023皇裕太
富士崎由比の情報について、小泉家も当てにならない今、駿河は昔の親友を頼りに彼の家へと向かうことにした。トラックの運転手が由比と無関係であれば、事故の原因の一旦である彼の危険性は高くないと思えたことも駿河を後押しした。
腐れ縁である親友。幼少の砌から一緒であった親友。二人だけの秘密は数知れず。だから、駿河には小泉強子と同じように皇裕太を説得する自信があった。
やってきたのは皇家の敷地内にある大きめのプレハブ。
小学校の頃は近くの子供達でよく遊んでいた。高校になってからはもっぱら、AV鑑賞やゲーム部屋と化していたその場所。そこは、勝手知ったる我が家のようなものだった。むろん、富士崎由比ではなく、比良坂駿河がだが。
駿河はいつものように、ガラガラガラと音を立て、横開きの戸を開ける。
「おいーっす。元気してる?」
駿河を迎えたのは、竜胆茜の唖然とした顔だった。
彼女はいつものフルフェイスではない。吉良から見せてもらった写真の通りの赤髪の美女だった。着ているのはライダースーツではなく、タンクトップにショートパンツというラフな服装。タンクトップは黒地に白で『Bloody rain of Berlin』と書かれている。腹部には包帯。当て物の位置から怪我をしているのは右脇腹だろうか。
「くそっ。富士崎由比。よりによってまたてめえかよ」
事態を把握し、先に動いたのは竜胆。
彼女は手にとっていた缶ジュースを駿河へと投げる。
そのまま駿河の元へと駆けた。
駿河は飛んできた缶を、首を傾け避けながら考える。
竜胆は右脇腹に怪我を負っている。
場には他に誰もいない一対一。
唯一の出入り口は自分の背後。
勝てる。
確信した駿河は前に出て、竜胆を迎え撃つ。
竜胆の左ストレート。
駿河は両手でガードし、受け止める。
軋む前腕部、揺れる体幹。
中学生の少女の体とは言え、一瞬浮いた踵に駿河は驚愕する。
駿河は身を縮め、更に防御を強固にする。
ただし、それは身を守るためだけではない。
再びの竜胆の左ストレート。
体を内に捻る駿河。
拳を肩で受け止め、腰の回転で外へと弾く。
竜胆の体は大きく開いた。
懐に潜り込んで、左のショートフック。
正確に右の脇腹に突き刺さる。
わずかに赤く滲む包帯。
うめき声を上げる竜胆。
再度の攻撃のため駿河は畳み掛ける。
しかし、駿河の右拳は空を切る。
竜胆の体は、駿河の腕の更に下にあった。
足の力だけで上体を反らす竜胆。
スウェーバックというにはあまりに低い姿勢。
彼女はそこから腕を伸ばし、駿河の襟首を掴む。
まずい。そう思った駿河に迫る竜胆の頭。
衝撃。
音と共に飛ぶ血しぶき。
駿河は当たる瞬間、首を引いていた。
そのためぶつかったのは顔ではなく、額と額。
それでも硬さと勢いに差があった。
眼の前がチカチカして、前後を失っている駿河。
対して、勝ち誇った顔の竜胆。
彼女は再度の頭突きのため、後ろへ首を反らす。
彼女の首が戻ろうとする前に、胸座を掴む腕を駿河の肘が襲う。
真下からの肘鉄、当たったのは前腕部。
メキリと鈍い感触。
腕は上へと跳ね上げられる。
痛みと衝撃で掴む手を離す竜胆。
自然と離れた二人の距離。
にらみ合う二人の目。それは闘争心を微塵も失っていなかった。
「竜胆茜ぇ!」
「富士崎由比ぃ!」
互いに互いの名を呼ぶ叫び声。
竜胆茜は喧嘩慣れしている。そして、フィジカルに自信があり、またその自信を裏付けるだけの体幹をしている。基本とは異なる独自技術、それは読みにくい反面、攻撃に偏りやすい。
駿河は戦いの中で集めた情報をもとに、対竜胆茜の戦い方を洗練していく。
始めた当初、手数は竜胆の方が多かった。駿河は防御を固め、彼女のフィジカルに翻弄されているようにも見えた。
しかし、それが徐々に、徐々に変わっていく。
駿河の竜胆の攻撃の隙きを縫うような攻撃は、その頻度が高くなり、手数でも圧倒するようになる。
「ち、畜生」
彼女は最初から、怪我を負っていた。
今では、包帯は赤く染めあがり、右手でそれを押さえていた。
このままではまずい。
そう考えた竜胆は覚悟を決め、勝負に出る。
彼女は駿河の攻撃を躱すと、距離を取る。
そして、駿河に向かって走り、
深く、深く踏み込んだ。
低い体勢。
