VS国
『世界を救った勇者、結婚式を目前にして故郷の恋人と心中』
竜の月七日、サランバルト国の中心。世界中の要人を集めたセレンティーヌ教会は、日頃の荘厳な雰囲気の見る影もなく、蜂の巣をつついたような大騒ぎになっていた。
『サランバルトが国を挙げて準備を進めていた勇者カイトの結婚式。歴史に残る大きな催しになると誰もが疑いもしなかった、が。まさかこのような形で歴史に残ることになるなど、誰が予想できようか』
席順もタイムスケジュールも既に意味を成さず、教会内はなんとか自国の者と連絡を取ろうとする各国要人達、慌てふためくサランバルト国要人達の通信魔法が飛び交っていた。
『今までサランバルトの各紙が報じてきた勇者カイトとその同行者達のラブロマンス――それらは全て、サランバルト国が、リーザベルト侯爵家が、ルーン公爵家が、勇者を取り込みたいがために各新聞社に圧力をかけて書かせた虚構記事だったのだ』
皆の手に握られてるのは、いくつかの写真と沢山の文字でびっしりと埋まってる紙の束――新聞。
『勇者の力は強大だ。その身に宿す力だけでなく、世界を救ったという最大の功績。その勇者がサランバルトに属するというだけで、サランバルトは周辺国家、いや、世界各国に大きな影響力を持つことになる。
実際に勇者が順調に魔王の手下達を討伐していくに比例して、サランバルトは自国に有利な貿易条約を次々と締結していった。
どの国も、サランバルトを怒らせることで、勇者の恩恵を受けられなくなることを恐れたからだ』
薄っすらと緑色の紙と青みがかった黒のインクのそれは、海を挟んでサランバルト国と向かい合う、とある国の新聞の特徴だ。
一年半前に勇者が海岸を占拠していた魔クジラの群れを討伐し、その後すぐに再開した貿易で、サランバルト側に圧倒的に有利な条約を締結させられた国。
『しかし、その威光も勇者あればこそ。もし万が一にも勇者が他国の者と結婚し、移住したら?子供が産まれたら?次はその国がいとも簡単に今のサランバルトの力を手に入れるだろう。サランバルトはそれを恐れた』
結婚式の開始予定時間になっても勇者が現れず、出席者達がざわめき始めた頃。教会の窓という窓からこの新聞が投げ込まれた。教会には厳重な警備が敷かれていたはずだが、何故かいとも簡単に破られたのだ。犯人は分からず仕舞いである。
ただ、今この瞬間は犯人が誰かを気にする者は一人もいなかった。
『そこでサランバルト王は、建国当初からの貴族である武のリーザベルト侯爵家、叡智のルーン公爵家と密約を結んだ。
勇者カイトを、王家と合わせた三家の娘と婚姻させ、何重もの鎖で国に縛りつけようという密約を。勇者の同行者に年若く見目麗しい子女ばかりが選ばれたのはこれが真相だ。
勿論勇者の足手まといにならない実力があることが第一条件であり、この密約がなくとも武と叡智の二家から選ばれることは変わらなかっただろう。しかしこれがなければ、リーザベルト侯爵家からは次男が、ルーン公爵家からは長男が同行者に選ばれていたはずだ。どちらも旅の直前においては、各々の姉、妹よりも実力は上だったのだから』
「そ、んな……馬鹿な……」
大胆に肩を出し胸を強調した、自身の髪と同じ真っ赤なドレス。胸元と腰に縫い付けられた金の薔薇飾りは、その一つ一つが熟練の職人の手により作られたもの。
今日という記念すべき日のために、一番美しい自分を見せるために用意した、リーザベルト家渾身のドレス。その最上級のドレスに身を包み、クロエ・リーザベルトは呆然と呟いた。その目は薄緑色の新聞の、あるページに釘付けになっている。
『旅の過程で勇者が自然に同行者達と恋に落ちてくれれば、最も簡単に事は進んだだろう。しかしそれは叶わなかった。何故なら勇者には、故郷の村に既に心を決めた恋人がいたのだ。
王家、各貴族から選び抜かれた美貌にも揺るがない程に、固く将来を誓い合った恋人が』
クロエの脳内に、カイトに庇われていた少女の姿が思い浮かんだ。金髪に明るい緑色の目。確かに田舎の平民にしては見目の良い少女であった。ただしそれだけだ。あくまで田舎の平民にしてはであって、都会の貴族である自分には遠く及ばないと……思っていた。
新聞を持つ手がわなわなと震える。こんなの嘘だと叫び出しそうになる。しかし現にカイトは来ないではないか。この待ちに待った結婚式の日に。それが何よりの証拠では。
