第16話・蓋が開く
地下都市の最奥……そこには果てしない空洞があった。穴と言っても良いだろう。まるで底が無いように見える、深き穴がまさに水底なのだ。地下区画自体がこの穴に向けてなだらかな斜面を描いていることに、冒険者達は気付いているだろうか? そこら中の泥……そこに含まれた水はいずれこの穴に帰るのだ。
何者をも飲み込むような暗き底に光が輝いた。火のような赤ではなく、夕日のような色で穴から立ち上るような光だ。それはまさしく太陽の光に他ならない。
〈太陽剣〉と〈月光の君〉……離れていた2つが長い長い時間の果に、1つへと戻った光。それを操る者は当然、ただものではなかった。第一位冒険者、ミロン。まさに当世の英雄だが、彼自身はその称号に何の価値も見出していなかった。最初にこの地を目標に定めた時から、地上のカルコサが崩壊するまでのことは彼にとって下準備に過ぎなかったのだ。
そしてその入念に何通りも用意した計画に沿って事態は進んだ。彼は無事、水底を踏破し、最初の山の頂きに指をかけようとしていた。他人からすればふざけたことだが、彼にとってはこれがまさに初陣で、その佳境が水底の主討伐なのだ。
手に入れて間もない〈太陽剣〉のみならず、〈月光の君〉を装着した本来の姿の〈太陽剣〉すらまたたく間に掌握した彼は、完全に熱と光を操っていた。
水底の主が縛られる封印を解く鍵……それはこの暗い穴に本物の太陽光をもたらすことだった。地上と対になるように設置された鐘を照らせば、それは達成される。鐘は確かにそこにあった。円形の中心にあり、宙に浮くかのように柱で支えられている。
本来は地上都市カルコサがあるために不可能なはずの解除。それを達成するためだけに、彼は地上を瓦礫の山へと変えたのだ。その時、地上にいる人々がどうなろうとも。
しかし、どういう訳か陽光は水底へは届かなかった。地上王からすればコレが解除されることがあれば、それが問題なのだから正当な手順にはまだ幾らかやらねばならぬことがあるのだろう。
それをミロンは予想していた。だからこそ自然の光にも勝る〈太陽剣〉の光で代用したのだ。〈太陽剣〉がいつから存在するのかは不明だが、カルコサに由来する遺物ではない。おそらくは想定外の使用方法だろうが、ミロンはごく自然にこれを発想していた。
もう1つの方法として、この鐘の破壊という手もあった。この鐘自体が尋常ではない硬度……というよりは真っ当な方法では壊せないために、万物切り裂く〈好愛桜〉を用いるしかなかったが、それは実行せずにすんだ。
逃げ場のある地上ならともかく、穴の底で鐘を破壊すれば、力の奔流に巻き込まれてしまう。そうなれば最強の冒険者であろうとも逃れる術は無い。あくまで次善の策だ。
恐ろしいことに〈好愛桜〉の所有者がこの地に来たことさえ、ミロンの手が加わっている。その人物自体が些か厄介であったことは予想外ではあるが……腕前がミロンに及ばぬことは幸いだった。
かくしてミロンはこの地に立っている。
ミロンを所有者と認めた〈太陽剣〉が水底の全てを照らす。それはこの地を文字通り変えることになる。
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それは地下都市全てに同時に起こった。
勿論、カレル隊が通っている道にもそれは等しく起きたことだ。隊員達はどよめきながら足を止めて、声をあげる。
「なんだ!? これは……」
「泥が……?」
泥が水分を失っていくように乾いていく。泥は次第に土へと戻り、最後には塵となって風と共に消えていく。最後に残るのは水だ。それもこれまでのように悍ましい淀みを連想させる水ではなく、この上なく清らかなものに見える。
その水は阻むもの無く、あらかじめ設計された水路に従って最奥へと流れていく。その過程であらゆるものを清めながら……水底の都市をかつての姿へと戻していくのだ。
かつてのウロボロス教の聖地。神の眷属が治める地下の楽園。
それまで簡素で汚れたようにしか見えなかった建物さえ輝きを取り戻していく。飾り気なく、色も地味な灰色だが、清められた姿でこの地と合わされば一枚の絵のように美しい。
「これは……なんともはや」
「わぁ……!」
カレルとセイラも感嘆の声をあげた。
これが地下に封じられていたとは信じられない。そんな気持ちが込められた、純朴な声だ。
「自然の美ですねぇ……」
「感嘆してばかりもいられんぞ。これはつまり」
「ミロンが封印を解除した影響か。随分と洒落た仕組みになってるものだな」
現実を考慮すれば、風景の美に浸っているわけにもいかない。カレル隊は二番手で甘い汁を吸う気のない、挑戦者の集まりなのだ。わざわざ〈太陽剣〉をミロンに渡した甲斐が無くなる前に行動しなければなるまい。
「でも、こうなると鉄鋲靴も意味ないねぇ。むしろ邪魔?」
「レイシー、水底から何かを感じ取れますか?」
「うん? あー、何かがいるってことぐらいしか分かんないや。何ていうか、こう……分かりやすく敵! とかそういう感じは無いよ」
何かがいる。ということは少なくともミロンもまだ水底の主を討ててはいないということか。〈混交〉の眷属であるイサにはまだそこまで感じ取ることはできないが、レイシーが嘘をつかないとイサは知っている。
では急ごうか、誰からともなくそう声が上がり、一行は駆け足気味に奥へと足を速めていった。
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四方から水が注がれていく。
鐘は今や自ら光を放って周囲を照らしていた。この神々しさがあるいは真の鐘なのかもしれなかったが、中心に立つミロンにはどうでも良いことだった。
水底に穿たれた穴は、よく見れば見事な螺旋階段となっている。流れる水は円の縁にある穴へと流れ込んでいた。
浅黒い肌の偉丈夫のミロンは僧侶のようにも見えるが、彼は〈太陽剣〉を振り上げると容赦なく床に突き立てた。
刺さった箇所が徐々に赤くなり、とうとう床を溶かして破壊した。炎熱は当然にミロンをも炙っていたが、所有者であるミロンを傷つけることはない。
十字のように伸びた、鐘を支える石柱を残して光源を確保する。
水底のさらに底。そこにいる神の眷属を打倒すべく、ミロンは平然と穴へと飛び降りて行った。




