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「じゃあ行く所も決めたことだし、まずは腹ごしらえといこうか。繁華街には美味しいお店がたくさんあるし、みんなの気に入るお味も見つかるんじゃない?」
「ごはん……楽しみ……」
「町が違えば、料理とかの文化は恐ろしいくらい様変わりするからな」
「どんな物が出てくるのか、今から楽しみだね」
6人で鐘の広場を出て、ソルナの案内で繁華街へと向かう。繁華街へは特に障害も何もなく辿り着く事ができたのだが、その間には大勢の片腕の無い男をよく見かけた。
話に聞いていた、かつての戦いで敗れて降伏した東の人間なのだろう。
興味本位で彼らの顔を覗き込んでみると、輝きを失っていない瞳が見えた。あれは明らかに負け犬のできる顔じゃない。生きる希望に満ちた、れっきとした人間の顔だ。
……戦いに敗れ、利き腕を失い、信仰したくもない神を信仰させられて。それでもまだ、東の人間としての誇りを失ってはいないのだ。あんまりこういう事は言うべきではないのだけど、見上げた根性というか、心意気だと思う。
「着いたよ。ここではお店の中に入って注文するよりも、外で注文して食べ歩きするスタイルが一般的なんだ。だからせっかくだし個別行動にして、各々興味を持ったものを買ってくるってのはどうだい?」
「良い考えだと思いますわ。では、先に食事を済ませた者からここにまた集合という事にしましょう」
「ソルナ、おすすめ教えて?」
「お、私と来る?」
「俺も行ってこようかな。さっきから旨そうな匂いばっかで腹がヤバいんだよ……」
「リヒト、行かないの?」
そんな言葉が聞こえてきて、ようやく自分が上の空になっている事に気が付いた。さっきからずっと見ていた腕無しの輝くような瞳がどうも印象に残っていたのだ。
「行くアテがないなら私が案内してやろーか?」
「うん……頼もうかな」
余計な事ばかり考えていて、どの店に入ってみるかとかを決めていなかった。仕方ないのでソルナに案内してもらう事にする。地元の人間が勧めてくれる所ならば、それ程間違いにはならないだろうし。
案内役のソルナと、それについて行く僕とモルテで街を歩く。お昼時だからか、平日だというのに繁華街は多くの人々で賑わいを見せていた。
「まずはここなんてどうだい?ラス・ラージュ沿岸で獲れた白身魚のフライ!自分好みの衣の厚さを選べる上に、注文してから揚げるから、いつでもでき立てを食べられるんだぜ!」
「食べる。……フライ、2つちょうだい」
「あいよ!衣の厚さはサイズ1、2、3の3つがあるけどどれがお好みかな?」
「だったら3つ。そのサイズをそれぞれ1つずつ揚げてちょうだい」
「かしこまりました!それじゃあ、魚が美味しく揚がるのを楽しみに待っててくれよ!」
初めて見る料理の注文を終え、ワクワクを抑えきれないと言った顔でモルテが戻ってきた。
彼女の帰還と同時に、店の方から食材が油で揚げられる心地良い音が聞こえてくる。空腹感を巧みに刺激してくる、小賢しい音だ。魚はあまり好きという訳ではないので注文はいいやと思っていたが、とたんに食べたくなってきたではないか。
どうしよう。ここはモルテに倣って、僕も白身魚のフライを買うべきか。こうして思案している間にも、口の中で唾が際限なく溢れてくる。どうやら僕の身体は、僕の想像を超えてあの白身魚のフライを欲しているらしい。
ならばもう、選択肢は一択。僕は自分の財布を手に取り、モルテと入れ違いで店に向かった。
「えーと、サイズ1を一つください」
「あいよ!それじゃあ美味しく揚がるのをしばし待っててくれよ!」
「何だ、結局買うのか。静観してるから買わずにいるのかと思ったよ」
「空腹には勝てなかったよ」
「……それなら仕方ない。人間、誰だって自分の欲望には正直なもの」
注文からしばらく経って、モルテが先に頼んでいた3つのフライが揚がった。料金を支払う前からかじりつく勢いのモルテを制止しつつ、そこまで高くもない料金を支払う。店のおじさんからお釣りを貰ったところでついぞ我慢しきれなくなり、勢いよく袋からフライを取り出して、そのまま頬張った。
「うま……」
「どーよ、想像よりも美味しいだろ?揚げたてだから尚更よ」
……しっかしモルテの奴め、本当に美味しそうに食べるな。
さっきから幾度となく、僕のお腹が空腹を訴えてきている。このまま腹を抱え、膝を着いて空腹を耐えろというのか。お願いだおじさん、早く僕が注文した分を完成させてくれ。
「はいそこのお兄ちゃん、おまたせ!サイズ1が一つだったね、揚げたてだよ!」
「やったぜ!」
「……なんかあいつ、おかしくなってない?」
「……気にしない気にしない」
「そういうもんかね」
やっとだ。ただでさえ疲れる馬車旅に加え、乗り物酔いをやらかしたロカとアルメリアの治癒で思いの外魔力を使ったせいで、今の僕は体力的にも魔力的にもかなり消耗しているのだ。だからこそ、こんな空腹にも屈したのだ。普段なら抑えられたはずなのに。
……まあ、そんな事は今はどうでもいい。今、僕がやるべき事はこのフライの実食だけ。人目なんて気にしない。大口開けて、齧り付く。
「……おいしい。空きっ腹に油分が沁みる」