「まさか……カイトは、本当に……あの女を選んだというのか……」
カイトは自分達を愛している。その大前提が崩れていく。全ての思い込みを取り去って、村での出来事を反芻すると……残ったのは、真に愛し合う二人に横槍を入れる自分という、惨めな現実だった。
「嘘よ……嘘よ……!」
ツインテールに散りばめられた、白ピンク黄色の小さな花達。リボンとフリルをふんだんにあしらったピンクのドレス。胸元には愛しい人の目と同じ、真っ赤なルビーのハート型ブローチ。
ルナリア自身の魅力を最大限に引き出すために練りに練ったデザインを、その通り形にした最高のドレス。そんなドレスを見て「可愛いね」と笑ってくれるはずだった人は、ここにはいない。
「だってルナの方が!ルナの方が!」
リボンとレースのドレスグローブをはめた小さな両手で新聞を握り締め、ある一節を読んだルナリア・ルーンは憤怒の形相で地団駄を踏んだ。
『勇者カイトにとって、月の女神に例えられたサランバルト国第三王女も、美と闘いの頂点の称号である剣姫と呼ばれたリーザベルト侯爵家の長女も、花の妖精と名高いルーン公爵家の次女も、その故郷の恋人には及ばなかったようだ』
「ルナの方が、ずっとずっと可愛いのに!」
容姿。家柄。能力。そして若さ。そのどれも己の圧勝だったはずだ。
今は若過ぎる故女としてのステージに立てないだけで、後数年もすれば立場は逆転する。セレーネもクロエもせいぜい束の間の正妻を享受していればいい、己が女として一番輝かしい時期を迎えれば、年増の二人を押し退けて己が真の正妻に。表では健気に最下位を受け入れる姿を演じながら、裏ではそう考えていた。
そんな中現れた第四の女。何の力も持たない田舎娘。健気さをアピールするためとはいえ、そんな女の下でいいと口にするのは腹わたが煮えくりかえる思いだった。
せいぜい今はカイトの隣でいい気に笑ってろ、勝負は5年後、その時泣きを見るのはコイツだ――とほくそ笑んだのは記憶に新しい。
しかし、しかし、この記事が本当なら、5年後も何も勝負はとっくについていたのだ。泣きを見てるのも他でもない自分だ。
「いやぁあああああ!」
今更ながら、カイトがあの少女を見る目に灯った情熱、必死に愛を叫ぶ姿を思い出す。こんな女に負けるはずないと曇りに曇ったフィルターを取り除けば、簡単に見えてくる真実。まるでカイトが魔法の仕組みについて解き明かしてくれたあの日のように。
ルナリアは髪を振り乱し、大理石の床に崩れ落ちた。
「………………」
まさに阿鼻叫喚の教会の中で。一人、セレーネ・セレンティーヌ・ノア・サランバルトは静かに佇んでいた。正妻のみが着用を許される真っ白なウェディングドレスを堂々と着こなし、国宝のサファイアを嵌め込んだ銀のティアラをその銀髪に乗せて。首飾りに使われているタンザナイトも、ドレスグローブの留め具としてさりげなくあしらわれた蒼真珠も、アンクレットにしたブルーダイヤモンドも、その一粒で貴族の屋敷が建てられる程の逸品。
世界の歴史に残る、そして何より愛する人との結婚式である。第二夫人や第三夫人も存分に着飾れるように、正妻としてしっかりと最大級の努力をしたのだ。
「………………」
皆が手にしている新聞は、読み終わった。しかしセレーネに動揺は無い。件の記事が嘘であると確信し、それを証明する術を考え、既に実行しているところだったからだ。
勇者の正妻として、この程度の悪意に騙されるわけにはいかない。あとほんの数秒もすればカイトがどこにいるかもわかり、この記事こそが虚構であると言えると。
『そして帰還後完全に外堀を埋められ、愛する恋人以外との結婚を強要された勇者カイトとその恋人は――最後まで愛を貫き、心中を選んだのだ』
あと数分も、すれば。
『勇者カイトとその恋人の亡骸は、我が国の離れ小島の海岸で傷一つなく綺麗なまま発見された。勇者は拳大の魔石を一つを所持しており、鑑定の結果それは四天王の一人の魔石だと判明した。よってその亡骸が四天王を倒した勇者のものであることに間違いは無い。この記事は、二人の持っていた遺書を元に調査を実施し、結果をまとめたものである』
あと、数十分も、すれば。
「セレーネよ」
「っ!お父様!」
