誰もが鍛えている
灰の石が敷き詰められた街路を血液が濡らしていく。
山となって積み上げられた死骸の上に腰掛けながら、私とレイシーは下流を見守る。そこでは激しい戦闘が行われていた。
一人の女が焦げ茶色の髪を揺らしながら、槍持つ怪物を相手取り懸命に動き回って隙を窺う。まさに命がけの奮闘だった。粗末な革鎧には幾筋か線が走っており、危難を瀬戸際で避けた様子が見て取れる。
「ひどい……」
可愛らしい声が左側から言うように、全くもって酷かった。かつて仲間を蹂躙した強敵を相手取るも、仇を取れずに終わりそうな様は無常だった。
「……本当にひどいですね。ここまで来ると悪いのは彼女では無いでしょう」
荷物持ちセイラの戦闘技術は全くもって酷いものだった。
常識で言えば、弓手を槍手にぶつけるのも酷いことではある。だがそれでも、これぐらいはこなせるようになってもらわねば困る。
そう思い立ち、手っ取り早く成長して貰えるように“最初の区画”でお膳立てをしたのだ。結果としては見事にセイラはスピアーマンと1対1で戦うことができたのだが……
「栄養状態の悪さで、活動期間の割に低い身体能力。半端に教えられた技術はチグハグで調和を見ていない。最下位であることから来る劣等感……地道に鍛えるほかは無いのでしょうか?」
心技体、全ての要素で落第点だ。どれか一つでも見所があれば、心得など教えられるのだがこれではそうもいかない。
「ひぃ! もうダメです! 助けてください!」
響いた叫びに、レイシーが転がっていた槍を足ですくい上げて蹴り投げる。弱敵を前に舌なめずりしていたスピアーマンは頭部を撃ち抜かれてあっさりと死んだ。
座ったままの曲芸じみたレイシーの動きに、改めて対抗心が持ち上がるのを覚えた。
「ひぃ~はぁ……ごめんなさい、やっぱりわたしじゃ……」
「いや。ここまで来ると私達が悪かった。当分は荷物持ちに専念して、私達の戦いを見て覚えてくれ」
遺骸の山から腰を上げる私をセイラは濁った目で見た。
その遺骸はたった今彼女が殺されかけた魔物と同型のスピアーマン。それが実に24体分積まれているのだ。内訳は私が10体、レイシーが14体。
セイラは一体に殺されかけたのだ。そして、私の言葉はかえって彼女を何か傷つけたらしい。
荷物持ちでも体を鍛えつつ、健康状態を整え、見稽古に専念してもらうのがベストだろう。そう考えてのことだったが……
「人に教えるのは難しいですね、レイシー。私にも確かに未熟な時期があったはずですが……思い出せない」
「ボクはそんなの無かったから、お兄さんに任せるよっと」
死体の山から飛び降りた、レイシーは鎌を腰に当てて伸びをした。気ままで身軽なネコのようである。血なまぐさいネコだが。
……レイシーは生まれつきの強者か。
神々は気まぐれにそうした存在を世に送り出すものらしい。天才すら超えて、鍛錬など無しにあらゆるコツを知り尽くす存在。努力すらも必要ない人間というわけだが、才能というのはそうしたものであるのだろう。
「スピアーマンの槍は高く売れるのですか、セイラ?」
「えっ?……いや、確かあんまり。それよりは全身を持ち帰った方が売れるはずです。……なんでも剥製にするとかで……」
流石に趣味が悪くないだろうか?
屋敷の中に鳥と魚が合体した顔の人形が置かれている光景を想像すると、不気味を通り越して滑稽だった。
『これは私が狩ったものです。貴方達はこんな奴らを見たことも無いでしょう?』
『まぁ凄い!』
そんな捏造されたやり取りが行われていたら面白過ぎるというものだ。
それとも見世物小屋か博物館が買い取るのか? あるいは学者が手に入れて、こんな生物はいないだとか真面目に議論しあうのか?
