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015鳩とインテリと中東とフルフェイス

 「鳩?……ですか?」


 富士埼 由比は体が弱い。

 現在でも丈夫ではないが、以前はもっと酷かったらしい。病気の痛みに耐えかねて自殺を図ったこともあり、それ故、精神科へも通っていた。


 駿河は次のカードを表にする。

 描かれていたのは木とも人とも受け取れる抽象的な画。


 「愛し合う二人の男女?」


ロールシャッハ・テスト。

反応性のテストである。

精神の安定性、異常性を確認するために行う代表的なテストだ。


 過去にはこのテストは反応数が多ければ多いほど不適応性も増加していた、つまり積極的に答えていた人は異常と捉えられやすいお馬鹿なテストである。しかし、2011年にR-PASシステムが確立してからはこの反応数に関わらない判断ができるようになる。実はまともなテストになったのはごく最近のことである。


 十代の一般的少女は動物運動反応が無機物運動反応より高い。

駿河は動物性をほどほどに上げる回答を選ぶ。

衝動性を、精神的な緊張を、不安を下げるように選択する。


この手のテストの一番の問題点は有識者のテストを行うことはできないことだ。ろう。


 駿河はおおよそ無害な、14歳の女子中学生が取りうる可能性が高い、適切な人物像を作り上げる。



 「最近、良いことあった?」


 どうやら、良い回答を選びすぎたらしい。


 精神科医、篠崎愛31歳の少し嬉しげで、的外れな質問から駿河は次回の下方修正を心に留める。実際のところ、駿河の記憶ではここ一ヶ月の間に、殺されて、生き返って、少女の真似をして、したくもないテニスの試合をやらされて、更には自分の内蔵が持っていかれたことを知らされ、公衆の面前で歌を披露させられた……と、散々たるありさまである。


 「うーん……わっかんないです。てへっ」


 故18歳の男子高校生の、生まれ年から計算すると成人を迎えているであろう男性の回答である。女子中学生の演技も板についている。


 いくつか出来事を挙げられないこともないが、それに付随した質問が追加される可能性があり、質問自体を避けることが最も好ましいと駿河は判断した。


 「わっかんないかー」


 篠崎愛31歳。患者の少女が元気になり喜ばしいのだろう。声が明るい。実際はその気にかけている少女の意識は生きているのか死んでいるのかもわからないが。


 「よし、今日はもう大丈夫だよ」

 「やったー」



 駿河にとって、初めての精神科医との対面。

 疑われずに住んだことに駿河は心底安堵する。





※※ ※


 ドン!


 気が緩んだのだろう。院内の廊下の曲がり角、各診察室と待合室とをつなぐ廊下の曲がり角で、駿河は人とぶつかってしまった。



 「……失礼」


 180cm程度だろうか、やや長身の男性。身につけているのは白衣。医者だろうか。オールバックで固められた髪は清潔感がある。細めのメガネと相まって駿河はその男性に神経質な印象を受けた。

 男性はぶつかった直後、こちらに視線を向けてから、一瞬だけ目を大きく広げる。そして、無表情で謝罪した。


 絶句する駿河。

 彼は男性に見覚えがあった。


 母さんの同僚だ。たしか――苗字は吉良。


 あの一瞬の顔は比良坂駿河に向けたものだろうか。

いや、それはない。

今の駿河は富士埼 由比の、女子中学生の姿だ。

……由比の知り合いでもあるのか?

 いや、その可能性は低い。


湧き出た疑問を即座に否定する。「失礼」という一言は謝罪というには余りにもぶっきらぼうだ。手を貸すなど転んだ少女に対し取る態度はいくつもある。その中で棒立ちは人間関係が遠いことを表す態度の一つだろう。もし知り合いだと仮定しても、迂遠な態度からその関係は隠された関係と推測される。


駿河は吉良に対して見知らぬ赤の他人として応じることにする。


 「……いえ、こちらこそすみません」




 吉良の後ろには二人の男女。彼の後ろに控えるように立っている。その立ち位置からして何らかの関係があるのは間違えないだろう。


 二人とも浅黒い肌。

 中東系の人種だろうか。


男性は吉良よりも頭半分ほど背が高い。手足はスラリと長く、初夏にも関わらず黒い長袖を着ている。彼は駿河を一瞥すると窓の外に視線を向けた。


 女性は160cmくらいだろうか……駿河の伺うような視線に気づいたのか、彼女は鋭い目でじっと駿河を睨む。


 コツコツ……


 二歩、三歩と駿河に近づく女。


 彼女はかなり厚手の黒いブーツを履いている。

真っ黒な色だが、光沢があるのか、ところどころ光を反射していた。


 彼女はゆっくりと右手を左脇に添える。


 よく見ると、彼女の服の左側が不自然に下がっている。


……何かが彼女の左脇にある。

服の皺に埋もれるような小さな、それでいて重量がある何かが。



 駿河は呼吸を整える。

 なんで? という疑問は横に置く。

 驚きながら死ぬなんてもってのほかだから。


 駿河は意識を彼女の右肩に集中させる。


 


