第11話・再会祭り
以前とは違う簡素な寝室。そこでイサは目覚めたのだが、まず感じたのは猛烈な痛みだった。
半魔物化が抑制されたのは良かったが、人間には不可能な動きをし過ぎた代償としての筋肉痛その他諸々は綺麗サッパリ無くなるとはいかないらしい。
ベッドの横にあるナイトテーブルを見ると、上に水薬が置かれていた。それが誰のものかなど考えもせずイサは瓶ごと飲み干した。幾らか和らいだものの、全身を縛る激痛と一人戦っていると部屋の扉が勢いよく開かれた。
入ってきたのはレイシー、サーレン、コールマー。イサを変貌の危機から救い出した三人組だった。
「お兄さん!」
勢いよく飛び込んできたレイシーを反射で受け止めると、全身にヒビが入ったような感覚を覚えてイサは呻いた。受け止めた姿勢で体をくの字に曲げるものだから、レイシーを包み込むような姿勢になる。
「……いちゃつくなら、外に出るが?」
「この状態でそう見えますか? あいも変わらず目玉が腐っているようで何よりですよ、サーレン」
イサは今、仮面をしておらず東方混じりの素顔をさらけ出している。その顔は青白く、そして脂汗に塗れている。相当無理をしているのが、誰の目にもわかるはずだ。
「いちゃつくと言えば、聞いてよお兄さん! この二人、ボクがお兄さんの変化を解除してたのを見て、さっさとその場を離れて置いていったんだよ! それこそいちゃついてるだけだと思って!」
「お主が計画を事前に知らせなかったのが悪い。大体、一人で普通に担いで帰ってきただろう。その体躯で装備がある男一人を平然と持ち上げて帰ってくるのは流石に引いたぞ」
「担いで、っていうよりは持ち上げて来たな。その細腕でどうなってんだ。ずりぃぞ先天的能力」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ三人を見て、イサは少しだけ微笑んだ。
自分がいない……というか魔物になっている間に随分と仲が良くなったらしい。良いことだと思う。世界は何もレイシーとイサだけで構成されているわけではない。
そんなかつての自分なら抱かなかった感想を、ごく自然に思うことができた。
「騒ぎを見るのもいいですが、現状を知りたいですね。水底の攻略に乗り出しているのは確かなようですが……私自身はずっとあちら側にいたのでね」
「ああ、それならカレル隊に顔を出せ。随分と心配していた」
「少しぐらい動いた方がお前なら治りも早いだろ。じゃあまた、な」
「ええ。また。サーレン」
素直なイサの言葉にサーレンは微妙な沈黙を保った後、手を払う仕草をして部屋を出ていく。コールマーもそれに続いた。この二人も随分と変わったとイサは思う。レイシーの能力も、イサの悪運も、そういうものとして納得して生きていけるのだから。
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杖をついて歩く。杖はそこらの枯れ木を適当に斬ったもので、随分とお粗末だが使用に問題はない。レイシーが転がっていた〈好愛桜〉を持ち帰ってきてくれていたおかげでもある。
以前とは違う入り口街……舗装された地面ではない感触を心地よくイサは思った。なぜかは自分でも分からないが、それ自体の理由は感覚でわかっている。
(ザクロース……随分と感傷的な男だったのですね。土の方が良いとは、本当はあの街を好きでは無かったのでは?)
