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「おはよう。……話に聞いてたよりも、随分と穏やかみたいだけど?」
「あ、おはようリヒト。ソルナが暇つぶし用の遊び道具たくさん持ってたんだ」
「私に感謝したまえよ」
モルテの癇癪が起きる前にと、急いで女子寮前の門まで3人で向かった。息を切らしてなんとか辿り着いたそこでは、モルテら3人とソルナが一緒になって遊んでいるところだった。
……まったく、こっちがどれだけ焦ってたかも知らずに呑気に遊んじゃって。まあ、暴走されてるよりはこっちの方が万倍マシだけどね。
「そうだね、ありがとう。……いろいろ遊び道具を持ってるんだね。こんなにたくさんの道具、どこにしまってたんだい?」
「秘密。魔法を上手く使ったとだけ言っておくよ」
「そう。僕にも使えるようになるかな?」
「多くの道具をしまえる魔法か。確かに、習得できたら便利そうだな」
「話は後ででもいいでしょう?今はまず、入学式会場へと向かうべきですわ」
そうだねとロカの発言を肯定し、僕達はみんなで闘技場へと向かった。途中すれ違う貴族の生徒にひそひそと陰口を叩かれたりしたが、特に何かしょうもない悪さをされるという事もなく、無事に到着した。
自分達の並ぶべき列を見つけてそこに入る。僕の立ち位置は列の一番前だったので、設置された舞台の上に立って拡音の魔道具を調節している先生方がよく見える。ちなみに、並ぶ場所はみんなバラバラだったので一旦お別れした。
「おはよう。昨日は私の付き人が世話になったな。奴は入学前から脱落だ」
「おはよう、クロムウェル。元はと言えば、君達が撒いた種だろう。責任を勝手に押し付けて、逆恨みされては困るんだけどね」
魔道具の調節に苦戦している先生方を無心で眺めていると、隣に見知った顔の貴族が現れた。クロムウェルだ。開口一番、彼は僕がレオナルドを半殺しにした事を責め立ててきた。あれは正当防衛と断言できるので、僕も反論する。
「別に恨んでなどいない。平民如きに返り討ちにされた奴が弱かっただけだからな。そんな事よりもだ。私はお前と話をしたいと思っているんだ」
「話?僕は君と話す事なんて……いや、聞こう。お貴族様がわざわざ平民と面と向かって会話をしようとする事なんてそうそうないしね」
「嫌味な奴だな。まあいい」
口を開き話を始めたクロムウェルの言葉を、僕は黙って喋りが途切れるまで聞いた。長ったらしくて途中集中力の方が途切れそうになったけど、要約すると彼の話はこんな感じだった。
僕がレオナルドを返り討ちにした後、意識が戻ったレオナルドは恐怖に震えており、とても王立学院でやっていける精神状態ではなくなっていた。
先生から話を聞き、僕が王国の守護神五柱全てから御加護をいただいている事を知った。それで平民の身でありながら、貴族を圧倒できる力を持っていた事に納得した。
そんな力を持つ者を、わざわざ敵のままにしておく事はない。なので、学院の実践演習では手を組んで欲しいし、給金を弾むので卒業後はクロムウェルの生家に仕えてほしい。僕が望むのならば家族も共に来てもいいし、僕と領地の人間関係を円滑にする為に、グランツやエイムも一緒に来てくれても構わない。だいたいこんな感じだった。
「どうだ?悪い条件ではないだろう。我が一族が治める地は東に近く、奴らから奪い取った土地も含まれているから戦闘が多い。リヒトと言ったか。貴様のような強者は何人でも欲しいのだよ」
「……就職の件は考えておくよ。生まれ育った町を一生離れる事になるのは、自分の判断だけじゃ決め切れないし。実践演習で手を組む事に関しては了承する。ぜひよろしく頼むよ。僕も貴族と仲良くするチャンスが欲しかったんだ」
「そうか。では交渉成立だな。貴様の力、存分に私の為に使ってもらうぞ」
「はいはい。もうすぐ式が始まるから前を向いて」
これから先上手くやっていけるかは途轍もなく不安だけど、僕は彼の誘いに乗る事にした。
まずは僕がこいつと仲良くなって、平民と貴族の和解のきっかけとなる。そうすれば、グランツやアルメリアみたいな過激派も、少しは態度が柔らかくなるかもしれない。これから先、僕達は王国の為に力を振るう事になるのだから、こんなつまらない争いはさっさと終わらせておきたいのだ。
……ま、仲良くしようぜ、クロムウェル。
入学式はつつがなく終わった。教壇に立つ先生方は魔力が満ち満ちていてとても強そうだった事と、生徒代表挨拶をしていたのがクロムウェルだった事が印象に残ったくらいで、学院生活の始まりとしては、たいして面白みのない時間だった。
