016ナカヤマと三人組
「へい、ユイ」
転校生アーイシャは、誰にでも話しかけるその気さくで人懐っこい性格から、すぐにクラスに馴染んでいた。転校初日にして、彼女のスマホにはすでに由比のそれより多くの電話番号が登録されている。
彼女とコミュニケーションが取れていないのは由比のクラスでは中山春13歳だけだった。彼女はアーイシャとの自己紹介で軽いトラウマを負っていた。
「な、何? アーイシャ」
呼びかけられた駿河はあからさまにアーイシャを警戒している様を見せる。
昨日襲いかかってくるような気配を見せた相手と同じ肌の色。この国には極めて少ない肌の色。実際の中東に住む人たちの肌の色は白人のような白色から暗めの色まで千差万別だ。そして、駿河の前に現れたタイミング。関係がないと判断するほうが難しい。
駿河は何があっても避けられるように、半身に構え、重心を低くする。
駿河の態度は誰がどう見ても怪しいのだが、その不自然な警戒心を訝しむクラスメイトはいない。中山春13歳の自己紹介の惨事が思い起こされるからだ。誰もが心のどこかでアーイシャを警戒している。特に『中』と『山』が苗字に含まれる子は過剰とも取れる反応を見せていた。
今朝のことだ。
皆がアーイシャに自己紹介をするなか、悲劇は起きた。
「よろしくね。私は中山春」
「おおう……ナカヤマ……まじで、ナカヤマ」
眉間に皺を寄せ、悲しそうな表情を浮かべるアーイシャ。
突然の空気の落差に驚きを隠せない中山春13歳。
彼女はオロオロと周りに助けを求める。
しかし、周囲の生徒も何が原因かわからないため対応できない。
沈黙を破ったのはアーイシャだった。
「ナカヤマ。私の国の言葉で……毎日性行為を表す」
その一言で、まるで電撃が走ったかのように、クラス全員が目を剥き、口を半開きにしていた。
あまりも辛辣な訳出。
思わず駿河は声を漏らす。
「おおう……ナカヤマ」
何故かクラスメイトはそれに倣う。
「おおう……ナカヤマ」
「おおう……ナカヤマ」
「おおう……ナカヤマ」
中山春13歳。彼女は唐突な展開に空いた口が塞がらなかった。
※※ ※
「ハル、私はハル。それ以外の何者でもないハル」
今もクラスの隅で一人、自分に言い聞かせる被害者中山春。クラスメイトは哀れな彼女に掛ける言葉を持っていなかった。
「ユイ、ご飯、ランチ、食べよう」
アーイシャは富士崎由比の右腕に飛びつく。ぎゅっと両腕で宝物のように抱きしめ、満足気な様子だ。いじめ問題で加害者側は罪の意識が微塵も見られないというのは本当のことかもしれない。
「お姉さま、私というものがありながら」
アーイシャを咎める声の主はやーちゃんこと永田弥生14歳。
何故か彼女はハンカチを噛んでいる。
先日の小泉強子の誕生日以来、彼女は富士崎由比への態度を一変させていた。
変化のタイミングは強子の誕生日において駿河の歌声を聞いたときである。
これが転校生の出現と相まって、駿河にとって極めて好ましくない展開となっていた。
誰にでも懐っこい転校生アーイシャ。
その友好的な態度は駿河に対して顕著であり、過度なスキンシップは妹選手権と化している富士崎由比ファンクラブの面々に悪印象を持たれていた。しかし、そこは日本人、多くは陽気な外国人に気圧されする。駿河との間柄に踏みこんでくるのは、以前からの親友であり、財閥の令嬢でもある永田弥生だけとなっていた。
場を納めるため、駿河は四人での行動を提案する。
駿河の隣の席に座るのは、この場で唯一の常人である吉原しずく13歳。争う二人の優劣をつけることによる紛争の激化を防ぐため、駿河はことあるごとに第三者であるしずくを巻き込んでいた。
青と黒の4つの瞳に、そしてその周りを囲む数多くの瞳に睨まれる吉原しずく13歳。彼女は食事の味もわからないほど緊張していた。
※※ ※
「昼は昼で乳臭いガキどもがうぜーが、
夜は夜で酸っぱい臭いのヤローどもがうざい」
昼と打って変わって横柄な態度を取る駿河。富士崎由比の枠に押し留められていた比良坂駿河の気性は、旧友との会合の場で放たれていた。
「もぐもぐ……まじで比良坂氏ですか?」
「むしゃむしゃ……嘘でも良い、むしろ嘘が良いです」
駿河のクラスメイトには『3年1組犯罪三銃士』なる三人が存在していた。
カメラの城島時男19歳。アイコラからパネマジまで彼の写真の加工技術は多岐に渡る。光彩認証や静脈、指紋のコピーまでお手のものであった。現在、アニメーション学園でCGの技術を学んでいる。
USBのワン・フー18歳。飛び級で大学に進学した彼は、ハッキングやクラッキングを得意とし、最近ではハリウッド女優のスマホからリアルタイムで無修正のエロ動画をかき集めてはUSBメモリに記録し大学の友人に配っている。電子錠など彼にとってはないに等しい。
そして、山城銀次20歳2牢。ピッキングからスリ、車上荒らしとその器用さを生かした技術はプロ顔負けである。彼は現在、懲役刑に服しているためこの場に参加できていない。
