VS賢者ルナリア
「ありがとうおじさん、帰りもよろしくね」
「おう!明日のこの時間に発つからな、忘れるなよ嬢ちゃん」
「はーい!」
月に二回の運行の、王都からトルカ村を繋ぐ駅馬車。
その馬車が村の入り口に止まるや否や、中からぴょんっとピンクブロンドのツインテールが飛び降りた。
大きなアメジスト色の目に、胸元に同じ色の大きなリボン。ふわっと広がる白フリル付きの濃いピンクのドレスローブ。小さな背中には大きな魔道書を背負い、タンッと赤い靴を揃えて着地したその姿は、まるで花の妖精のように愛らしい。幼女と少女の間を彷徨う、可愛らしい女の子。
「スカートしわ無し、リボン曲がってない、靴汚れてない、うん、大丈夫!」
くるりと回ってスカートを広げ、きゅきゅっとリボンを引っ張り、トントンと靴を交互に石畳の上で叩き、にぱっと笑う。
「カイトー!会いに来たよ!カイトの新しいお嫁さん、ルナにも紹介してほしいな!」
村中の少年達の視線を釘付けにして。ピョコンピョコンと高い位置に結んだ二つの尻尾を揺らしながら、野花の咲く道を駆け抜けるビスクドールのような少女。
「そこで止まれルナリア」
「え?」
そんな、誰もが心を癒される、愛らしい女の子を前にして。
「紹介しよう、僕の幼馴染で婚約者のコレットだ。……ルナリア、まさか君も、自分は第三夫人で彼女のことを第四夫人と言うか?」
野花も枯れ落ちるくらいに冷たい声で、カイトが立ちはだかった。
「ど、どうしたのカイト?何言って……そんな、ルナが第三夫人でこの人が第四夫人って、どうして?そんなわけないよ!」
「ルナリア……!」
途端にわけがわからないといったふうにオロオロと両手で口元を覆い、首を振るルナリアに、カイトは感極まって相好を崩した。
「ごめんルナリア、君は違ったんだね。先に来たセレーネとクロエ……さんがそんなことを言うから、てっきり君もかと……!」
神はいた。やっと話の通じる人がいた。
「疑ってしまって、本当にごめん」
「ううん、いいよ。もう、ルナをセレーネ達と一緒にしないでよ」
「うん、うん、そうだよね」
冷静に考えれば、つい最近十二歳になったばかりの少女に。出会った頃なんてまだ十歳だった、ほんの子供に。自分との結婚を企んでるんじゃないだろうなと疑うなんて、とても恥ずかしいことであった。
「ルナはちゃんとわかってるよ。この人を差し置いて、ルナみたいな子供が三番目でいられるはずないもん!第四夫人になるのは、ルナの方だよね」
訂正。やっぱり神なんていなかった。
「ルナリア・ルーンです。一応ルーン公爵家の次女だけど、皆よりずぅっと年下だし敬ったりとかしなくていいからね?同じカイトの妻として気軽に仲良くしてほしいな」
「コレット・トルカよ。じゃあルナリアちゃんでいい?カイトの妻同士仲良くしましょう」
「いないから!同じ妻なんていないから!コレットだけ!コレットだけだってぇええ!」
ニコニコと握手をする聞く耳持たないコレット、希望の星から絶望の象徴に成り果てたルナリア。笑顔の二人の横で、カイトは四つん這いでうずくまりダンダンと地面を殴りつけていた。
「ルナだってカイトの妻として頑張るよ!も、もっと大きくなればルナだって……!」
「そういう問題じゃない!僕はコレットしか愛してない、ルナリアのことはいい仲間だと思ってたけど恋とか愛とかじゃないんだ!」
「こら、なんてこと言うのカイト!」
いい仲間だった。いい仲間であった。数々の攻撃魔法を操り魔物を一掃し、支援魔法でサポートもしてくれるルナリアは、カイトにとっていい仲間 だ っ た。過去形。今やもう戻れない過ぎ去りし過去。
「だいたい僕は!ルナリアと結婚の約束なんてしてない!」
「そんな、カイト、ルナと一緒に毎朝魔法の練習してくれるって言ったじゃん……!」
「くっそぉおおお、アレかああああ!」
旅に出てしばらく経った頃。ルナリアが毎朝早く起きて魔法の練習をしていることに気づいた。
