第14話・最後の会話
最後の遠征が近づいてきている。物資的にも人員的にもこれ以上は望めない。いくら水底が広かろうが、かつての地上都市カルコサとは違って近道が可能なのだ。最奥である中心点へとたどり着くのはそこまで長くかからない。
そんな中イサはサーレンとコールマーにも贈り物をした。
「サーレン、コールマー。貴方達もこれを使ってください。慣れるまでの時間が無いのは惜しいですが、ミロンは迅速に動くでしょうから」
サーレンにはどういうわけか汚れのつかない槍が、コールマーにはおぞましく脈打つ鉄槌が手渡された。
「おい、これって遺物か? あれだけ探して見つからなかったのに、なんでお前はホイホイ持ってるんだよ?」
「しかし……これを持った我輩はどうにも悪役であるような……」
「どちらも下位の遺物だそうです。〈真銀槍〉と〈暴塞〉。効果はそれほど大した物ではないそうですが、我々が作った簡易遺物よりはマシでしょう」
かつてミロンが下層の門で待ち構えていたことを思い出す。
思えばアレは我々自身というより、遺物の品定めが主だったのだろう。水底の主は……その時に戦った影の魔物や、灰騎士と泥騎士のように遺物でなくては効果が無いかトドメをさせないのではないか。
まぁ灰王の子供じみた夢想を長期に渡って維持してきた力の源だ。そうであっても不思議はない。……かつてカルコサの上位騎士達によって倒せなかった存在だ。あるいはわざとかも知れないが……だが殺せるのならば目はある。
そう頼まれたということは、水底の主も殺せる存在なのだ。
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「良いのですか? 我々にここまで協力をして」
少し前、イサは地下の静謐な区画を訪れていた。
そこには相変わらず肉塊のヴォルハールが醜い姿を晒しているが、鏡女の姿は見えなかった。そして、ここで気前よく残った遺物を譲渡された。槍と槌……図ったようにサーレンとコールマーに似合いの二振りであった。
案内された武器庫はヴォルハールの居室から近かった。周囲の奇妙な調度品からイサは今更ながらここは教会のような役割の区域なのだと分かった。
『儂にせよ、他の連中にせよ、武器を持てるような肉体は残っておらん。好きにするがいい』
それはそうだろう。肉塊は論外であり、ミミズ人間にしても手指は無い。武器を持ちたくても持てないはずだ。
この近くのミミズ人間は奇妙に大人しくなっていた。その無貌では何を考えているか判然としないが、ヴォルハールが何かをしたのは確かなようだ。方法ではなく、その理由をイサは知りたくなった。
多少丸くなろうとも知りたくなったらその場で聞いてしまうのが、イサという男だった。
「いえ、そうではなく。我々は貴方の主を打ち殺しに行くのです。それに協力しても良いのか? と聞いているのですよ」
水底の主は、ウロボロス神の眷属だという。それを攻撃するとなれば、既に勘当された身のイサですら些か心苦しいほどだ。古代に生きたヴォルハール達の内心はどれほど乱れているだろうか……そう思ってのことだが、意外にも肉塊は否定の意を示した。
『珍しく頭の巡りが悪いな。現在の儂らの状況は最悪じゃよ。なぜかと言えば死ぬことができん。蛇の尾と頭を乗り越えて、次の生へと行くことができない。儂らにとって死とは次への福音。それが取り上げられておる』
「つまり、水底の主を倒せば貴方達も死ぬことができる?」
『地上の連中によって主の力は捻じ曲げられた。じゃが、それ以上に主自身が死ぬことができずにいる。儂ら……今、この地に残った者はかつて聖職にあったもの達。主と密接に繋がりがあるのよ。こうした体への変貌が地上王の死によっても元に戻らぬのもそれ故。……主が死ねぬ以上は儂らも死ねぬ。ゆえにお主らに協力もする』
