第10話・〈混交〉の眷属
夢を見ている。昔の夢だ。
私は他人とは違っていた。それは大きなことではなく、本当に小さなことでだ。
例えば母親が病気だとか、父親は聖職者で家には不気味な代物がわんさかと貯めこんであるとか……そんな境遇に関することばかりで、私自身は普通の子供だった。
嘘だ。
私は普通ではない。悪い意味でだ。
武術が得意なのは珍しくも無かったが、負けると異常なほどの執着を見せた。体格差や年齢差など考慮せずに相手に勝つまで勝負を挑み続けた。
周囲は単なる負けず嫌いだと見ていたようだったが、実際にはそれは相手が自分から“何かを奪っていった”から許せなかったのだ。特に勝利者に何かが与えられる形になると、もう歯止めが効かなくなる。
実際に年齢が幼い頃こそ、父も周囲も笑っていられた。だがある程度の年齢までそのままでいると、次第に周囲から疎外されるようになる。当然の反応だった。私の異常さは“子供っぽさ”であり、そいつが武術の心得まであるとなると、周囲にとっては害でしかなかった。
年齢が二桁に入ると父は息子を持て余しだす。私の理解者は母親だけになった。
東方で生まれたという母。礼儀を始めとした表面上を取り繕う方法を教えてくれたのも母であり、曲がりなりにも社会に混ざって生きていけるのも母のおかげであった。
しかし病弱であった母は当然のように他界する。
母自体が抑えてくれていたのか、母が聞かせてくれた物語の数々が功を奏していたのかは分からないが、それ以降私のわがままな子供の側面は加速した。
そして最後には遺物を家から持ち出して、家から勘当され故郷から放逐される。その後、冒険者として名を上げてあらゆる物を手にしつつあったが、満たされることはない。
理由はわかっている。なぜなら私の本当の願いは……
『そっか。それがお兄さんの本当。ボクとは正反対だったんだね』
どこかで聞いた声がする。
もっと夢を見ていたい。もっと、もっと、しかし……なぜ……?
/
レイシーは人狼と打ち合う度に、イサの内面を知っていった。
ザクロースの操る人狼がわざわざ戦いを演じるのにも意味があったのだ。
怪物二人。しかし、この二人にして無限の体力とはいかない。常人が全力疾走すれば、たちまちの間に息切れしてしまうのを考えれば、これだけの間超高速の戦闘を続けていられるのは流石ではある。流石ではあるが、限界は来る。
人狼にしても、レイシーからしても、そこが勝負の分かれ道となる。
だが奇妙な戦いだった。どちらも勝利を得ようとしながら、勝とうという気迫が両者ともに欠けている。
「ボクは欲しかった。生まれつき違う生き物だったボクを受け入れてくれる場所と人が。だから勝とうとしたんだ……この街を制覇することで、誰もが認めてくれる。そう信じていたから」
ハルペーを回転させながらレイシーは壁面に立つ。
ここで勝負を終わらせる気だ。体力がある内に、相棒を救い出さなければならない。覚悟は元より、何より周囲の準備も良い頃合いになったはず。
「でも……お兄さんは失いたくなかったんだね。だから得ようとした。物も、人も、懐に入ってしまえば安心できるから……お兄さんの間違いは形の無いモノまで追い求めようとしたことだ。全部、裏と表があるのに、どれもこれも懐に入れようと……」
勝利を得れば、敗北は得られない。輝きを得るならば、暗闇は手に入らない。
どちらも無くならないようにすることは最初から無理がある。しかし、水を手でかき集めようとしている当人はそれに気付かない。どれだけ阿呆に見えようと、必死なのだから彼からは目の前しか見えないのだ。
「おかしな話。ボク達は違うことを願って、同じ場所を目指した。正反対だから同じだったんだ。でも、大丈夫だよ。きっと僕たちはもう手に入れているんだ。だから……!」
人狼もまた地を踏みしめる。
互いに全身全霊。駆け引きなしの真っ向勝負。
「起きよう、お兄さん! ここまで来て途中で降りるなんて……ボクは許さないよ!」
爆ぜた。
これまでの速度を更に上回る。そこからどう勝負が付くか?
