどが切り取られ、かろうじて繋がった3割からは言葉になっていないうめき声を発する。
それはやがて膝から崩れ落ち、目を見開いたまま物言わぬ躯と成り果てた。
周囲に飛散した血は止め処なく遺体から流れて出てくるためか、大きな溜まりへと変化していった。
《茜があの程度だとしたら、駿河は大したことないはずなんだ》
スピーカーから聞こえる声に呼応するように、
一歩踏み出す中東女。
その右手に握られた蛮刀の血を滴らせながら。
次回『034デリート』
《腎臓の移植は24時間がタイムリミットなのは知ってるかい》
《完全に想定外だった》
《どうしたと思う?》
あなたの脳裏に神戸の妄想が焼き付く