幼くして賢者の称号を持つ子でも子供は子供。一人では危ないと思い、カイトも付き合うことにした。基本に忠実な賢者としてのルナリアの魔法と、師もいなくずっと我流であったカイトの魔法は全く違い、お互い得るものは多かった。爆破魔法の威力が足りないこと悩むルナリアに、爆発の仕組みを説明し、ただ広がるだけじゃなく押し込めたものが噴き出るイメージをすればいいとアドバイスしたところ、とても感動された。
ある日もじもじと頰を染めたルナリアに『これから先も、毎朝ルナと魔法の練習してくれる?』と改めて言われ、当然旅の間のことだと思い、気軽に了承したのだが。
まさか王都で流行りの『毎朝私の作ったヴィシソワーズを飲んでくれる?』系プロポーズの亜種だったとは。
「むぅ、クロエから通信魔法で聞いたけど、カイトが私達との結婚の約束を無かったことにしようとしてるって本当だったんだね。ひどいよカイト、ルナがまだ子供だからって!」
「ちっがああああう!子供だからじゃない!子供だろうが大人だろうが僕にはコレットだけなの!子供の頃からずっとコレットしか見えないんだって!」
「こら、カイト!こんな小さい子相手に怒鳴っちゃ駄目じゃない」
「ふぐぅ……っ」
味方がいない。何故だ。何も難しいことは言っていない。愛してるのは一人だけ、それがそんなに理解できないことであろうか?むしろ世間一般常識ではないか?何故こんなに四面楚歌になる?
「いいよ。ルナはわかってるよ、カイト。コレットさんが一番だってこと」
「えっ?」
不意に、拗ねたように手を後ろで組み、ルナリアが口を尖らせて言った。
「ルナリア……?わかってくれるのか?」
全ての希望を絶たれてお先真っ暗のカイトに、もう何度目かもわからない一筋の光が届く。
「だってコレットさんの方が、ルナよりずっとずっと可愛いもん」
「あ、うんそうだけど僕はコレットが可愛いからだけでなくその気の強いところや面倒見がいいところやとにかく全部含めて好きなんであって決して可愛いからだけでは……そりゃあコレットが世界一可愛いのは事実だけど!」
「は?」
「え?」
わかってくれたのか、と地面にうずくまってたカイトが目を輝かせて顔を上げた。が、見上げたルナリアの顔は困惑に染まっていて。
「ルナリア?」
「え、あ、う、うんカイトはコレットさんを正妻にしたいんだもんねっ、コレットさん綺麗だもんね、子供のルナじゃ敵わないよ」
「うんまあ誰も敵わないけど」
「だからルナはそれでもいいよ。正妻はルナ達の中から選ぶって約束だったけど……ルナはカイトのお嫁さんになれるなら、誰が正妻でもいいの」
慌てたようにパタパタと両手を振るルナリアに、カイトはやっぱりわかってくれてなかったかと肩を落とす。期待するだけ無駄であった。
「だから、さ。ルナ達とは結婚しないとか、無理して言わなくていいよ。そんなこと言わなくたって、セレーネもクロエもわかってくれるよ。正妻がルナ達の中の誰かじゃなくてもいいって……そりゃ、ちょっと妬いちゃうけど」
つま先を地面につけて回し、両手を後ろに組んで、上目遣いに言うルナリア。クロエのドヤ顔とはまた違った腹立たしさを感じる。健気感いっぱいなのが逆にウザい。いやほんとウザい。
「カイトがみんなのこと大好きなの、ルナわかってるよ。正妻が誰かなんて関係ないの。だって、ルナもカイトが大好きだもん!」
相手は子供相手は子供相手は子供と呪文のように繰り返し、聖剣に伸びそうな手を必死で抑えるカイト。耐えろ右手、押さえろ左手、相手は子供相手は子供相手は子供と延々ループを。
「ルナリアちゃん、いいのよ。私は正妻になろうなんて思ってないわ」
「コレットさん……うそ、本当に?」
「ゴレッドぉおおおゔぅあああ」
こんなにも頑張ってるのに最愛の人にすらわかってもらえず、涙が止まらない。
「あ、そうだカイト。ルナ、カイトに渡すものがあるの。はいこれ」
「んあ?」
そんな中おもむろに目の前に差し出された一枚の紙。これで涙を拭けと?