イサの〈好愛桜〉。レイシーの〈蛇神の顎〉。どちらであろうと決着してしまえば、片方は……
「今だ!」
「よく忘れなかったな、クソガキぃ!」
激突するその瞬間その場所に、影が2つ飛び込む。
それはサーレンとコールマー。この二人の技量をもってすれば、いくら速かろうと場所が分かっていれば介入するのは不可能ではない。
駆け引きなしなのはイサとレイシー達のみ。後は周囲が状況を作る。
レイシーは最初からこうなるべく疾走を続けていた。二人が同時に干渉できる場所へと誘導していたのだ。
全く偶然だが、それは妙手だった。レイシーは当然に知らないが、既に死者であるザクロースは人狼の肉体を完全には操縦できない。どうしても魔物としての本能が顔を出す瞬間がある。
イサを救うにはこの場の誰も死んではならない。もし人狼の爪にかかるものあれば、捻れて育ったイサの精神は戦友を殺害した事実に耐えられず……今度こそ狂気に飲まれて完全なる魔物になる。
駆け引きなしは、最後の突撃の瞬間のみ。種は事前に全て蒔き終えていた。
そうすれば魔物の本能をも欺ける。
「獲ったぞ、イサ!」
「つっても、こっからどうするんだって話だがな!」
爪はレイシーの眼前で止まっていた。
セイラがこの場にいたのなら、さぞ驚いたことだろう。レイシーはここまで同行してきたサーレンとコールマーを信用して、己の命を任せたのだ。
鉄棍が人狼の足を絡め取り、槍が爪の間に差し込まれている。
二人の第3位冒険者は十分に怪力と言えるが、2つの得物は所詮簡易遺物だ。人狼の常識を外れた力の前では、いずれ砕け散る。いやその前に逃げられる。
抑えられる時間もごくわずかだ。一瞬で事を済まさねばならない。
すっとレイシーが狼の腕をすり抜けていく。斬るしか無い……サーレンとコールマーはそう考えていた。彼らの救うはイサを一旦行動不能にしてから持ち帰るというものだった。
だから……続く光景は彼らを絶句させた。
レイシーは狼の頭部をそっと手で包み……
「んっ……んぅ」
口づけをした。
「「は?」」
サーレンとコールマーは阿呆のように口と目を開いた。
そもそもレイシーの性別はどちらになるのだ、とかそれが一体何の役に立つのか……などの疑問が浮かんでは消える。さらに驚いたことに、本当にそれで人狼の動きが止まっていた。
異形と美童が口づけを交わす姿はある種の荘厳さと背徳感に溢れていた。
レイシーの胸が光り輝く。そこにあるのは……
/
流れ込んでくる力を前に、鉄兜は静かに薄らぎ始めていた。
これまで三色に染められていた世界は一色へとまとめ上げられようとしている。
『繋がって知った時でも半信半疑ではあったが……本当に〈聖盤〉を手にしていたか。恐ろしい程の運……いや、違うな運命に選ばれているのだな。こやつらは二人で一つであったのだ』
『……』
レイシーはただ口づけをしたのではない。己の中にある聖盤の力を体液に乗せて、流し込んでいる。
〈混交〉の聖盤の恩恵を受ける……その結果として半魔物化したイサの内面世界は統一されようとしている。イサを己の眷属とすることで事態の解決を図る。これらをあの凶刃は計算づくでしたのだろうか?
『……』
『ふむ。そんなはずは無いか……恋というものだけはどれだけ時を経ても変わらぬな。理解出来ないモノでありながら、奇跡を起こす』
宙に浮かぶ〈好愛桜〉も消えかかっている。だが〈好愛桜〉には元の器が残っている。〈混交〉されても元へと戻るだけだ。だがザクロースは違う。彼にはもう元の肉体など無い。
『数千年前……長い時の果てに、己を倒した男の一部となるか。これも奇縁だな』
『……』
『我もまた運命に選ばれている……案外と優しいのだな、緑の君よ。確かに、これから再び水底へと挑むのだと考えれば奇妙なものだ』
だが、ザクロースはその時にはただの力となっている。少なくとも自意識を保つことはできないだろう。
悔いは無かった。無為に送ってきた蛇足の生。それを力として受け継ぐ者がいる。
『それこそが人の本懐かもしれん。生きている内に子を成すべきだったかな』
イサは子供としては可愛げが無さすぎる。だがまぁ仕方ないとザクロースは納得することができた。勝者が敗者の力を継ぐのは騎士の美意識にかなっている。
『負けるなよ、イサ。では、さらばだ』
未だに沈黙する狼の頭部に語りかけて、鉄兜は色の奔流に巻き込まれて消えた。それを完全に見届けてから、宙のカタナは上へと舞い上がっていった。
/
銀の狼の頭部が割れる。
割れたとしか思えなかったが、そこからまた銀の仮面が現れる。人狼の頭部ではなく、この街の冒険者の証である浄銀の仮面だった。
「おかえり、お兄さん」
「……レイシー? ……背が伸びましたか?」
倒れかかるイサをレイシーが優しく抱きとめる。
それをやってられない、というような顔で男冒険者二人組は見た後、その場を離れた。