みるみる青ざめながら必死で魔法を行使するセレーネの肩に、ポン、と節くれ立つ大きな手が置かれた。
「もう良い。もう無駄だ」
「で、ですが!このままでは皆様が誤解して!」
「誤解ではない。お前ももうわかっておるだろう」
「そんな……っでも、まだ、タイミングが合わない、だけで……っ」
セレーネが行使していたのは、通信魔法であった。カイトはサランバルトを妬む他国の卑劣な妨害にあって遅れているだけで、今もここに向かっているはず。ならば今通信魔法を使えば、簡単に繋がるはず。
そうすればカイトは既にコレットと心中したのだとのたまう記事が嘘っぱちであると、証明できる。
「……もう三日も前から、通信魔法を行使しているのだ。国の中枢からな」
「え?」
セレーネの肩に手を置き、力無く首を振る国王。ここ数日ですっかり老け込んでしまった。
「勇者が王都に帰るとされた日に、一向に帰ってこないと聞いてな。万が一を考えて、通信魔法機を動かしたのだ……一度も、繋がらんかった」
「そ、そんな!」
受信者が少しでも行使者のことを考えていないと繋がらない、通信魔法。逆に言えば少しでも考えれば、否が応でも繋がる。
王が使用したのは、本来国の要人が他国に人質に取られた時のために使う通信魔法機であった。膨大な魔力を要し、普段はおいそれとは使えないもの。
この奥の手があるからこそ、サランバルトの王は勇者が結婚式ギリギリまで王都を離れることを見逃したのである。居場所が分かれば転移魔法陣でいつでも連れ戻せると高を括って。むしろ色々な根回しのためにも、勇者の目が届かない方が好都合だと思って。
「では……カイトは……本当に……」
真っ青になって呟く王女に、顔を歪ませる王。それもそのはず。
国所有のその通信魔法機は、行使者を国全体とする。つまり受信者がその国に関わる何かを考えさえすれば繋がるのだ。生きていれば繋がらないわけがない。
「カイト……カイトぉおおおお!」
残酷な現実が受け止めきれず、セレーネはその場に泣き崩れた。
二年の旅の中で、世界は自分達とカイトしかいなかった。故に、カイトがその世界の外の女の手を取ることなど想像してもいなかった。その強さ、その優しさ、その聡明さ、全てが好きだった。こんなに好きなのだから、カイトも同じだろうと、純粋に思い込んでいた。
カイトの些細な言葉、行動を全て自分の都合の良いように解釈して。結婚式の三日前になってもカイトが現れなくたって、自分達へのプレゼントを選んで遅くなってるのかと都合良く解釈し、抜け駆け防止のため通信魔法の不使用を皆で取り決めたくらいだ。
「う、うう、ううぅああああっ!」
カイトの村でコレットと対面した時だって、何を言われても都合良く解釈できた。しかし、しかし。
自分との結婚を苦に、自分以外の女と心中。
カイトの愛する人はあの少女ただ一人だと、これ以上に残酷に証明するものがあるだろうか。どんな都合の良い解釈だって浮かばない。
『これは勇者の恋人の遺書にて判明したことだが。サランバルトは、勇者が故郷に恋人がいることを突き止め、度々その村に使者を送り勇者から手を引けと勇者の恋人を脅していたらしい。
サランバルトは勇者の移住を恐れ過ぎていたのだ。辺境の田舎の平民と結婚してしまっては、勇者が絶対に国を動かない保証が無いからと。国の王女、貴族の子女と結婚させ、王都に家を構えさるという何重もの鎖を求めた。
魔王は倒され魔物の凶暴化はなりを潜めたとはいえ、魔物がこの世から消えることはない。魔王復活前に戻るだけだ。勇者の力は何よりも得難い。
その勇者を繋ぎ止めるために用意した鎖で、その鎖を苦にした勇者を永遠に失うことになろうとは――サランバルト国は、なんと愚かなことをしたものである』
「カイ、ト……」
「カイト、カイトぉお!」
「う、うう、カイト……っ」
どうして。どうして。好きなのに、こんなに好きなのに。ただ好きだっただけなのに。どうしてこんなことになってしまったのだろう。
愛する人を永遠に失い、愛されていたという思い出さえ虚構となり、突きつけられた真実は、己が内心で見下していたあの田舎の少女こそが真に愛されていたという事実。
悲しさ、悔しさ、惨めさ、絶望が溢れ出す中で。少女達はただただ泣き続けることしかできなかった。
