第18話・小手調べ
高い身体能力を持つ者は飛び降りて、自信のない者は縄伝いに、それぞれのやり方で水底の主の空間へと入ってくる。
幾人かの弓手は穴には入らずに待機していた。高みから狙える有利を捨てるつもりはないようだが、穴の中よりも逃げ場が無いために、これはこれで勇気の見せ所であった。その中には弓手隊の長を務めるセイラもいた。
セイラは上から見ているために水底の主の巨大さがよく分かった。あれに正面から戦おうなどと自殺行為にしか思えないのだが……カレルやイサ達にとってはそれこそが本懐なのだろう。もっとも、イサはミロンへの復讐を重視しているようだったが最終的には大蛇との戦いをも狙っているのは分かりきっている。
「イサさん、レイシーさん……カレルさん。どうか無事で……」
セイラは手を合わさずに祈る。しかし敵はむしろ祈りを聞き届ける対象なのだ。誰に願えば良いのか……分からないがやるしかない。そう決心してセイラは弓を引き絞る。
大蛇の鱗は金属に似ている。遺物でもない弓矢の攻撃など容易に弾きそうだが、注意を逸らすことだけでもできれば役に立てる。相手の目を射抜くことでもできれば万々歳だ。
「ここからあの小さな的を狙うのは無理だろうけど! ……弓手隊は戦況をよく見て、ミロンを狙うか蛇を狙うかは各自に任せます。味方だけは撃たないように……おねがいします!」
やることはいつもの通り、セイラは己の鉄則を思い浮かべる。「邪魔にならないようにしつつ、小さな助けとなる」。それが彼女のやること。これはイサ一党からカレル隊へと籍が移っても変わらないことだ。そう、自分は荷物持ちなのだ。仲間が背負う荷をほんの少しだけ軽くする。
そう考えてセイラはいつものように大蛇の目を狙って弓を引く。心は不思議と落ち着いたままだ。相手は強大で、しかも片方は人だというのに……自分に人が撃てるのかと問われれば今なら撃てると答えられるだろう。セイラは奇妙な感覚を抱えたまま戦う。仲間を守るために。
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巨大な蛇が暴れまわる場所で、そこだけは静かだった。ただし、火花が散るような緊張感に満ちている。
第一位冒険者ミロンは無貌の銀面を取り外して、放り投げた。これからするやり取りのことなど既に理解しているという意思表示なのだろう。褐色の顔で渋面を作りながら、静かに口を開いた。
今、ミロンの前には狼と馬と熊の仮面が並んでいる。冒険者と冒険者でなくとも構わないという男との対立構造が浮き彫りになっていた。
「イサ、サーレン、コールマー……私の相手はお前たちか?」
「まぁ皆、平等に権利があるとは思うのですが……人間一人に大勢でかかるとかえって邪魔ですからね。ともあれ、雪辱戦と行きましょうか。以前と同じとは思わないことです」
「カルコサでのこと……相当頭に来ているようだな」
「それもあるのですが、負けた数が多すぎるのでこの辺りで一発逆転を……というのもありますね」
「……?」
自分が散々に打ち倒した銀の人狼がイサだとは、流石のミロンも気付いていない。地上での泥の洪水に巻き込まれて生きているという事実を厄介さに変換して、頭に留めるだけだった。多くのことを知るミロンだが、全てを把握しているわけではないのだ。
ミロンが剣を構える。それに呼応して三人もそれぞれの得物を抜き放った。
「規則がどうこう、と言えばここにいる男も処罰せねばならなくなるので言わぬ」
「それは無いでしょうコールマー。表向きは同じ冒険者を陥れた者への復讐なんですから」
「……どの口が言うんだ、コイツは」
「ともあれ、お前はやりすぎたのだミロン。だまし討ちのようで気は引けるが、ここで……貴様の命を奪う。覚悟を決めてもらおうか、堕ちた第一位よ」
コールマーの糾弾にもミロンは揺るがない。並の男なら腰が抜けそうな巨漢からの脅しなど、ミロンにとっては挨拶にもならない。冒険者としての地位を云々、と言うことはミロンの罪状に関して既に何らかの段取りを終えたのだろうが……元より第一位の称号すらこの地での活動をやりやすくするための道具に過ぎない。
ミロンは渋面から、投げ捨てた仮面と同じように表情を無くした顔へと変わった。もはや話すことは無く、早々にケリをつけようということだ。
「ま、俺はそんな御大層な理由はどうでもいいんだがよ……言っても信じて貰えるかも分からん水底の大蛇打倒の称号より、一位と戦ったっていう事実の方が魅力的でね」
「……ふん」
イサ――遺物〈好愛桜〉
サーレン――遺物〈真銀槍〉
コールマー――遺物〈暴塞〉
そしてミロン――遺物〈太陽剣〉〈月光の君〉
人間の中で戦闘能力を最高まで鍛え上げた者たちが、古の武具を用いて戦いを始めようとしていた。
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「あっちは楽しそうで良いねぇっと!」
見た目からは想像もできない速さで迫ってきた、水底の主の顔面をレイシーが飛んで避けた。その頭部は人間を余裕で丸呑みできるほどに巨大だった。垂直に跳ねて避けることができるのはレイシーと現在のイサぐらいのものである。
