Fiction
今から話すのはとある労働者階級の家から発見された、かつてそこに住んでいたと思われる農民の日記に記されていたことである。
私は今夜とてもじゃないが、眠りにつけそうにない。この時代にそぐわない話であり、だれもが私のことを信じず夢の中の話じゃないかなと思うだろう。実際、私が目にした光景は私自身も信じがたいものであった。
私には、毎週末に教会へ行ったあと亡き妻の墓へ行くというルーティンがある。しかし先週に限って仕事が滞り、墓参りに行けなかったのだ。今思えばそれが祟ったのかもしれない。
仕方なく週末になった今日、夕方くらいに教会へ行き、その後隣接されてる墓地へ向かった。墓石の前に着く頃には日は沈みきり、辺りは暗闇になっていた。何も見えないので持ってきていたランプで辺りを照らす。
するとどうだろうか!目の前に、青白い端正な顔の男が浮いているではないか。私は幽霊がでたと思って「わっ」と叫んでしまった。私が叫んだことを不快に思ったのか男は私の首を絞め始めた!だが、力は入っておらず息ができないというわけではなかった。さらに男の表情はどこか困ったようでもあった。もしや成仏できないで彷徨っているのではないかという考えが頭を過ぎったが、それはすぐに違うと感じた。よく見ると男の口元、八重歯が異様に突出している。私は察した。このまま血を吸われて死ぬのだと。男の顔がだんだんと首元に近づくにつれ、私は今までの人生を振り返り始めていた。
「申し訳ないがこのまま数秒動かずに、私が去ったあとに倒れてくれませんか」
ぐっと死を覚悟した瞬間に、幽霊から話しかけられて拍子抜けした。しかし体は恐怖で震えている。私は彼の願いを聞いた。
「あとからもう一人、若い男が来ます。彼はあなたが気絶……死んだかを確認します。なので倒れて死んだふりをして下さい。そうでないと殺されるでしょう」
最後の一言で一気に背筋が凍ったのを今でも覚えている。
彼が私の元から去っていく。そのタイミングに合わせて、おぼつきながらも私はその場に倒れ込んだ。心拍数が非常に上がったのは言うまでもない。
遠くから草むらを踏む足音が聞こえてくる。そして足音が私の前で止まる。冷や汗が止まらない。
「おやおや。ははあ、そうきたか。実に驚いた。これは使える。ぜひとも僕のものにしたいなあ!」
私を見下ろしながら愉快そうに男は笑い、どこかへ消えて行った。
それからどれくらい経ったのか分からないが、とにかく私は彼らが完全にいなくなるまで待ち続けていたと思う。
あれはなんだったのか。若者のいたずらというよりは、心霊現象に近しいが……。特に青白い顔の男だ。幽霊なのだと思っていたが、あれは吸血鬼なのではないかとさえ思えてきた。しかしこの話を信じるものはいないだろうし、ここに書いておくことにしよう。今日はどっと疲れたなあ。
日記を音読し終えて、彼はにこにこと満面の笑みを浮かべながらわたしに尋問を続けた。
「何年だったか正解には覚えていないが、これは確か君と出会って間もない19世期後半頃ではないか?僕は君の能力を一目見たくて、お願いをしたはずだったがまさかこんな真実が隠されていたとはな。実はすごい優しい性格をお持ちのようだ、なあ?」
わたしにはこの返答に対し「はい」以外の選択肢を与えられていない。なにせわたしはこの男に弱みを握られているため、わたしが強く出ることはできない。
「この日記を書いてくれたお爺さんに感謝するしかないな。さてこれの分の罰をどうしようか。楽しみが 増えたな。前回は羽を焼いたから、今回は一時間牢に入り東洋のオキョウという音楽を聞かせようか」
嬉々とした彼を止める事はできない。羽を焼いたというのは文字通りで、吸血鬼であるわたしの大切な体の一部を彼は火で炙った。幸いこれは治癒力があるものだから今は無傷の状態だが当時は死んだ方がマシだとすら思った。
「あれはただの音楽ではない!昔東洋へ行ったやつの話を聞いたが、あれを数分間でも聞いただけで精神と肉体が乖離しそうなほど苦痛だったらしい!ああ、ぜひともその状況を見てみたい」
もはやここまで来ると精神異常者か単なる人を痛ぶるのが好きな性癖を持つ変態にしか見えない。
こんこんと窓ガラスをたたく音がなる。窓の外には伝書鳩がいた。わたしは窓を開け、鳩から手紙を受け取った。手紙の封を切らずに彼に手渡す。
彼はナイフで封を切り、手紙を黙読し始め顔を曇らせた。
「ロギノフ、出かけるぞ」
手紙を火がゆらめく暖炉に放り投げ、彼は出かける準備を始めた。
ゴルジェイ・ロギノフ、それがわたしの名前だ。
