4
「広いなあ……グランツ達とは別室になったし、ちょっと心細いな……」
初日の午前中は座学。入学式の時に見た顔ぶれが講堂に集まり、広い室内を埋めている。5つある講堂に生徒は等分されているそうなので、ここにいるのは全体の5分の1という事だ。
講堂の分担によって、僕はグランツ、エイムと離れ離れになり、一人でこの第二講堂に来なければならなくなった。旅立ちから今までずっと一緒だった仲間と離れるというのはかなり寂しくなる。
誰か、知り合いはいないだろうか。
……そういえば女子組がどの講堂にいるのかは聞いていないな。もしかしたら、一人くらいはこの第二講堂にいるかもしれない。ロカ、モルテ、アルメリア、ソルナ。辺りを見回し、頭に浮かんだ4人の姿を必死に探した。
「やあリヒト、1日ぶり。どこに座るか迷ってるのならこっちに来るといい」
「ソルナ!モルテ!よかった、二人がいなかったら、孤独に座学を受けるところだったよ……!」
きょろきょろと忙しなく首を、足を動かしながら講堂内を歩いていると、真ん中あたりの席から声をかけられた。声のした方向を向いてみると、そこには見慣れたモルテとソルナの姿があった。
「広い所だねえ。なのに、みんな一緒って訳にはいかないのが残念だ」
「知った顔が少し居るだけでも安心できるよ。隣よろしくね、ソルナ」
「……私にも挨拶するべきじゃないの」
二人の下に駆け寄り、空いていた隣のイスに腰かけて一息つく。隣の席になったソルナにこれからよろしくと挨拶をすると、そのさらに隣にいたモルテが不満そうな目で僕の事を睨んでいるのが見えた。なのですかさず、モルテにもよろしく言う。
機嫌を損ねて暴れられるわけにはいかない。昨日が大丈夫だったからといって、今日も大丈夫とは限らないのだ。
「ごめんごめん。モルテもご近所同士、協力して座学を乗り切ろうな」
「……ふんだ。座学くらい楽勝だよ。入学までたくさん勉強したんだ、全科目初日合格だって余裕」
「はは、自信満々だねえ。こりゃあモルテに頼れば座学は楽勝だな!」
王立学院の座学は午前にテスト、午後に講義という形になっている。最初にテストを行うのは、将来王国の為に力を振るう人間にとって必要な知識を、事前に身につけているかをみる為らしい。
見事合格すれば午後はフリー。その日1日は全て自分の為に使えるようになる。
古語、地理、歴史、神学の4種の座学を一発で乗り越える事ができれば、余った時間を魔法の訓練に充てられる。周りに差をつける為にも、ぜひ一度のテストで座学は終えておきたい。
「さて、おはよう諸君。私が古語の担当講師、イズマエルだ」
「講師補佐のリウィアです」
授業の始まりを告げる鐘が鳴り、今までガヤガヤと騒いでいた生徒達が一瞬にして静まり返った。整然と席に並び、入ってきた講師の挨拶を聞く。聞く態度が良かった事に満足したのか、イズマエル先生は少し機嫌の良さそうな声で話を続けた。
「さっそくだがテストを始めようか。皆ちゃんと理解しているとは思うが、学院の授業は実技に重きを置いている為座学は全て一発合格を当然としている。なあに、君達なら予習は万全だろう。何もそう不安そうな顔をする程のものではない」
「それでは、答案用紙と問題用紙を配布します。配られた紙は裏向きにして、初めの合図があるまで内容を見ないようにしてください」
前の席から順番に、リウィア先生が3枚ずつと2枚ずつに纏められた用紙を配っていく。席の端に座っていた僕にも同じ列の人数分の紙が渡されたので、全員に回していった。
裏返しの紙を受け取ったモルテは余裕を崩さない仏頂面を、ソルナは少し苦い顔をしていた。机に向かってペンを動かすのは苦手なのだろうか。まあこういう勉強は退屈だし、気が乗らないのは分かる。表情から不安は感じられないし、本当にただ座学が嫌いなだけなのだろう。
「最初にお伝えしておきますが、他者の回答を盗み見るなどの行為は懲罰対象です。発覚した場合は不合格に加え、1年間の校内機関の使用不可となりますのでお気を付けて」
「それでは、制限時間は6の刻までとする。用紙を表に直し、テストを始めなさい」