「それではまた次回、講義の時に会おう。リヒト、貴様と組む時を楽しみに待っているぞ」
「ああ。僕もそうしているよ」
「……ん?昨日はあんな悪口叩いてたのに、いつの間にお貴族様と仲良くなったんだい?」
「うわああ!!?あ……なんだ、ソルナさんか。気配もなく背後に立たないでくれよ、驚くだろ」
式も閉会して人が散り散りになったので、みんなと合流しようと動こうとした。クロムウェルと別れの挨拶を交わして後ろに向き直ると、背後から聞こえてきた正反対の所にいたはずのソルナの声。僕は聞こえるはずのない声が聞こえた事に跳び上がり驚き、まだちらほらと人が残っている闘技場の真ん中で大きな叫び声を上げた。
「はっはっは、すまんすまん。いやあ、それにしてもリヒトはリアクションが良いねえ。将来は芸人なんていいんじゃないかな?」
「馬鹿言わないでくれ。それじゃあ学院に来た意味が無くなるじゃないか」
「あ、リヒトいた!ソルナも!もうこの後の予定ないし、さっさと帰りましょ!」
「アルメリアだ」
「声が高いと響くねえ」
アルメリアの呼びかけもあり無事に5人と合流できたので、みんなで闘技場を出た。
明日からは遂に授業が始まる。好成績を出して学院を卒業すれば、その後に就ける仕事は条件や待遇が良いものばかりになる。送り出してくれた家族や町のみんなに報いる為にも、これからはより一層努力をしようと決意した。
「グランツ、エイム。僕は実践演習の時はクロムウェルと組む事にした。覚えてるだろ?昨日付き人に僕らを襲わせたあいつ」
「あいつと……!?リヒト、お前いったい何考えてやがるんだ!?」
「貴族との繋がりも欲しいからね。過去の事は水に流すことにしたんだよ」
寮の部屋に戻って、僕は今日クロムウェルと話した事を2人に報告した。忌み嫌っていた貴族と手を組むという報告に驚き目を見張る2人だったが、想定していたよりも案外冷静だ。特にグランツなんて真っ赤になって怒ると予想していたのだが。
「……まあ、お前の考えている事は分かるよ。正しいのは俺じゃなくてお前だって事もな。もし本当にあいつと仲良くできるのなら、その時までに俺も今までの価値観を変えられるように努力するさ」
「僕も努力するよ。リヒト、奴としたという話はそれだけなのか?」
「卒業後は、クロムウェルのとこの領地で働かないかとも誘われたね。これはグランツ、エイム、モルテ達も誘われてる。僕が望んで、君らも望むのならばみんなの分の職場も用意するそうだ」
「ほう、それは太っ腹だな」
「なんか、虫のいい話過ぎないか?俺にはどうも裏があるような気がしてならないんだが」
まあ、そう疑うのも無理はない。というかむしろ、平民ならば貴族の言葉は疑うのが当然だ。グランツは正しい。正しいが、これに関しては問題無い。
「大丈夫だよ、そこまで疑わなくても。僕の魔法は嘘だって見抜ける。よく知ってるだろ?」
「確か、体温や身体の動き、魔力の流れを読み取って発言の真偽を見抜くんだったな。全ての大神の御加護を持ち、精緻な魔力の扱いができるリヒトならではの魔法だな」
「便利だよなあ、それ。俺も使えるようになりたい」
「魔力を圧縮して増やせばいい。魔力が増えればできる事は大幅に増えるし、読心の魔法だって使えるようになるかもよ」
魔力というのは、圧縮して小さくまとめる事で濃度が上がり、魔法や魔道具を使う時に消費される魔力を少なくすることができる。器官から新たに生成される魔力も圧縮後と濃度は変わらず、その上圧縮によって減った分を取り戻し、これから魔力が減り過ぎないようにしようと身体が許容量を増やすのだ。
圧縮こそが、最も効率よく魔力を増やす方法。僕も10年以上圧縮を繰り返した事で、今の全て大神の御加護を許容できる魔力を得たのだ。
当然、やり過ぎはよくない。体力と同じで消耗し過ぎると体調不良を引き起こすし、最悪の場合ショック死する可能性もある。僕は激しい頭痛や吐き気に耐えながら行った。無理は禁物なのである。
「グランツは反貴族の過激派だし、やっぱりこういうのってさ、言ってる奴はその相手よりも強くないと格好つかないと思うんだよ。剣の訓練や新しい魔法の開発なんかもいいと思うけど、まずはそういう基礎的なところからがいいと思う」
「同感だな。昨日の件だって、リヒトが居なければ俺達は付き人にすら嬲り殺しにされていただろう。それ程平民と貴族には力の隔たりがあるという事だ。貴族に対して舐めた態度をとる以上、せめて実力くらいは勝っている必要があるだろう」
