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虚獣。
それは魔獣の一種であり、他の魔獣と比べて体色が全体的に灰色がかっていて、さらに体躯が大きいのが特徴だ。虚獣は普通の魔獣とは違い、普通に自然界に生息している訳ではない。魔獣とは少し違った経緯で奴らは出現する。
「校内で虚獣が出現って……いったい誰が死体なんて隠してやがったんだ?」
「さあな。一つ言える事は……僕達に今できる事は無い。さっさと指示に従い、避難した方が良いということだ」
そう。虚獣は魔獣が人間の死体に入り込み、乗っ取る事で出現する。魔獣の持つ元々の魔力と死体に遺された魔力が融合して変質し、人間の知能と魔獣以上の力を持ったハイブリッドな個体へと。
このような事態を予防する為、政府は国内に人間の遺体を残さない努力をしている。人が亡くなった時は早急に葬儀、埋葬を済ませ、魔道士を国内の隅々まで巡回させて、町の外での野垂れ死にが出ないようにしたりなど。
虚獣の脅威は多くの国民が理解している。だからこそ、これらの予防策はかなりの効果を挙げ、アルセリア法皇国での虚獣の出現はほとんど抑える事ができていたのだ。それでもあくまで予防。出現を完全に防ぐ事は不可能である。今回のように出現を許してしまえば、辺りはたちまち大混乱に陥ってしまう。
魔道士の卵である学院生ですらこうなのだ。出現したのが町中だったなら、ガルフネールは町中が大パニックとなっていただろう。出現したのが学院内だったのは不幸中の幸いだったのかもしれない。
「何?その虚獣って奴はそんなに強いわけ?」
「え……ソルナ、虚獣の危険を知らないって本当に言ってるのかい!?」
……虚獣の脅威は多くの国民が身に沁みて理解していると言ったが、中にはこんなのも居る。あまりにも能天気なソルナの言葉に、僕は思わず大声でツッコミを入れた。
魔道士の卵の身でありながら、今の危険度を全く理解していないソルナに分からせる為、できるだけ分かりやすく説明を行う。だが、混乱した状況の中で僕は対してうまく説明できていなかったようで。彼女はずっと首を傾げていた上、説明が終わった頃にはとても頓珍漢な事を笑顔で宣った。
「そんなに強い魔獣なら、1回どれ程のものなのか確かめてみたいな!リヒト、一緒に行こうぜ!」
「馬鹿言ってんじゃないよ!生徒は避難しろって先生から言われてるだろ!?」
「でも、リヒトって多分先生よりも強いだろ?風の噂で聞いたよ。お前、五柱の大神全てから加護を受けてるんだって?それならその力、今使わないんだったらいつ使うんだよ?」
「う……だとしても、君が行く理由には」
「私はリヒトよりも強いぞ」
そう宣言するソルナの緋色の瞳は、一点の曇りもない自信に満ち溢れていた。彼女は己の実力を過信している訳でも、話を聞いて虚獣の力を過小評価している訳でもない。本心から、虚獣など大したものではないと思っているのだ。
事実、僕が虚獣の恐ろしさをこうして伝えているにも関わらず、ソルナの微笑みを崩さない。僕より強いと言う言葉も、本当にそう思っているからこそ言ったのだろう。
「さ、もう観念しな。学生だからって何もさせようとしない先生達に、目に物見せてやろうぜ」
「はあ……分かったよ。でも、ひと目見て敵わないと思ったなら引きずってでも避難させるよ」
「なら、善は急げだ!リヒト、途中で落ちないようにしっかり捕まってろよ!」
「え?は……ええぇぇ!!?」
多分もう、ソルナは僕がどれだけ反対しようが聞く耳を持たないだろう。だから一度行かせて、その目で力を確かめさせる事にした。
するとどうだ。彼女は満面の笑顔になったかと思うと僕の腕をがっしりと掴み、宙に浮き出したのだ。
「ソルナ!?リヒト!?何やってんだよお前ら!」
「これから虚獣の所さ!魔道士見習いみんなが揃って恐れる虚獣がどれ程のものか見に行くんだよ!」
「無茶は絶対しない!だからグランツ、みんなに説明しといてくれ!」
「何を言って……おい!もっと説明しろよ!」
宙を舞いながら避難誘導の反対側を突き進む僕達に気付き、グランツが叫ぶ。しかしそんな叫びをソルナは適当にあしらい、逃げ惑う生徒達が豆粒に見えるくらい高くを飛んでいった。
……ごめんよ、グランツ。話なら、無事に戻ってこれたらたくさんしてやるから。
こうして、僕達2人は学院上空を悠々と飛びながら先生達と虚獣が戦う地点へと向かったのだった。
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「アレが虚獣かあ。図体はだいぶ大きいなあ」
「もう満足だろ?さ、怪我する前に戻ろう……」
「アレを真っ二つに斬ったら、さぞかし気持ち良いんだろうなあ……」
「ねえ、もしかして変な」
「よっしゃ、降りるぞリヒト!畜生狩りだ!」
「やっぱりろくでもない事だったよ!」
どうしてそんなに戦いたがるのかとか、どんな魔法を使って空を飛んでいるのかとか、虚獣相手にどうやって戦うつもりなのかとか、この後確実に怒られるけどどう考えているのかとか、僕がソルナに言いたい事はたくさんある。が、それを言える事は無いだろうと断言できる。
「速い!速い!落ちちゃう!落ちちゃうから!」
「だーかーらー!さっき言っただろ!落ちないように私にしっかり捕まってろよってな!」
……急降下の凄まじい速度に、僕の頭は考える力を失ってしまっているのだから。