◆◆◆◇◆◆◆◇◆◆◆◇◆◆◆
「ただいま!コレット!」
「おかえりなさい、あなた」
ドアを開けるや否や抱きついてくる、ありふれた明るい茶髪に珍しい紫の目を持つ夫を受け止め、コレットは優しく微笑んだ。
「今日はキングキャトルを倒したんだ、ほら、これ」
「わあ!一番いいところのお肉じゃない。いいの、こんなに」
「へへ、僕が一番の功労者だからね~」
玄関のドアが閉まると同時に、塊肉を片手に胸を張る男の髪と目の色が変わっていく。
紫の目から青が抜け、血のように赤い目に。ありふれた明るい茶髪に目から抜けた青が入り、夜の闇のような黒に。
死んだ勇者、カイトそのものの姿に戻っていく。
「……うん、やっぱりカイトは、その色が一番格好いいわ」
「そ、そう?格好いい?僕格好いい?」
「色だけね」
「コレットぉ~!」
「ふふ、冗談よ」
今カイトとコレットがいる場所。そこはサランバルトではなかった。サランバルトから遠く離れ、断崖絶壁に囲まれた国。他国との接触を殆ど絶ち、鎖国という政策を取っている海の果ての国である。
「今日はお隣のジーノさんから貰ったブドウがあるのよ。デザートに食べましょう」
「わーい!」
そんな国に何故他国民であるカイトとコレットが入り込めたかと言うと。魔王討伐の旅時代にこの国を襲う大王イカをカイトが倒し、永久パスを手に入れたからである。おかげで入国審査は難なく通り、その妻であるコレットもごく簡単な審査のみで通過できた。
そしてサランバルトとの国交がないこの国が、わざわざサランバルトに勇者生存の報告をすることは無い。
まあ人の口に戸は立てられないので、一応家の外ではカイトも変装しているが。
「それにしても……もう半年も経つのね、この国に移住してから。お父さんはどうしてるかしら」
「!」
塊肉を受け取ってキッチンへ向かいながら、ポツリと懐かしそうに呟いたコレットに、カイトの肩がビクリと跳ねる。
「コレット……」
サランバルトに勇者カイトを諦めてもらうには、死ぬしかない。そう判断したカイトは、四天王のうちゴーレム使いであったものの魔石を使い、自身とコレットの精巧なゴーレムを作り上げた。それに遺書を持たせ、風魔法で隣国の海岸まで運んだのである。
「……やっぱり、帰りたい?」
そして間違いなく勇者が死んだことを周知させるため、隣国の新聞社と秘密裏に打ち合わせをし、四天王の魔石の賄賂を贈ってあの新聞を書かせたのである。わざわざ隣国にしたのは、サランバルトに不満を持つ国の方が遠慮なく書いてくれそうだったためだ。
渡した魔石はステルス能力を持つ四天王のものだったので、サランバルトでの新聞拡散にさぞ役に立ったことだろう。これがあればどんなに厳重な警備だって潜り抜けられる。
「違うわよ。ただ、会わせてあげたいなあとは思ってね」
「え?」
誰を、誰に、と聞こうとしたカイトが、お腹をさするコレットを見て硬直した。
「え、あ、も、もしかして」
「……そうよ、私達の赤ちゃん」
「うわあああコレット!コレット!愛してる!!」
キッチンに立つコレットに駆け寄り、カイトは勢いよくその手を取った。
「待っててくれコレット、必ず、必ずお義父さんにも報告できるようにするから……!」
「そんなに焦らないでいいわよ。もう少し待てばいいだけの話だしね」
サランバルト国が未だに発してるという、国の通信魔法機からの通信魔法。さすがに毎日じゃあないが、一縷の望みにかけて今でも度々勇者宛てに動かしているらしい。と、この国に僅かに訪れる他国の者達からの噂で聞いた。
というわけで、カイトはおいそれとその魔法が届く範囲に近づけないのである。カイトがいなければこの国を出入りできないコレットも同じく。今は通信魔法遮断方法を目下捜索中だ。
「でもやっぱり、僕のせいだから……」
「帰れなくてもいいって、選んだのは私よ。私の選択に文句があるの?」
「え、あ、ありません!」
「よろしい。けどそうね、そんなに気にするなら……」
カイトの腕の中で、コレットが悪戯っぽく微笑む。
「世界一のベビーベッドでも作ってもらいましょうか。次の休みにね」
「勿論!喜んで!」
愛する二人はいつまでも幸せに暮らしました
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