里帰りしているエルフ妻が産気づいたので、本日は午後休いただきます
「お! 来たな、ニンゲン! おめでとう!」
「おめでとう、良かったわね!」
「おー! ニンゲンのボウズ! よかったじゃないか!」
「おーめーでーとー!」
俺は温かい言葉に包まれながら、ボロボロの体を引きずっていた。
道行くエルフ達は、みな満面の笑顔で俺を祝福してくれる。
何故かって?
俺は、この大森林に二百年ぶりの赤子を誕生させた「英雄」だからだ。
話せば長くなるが――
要するに俺の妻はエルフで、この大森林の長老の娘で、先程、無事出産を終えたのだ。
俺は、この世界では異世界人――つまり君が住んでいる「地球」の住民だ。
救世主としてこのファンタジックな世界に召喚されたのが、かれこれ十年前。
当時十六歳だった俺は、あらゆる艱難辛苦を乗り越えて、魔王率いる暗黒帝国の野望を打ち砕いた。
そして俺は、旅の途中で出会ったエルフと結ばれた。
世界を救ったばかりの俺は、正直、引く手あまただったけど……やめよう、過去のモテ自慢なんて虚しいだけだ。
とにかくその時、俺には彼女しかいないと思った。
気高く純真で、強さと優しさに満ちたあの人しか。
戦いが終わってから十年――暗黒帝国の野望の影響で、「地球」と異世界が接続されてから十年。
色々な大人の事情で「地球」に戻された俺は、それでも彼女と添い遂げたかった。
その為に「地球」と異世界の仲立ちまで努めた。
世界統一連合の設立、世界間跳躍ゲートの設置、異世界通商条約の締結……
(つまり今、君達が普通に魔法を使って暮らしているのは、遡れば俺のおかげってことだ。少しは感謝してくれよな)
今では当たり前の仕組みを作るのは、正直死ぬほど大変だった。
魔王の野望を打ち砕くなんてチョロい、って思えるぐらいに。
それでもなんとかやってのけた。
だって、あの人と暮らしたかったんだ。
俺の念願はかなった。
世界間和平の象徴。
世界で初めての、「異世界人同士の結婚」。
そして、俺達は幸せに暮らしましたとさ。
めでたしめでたし……
とはならなかった。
魔王を倒した時と同じだ。
大切なのはその後。
だって考えてもみてくれ。
「育ってきた環境が違う」「好き嫌いはイナメナイ」とか、そういう次元じゃない。
俺と彼女は種族が違うんだ。
文化、習慣、言語、食べ物……
想像できるか?
「食べられる肉は、ミスリルの矢で射止めた大森林の生物だけ」
「湯浴みは一日三回、一度煮沸した清浄な水だけ」
「子供の本当の名前は呼んではいけない、レッドキャップに攫われる」
「虫を殺してはいけない。ただしゴキブリと暗黒殺戮大魔蟲(要するに超デカいゴキブリ)は除く」
などなどなど……
そしてもちろん寿命――というか、生物的な差。
ご存知の通り、エルフは長命だ。
千年単位で生きる。
子供も出来にくい。というか、必要ないんだろうな。
対する俺――ニンゲンは、百年も生きられない。
正直、子供は欲しかった。
笑われるかもしれないけど、俺は伝説の英雄よりも父親になってみたかった。
百億の他人より、一人の誰かを守っていきたかった。
エルフの社会では、子供はとても神聖で大切な存在だ。
親だけに帰属するものではなく、社会全体で育てるもの、という考えだ。
言いたいことは分かる。
でも俺は、プライバシーって言葉を愛する「地球」出身者だ。
俺と彼女がこの問題でどれだけ揉めたか、想像がつくだろうか。
正直に言えば、離婚って言葉も脳裏をよぎった。
そもそも、俺はどうせすぐに死ぬ。彼女達にとっては、瞬きの間ぐらいの人生だ。
俺が死んだ後も彼女は生き続ける。
もしかしたら新しい出会いだってあるかもしれない。
俺の短い人生を捧げたところで、彼女にとってどれだけの価値があるだろう?