その言葉を合図に、全員が一斉に用紙を裏返した。他の物には一切気を向ける事なく、一心不乱に回答欄を埋めていく。鬼気迫る高い集中力とペンを動かす手の速さに思わず舌を巻いた。
……おっといけない。カンニングと捉えられる行為は慎まないと。
周りに目を向けるのを止めて、僕もペンを手に取り答案用紙に目を向ける。旅立つ前、故郷で散々やらされた座学対策で見た問題が用紙いっぱいにズラリと並んでいた。これなら問題無い。たくさん予習をした意義があったというものだ。問題自体も古語はそう難しいものでもないし、いけるだろう。
……モルテの奴、もう寝てら。僕はまだ半分ちょっとしか終わってないってのに、早いものだ。
途中モルテとソルナの進捗気になったので、目線だけを少し横に向けてみた。モルテは既に回答を全て終わらせたようで机に突っ伏して寝ていたし、ソルナはちょうど終わったところだったのか、僕に手が当たりそうになるくらい大きく伸びをしていた。始まる前は少し心配みたいな事を言っていたくせに、随分と余裕綽々なんだな。
おっと。いくら速いからといって、あんまり2人に気を取られ過ぎてはいけない。僕も残り半分さっさと終わらせて見直しの時間に入らねば。実践演習に時間は使いたいのだ。こんな座学程度にてこずっていては限りある時間がどんどん減っていってしまう。それだけはなんとしても避けなければならない。
なんとか全ての答案を回答し終え、見直し確認をしてから答案用紙を再度裏返し、机に置く。『もうこれ以上書くとは無い』という意思表示だ。こうなるとリウィア先生がやって来て、解き終えた答案用紙を回収しに来てくれる。
「回収しますが、本当にこの回答で問題無いと思っていますか?」
「大丈夫です。回収、お願いします」
これで古語のテストは終了。さっさと終わらせて休むつもりだったのに、制限時間ギリギリまで掛かってしまった。なんとか莫大な数の問題を解き終える事ができて安心したのか、僕は次の瞬間、自分でも止められない大きなあくびをしていた。
後は終了の合図がなされるまで、ゆっくり休んでいよう。ひたすら手を動かしたせいで未だにプルプルと震えている。疲労など微塵も無さそうな、余裕ぶっこいて熟睡してる2人が羨ましいや。
「そこまで!回答欄を全て埋め切っていない者は速やかに手を止めるように!」
イズマエル先生がパンパンと手を叩き、テスト終了を告げる。その途端、周りから緊張の解けた大きな深呼吸や、問題を解ききれなかった学生の嘆きの声が聞こえてきた。
……重圧が掛かってたのは、別に僕だけという訳ではなかったんだな。
「はー、終わった終わった。モルテ、リヒト、お腹空いたしロカ達と合流して食堂いこうぜ。ここのご飯は美味しいらしいぞ」
「……行こう。私もお腹空いた。リヒト、ぼーっとしてないで早く立って」
「ん?あ、ああ。ごめんごめん」
「随分と疲れてんなあ。最初に言ってた通り、大した問題じゃなかったのに」
2人の言葉に慌てて立ち上がる。大した問題はなかったと言うが、テストはその問題の数が尋常じゃなかったのによく、そんなに余裕でいられるものだ。これが体力や集中力の差なのだろうか。
……やるべき事を与えたら意外としっかりとこなすモルテはともかく、ソルナにそこまでの集中力が有るとは思えないんだよなあ。こんなヘラヘラとした軽薄そうな女に、学力や集中力で負けているとはちょっと思いたくない。あくまで態度がそう見えるだけで、実はとても真面目で誠実という可能性もあるけど。
「ん?どうしたよ、そんなに見つめて」
「何か変な物でも付いてる?」
やっぱり、こいつらが真面目で誠実な人間には見えないなあ……。
そんなこんなあって、テストを終えた僕たち3人は講堂を出てロカとグランツ、アルメリアとエイムと合流した。4人とも、大してテストに苦戦した訳ではないようだ。佇まいに余裕がある。
……どうやら、テストに苦戦したのは僕だけみたいだ。ソルナ以外は同じ予習講義を受けたはずなのに、まさかここまで差が出るとは。これは帰ったら、明日の歴史のテスト勉強をみっちりとやらねば……。
「昼休みの間に採点は終わるそうだけど、あんな大量の答案用紙どうやって捌くんだろうね?」
