第三出動 時雨月花 ④
「――そんな、感じかな」
「そうか……」
月花の語り草を聞き終えた銀次は強引に笑顔を作った。引きつらないように、悟られないように。
「上手く行くといいな」
「うん。ありがとう」
月花の笑顔に、もはや何度目かも分からぬ罪悪感を抱く。
自分は立川の恋愛事情を知っていながら、月花の初恋が実らないと知っておきながら、玉砕させようとしているクソ以下の人間だ。
仮に立川が小沢を捨てて月花に乗り換えるような男であれば、月花を託しても彼女は幸せにはならない。
銀次は冷酷非道にはなりきれない。やるせない思いがふつふつと湧き上がるのを塞き止める。それをひたすら繰り返している。
と、壁に掛かっている時計に視線を向けると、夕方五時を回っていた。
「そろそろ擬似デートもお開きにしよう」
「うん」
「週末は夕方でも人が多くてだりーな」
外に出て、すっかり立川モードをオフにした銀次は遠目に見える駅前広場の人の波を見てぼやいた。
「人ごみ、苦手?」
「まぁな。周りに気ぃ遣って、自分のペースで歩けねぇしな」
「そうだね――――きゃっ!?」
「時雨!?」
月花が地面に突き飛ばされたと同時に、男が彼女の鞄を持って駅から遠ざかるように逃走した。ひったくりだ。
「――――っ!」
「俺が行く! お前はここで待ってろ!」
自らひったくり男を追おうとした月花を銀次が制した。
「――っ! おいあんた、チャリ貸せ!」
「え? ――ああっ、ちょっと!」
銀次はたまたまその場に居合わせた男性から自転車を強引に借りて男を追いかける。
「オイ逃げられると思うなよコソドロ野郎ーっ!!」
「ひいぃ!? チャリは卑怯だろおおお!!」
男は狼狽しながら逃げ続けるが、所詮は人の足。自転車に勝てるはずもなく。
「うるせぇ!! 人のモンスる輩のがよっぽど卑怯で卑劣で下劣だろうが!!」
自転車であっという間に足で走る男と距離を縮めていき、
「この野郎っ――!」
「ぐわぁっ!」
男の斜め前まで追い抜いた銀次は、自転車から飛び降りて馬乗りになって男を仰向けの状態で押さえつけた。
「おい! コイツスリだ! 警察呼んでくれ!」
「はっ、はい!」
近くにいた女性に100当番してもらい、警察が到着するまで馬乗りのまま待つことに。
その際、銀次にはとある感情が湧き起こっていた。
「――一発ぶん殴って二度とふざけた真似しないよう教育しなきゃだな……っ!」
「ひ、ひいい!?」
銀次は左手で男の胸倉を掴み、右手で拳を作って男に振り落とそうとする――
――その瞬間。
荒れ狂う拳が白く華奢な手に包まれた。
顔を上げると、月花が無言で首を横に振った。
「……時雨」
まただ。
また、自分の悪い癖が出てしまった。ワースト一位に選ばれた銀次の短所だ。
実際に手が出てしまう前に、月花が防波堤となってくれたのだ。
月花の手からは温もりと同時に真心も伝わってきた。
「すまん、助かった」
冷静さを取り戻した銀次は拳を開放してひとつ深呼吸。暴れ狂う血流の流れを緩やかにさせた。
「怪我はないか?」
「ううん、大丈夫。橋本君、ありがとう」
月花は再度首を横に振って、自身が無事であることを伝えた。
「橋本君が鞄を取り返してくれて、嬉しいよ」
月花は感謝の気持ちを述べるが、銀次は鼻のつけ根を掻いて、
「今の俺は、所詮立川のなり損ないだからよ」
俯いて自虐的に笑う。結局自分は疑似デートでも立川になりきれず、猟奇的な一面を覗かせてしまった。
「そんなこと、ない。二人は違う人だけど、今は橋本君の勇気が、嬉しいよ……!」
顔を上げると、月花は宝石のように美しい笑顔をお披露目してくれた。
今まで見たことがない、けがれのない澄みきった笑み。
「恰好良かった。まさにヒーロー、だよ」
月花のストレートな表現に、銀次の顔は赤くなった。
けれど、銀次には一つ月花に言いたいことがあった。
「さっき、自分でなんとかしようとしたよな?」
「う、うん」
「こういう時のための俺なんだ、もっと頼ってくれていいんだぞ。なにもかも一人で解決しようとしないで、もっと周りに甘えろよ」
「あっ……」
月花は銀次からの言葉を、かつて立川からももらったことを思い出す。
「自分は独りだから、とは考えんなよ」
月花は銀次にばれないように、俯いてから口元を僅かに綻ばせる。
「……うん、そうだね」
「あのね、僕が思うに――」
「テメェは黙ってろ! 犯罪者が偉そうに持論を垂れようとすんじゃねぇよ!?」
「は、はいぃ~」
二人の真面目な会話にひったくり男が割り込んできたが、銀次は発言を許可しなかった。
その後、通報を受けた警察が到着し、男の身柄を拘束して警察署まで連行していった。
「散々な疑似デートですまん」
銀次は苦笑いを作って月花に謝罪すると、
「ううん、付き合ってくれて、ありがとう」
月花は嘘偽りなく、純粋な感謝の気持ちを示してくれた。
二人並んで駅までの道を歩く。
月花は待ち合わせた時よりも自然体で銀次の隣を歩いている。
「本番も頑張れよ」
前を向いたまま、銀次が独り言のように無機質な声音を零すと、
「うん、頑張るね」
月花は握り拳を作って応えたのだった。
なんとも言えぬ雰囲気の中駅へと到着し、今日の疑似デートはお開きとなった。
余談だが、近々警察署が窃盗犯を取り押さえた銀次を表彰してくれるとのこと。
全校集会を開いての表彰とのことで少々気だるいが、いつも周囲に迷惑をかけてばかりの自分が知人とはいえ、人助けができて銀次は満足感を得たのだった。
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「立川を遊びに誘うことに成功したぞ! 次の日曜日だ」
疑似デートの翌日の昼休み。
鉄平が教室に入り、銀次たちに笑顔でVサインをした。
真紀の提案通り、月花と立川の『デート』ではなく、ワーストレンジャーの面々も交えて『遊び』に行く体にした。
鉄平が優も誘ってみたところ、珍しく行くと言い出した。
どういう風の吹き回しかは分かりかねるが、来る者を拒む必要はない。
「市原がKYな真似しなきゃいいんだが」
ない、はず……。
銀次の自信は光の速度で揺らぎはじめた。
「お膳立ては整ったな!」
ガッツポーズをした真紀が月花を見て続ける。
「あとは月花が自分の足で、自分の言葉でケリをつけるんだ! 頑張れよ!」
「う、うんっ。頑張るね」
「当日を考えるとオレが緊張してきたわぁ」
「なんでお前が冷や汗かいてんだよ」
鉄平が身体中から冷や汗をかいて、汗が床に滴り落ちている。量が異常だ。
「そりゃ、一世一代の大勝負だからな」
自分のことのように月花を案じる鉄平に、月花は微笑をたたえた。
「私が、自分で決着してみせる、から」
「だな。本番は一人だ」
銀次は月花が想いの丈をぶつけられるよう祈った。悔いなど残らないように。
(今回に限って市原が来るのが不安だが、告白の邪魔はさせねぇぞ)
一抹の不安要素はあるが、日曜日に全ての結果が分かる。
もちろん銀次にとって重要なのは告白の成否ではなく、告白自体と、そのあとどうするかだ。
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