レイシーは最初から対ミロンではなく、水底の主を相手取るグループに選抜されていた。他者との連携に不慣れなことも理由の1つだが、ミロンの方にばかり人材を送り込めば、水底の主を抑えておく者がいなくなってしまう。
最低でも気を引ける存在が必要である。つまりは華が必要であり、カレルではどうしても地味なのだ。そこでレイシーは水底の主を相手取ることになったのだが、その要望は計画以上に叶えられていた。
『……なんだ、そなたは。我らが同胞のようであり、違う気配も感じる。何よりも異常なほど濃密な魂の気配……そなたは本当に人間なのか?』
「さぁ……? 色んな種族が混ざっちゃっててね。何人っていうのかはボクも知らないよ!」
からっと答えたレイシーは駿馬のような速度で駆け回る。水底の主はそれを捕らえようと追う。恐ろしい巨体でありながらレイシーとさして変わらぬ速度で蛇が移動していく。その進行方向にいるだけで、並の戦士は轢き潰されてしまうだろうが、レイシーはちゃんと蛇の全身を把握しながら動いているようであった。
水底の主は決して“小さき者たち”を軽んじている訳ではない。むしろ愛しくさえ思っていた。だが人が生まれに縛られるように、神の眷属という強大な存在に生まれた蛇には人間達はどうしても気配が希薄に感じてしまう。結果として目の前のニンジンよろしく、レイシーだけを追うことになってしまう。
レイシーは仲間たちを巻き込まない場所まで駆け抜けると、方向を切り替えて壁に向かって一直線に駆け出した。当然、水底の主もそれを追う。
深い堀のある端に来たレイシーはそれでも速度を落とさずに跳躍した。堀というが水底の主が収められていた溝なのだ。深さも幅も半端ではないが、レイシーは一瞬たりとも迷わない。
跳躍して堀を見事に飛び越えた事自体驚きだが、さらに曲線を描く壁を走って駆け上がる姿はもはや人間ではあり得ない。水底の主は巨体故にゆうゆうと伸びて、さらに追いかける。そして食らいつくために一瞬撓んだ瞬間、レイシーが壁から離れた。
自由落下を利用して、食らいついてきた蛇の頭部を回り込んで落ちる。そこでたとえ蛇であろうとも急所である、後頭部に向かって〈蛇神の顎〉を全力で振るう! いささか無理のある体勢ではあるが、タイミングと狙った部位への誘導は完璧だった。
「……硬っ!」
レイシーの一撃は鱗に食い込んでいた。だが切込みを入れただけにとどまり、肉まで到達していない。手に伝わるのは手応えではなく、硬いものに打ち付けたときの痺れだけだった。
狂刃が放つ青閃を耐える者などこれまでいなかった……神の眷属、やはり桁が違う。
必殺を期していたレイシーの体は防御に向いた体勢ではない。水底の主が首を回すだけで叩きだされかねない。そんな状況を意外な者たちが救った。
振り向こうとしていた水底の主の頭部に向かって矢の雨が降り注ぐ。何の痛痒も与えないが、蛇がまぶたを閉じるだけの効果はあった。
「レイシーさぁん! 当たらないでくださいね!」
「これぐらいなら叩き落とせるから、心配しないで! ありがとう、セイラ!」
助けはそれだけではなかった。着地の衝撃を少しでも軽くしようと他の隊員達が待ち受けて、レイシーのクッションになってくれたのだ。
「君たち!? そんな暇あったら攻撃は!?」
「我々の簡易遺物が通る相手では無いでしょう! 支援に徹します! それに……」
「カレル隊長がいます!」
地に堕ちたレイシーを追って、再び地を這う水底の主。その上に隻腕の騎士が突剣を構えて、落下していた。狙いはレイシーが入れた切れ込み。そしてその手にはイサから借り受けた遺物――〈斬突〉……突きと同時に斬撃が発生するという奇妙な遺物だ。
同じ武器から発せられる二連撃が僅かな隙間へと放たれる。鱗の中途で止まっていた切れ込みは、弾けた。そこからほんの少しだけ赤色が垂れる。水底の主の血は赤いようだった。
『ほう……それは我が牙を用いて作られた……いや、そこは問うまい。見事だ、小さき者達。かつての地上騎士達を彷彿とさせるぞ。仲間同士の助け合いも美しい……』
「こういう時褒めてくれるヒトって大体ヤバいよねぇ……お兄さんとかもそうだけどさ」
「すいません仕留めきれませんでしたな、副頭目殿」
「いや、あれは仕方無いよ……あの鱗反則でしょ。これまでの魔物とか考えると再生もしかねない。遺物で切ったから治りは遅いはず! 畳み掛けるよ、みんな!」
おお! と帰ってくる意気。レイシーは理解できない感慨に包まれていた。イサ以外の人々がレイシーのことを認め、頼り、言うことに耳を傾けてくれる。夢の1つが叶った。人の社会に適合するという夢が。
そんな小さき者たちの連帯感を前にして、水底の主は穏やかに微笑んでいた。ああ……素晴らしきかな、小さき者達の友愛の美しさよ。ならばこそ歓迎しよう。手加減は無い。
蛇の喉が大きく膨らむ。それを見てカレルは危機感から咄嗟に叫んだ。全身を畏怖が縛り付けような感覚……これまでに似た感覚を覚えたことはあるが、規模が違う。
『……〈ラ・イーラ〉』
蛇の口から火球が飛び出した。
その大きさは灰騎士達が使う術とは全く異なっていた。小屋ほどもある火球が小さき者達に向けて放たれて、視界を炎赤一色に染め上げた。