「転移魔法陣だよ」
違った。
「二年ぶりの故郷だし、村の皆と積もる話もあるでしょ?ルナ達は結婚式の準備のためにすぐに帰るから、カイトは村でゆっくりして、これ使って帰ってきてね」
「……結婚式?」
誰と誰の、と往生際悪く口をついて出た問いは、「いいお式にしようね、カイト!」というルナリアの無邪気な言葉に掻き消された。
「ただ、私達とカイトの式って決まっちゃってるから、コレットさんは出れないけど……ごめんね?」
申し訳なさそうに、すまなそうに、しかしどこか勝ち誇ったような響きを含んで。ルナリアが可愛らしく小首を傾げて言った。
その、明らかにコレットへと向けられた侮蔑の響き。
カイトの中で、まだ辛うじて元仲間だったルナリアが、敵へと堕ちた瞬間だった。
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「それではカイト、また王都で。遅れないようにしてくださいね?コレットさんは、私が教えたことを全て暗唱出来るようにしておくこと。式が終わったらテストしますからね」
「ふん、世話になったな。自ら正妻の座を退いたのは褒めてやろう。だが私達がいなくなったからってカイトに妙なことをするんじゃないぞ。カイトもだ、私達の目がないからって羽目を外すなよ」
「コレットさんばいばい!カイト、式の三日前には帰ってきてね!ルナ達のドレス姿楽しみにしてて?それじゃ、またねー!」
翌日。ルナリアが乗ってきた馬車に乗り、セレーネ達は王都へ戻って行った。口々に勝手なことを言い、笑顔で手を振るコレットと能面のようなカイトに見送られて。
カイトとて諦めたわけではない。昨日から夜明けまでかけて全て誤解であること、己はコレットとしか結婚する気はないことは散々、再三、何度も手を替え品を替え説明した。
しかし三人揃った彼女達は無敵だった。カイトのどんな主張もどんな説明も『久しぶりに会った幼馴染に情が湧いただけの気の迷い』又は『照れ隠し』はたまた『マリッジブルー』などとことごとく変換されてしまったのだ。
最早、カイトに打つ手はなかった。
「さあ、遅くなったけど村の皆にも挨拶して回りましょう。ずっとセレーネ様達といたから、皆カイトに話しかけたくても話しかけられなかったみたいだし」
馬車が見えなくなったあたりで、コレットが静かに手を降ろす。
「ルナリアちゃんの言う通り、積もる話もあるでしょ?まずは誰の家に行きたい?」
笑顔。また笑顔である。セレーネの一件があってから、コレットはずっと笑顔だ。まるで貼りついたように。
「コレットの家」
「私とはもう散々話したじゃない」
迷わず答えたカイトに苦笑するコレットを遮り、カイトが畳み掛ける。
「いいや、話してない。十日もあったのに、コレットとちゃんと、全然話してない」
思えばコレットの本音らしきものを聞けたのは、村に帰って真っ先にプロポーズしたその時くらいだ。
「僕は、コレットと話したい」
セレーネが来て、クロエが来て、ルナリアが来て。どんどんコレットの本音が見えなくなった。
「でも、村の皆も」
「コレットと話したら皆にも会うよ」
「私は後でいいわ。そうだ、明日にはお父さんも周辺の村の視察から帰ってくるし、その時に三人で」
「今すぐ二人で話したい。駄目?」
「……」
カイトがこうなったら梃子でも動かないと悟ったのだろう、コレットが黙り込む。
「……わかったわ」
数十秒後。また笑って誤魔化そうとしたコレットが、カイトと目が合った途端浮かべかけた笑みを消し、根負けしたように頷いた。
もう何度も訪れた部屋に再び足を踏み入れて、ガランとした光景を見渡す。記憶にあるよりずっと殺風景になった、コレットの部屋。クローゼットと化粧台、ベッドと小さなテーブルだけの簡素な部屋。
そう、記憶にある部屋の光景と比べて、いろんな物が無くなっている。
「ねぇ」
「なあに?」