「人の手か、それともその為の魔道具が存在しているのか……。いずれにせよできる何かがあるんだ、僕達が気にする必要はないさ」
「んだね。それより飯だよ飯」
雑談しながら食堂に着いた僕達は、各々食べたい物を注文して席に座った。……ジャンケンで負けて料理を運ぶ係となったグランツを置いて。ひいこら言いながら何度も往復してくるグランツを見て、僕達はみんな同じ事を思っただろう。
……負けなくてよかった。次のジャンケンでも負けないようにしよう、と。
「それ全部1人で食べるの?」
「甘い物は別腹」
「にしても多いと思うんだけど……」
「モルテは僕らの中でも1番の健啖家だ。これくらいならむしろ少ない方だぞ」
「……まじで?」
モルテの注文したお皿に山盛りの焼き飯と大量のケーキを見て、ソルナは困惑の声を上げた。魂消るその気持ちは分からないでもない。だって明らかに胃袋のサイズに合ってるとは思えない量だしね。よくこれだけの飯を平らげられるものだよ。
「そういやさ、授業の中には学院外に出るのもあるんだったよね?みんなは何処か行ってみたい所とかってあるの?」
それ以上はソルナも言及しなかったので、僕達はおしゃべりの続きを始めた。内容は課外学習で行ってみたい町などについて。
「僕はウル・リファかな。海がどんなものなのか見てみたいんだ」
「私はル・ウェールですわね。王都よりも流行に敏感と謳われる地、どんなお洒落な町並みなのか気になりますもの」
「ル・ウェール!確かにいいかも!流行の最先端とか気になる!」
「いやあお前ら、課外学習なら1番相応しい所があるのに、なんでそこ言わねえんだ?」
1番相応しい所?何処かそんな風に断言できるような所なんてあっただろうか。少し頭を捻って考えてみたが、あまり「そう」と言えるような町なんかは思いつかなかった。
……僕らがその場所にピンと来ていないからと言っても、グランツにそんなに得意げな顔をされると腹が立ってくる。いや、立ってる。
「そこまで言うなら教えてもらおうじゃないか。グランツは何処の事を指してるんだい?」
「決まってんだろ?ラス・ラージュだよ!王国の為に戦う魔道士となる者として、東との戦いの記憶が今も残るこの町は行かない訳にはいかないだろ!?」
「……ああ、あそこか。希少価値の高いさまざまな魔導鉱物を採れるということで、東から無理矢理奪い取った町」
無理矢理奪い取ったとはまた、ソルナは失礼な事を言うな。元々ラス・ラージュはアルセリア法皇国の所有していた土地だ。東の奴らが独立した時に奪われた我が国の領土であるのだから、奪い取ったではなく取り返したと言ってほしいものだ。
……もしかすると、彼女の出身地はラス・ラージュなのかもしれない。あそこにはアルセリア法皇国の人間として生きる事を許された東の罪人がたくさんいるし、その子どもの世代はちょうど僕達と同じくらいだろう。
ソルナがラス・ラージュの罪人共の子どもであるのならば、親からいろいろ恨み言でも聞かされたりしているのだろう。降伏したとはいえ心がまだ東についているのなら、僕らがした事に対して悪感情を持っているのも仕方がない。
追求はしないでおこう。親がどうあれ、僕達は共にアルセリア法皇国に産まれた仲間なのだから。そんな仲間同士、不毛な事はしたくない。
「……ラス・ラージュに行ったらさ、やっぱり見てみたいよね、魔導鉱物の採掘場!魔道具として加工される前の原石って、見れる機会そうそう無いし!」
「そうですわね!私も同感です!」
「……採掘場は土埃が酷いから、見学に行く時は口にハンカチでも当てとくと良いよ。咳やくしゃみ、鼻水なんかもヤバくなるからね」
「大変だ!」
アルメリアとロカが、話題を切り替えようと採掘場の事を話題に出したその途端に。閉め切られていたはずの食堂の扉が勢いよく開き、何やらひどく狼狽した様子の先生が入ってきた。他の生徒の声を聞くに、名前はマグリスと言うらしい。
「第一講堂の付近で虚獣が出現した!今先生たちが総出で対処しているが、こちらまでやってくる可能性がある!食事をしている者も一時中断して、今すぐ避難しなさい!」