……答えはまだ出てない。
だから、めでたしめでたしのハッピーエンドはまだ訪れてない。
でも。
それでも人生は進む。
彼女の妊娠が分かった時、俺達は泣くほど喜んだ。
出産の方法はエルフの慣習に従うことにした。
百日前から大森林の聖堂で身を清め、満月の夜に出産する。
(精霊の祝福というやつの効果で、本当に満月の前日に産気づくらしい)
「地球」の医療ではエルフの身体はまだ扱いきれない、というのが現実的な理由。
もう一つの理由は、彼女がそれを望んだから。
当たり前かもしれないけど、それを尊重しなければ、一緒には暮らしていけないと思ったから。
いよいよ予定日前日。
大人の事情で、「地球」に住む普通の社畜として暮らしていた俺は、午後休を取って異世界テレポート駅に向かった。
転移ゲートを超え、聖王国首都空港からの飛竜便で大森林東端空港に向かう――
はっきり言って、その時は思いもしなかった。
俺が乗る飛竜便がハイジャックされるなんて。
仲間の釈放を求める暗黒帝国の残党は叩きのめしたが、連中が隠し持っていた催眠魔法の杖が暴発。
なんと飛竜は高度七千メートルで睡眠状態に。
ドラゴンテイマーも客室乗務員も乗客も、全員大パニック。
龍の顎にしがみつきながら浮遊魔法で不時着をサポートした時は、流石に死ぬかと思った。
あんなに死を覚悟したのは、魔王四天王が合体して超弩級壊滅魔神と化した時以来だ。
でも愛しい娘に会うためだ。それぐらいやってのけるさ。
どうにか着陸した先は、獣人達の収穫祭で大賑わいの大草原。
足が欲しかった俺は、目玉の大幻獣狩猟大会に飛び入り参加。
最大級の天頂飽食大羊を捕らえて、賞品の俊足鳥を確保。
打ち上げには出ず、そのまま大森林へ急いだ。
とにかく満月の夜まで時間がなかった。絶対出産には立ち会いたかったんだ。
直通ルートを塞いでいたドワーフ達の要塞は、百年ぶりの火山龍の目覚め対策で大わらわ。
仕方ないので討伐を手伝った。
困った人を見過ごしてはいけないと、娘に伝えたかったから。
大森林の周縁部に潜んでいたダークエルフの集団。
騒がしいので撃退。
出産のジャマをするな!
血の匂いで目覚めた人喰い大樹。
伐採。
俺の娘に触れるな!
まあ、他にも、親とはぐれた子供やら道に迷ったお婆さんやら君主を失った亡国の内乱やら、色々なトラブルを乗り越えて――
満身創痍で疲労困憊の俺は、大森林の最奥にある聖堂へと辿り着いたのだった。
産婆や医療魔法士、神官やら給仕やら何やら、たくさんのスタッフを押しのけて。
(そんな怪我で、途中で止められなかったか、って? 唾つけときゃ治るよ!)
ついに俺は対面した。
「……おめでとう、ミキヒトさん。見てください、かわいい子ですよ」
長い陣痛に耐え抜いた彼女の顔は青ざめ、薔薇色だった頬は汗で汚れていた。
満身創痍、疲労困憊――そんな言葉では足りないぐらい。
それでも。
赤子を抱く彼女は、いつも以上に美しく見えた。
――俺は歴史上、数多の聖母像が作られた理由を、ようやく理解した。
つまり戦場を生き抜いた勇者が讃えられるのと同じ理由だ。
果てしない困難と苦痛を乗り越えた者への称賛。
何を言えばいいかわからない。
何を言っても伝わらない気がする――この、大きすぎる感謝と祝福を込めて。
「君こそ――君こそ。おめでとう、ミリアーシュ」
俺達は見つめ合って、少しだけ笑った。
「ありがとう、ミリアーシュ。全部、全部、君のおかげだ」
「いいえ、ミキヒトさん。あなたのおかげですよ。全部、あなたがいてくれたから」
それから、ぎゅっと抱き合った。
俺と、ミリアーシュと、生まれたばかりの小さな赤子と。
三人で強く抱き合った。