「クローゼットに入りきらない服をかけてた衣装掛けは?十三歳の誕生日に村長に買って貰った天使の彫刻の姿見は?飾り棚と花瓶は?ベッドサイドのテーブルと、その上にあった瑪瑙が嵌め込まれたコレットお気に入りのオルゴールは?どこ?」
最初に部屋に入った時は、舞い上がっていて気づかなかった。その後も次々と問題が起こり、そちらにかかりきりになっていた。しかし。
改めて見返せば、どう考えても不自然である。
「コレット……帰ってきてから僕、コレットの服、今着てるその服しか見てない」
独り言のように呟くや否や。カイトは弾かれたようにクローゼットへ駆け寄った。
「ま、待って!」
コレットの制止も聞かずクローゼットの扉を開け放つ。その瞬間中に無理矢理詰め込まれていたものが、支えを失い雪崩を起こしてカイトに降り注いだ。
『勇者カイト、聖女セレーネと暗闇の中手を取り合い愛の告白!聖女セレーネの答えは!?』
『賢者と勇者の早朝デート密着!二人仲良く新魔法開発、お似合いの二人』
『勇者一行、夫婦星の下で結婚の誓いを立てる。魔王を倒したその時は』
吐き気を催すような見出しがデカデカと載った、大量の新聞。全て王都で発行される、都民や貴族向けの、こんな田舎の村民にとっては贅沢品扱いの、情報の塊。
「なんだよ、これ……」
最低限の衣服だけ隅に詰められて、あとは全て新聞、新聞、新聞の山。
「こんな……こんなものを買うために……家具も、服も、オルゴールも売ったのか……」
「……仕方ないじゃない」
呆然と立ち尽くすカイトに、コレットが泣きそうな顔で答える。
「あなたが無事だってわかるものが、それしかなかったのよ……」
「王都で発行される新聞よ。貴族だって読むのよ。普通だったら王女様や貴族のご令嬢の色事なんて、いくら大手の新聞社でもおいそれと書けないわ」
積み上げてクッション代わりにした新聞に座って。ポニーテールの髪を指先で弄びながらコレットが語る。
「普通だったら、ね。王家の方から推奨してたなら別よ。むしろ書かないわけにはいかないでしょうね、どの新聞社も」
どうしてそんなことをと訊こうとして、愚問であることに気づきカイトが押し黙る。旅の途中、権力者達から差し向けられたハニートラップは計り知れない。
「……そんなに手元に置きたいものなのか。勇者の力って」
「そうね。他の人の手に渡るくらいなら、殺してしまおうと思うくらいには、かな」
「なっ……!」
馬鹿だった。本当に馬鹿だった。どうしてわかってくれないのだとコレットを責めながら、わかってないのはカイトの方だった。
コレットは全てわかっていたのだ。王の手中に収まらなかった場合の勇者の、カイトの末路を。
「本命はセレーネ様で……リーザベルト侯爵家とルーン公爵家は王家に忠実な建国からのお家だから、保険のつもりなんでしょうね。片田舎の村長の娘じゃあ話にならないのもわかるわ」
「でも!それでも、それでも僕はコレットしか、コレットだけが!」
「もう。我儘言わないの、カイト。王様に楯突いて、この国で生きていけるわけないじゃない」
物分かりの悪い子供のように駄々をこねるカイトを、コレットが優しく抱き寄せる。しかしその手だって震えて、その声も涙に濡れていた。
「コレット」
カイトが薄暗い決意を秘めて顔を上げる。
王様は。勇者の力が敵の手に、反乱分子の手に、他国の手に渡るのがよっぽど怖いらしい。それなら。
「誰の手も届かないところに行こう」
「カイ、ト?」
愛する人以外の手を取らねば生きていけないというのなら。
「ずっと、ずっと遠いところに行こう。誰も追いかけて来れない、もう二度と帰れないくらいに遠いところ……それでもいい?一緒に来てくれる?」
コレットが目を見開き、数回瞬きをした。そんな僅かな時間が永遠のように長く感じる。
「……いいわよ。私に怖いものなんてないわ」
そして。カイトが伸ばした手を取って、コレットが微笑んだ。
やっと見れた、愛しい人の昔と変わらない笑顔だった。
次回、VS国