「だが、嵩張り過ぎますね。というより、夜になったら生き返って帰っていく連中の死体を剥製にしたら……どうなるんでしょう?」
皮のほうが動いていくのか、あるいは中身の肉が歩き出すのか。 ちぎれた一部はそのまま置いて行くことからどちらかは残るはずだが……
ふと思いついたアイデアを口にしてみる。
「レイシー」
「? なに、お兄さん?」
「この街の魔物を完璧な比率で半分縦に割ったら、右と左のどちらが復活すると思いますか?」
「……」
「……」
純朴な4つの目が語っていた『こいつ、なに言ってるんだ?』と。明らかに可愛そうな人間を見る目である。
セイラを除外しても、変人の代表じみたレイシーにその目を向けられるのは意外に心に堪えた。
「すみません、なかったことに」
「うん……そんな気持ち悪い発想する人初めて見たよ……。まぁ学者肌の冒険者に会えたら聞いてみると良いよ、うん」
そういえば、街に出ずっぱりである。そうしたインドア派の冒険者と出会う機会を逃しているかも知れない。この街の安全区画、入り口の街をこそもう少し見て回るべきだった。
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道すがら、下位冒険者であるセイラに講義をする。
上位の冒険者が下位の者の面倒を見るのは推奨されるところだが、実際に守っている人間は少なかった。
今回の冒険の目的は幾つもある。
一つは荷物持ちの効果の確認。セイラが背中の粗末なバックパックに背負っているのは、殆どが食糧である。サポート一人でどこまで行けるか確認するのだ。
二つ目はセイラのように拾える人間がいないかを期待してだ。人は利益を提示されても簡単には動かない。もっと良い取引相手が現れる可能性があるためだ。そこを恩や縁で埋められるのならこしたことはない。
知らぬ人間よりは知った人間というのが当たり前の反応で、また実際に集団行動した場合に問題を防ぐ盾となる。
3つ目は割愛する。
そして最後がセイラ自身を鍛えることだった。
現在の推測では下層民が住んでいたとされる円周をゆっくりと歩きながら、自分の心得を伝えていく。
「焦げ茶の人。私の持論だが人は皆、浄銀級までは登れるものだと思います。特に単純な戦闘能力で言うならば、かなり容易に」
「そんな……それは……」
リスの仮面が自信なさげに沈む。
顔が隠れているというのに、その中の顔が目に浮かぶ。自分の狼面とは違って表情豊かである。
「理想ですか。それは確かにその通りです。私の論を実行するには一つ、超えなければならない壁があります。心の壁という名のね」
「そんな簡単に……」
「実際、そうじゃありませんか? 集中力、経験、勘、勇気……どれも形を持たない要素です。レイシーは別格としても、私と貴方なら身体能力の差は精々2から3倍といったところです」
人間同士の性能差としては凄まじいものだが……それでも理屈に従えばセイラが十人いれば自分を打ち取れるはずだ。だが実際には百人いたところで負けはしない。
「それはそうかも……でもやっぱり砂上の……ええっと……」
「机上の空論? なるほど。ですが実際に私が貴方と同じくらいの身体能力に下がっても、スピアーマン程度なら偶然でも負けない。事実は事実として、理想は理想として……ありきたりな話ですが自己を上に押し上げるしかない」
残酷な現実だが、レイシーのように生まれつき飛び抜けていないのならば結局は努力する他は無いのだ。ならばこそ、意志が大事になるのだ。
「やっぱり……自信が無いです」
それでも弱者の心には響かず。
無理も無いことだ。自分が彼女の立場だったなら……むしろ愉しみそうだ。
教師としての経験がない私もやはり手探りとなる。
「そのあたりを補強するにはやはり技術と知識で埋めるしかないですか……難しいものですね。言葉にすれば簡単で、実際にそうなのに。誰もが教わらなければ、変わらない。まぁ私達の近くに例外もいますがね」
敵の索敵範囲を素で躱しながら、この灰都を庭のように散歩するレイシーに近づいた。セイラへ教えることにだけ専念するわけにはいかなかった。
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「意外と楽しいものですね。役に立つよう人を鍛えるというものは」
弟子というよりは有用な道具を作る感覚に近いが、どうなるかが読めないというのも面白い。万が一……セイラが自分を超えるようなことがあれば、さぞ笑えるだろう。
レイシーは首を傾げて、少しだけ後ろを見る。
ちょうどフクロウの面がこちらを向いているような角度だった。
「お兄さんはああいう話はボクにはしてくれないね?」
意地が悪そうな顔だ。
だがコイツに何を教えてやれるというのか?むしろ私こそがその強さの源泉を学び取る側なのだ。
「当然です。貴方は仲間であり、相棒であり、そしてライバルだ。いずれ戦う時に不利になる要素を用意するわけがないですよ」
レイシーの強さを奪い、上を行く。天与の才を吸収するのは難題だが、それだけに価値がある。そして例え敗れたとしても納得行く相手がレイシーである。
戦いが文字通りの闘争とは限らないが、負ける気などない。そう考える私をフクロウが笑ったきがした。
/
「ふふ……決めた、やっぱりお兄さんがボクの“特別”だ。お兄さんなら……」
青閃が見据えるは遥か先。この遺跡の中央。
「鐘の音が聞こえるところまで一緒に行ってくれる」
外周にいるようでは遠すぎるのだ。きっと近くに行けば、自分にも聞こえるはずだと美しい顔が輝いた。