そこから捻られた腰。
縮んだところからバネのように弾き出された脚。
それがみるみる顔へと迫る。
踵がその小さな顔を取らえんとしたとき、
その刹那のとき、
駿河は顔を捻る。
すれ違う足と顔。
頬に一閃、赤いライン。
脚は空を切り、真っ直ぐに伸びきった。
それが戻る前に駿河は右脚で深く踏み込む。
無理な体勢から蹴りを放ったその体へ
回転と体重を乗せた左拳を
叩きつける。
腹にめり込む拳。地面へと打ち付けられる体。顔を歪める竜胆。
※ ※ ※
荒い呼吸。
右手で腹部の傷口を押さえて、勝者を見上げているのは竜胆茜。
ぶらりと降ろされた左手は赤く腫れている。
右のまぶたは切り裂かれ、その流血のせいで片目は瞑りっぱなしである。
スマホを片手で操作し、もう片手で鼻をつまんで血を止めようとしている富士崎由比。連絡先は強子。竜胆捕獲のため、ゆっくりと尋問できる倉庫へのご案内の連絡である。
その様は余裕そうに見られるが、ぐしゃぐしゃになった髪の毛、それに破れた制服と裂かれたスカートが勝者も無事では済まなかったことを醸し出していた。
「畜生、怪我さえしていなければ」
「ノンノン。怪我してなければ逃走一択」
ぼやく竜胆に鼻声で返す駿河。
「ちょっと早いけど、捕虜の尋問ターイム」
駿河は弾んだ声を出す。
時間はある。移動してからでも全部聞き出せば良い。
そうにも関わらず、ここで先に聞きたいのは――
「菊理那美――」
「てめえ!」
――昔の恋人のこと。
竜胆は駿河の質問を途中で遮る大きな反応をみせる。それも激昂。
認めたくないが、良好な人間関係を築いている可能性が高い。
「人殺しの上、卑怯者か」
続く竜胆の言葉に疑問を覚える駿河。
人殺しというワードで思い浮かぶのは、比良坂邸での殺人事件。あの場には、駿河と竜胆茜と那美がいた。言葉そのままに受け取ると、竜胆茜が中西を殺したわけではないということになる。もちろん駿河を犯人だと断定しているということは、那美は犯人ではないとも竜胆は考えていることになる。
あの後、竜胆が姿を消し、第三の人物が現場に姿を表した?
そして、竜胆はそのことを知らない?
そんな偶然はあり得るだろうか。
情報をまた一つ得たが繋がらない。何かがおかしい。
また、余談だが、怪我や弱点を狙うことこそがスポーツマンシップと考える駿河にとって、『卑怯者』は褒め言葉である。
「あの後のことだが――」
「てめえに会ってからのことは知らねえよ。ずっと寝てたからな」
食い気味に拒否の発言。
これでは何もわからない。
次の質問へと移ろうとしたとき、駿河の脳裏にふと考えがよぎる。
「待て。お前、その傷はどこで負った」
「そうだな……実家でだよ!」
冷ややかな笑み。嘘ではないが本当でもない。
そんな印象を受ける。
「お前を刺したのは誰だ?」
「お前だろうが!」
強い怒りの反応。
真実、または真実だと思いこんでいる。
刺した? 富士崎由比が?
予期せぬ応えに駿河は困惑する。
「それは富士崎由比のことか?」
「脳みそ沸いてるのか?」
当たり前のことを質問したときに見られる侮蔑。
つまり、肯定を含む。
富士崎由比=眼の前の相手と認識ができている。
その上で富士崎由比が自分を刺したと認識している。
「富士崎由比のことをどこまで知っている?」
「お前の履いてるパンツの色でも答えれば良いのかよ?」
返ってきたのは応えではなく揶揄。
これでは何の情報も得られない。
ガラガラガラ
「早い……な……」
扉の開く音に強子かと思い、入り口に振り返る駿河。
しかし、彼を迎えたのは20歳ほどの見知らぬ男だった。
「くっ、す、茜!」
彼はしばしあっけに取られていたが、倒れている竜胆茜を確認すると彼女の名を呼び、駿河に向かって駆け出した。
同じタイミングで近くのジャージを掴む竜胆。
その足は外へ向かおうとしていた。
そのとき、掴んだジャージから一枚の紙がこぼれ落ちる。
その紙はひらひらと宙を舞った。
「ちっ」
彼女は逃げることも忘れ、手を伸ばす。
駿河も反射的に、その紙に手を伸ばしていた。
駿河の指先が紙の端に届く。
しかし、目に入るのは、逆の端を捕らえる指先。
「竜胆!」
「富士崎!」
二人はそれを叫ぶ声とともに同時に引っ張った。
奇しくも同じ瞬間に。
ビリッ!