「いいもの見せてやるから、眼逸らすなよ!」
僕を脇に抱えたまま、ソルナは先生達が虚獣と戦う最前線に剣を抜いて急降下した。少しずつ加速していくと共に、彼女の緋色の瞳と同じ色をした剣は真紅の炎に包まれ、巨大な一振りの炎剣となった。
自身のすぐ近くで煌々と燃え上がる大剣の熱に当てられ、意識が朦朧としてきた。それでも目を逸らすなという言葉を果たす為、必死で自我を保つ。
……落ち着け、僕よ。魔力の膜をもっとぶ厚くするんだ。あの灼熱から身を守れるくらい、硬い防御膜を作り出すんだ。
せっかく、ソルナが面白いものを見せてくれると言うんだ。熱気に耐えられずに延びてるだなんてもったいない。いったい彼女が何をしでかすつもりなのか、この目で見届けねばなるまい。
「何だ……!?炎の剣だと……?」
「こっちに来るんじゃない!危険だというのが分からないのか!?」
「くそっ!どうにかしてあの2人をこの場から引き剥がせ!」
炎剣がソルナの身の丈を倍程は越した頃、ようやく先生達に僕らは存在を気付かれた。何か必死な様子でこちらに語りかけているが、まだまだ遠いせいか何を言っているのか全然聞き取れない。
何も言ってる事が分からないとくれば、ソルナは当然だが止まらない。飛行はより速く、炎剣はより大きくなり、その色を真紅から蒼へと変えた。
……もう、ソルナが何をしでかそうとしているのか、僕には分かっていた。最初から薄々察してはいたのだが、この炎剣を見て確信した。
自身のすぐ近くで威容を見せる凄まじい熱量を前にしては、彼女を危険だから、虚獣は強過ぎるからなどと言って止めようとしていた事がとても馬鹿らしく感じられる。
ソルナは本当に、何一つ嘘を吐いていなかった。虚獣がそれ程強そうだと思えないということも、五柱の大神全てから加護をいただいた僕より強いと言ったことも本当だったのだ。
「先生方、命が惜しければそこから離れな!このソルナ様が一撃で終わらせてやるからさ!」
「馬鹿な事を……!」
「先生、本気だ!ここから今すぐに避難するか、全身全霊で防御した方がいい!さもなくば、虚獣もろとも消し飛びますよ!」
「消し飛べ……≪飛竜割破≫!」
天を衝く程に巨大化した炎剣が振るわれる。刀身に纏う蒼き炎が剣の軌道を美しく彩り、その最中にあった虚獣の胴体をいとも容易く引き裂いて見せた。
ジュウ、と肉の焼ける音が一瞬聞こえたかと思えば真っ二つとなった虚獣の身体が地に伏せる。誰もがその所業に驚愕し固まる中、その当事者たるソルナだけは満足げに鼻を鳴らして微笑んでいた。
……虚獣ってのは、誰もが恐れる強大な化け物であったはずなのに。それをこうも容易く倒すなんて、なんて馬鹿げた火力だ。
あまりにも異様な目の前の光景に、僕は己の双眸の異常を疑った。
王立学院の先生というのは、アルセリア法皇国でも屈指の実力者の集まりだ。それが大勢寄り集まっても大した痛手を与えられなかった虚獣の硬い甲殻を、ただの一撃で。そしてそれをやってのけた本人は、まるでそれが当然の事だと言わんばかりに余裕そうな顔で佇んでいる。
……この目で見た光景を、ただの夢か妄想だと疑いたくなった日が来るなんて思わなかったよ。
「やっぱり大したことなかったな!けど一撃必殺をできて気持ち良かったから許す!」
「……他に言うことあるんじゃない?」
「勧告無視して勝手に戦場に出しゃばってきて、申し訳ありませんでした!」
およそ反省している気配を感じられない満面の笑顔での謝罪に、先生達は少し怯みながら「虚獣の討滅感謝する」と僕達に伝えた。
……僕は連れてこられただけなんだけどね。
「少し時間は遅れるが、午後の講義は予定通りとり行う。開始時刻に遅れないよう、節度と規則を守って正しく過ごすように」
「分かりました」
「分かってますって」
こうして、学院全体を混乱の渦に陥れた虚獣はあっけなく討滅された。午後の講義も予定通りとり行われるそうだし、これからはまたいつも通りの平穏な時間となるだろう。
……ソルナ・エターニア。彼女はいったい何者なのだろうか。
五柱の大神全てから加護をいただいた事で、最初から僕が注視されていたように、どんな田舎の出身だろうと、高い実力を持つ者や強烈な個性や才能を持つ者は先生方の目に留まり、入学前からいくらか注目を浴びる。クロムウェルが僕がレオナルドを倒した後先生から話を聞いて僕の事を知ったように、生徒が知らなくとも先生方は何かしら生徒の情報を掴んでいるはずなのだ。
だが、ソルナに関しては生徒の間でも、先生方も話題にしている様子が無い。本当に、彼女が虚獣を一撃で打ち倒せる程の実利の持ち主だという事を知らないみたいだった。
……平民は家族と違って、実力や才能に光るものが無ければ王立学院への入学は許されない。ならば先生方の目に留まる程の何かがあったはずなのに、それすら見当たらず皆今初めて彼女の力を思い知ったかのような反応をする。
本当に、本当に謎だ。もしかしたら、彼女は重大な秘密を隠しているのかもしれない。
「どうしたよ、リヒトー!?さっさと次の講義の準備しに行こーぜー!」
「……あ、ああ。ごめん、今行くよー!」
……きっと、考えるだけ無駄なのかもな。推薦された時は実力を隠してて、その隠れ切れていなかった部分を見出されて入学したけどそれがこれ程のものとは考えていなかったんだろう。きっとその程度のものなんだ。
あんまり深く考えるのは止めて、僕は次の神学のテストの準備に向かった。