「泣く程かよ……」
「……泣く程美味しい白身魚のフライ、いいキャッチコピーになると思う」
モルテの戯言は置いておいて、僕は一心不乱になってフライを完食した。衣の油分でテカテカになった唇を拭き、ゴミを捨てる。食事でこれだけいい気分になれたのは、本当に久しぶりかもしれない。初めての土地で、初めて食べる料理というのは、これほど人の心を打つものなのか。
「さあて、ここでお腹いっぱいにされちゃあ困るぜ!まだまだ回るべき所はたくさんあるんだからな!」
「……ぜーんぶ回ってやる」
「それは、ちょっと……難しいと思う」
繁華街には多くの飲食店がある。僕らの中では誰よりも大食らいなモルテでも、流石に全ての店を回り切る事は時間的にも胃袋的にも難しいだろう。
……だが、とても自信満々なところを見ると、本気で達成できるような気がしてならない。ソルナもモルテも、宣言した事はやってのけるだろうという信頼感が僕の中である。この場合、例え全ての店を回れたとして、それに僕も付いて行かなければならないというのが辛いところだ。
「ソルナ」
「分かってるよ。モルテ、流石に全部の店を回ってたら他の行く予定の所に行けなくなっちまうよ。回れるのは多くてもあと3、4店くらいだからね」
「……むぅ、残念。でも、時間の問題ならどうしようもないか」
もう少し苦戦すると思っていたが、案外すんなりと説得は成功した。故郷にいた頃の僕の知っているモルテならば、間違いなく諦めきれずに駄々をこねていたはずなのに。
故郷を離れて、モルテも遠慮するという事を覚えたのだろうか。人は成長するものだ。
そんなこんなで、僕達3人は繁華街のいろいろな所を回り、お腹を満たした。途中でアルメリアやエイムと鉢合わせて一緒に食べたりなどの事はあっても、大した問題も起こらず。存分に食事を楽しんで、無事に集合場所に戻ってきたのだった。
「はー、食った食った。魚料理が美味かった。あんなの地元じゃ絶対食えねえぜ」
「そうだね。海藻とか貝類なんかも、ここに来なければ食べる機会無かったし。私達の町は内陸だし」
「海沿いの町って事もあるだろうけど、やっぱり東の文化なのかね?」
「そうなんじゃない?東からこの町を奪取してから、まだ50年程度しか経ってないんだ。あっちの文化がまだ残ってるんだと思うよ」
みんなも思い思いに美味しいものを食べて、お腹を満たして戻ってきた。全員が集合したのでまたソルナに案内を任せ、次の目的地へと向かう。
次に行く所は、繁華街からかなり離れて山奥にある小神殿。法皇国が帝国からラス・ラージュを取り返した時に記念として建てられた所だ。数少ない東の連中に一泡吹かせられた証であるため、各地から東に恨みのある人達がそのご利益にあやかろうと祈祷に来るのだそうだ。
「そろそろ小神殿が見えてくる頃だけど……私、小神殿の中には入った事ないんだよね。そもそも、こんな近くまで来た事自体初めてだよ」
「そりゃあ珍しいな」
「祈りなら、家でもできるので十分だしね。わざわざあんな小高い山に小神殿に行くためだけに登る気概が無かったのさ」
「じゃあ、ここから先はあなたのガイドは気にしなくてもいいわね」
「おいおいおいおい、来た事無いとはいえここは私の地元だぜ?少しくらい故郷の知識を自慢したって良いじゃないかよお!」
「ダメ」
「そんなあ!!」
軽口を叩き合う2人は放っておいて、足早に小神殿を目指す。5分程歩いただろうか。目の前には小さいながらも圧倒的な存在感を放つ、純白の神殿が聳え立っていた。
「きれーな建物……うちの町の神殿とは比べ物にならないくらい整ってるわ」
「そうですわね。柱も、壁も、床も……どこも丁寧に磨き上げられて輝いていますわ」
「これならお祈りもより効果的になりそうだな」
初めて見た他所の町の神殿は、故郷の古くて汚らしさの祓い切れない神殿とは比べ物にならないくらいに上等で、そのいつまでも新築であるかの如き輝きに、思わず目を奪われていた。
綺麗な建物。この小神殿を一目見て、全員が最初に抱いた感想がそれだった。ただし、少しの例外は除いておくが。
「うーん……見てるだけじゃ面白くない……中に入ったりできないの……?」
「無理だね。普段からここには神官と巫女しか入れないように、魔法で細工がされてるんだ。無理矢理押し入ったところで、辿り着く先は神殿の中じゃなくて監獄の中だよ」
「えー……そんなのつまんない……じゃあもうここはいいよ……帰ろう……」
「いや、そんな簡単に帰ろうとしないでよ」
小神殿の美しさには特に魅力を感じなかったモルテは、不満げに頬を膨らませて帰還を提案する。流石に早過ぎると全員に言われ、却下されたが。
その後のモルテは、同じく小神殿に興味がないソルナと雑談をして時間を潰していた。
何の話をしているのかは、僕も見学の為に場を離れたから分からないけれど、とても楽しそうに笑っている。あれだけ笑えているのなら、癇癪を起こしてこの場で暴れたりするような事もないだろう。安心して2人から目を離し、見学に集中する事にした。
……今はまだ、知る由もない。だが、明日、僕はこの時2人から注意を逸らした事を、一生後悔するようになる。
「それでね……ない?」
「すご……かも……」