 想定した武器は隠しナイフ。

 確証はない。

しかし、携帯される武器としては最も一般的であった。


 であれば、抜くときには必ず右肘が下がる。

 そして、その兆候を最も早く確認できるのは肩の筋肉。






 緊張した空気の中、

――――吉良が二人の間に割って入った。


 『なぜ、止める』


 女の口から出たのはアラビア語、しかもアンソミーアではなくフスハ。中東で話されているアラビア語のほとんどはアンソミーア。フスハはコーランにも使われている言語だが、難解であるため一部の間でしか使われていない。

 転生のときに得られた語学の知識が初めて仕事をする。




 『あれはリンドウではない』


 リンドゥー?

……竜胆? 

人の名か?


 駿河は吉良が発した初めて聞く単語を心に留める。



 『あの目は危険だ』


 目つきが悪くて悪かったな。

 駿河は愚痴をこぼしそうになる。




 『……いいから、やめろ!』


 吉良に強い語調で咎められ、しぶしぶ右腕を下ろす女。



 緊迫した空気が弛緩する。




 吉良はもう一度由比を見る。そして、踵を返した。

二人の中東人は彼の後を足早に追う。



 駿河はじっと彼らが去るのを見つめる。


 三人が遠ざかる長い廊下、

特に先程の出来事のためか駿河にはその廊下が実際の長さよりも長く感じていた。

 

 廊下の先の曲がり角、その直前で、

駿河の視線に気づいたのか、女が顔だけ振り返る。


 視線と視線が交差する。


 駿河を見つめるその眼光は猛禽類のように鋭かった。





後を付けるべきか。

立ち去るべきか。


駿河は逡巡する。


なぜ病院にいるのか? あの二人は何者なのか?

吉良に顔を見られている。女に目をつけられている。

チャンスなのか? 罠なのか?

合流する可能性も考えると目標は最低三人、こちらは駿河一人。


巡る思考が進むのも退くのも躊躇わせる。




 追うべきではないが、何らかの手がかりを得るべき。

 そう判断した駿河の取った手段は病院の入り口の見張り。

 加えて乗ってきたであろう乗用車の特定であった。


 駿河は駐車場を一廻りすると車種とナンバープレートを記憶する。目ぼしいものだけメモに書き留めると、近くのマンションに向かう。


彼は踊り場の壁にクローム鏡を立てかける。


駿河から見た鏡には病院の入り口が写っていた。


クローム鏡は一般の鏡に比べ光源の反射が低減されている。日中に間接的に観察するためには一般的に普及しているアルミ鏡では輝いてしまうため適していなかった。





 「きゃあああああ!」


 準備を終えたばかりの駿河を迎えたのは突然の女性の叫び声。


 ガシャーン


 続くのはガラスの割れる音。


 音の元を探ると、ガラスの破片の近くに転がっている人物を見つけた。


吉良でも中東系に二人の誰でもない、

ライダースーツを着たフルフェイスの女。



 母さん? 


 正体不明の女に、行方不明の母親の可能性を考える駿河。

 しかし、目に映る巨大な胸の膨らみとアクティビティな印象がそれを否定する。

 彼の母親はつるぺったんのインドア派だ。



 「アスタラビスタ、ベイベー!」


 親指の代わりに中指を立てて、叫ぶフルフェイス。


 絶対に母親ではない。

駿河は強い確信を得る。



 彼女はひとしきり出てきた建物の方に向かって挑発すると、木陰に隠してあったバイクに股がり排煙とともに去っていった。



 騒がせすぎだ。

 警察も来るだろう。

ここにいるのはよろしくない。



 そう判断した駿河はこの場を後にした。






※※ ※


 翌日、連日の過多な情報に頭を悩ませていた駿河に追い打ちをかけたのは一人の少女の登場だった。


 彼女は白いチョークを右手に持ち、アーイシャとカタカナで字を書く。


 「アイシャでもアイーシャでもありませんよ。アーイシャです」


 留学生として紹介されたアーイシャなる少女、

彼女の肌は昨日見た色ととても酷似していた。





 「また中東系……偶然?」




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