比良坂邸から一区画離れた道路脇に停められた車。車と言っても一般的に普及した乗用車ではなくリムジン。TVモニターを囲むように配置された革張りのソファに四人は腰をかけていた。
グラスに口をつけ、水を口に含む駿河。
一見優雅に見えるこの仕草も彼が身につける黒のミリタリースーツがそれを否定する。全身黒ずくめ、それもドレスのような優美なものではなく、軍隊を思わせるような出で立ちである。
彼は手に張り付くようにピッチリと付いた薄手の黒い手袋を引っ張っては離す。
そのたびにパンと乾いた音がする。
遠目にはイブニンググローブのようにも見られるそれは、儀礼的な意味はなく、軽く丈夫で傷つくこともない伸縮性もある素材でできていた。
脚には無骨な黒色のブーツ。丈はくるぶしにかかるくらいのミッドカット。見た目に反してスポーツシューズのような履き心地も兼ね備えていた。
同じ出で立ちの青年が二人。
『三銃士』の城島時男とワン・フー。
彼らはアペリティフのナッツを頬張りながら、由比に対して初対面を匂わしかねない発言をする。
比良坂駿河が富士崎由比の姿で彼らと顔を合わせるのは三度目である。
それにも関わらず、毎度行われる同じやり取りに駿河は若干面倒そうにしていた。
向かいの席に同じくグラスを片手に持つ小泉強子。
彼女のグラスの中身は琥珀色に輝いていた。
小泉強子、先日20歳を迎えて、飲酒解禁である。
彼女だけは黒色ではあるが、こちらはロングドレス姿が似合っている。
パンッ!
もう一度音を響かせると、駿河はこれまでの二回の議論を振り返る。
比良坂駿河は他殺であり、死亡したのは2年前の5月14日深夜。殺害の目的はおそらく臓器を狙ったものである。犯人像は掴めていないが、医学の知識がある人物が最低一人は関わっている。
5月14日早朝、駿河はいくつもの事件に巻き込まれそうになっているが、これに新藤という名前の刑事が関係している。彼は駿河を執拗に追うパトカーを運転していた。だが、殺人まで関係あるかは定かでない。直接的な事故の原因になったのは四十万組というヤクザ所有のトラック。運転手は事故後、勾留されていたため駿河の殺人事件と直接的な関わりはないことがわかっている。四十万組は強子の祖父である小泉議員と深い関係があり、そのため情報の確度が高いと強子から回答をもらっている。
比良坂静香は行方不明であり、彼女の有力な手がかりはない。未だに捜索が続いており、その理由は彼女が行っていた国家機密レベルの研究にある可能性が高いと思われる。駿河殺害と彼女の失踪が関係あるかは不明である。
彼女の同僚の一人が吉良康介。彼は静香の行方不明後に頭角を表し、後任の責任者となっている。静香の件の失態からか、常に何人かの取り巻きが彼の周囲を伺っているため公の場で一人になる機会は少ない。なお、何の研究かは不明である。
比良坂邸は比良坂静香が行方不明にも関わらず、口座からの自動引き落としのためか、電気、ガス、水すべて止まっていない。名義も静香のままである。比良坂邸の地下にはセーフハウスが存在しており、ずぼらな静香は普段家に帰ってきてからそこで研究をまとめていた。セーフハウスの解錠のパスワードナンバーはいい風呂(1126)である。
先日の強子との話し合いから、新藤、吉良という2つの名前が出てきたが、直接的な関係は認められず、よって現段階での優先度は低いと四人は結論付けた。
さらに議論を重ねた結果、低いと考えていた静香の研究内容の把握が優先されることとなる。研究のために駿河が殺されることとなって、見せしめ、もしくは何かの合図のために駿河の臓器を抜き取られた可能性も出てきたからだ。
以上から、駿河達は比較的容易と思われる研究内容の調査を決行することとする。
「準備はできたか?」
「以前のデータが残っていたので僕は繋ぐだけです」
「モーマンターイ」
「差し当たりのタイムリミットは2時ですわよ。忘れないでくださいね」
駿河は三人に確認すると、脇にある一回り小さなヘルメットを手に取る。
立ち上がると電源のついていない真っ黒なTVモニタに、似つかわしくない軍服を着た中学生の少女の姿が写り込んだ。
つい先日まで、よくクラス全員でこれを着ていたな。
駿河は感慨深げな表情を浮かべ、楽しかった記憶を思い起こす。
校長のズラを紫に染めてみたり、
下着泥棒を捕まえたり、
汚職議員の証拠をWEBに垂れ流したり、
テロリストのマネをして学校を占拠したこともあった。
女子のパンツの柄を把握しようとして返り討ちにあったことも。
みんなで集合写真を取ったりもした。
あの日の写真の全員が揃うことはもうない。
駿河はカチャカチャと音を立てながら、
ピンバックルを止め、
顎紐を締める。
約二年ぶりの、駿河にとっては初めての比良坂邸侵入計画開始である。