わたしはいわゆる吸血鬼である。人間がよく創作するさまざまな情報が実際に正しいかは、我々吸血鬼によっても差があるため、一重に肯定とも否定ともできない。少なくともわたしは蝙蝠に化けることができて、ニンニクや太陽の光に弱いということはなく、ましてや十字架の物に弱いなんてことは無い。肝心の血を食料としているかどうかについては、微妙だがある程度飲まなくても問題はない。
明らかに普通ではない性格の彼ーーロス・ヴァリニャーノと出会ったのは1892年の真夜中だった。我々はイタリアのとある教会にいた。いたというより、わたしに関しては喚び出されたと言った方が正しい。
彼は黒魔術を使い、魔界の住人を喚びだすことに長けていた。そういう意味ではわたしも彼の名を知っていたのだが、悪い意味でも有名だった。彼は面白半分に我々を召喚するのだ。元来、我々のような者を喚ぶ人間は何かしらの欲望があり、対価と交換で欲望を叶えるために人間に尽くすのだが彼は何もない。喚んでは「お前に用はない」と突っ張っていく。よばれた者としては、たまったものではない。彼に出会ったら時間の無駄だと思えとすら言われている。
そんな人間にわたしもとうとう引っかかってしまった。召喚時の規則として決まった挨拶があるため、わたしはその規則に従って彼に自己紹介を始めた。彼はほぼ聞いていないようだった。ずっと手元の分厚い本を読み込んでいる。
わたしが自己紹介や説明を終えても本を読むのをやめなかった。規則では人間側が別れの挨拶を行わないと我々は元の世界に帰ることができない。そのためわたしは延々とそこに居座り続けるはめになった。どうせわたしに用はなく帰るはめになるだろう。
月が夜空を泳いでいる。それくらい時間が経った。ようやく読み終えたのか、彼は本を閉じた。
「おや、まだいたのか」
そして何を喋ったかと思えば人を苛つかせる発言をした。しかし、わたしは怒らなかった。怒りというより呆れに近い感情で溢れている。
「君は見た感じだとヴァンパイアか。少し興味が湧いた!君の能力を見せてくれないか?」
「能力というと……」
「血を吸って人間から食料を得ているのだろう?」
それをぜひ見たい、と彼はやや興奮気味にわたしに言った。前述したようにわたしは、血以外にも食料を摂ることができる。現につい先ほどまで晩餐会だで豪勢な食事をしてきたため、腹は満たされている。逆に言うとこれ以上、なにかを腹に入れれば吐く可能性のが高い。
「どうしても、ですか」
「もちろんだとも。もしかして難しい話なのか?人間ならそこの墓地に今いるぞ。早くしないと僕の好奇心があの爺さんを殺してしまうかもしれないが!」
どうやら思っていた以上に、彼は精神異常者みたいだ。わたしに人殺しの趣味はないが、重たい腰を上げた。
無事に、墓地にいた老人を説得し、協力を得て事をやり過ごせた。わたしが教会に戻り、しばらくして後から彼が戻ってきた。
「やあやあ、面白いものを見せてもらった。気に入った!君と契約をしよう!なにを渡せばいいのだ?」
この時わたしの人生が普通ではなくなることが確定した。人間が対価を払える姿勢がある場合に限り、契約を拒否することはできない。何を対価としてもらったとしても、わたしの経歴に泥がつくのは避けられない。ああ、元の世界に戻ったら親族や職場になんと説明したらいいのだろう。
「おいおい、そんな絶望に満ちた顔をしなくてもよくないか。せっかくの美麗な顔立ちが台無しだ!因みにわたしの相棒になるからには、みてくれの良さも考慮しているからな。君は僕に選ばれたという名誉がある!それはそうとて、君に何をあげたらいいのだ?」
「ああ、あまりにあまりだったので忘れていました……。そうですね、生命力または欲望をください。払えなくてもいいです。その方がわたしにとって好都合なので」
ぜひともそうしてくれと心の底から願ったが、願いは虚しく彼は要求を快諾した。
「僕の名前はロス・ヴァリニャーノ。宣教師みたいな形をしてるが、これはフェイクで本業はもっと複雑なんだ。まあそれに関しては別の機会にまた教えるよ。いま僕は君に興味があって仕方がない!」
相手を知ろうとする姿勢は大変よろしいが、彼の目が獲物を見つけたようなギラつきをしていたのでわたしは怯んでしまった。
「そのうち分かりますよ。そう焦る必要もないでしょう。なにせ、あなたが契約解除するまで一生となりで生き続けますからね」
これがわたしと彼の馴れ初めである。
物語に登場する国や歴史、組織は現実に近い表現をしていますが、すべてが事実ではなくフィクションを交えています。ご注意ください。