俗を練り固めて強固にしたようなイサからすれば価値観が違うと考える他ない話だ。死はいつだって手に入るが、他のものはそうではないからイサは死にたくないのだ。
仕方ないので話を進めるが、肉塊の話だとミミズ人間も元神官らしいが灰王を倒した後も普通に襲ってくる。これはどうしたことか。
「その割にはやたらに抵抗されている気がするのですがね」
『儂らは自害を禁じられておる。全力で走らねば蛇の頭を飛び越えられぬでな。それが望みであっても、そうですかと死ぬようでは未来が無いのよ。それは主とて同じこと』
生きて、生きて、その果に……でなければ彼らの宗教観では救いとはならないのだ。その理屈は理解したが、ヴォルハール以外は単純に正気を失っているようにしか見えない。あるいは遥かな時を生きて、未だに知性が残っているヴォルハールこそが狂っているか。
「ウロボロスの眷属ですか……実家が知ったら凄いことになりそうで、たまらないですね」
イサの家とてウロボロス教団の聖職者だ。勘当した息子が神の子殺しをやってのけたと聞けば、堅物の父親などは卒倒しかねない。イサ自身は実家のことなど気にかけていないのが救いが無い。
『お主の話を聞く限り、儂らの時代の教えとは大分に変わっておるようじゃがのう。枝葉が変わるのならば分かるのだが、肝心の部分ばかり変わっている。何かの作為を感じるが……ま、後はお主らの時代。お主らでなんとかせい』
確かに……とイサも考える。アリーシャナルとデメトリオなどから見えた教団の闇。それはヴォルハールの語る古代ウロボロス教には似つかわしく無かった。初志が失われたということなのか、“増強”を手に入れたことで変化したのか、答えはいずれ分かろう。
とりあえずイサは鴨から搾り取るだけ搾り取れないか試すことにする。
「ならもっと協力してくれませんか?」
『残念じゃのう。儂らには武器の手入れをする手足自体が無いでな。それで最後よ。腐らぬ武器を作ろうなどと考える者も稀だったゆえな』
思わず舌打ちをしそうになる。自分たちの時代では遺物と呼ぶが、彼らの時代では一部を除けば、製造可能な道具でしかない。技術の発達と同時に交換していくのが普通であって、まさかに技術が失伝しようとは想像もしていなかったはずだ。
地下の腐りかけた書物を見ても、遺物絡みの代物が無いあたりは現代の鍛冶師達と同じように口伝で伝えていたようだ。
「ふん。どこかに残っていませんかねぇ、魔法の武器を作れる人」
『お主は格段に優れた代物を持っているんじゃから、あまり欲をかくでないわ。それにしても、しばらく会わない内に奇怪な変化をしたな』
「ああ……貴方がくれた石っころに助けられましたよ。この歳で成長期を迎えた感じがします」
『さもあろうが……この時代に〈聖盤〉の担い手が残っていようとは、お主は運命に愛されておるようだ。その調子で、我らが主のことを頼む。もう会うことは無いであろうから、あらかじめ言っておく』
「任せておいてもらいましょうか。貴方には貰ってばかりだったので、借りを返して置かねば寝覚めが悪くなりそうです。ところで、ヴァールナにも別れを言って置きたいのですが……」
自分の命を助けた鏡女。あの子はどうしているのだろうか、とイサは聞く。思えばヴォルハールとはそれなりに親しくなったが、彼女には踏み込めないままだった。
『アレにはもう会えん。変化した時若かったゆえ、幾らか処置を施して眠らせた。運が良ければ違う形で見えることができるじゃろうよ。さ、もう行け。若い者が年寄りの相手を長々とするものではない。己を全うできなくなるぞ』
「そうしたいところですが、少々聞いておきたいこともあるのですよ。ザクロースの知識だけでは心もとないので、ね」
『?』
イサが仲間に渡す新しい遺物を得た経緯はこのようなものだった。醜悪に見える善人達との別れでもあった。