「……そうだな。もっと圧縮頑張るか」
両の拳を強く握り、力強く言う。結論がグランツの中で出たようなので、もう夜遅い事もあり僕は自分の部屋に戻った。
「おやすみ」
「おやすみ」
「寝過ごしたりするなよ」
お祈りを済ませてからベッドに入る。
明日からは座学だけでなく、魔法の実践演習の授業も始まる。クロムウェルと上手くやっていけるかはまだどうにも不安が残っているが、今の段階からそんな事を考え過ぎても仕方がないので僕は考える事を諦めた。そして寝た。
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「かっ……は……あ……?」
間抜けな声を上げて、少年が雪の降り積もった森の中に投げ捨てられる。相手は獲物の返り血を浴びて牙や爪が赤黒く染まった白毛の魔獣。無謀にもこの魔獣に挑んだ少年は案の定返り討ちにされ、やられた腹を触りながら間抜けな声を上げた。
……これは、夢か。僕が王国の魔道士を目指す理由のオリジン。今更こんな夢を見る事になるとは。
夢の中の幼い僕は、涙や鼻水を垂らしながら必死に魔獣に向かって命乞いをしている。なんたる無様。自分から勝負を仕掛けておいて、あっけなく負けて腰を抜かし逃げ惑う。我ながら恥晒しにも程がある。
幼い頃の僕が、醜悪な悲鳴を上げて体を小さく丸めたのと同時に、僕も頭を抱える。これ以上こんな恥ずかしい一幕を見続けたくはなかった。
「あ……これは……」
視線を向けた先の地面に、刀身の朽ちた剣が突き刺さった。魔獣の頭頂部から顎先までを串刺しにして地面に磔にする。
ウェル・ロードリエス。僕の命の恩人にして、目指すべき目標。
……こうやって、僕の事を助けてくれたのか。いとも簡単に魔獣を殺せる力。それをわざわざ使って助けてくれた事には、本当に感謝しかない。ここでウェルと出会ったからこそ、僕はそれまでの驕りを捨てて、訓練に打ち込む事ができるようになったのだ。
「……ありがとう。いつかまた会えた時、君にお礼をするよ」
景色に霧がかかり、少しずつ薄れていく。身体が眠りから醒めてきたのだろう。遠くに滲んで消えていくウェルの背中を見据えて、いつかまた、必ず会おうと僕は宣言した。薄くて分かり辛かったが、その横顔がなんだか笑っているような気がした。
「……なんだ、まだ朝にもなってないじゃないか」
……夢を見たのはとても久しぶりだ。王立学院に入学するという事で、きっと神様が僕に強くなる理由を再確認させてくれたのだろう。
おかげでこんなにも早く目覚めてしまった。月の高さを見るに、夜明けまでまだ軽く見積もっても4時間はある。こんなに早起きしたからにはもう、自主訓練をするしかないだろう。時間は有効に使わねば。
制服に着替え、腰に剣を下げる。やる気に満ち溢れているからか、準備がとてもスムーズだった。
「ん……リヒト。どっか行くのか?」
「あ、グランツ。起きてたんだね」
「水飲みに来たんだ。なんだか寝付けなくてよ」
外に出ようと部屋の扉を開けると、何故かこんな時間に起きていたグランツに声をかけられた。どうやら眠れないらしい。きっと、明日から始まる学院の授業がこなせるか不安なのだろう。
「僕はこれから闘技場に行くところ。グランツも一緒に来るかい?眠れないのなら、気晴らしに魔法の訓練をするのも良いんじゃない?」
「……いいな。行く。ちょっと待っててくれ」
グランツの着替えと帯刀を待ち、一緒に寮を出て闘技場へと向かう。辿り着いたらさっそく一発、特大のをぶちかました。溜めに溜めた魔力を一気に打ち出すこの感覚、なかなか癖になるのだ。
僕の真似をして、グランツも自身の最大威力を上空へと打ち上げた。闘技場を覆う防壁に当たったそれは爆散し、大量の水を嵐の日のように盛大に降らせた。床の砂が水を吸いきれずに水たまりを作っているのを見て、僕はその威力がこれまで知っていたグランツよりもだいぶ強くなっている事に感心した。
「……いつまでも、お前に頼ってばっかじゃいられないからな。俺はもっと強くなるぜ。当面の目標はこの闘技場を水没させる事だ。見てろよ、リヒト。いつか必ずお前を超えてやる」
「やってみな。まずは水の大神の御加護をいただく所からだね」
「うっ……」
夜が開けるまで、防壁が守ってくれるのをいい事に僕達は魔法を放ち続けた。ここに来るまで少し暗かったグランツの表情も、いくらか魔力を消費した事で吹っ切れたのか、晴れやかになっていた。
……まあその後。エイムだけ誘わなかった事を二人揃って怒られ、また暗くなったのだけど。