乾いた音とともに二つに裂ける紙。
駿河の手に残ったのは1/6程度。
残りを握るのは竜胆。
「うおおおおおお」
にらみ合う二人の元に、奇声を上げながら猪突猛進に突っ込んでくる見ず知らずの男。
男の身長は180cm程度。体格も良いから体重は80kg程度ありそうだ。
体格の違いは素手での戦いにおいて影響が大きい。リーチの差もそうだが、何よりエネルギーが大きく異なる。由比との体格差では関節技、締め技すら外される可能性があることが推測できた。
そんな男が低い姿勢で駿河にタックルをしようとしてきた。
掴まれたらもちろん終わりだが、それ以前に跳ね飛ばされて死にそうである。
男がより身を深く屈め、まさにぶつかろうとした瞬間。
駿河は大きく跳躍する。
高跳びの選手のように背面を地に向け。
上下にすれ違う二人。
駿河はすれ違いざまに、男の後頭部に踵を叩きつける。
「うおっ……うぉおお」
上から潰され、つんのめった男は机に激突した。
対して、駿河は空中で身を翻して足から綺麗に着地する。
駿河が男との戦いは終わったと思ったそのとき、
彼はムクリと立ち上がり、駿河に机を投げつける。
慌てて避ける駿河。
「いけ、ここは僕が引き受けた」
「しかし」
「頼む、茜」
「これはあの日、僕が無し得なかった光景なんだ」
ここで突然始まる竜胆と男の寸劇。
駿河はわけもわからず呆然とした。
「逃げると、代わりに彼氏がひどい目にあうことになるぞ」
少し考え、駿河はとりあえず眼の前の劇に参加することを決める。
完全に悪役である。
「大丈夫、僕は強い」
台詞とともに、駿河の前に仁王立ちになる男。
茜は臍を噛み、彼に背を向け、外へと駆け出す。
男は何かを成し遂げたかのように清々しい顔をしていた。
「倒してしまっても構わんのだろう?」
「な! それ僕の」
駿河は言われる前に男の台詞を奪ってみたのだった。
※ ※ ※
床に大の字になり、荒い息で呼吸をする駿河。
鎖が全身に絡みついている先程の男。彼は声にならない声を上げながら、転げ回っている。未だその果が見えない、無尽蔵の体力の持ち主だった。
強子の連れてきた竜胆茜捕縛隊8名。
そのうち4名が駿河と同じく戦闘不能状態である。3名は金属の投網を握りしめ、先程の男を逃すまいとしている。1名は強子の前で壁となっていた。
「ひぎゃあああ」
電気ショックでようやく大人しくなった男。
断末魔まで暑苦しい男だった。
「皇!?」
どんなやつだったのかと強子は男の顔を覗き見て、驚愕の声をあげる。
その声を聞いた駿河は痛む体を押して、もう一度男の顔をじっくり見た。
通った鼻。キリッとした眉。金色の短髪。180cmの長身。筋肉質な体。そのどれもが裕太と重ならなかった。どう見ても赤の他人のイケメンマッチョである。
「強子、メガネメガネ」
「……普段からかけてませんわ」
強子が言うには、駿河の事件以降、裕太は駿河の死を甚く悔み、必死で努力してきたそうだ。その結果、文武両道、質実剛健を地で行くイケメンマッチョが出来上がる。大学生活も充実し、可愛い彼女がいるそうだ。
「こいつが裕太! 並行世界かよ」
駿河のぼやきに、強子は頷きそうになっていた。
「ん? それは何ですか?」
強子が指摘したのは駿河の手に収まる紙片。
竜胆と掴み合い破れてしまったそれだった。
駿河はその紙片を広げる。
『比良坂駿河君
私は竜胆茜と申します。
突然のことで混乱しているかと思います。
私は比良坂博士、あなたのお母さんの協力者です。』
書かれていたのはそこまでだった。
続きは竜胆が持っているのだろう。
意味がわからず、駿河と強子は無言で顔を見合わせる。
次回『024またまた死体』
「久しぶりですわね、皇」
「……小泉」
あなたの脳裏に神戸の妄想が焼き付く