内面から返事はない。
〈混交〉の影響を受けたことで、イサは魔物化から元の姿へと帰った。同時に己の内面世界での活動も不可能になっているのだ。もっとも潜れたところで今のイサの中には誰もいない。ザクロースは灰としてイサと溶け合ったのだ。
それでも彼は多くの遺産をイサに残していった。
「今の攻略状況を知りたいって……知って、どうするのさぁお兄さん」
「勿論、私も参加するのですよ、レイシー。貴方との約束を果たすためにも……それに一計を案じる必要もあるのでね。現場の意見を聞かなくては」
イサは今のレイシーをあどけなく感じた。
今のイサは〈混交〉の〈聖盤〉によって安定している状態にある。つまりは〈混交〉の所有者たるレイシーの眷属、つまりは配下のようなモノなのだが、大本であるレイシーにその自覚は無いらしい。
「お兄さんは少しだけ変わったね。落ち着いてて、謎めいてる」
「今までの私が落ち着いて無かったように言いますね? それに貴方の方がより大きく変わりましたよ、レイシー。大人になりつつあるようだ。それはきっと良いことです」
確かに今のイサは色々と隠し事が多い。だが誰よりも謎めいているのは、やはりレイシーの方だ。イサを魔物化から解放した方法といい、全てを感覚的にこなしているのだろうが……
「その気になれば全て覗けるでしょうに……ああ、見えてきたアレがそうですか」
イサの視界に大きめの屋敷が見える。大きさなどから屋敷としか言えないが、材料も作りもどこか粗雑だった。いかにも冒険者らしい……いやカレルらしいのか? どことなくセイラらしくもあるような……自分と同じに混じったようで微笑ましい。イサはそう思いながら門を通りぬけようとする。
すると両脇から槍が交叉して道を阻んだ。
「止まれ、何の用あってカレル隊の陣に入ろうとするか!って、あれ……?」
「通りますよ」
阻んだはずの二人は槍をいつの間にかすり抜けて、扉へと向かっている。
ただ単に交差させただけの槍など、この二人には何の障害物にもならない。そして、事情を真面目に説明しなかったのはちょっとした悪戯心だった。
「ちょっと息が上がってるね?」
「この程度の動きで痛みが走るとは……これは本当にしばらく療養が必要ですね。涙が出そうですよ」
「お兄さんって泣くの? ……見てみたい」
泡を食っていた男が立ち直って、大声を張り上げると周囲からぞろぞろと人相の悪い者達が湧き出てくる。規律の取れた動きとは裏腹に、不揃いな装備だけが冒険者だと主張している。
「……あれかな? カレルは私設の騎士団でも作るつもりなのですか?」
「実際、そういう話もあったみたいだよ。ボクはお兄さん探しで、あんまり街に行かなかったから詳しくはないけどね」
「何事ですか!? 曲者ですか!?」
殺気立った連中を前にのほほんと会話するイサとレイシーの耳に聞き慣れた声がした。
声の方をみるとそばかすが残った顔に後ろにまとめた髪の女性……セイラがそこにいた。セイラの目は開いたり閉じたりと忙しそうだった。
「あ、セイラだ」
「やあ。あっちでは見なかったですが、随分と立派になりましたねセイラ」
「イ……イ……イサさぁぁん! レイシ~さぁぁん! 戻ってきてくれたんですねぇぇぇぇ!」
顔からあらゆる液体を垂れ流しながら、しがみついてくるセイラに二人は難儀した。
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通された客間は客間と呼べない作りだった。どちらかと言えば食堂に近い。
というか、実際にそうなのかもしれなかった。4人の男女が座っていてもまだ余裕がある。その4人を認めて、イサはカレルの気遣いなのかな、と思った。
「サグーン、マセラド、ヨリルケ、コルーン。生きていましたか。腕は上がったのでしょうね」
「「「「班長!」」」」
元イサ班の者達だ。
全面的にイサを慕っていた者達ではないが、それでも無事を喜んではくれている。たちまちにイサは群がられて、質問攻めに会う。これはイサにとって珍しい体験だった。
「まだ私を班長扱いですか。まぁその方がやりやすいですが」
「あれで生き残っている辺り、班長はやはり変人……」
「やめろ、マセラド! また地獄の特訓が始まる……! 失礼なことを言うな!」
「お兄さんって慕われてるのか、何なのか分かんないよね」
「あはは……それよりこっちに待ちかねている人がいますよ?」
苦笑いするセイラの後ろ横に、一人の男が立っていた。
この地では珍しい騎士風で、老練さを感じさせる佇まいを持った男だった。腰に佩いているのは世にも名高い遺物〈太陽剣〉だ。今では冒険者の中でも注目の的である男はイサを見て、瞳をうるませた。
「頭目殿! お帰りをお待ちしておりました!」
「ボクはそうでもないのかー。いや食料とか送ってもらった立場だから良いけどねぇ」
レイシーの言葉に答えず、カレルはイサに飛びついた。
痛覚を刺激されたイサの叫びが屋敷に響き渡った。