第0話・水底の希望
鐘の音はもう鳴らない。
かつてカルコサに住まう魔物達を総ていたその遺物は、地上王と共に役割を終えた。
その地上王に縛られていた下層区の魔物達。そして中層以上から出没する灰の騎士たちはようやく生命を使い切って、その生命を終えた。かつての都市は時の流れを取り戻して、輝きを失ってただの古ぼけた遺跡に戻って崩落していた。後に残ったのは地上と変わらぬ大きさの地下都市だ。
いや地下都市とはもう呼べないかも知れない。カルコサとは違い、下に進んでいく必要はあったが……大地の蓋が外れたことで既にその全景を現しているのだから。
そして戦いは……
「四つ目犬だ! 仲間を呼ばれる前に、仕留めるぞ!」
「もう遠吠えしてるから遅えよ! 引きながら一体一体確実に、迅速に仕留めるぞ!」
「その2つを一緒にすんの疲れんだよ! 言うやつ多いけど、普通に無理だからな!」
当然のように続いていた。
確かに変わり果てた人間達は死んだ。しかし残った遺骸が灰にならぬ内に、鐘から溢れた水底の泥に飲み込まれた存在は力を補充されて立ち上がった。土塊と成り果てた時に水底の力が籠もった水気を取り込んでしまったためだ。
それでも彼らは死んでおり、既に本能で動いているだけの人形である。それを確認する術を探索者達は持たないが、勘の鋭い者なら直感するだろう。
しかも下層域の魔物達は劇的な強化を果たしたと言っていい。本来はおまけで変異させられていたような下層民だが、水底の加護を直接受けたのだ。身体能力は当然に強化されていた。
「多少強くなろうが、戦い慣れた相手だ、ぜっ!」
5名ほどの中位冒険者達が犬の四肢をもぎ取る。
今戦っている彼らは出戻り組であり、下層の魔物を知っている。容易では無くなったが、倒せない相手ではなかった。足を失った四つ目犬はそれでも、歯を鳴らしながら食らいついて来ようとする。
以前は原型を留めた個体が鐘の音と共に引き上げて、再生の後に持ち場へと戻っていた。それに対して今の魔物達は非常にしぶとい……というよりは灰騎士相手と同じように何らかの対策を取らねば、首だけになっても動いてくる。
「油かけて燃やしとけ、他所の連中が来る狼煙になるかもしれないしなぁ」
「来ないだろ。冒険者って協調性無いし。俺らだって上層の時逃げたじゃん」
犬の本能に従って、先の遠吠えに引き寄せられた群れが冒険者達へと這い上がってくる。その数は冒険者達の倍を超えて、さらに増えつつあった。人としての無意識すら消え失せた犬達は、動物的な感覚を代わりに得ている。仲間の窮地を救い、そして手頃な餌が手に入る機会に全力で飛びついてきた。
第5位冒険者の彼らならば昔の四つ目犬はどうにかなっただろうが、今の状態の四つ目犬は彼らにも厳しい。
「魔法の遺物を手に入れて一攫千金! あー、格好悪いの覚悟で戻ってきたのにな」
「格好悪い出戻り組の最後になりたくなかったら気張れよ。俺もせめて噂の泥騎士やミミズ人間相手に死にてぇ」
今の魔都はカルコサ時代のように金銀財宝が取れる場所ではない。しかし、代わりに上位冒険者のさらに一部が持つような神秘の遺物が手に入ることが分かった。
それらが外で取引される価格は黄金細工など可愛く見えるほどだ。だからこそ彼らはのこのこと出戻ってきたわけだが……
「難易度やべぇじゃんよ……馬鹿だったな、俺も」
壁があるわけでは無いが、今の魔都には真綿で首を締め上げるような恐ろしさがある。ぬかるんだ地面、奇妙に入り組んだ都市構造、飲めない水……何もかもが自分たちにとって良い条件にならない。
区画を上がるごとに難易度が分かりやすく上がるカルコサとは全く違う。かつてのように安定して稼ぐのは夢のまた夢というわけだ。……当たりが出た時の儲けも凄まじいために、その意味では夢はある。
かつてのカルコサに四つ目犬は一体何匹いたのか……もう群れというよりは部隊と呼んだ方が良い数で押し寄せてくる。その姿を前に冒険者達は覚悟と諦めを決めた。
「大弓隊、撃ってください!」
不思議に響く女の声。それと同時に大ぶりの矢が犬達に降り注いでいく。
四つ目犬達の内幾らかは地面に縫い付けられて、動きが鈍っていった。元よりそれが狙いなのだろう。明らかに魔物と戦い慣れている。加えてそれが可能な大部隊。それを可能にするのは現在の探索者達で唯一のチームだ。
「カレル隊のセイラ班か!」
かつてのカルコサ上層を征したとされる伝説的集団。どういう訳か本人達はその偉業を否定しているが、彼らは強大かつ特異な存在だった。
冒険者をはじめとした様々な出身を集めた探索者集団であり、さらにその内部では位階すら気にされていないという。現に隊長であるカレルの副官である女冒険者セイラは、未だ銅位階という下から数えた方が早い階級にありながら班を率いている。
そして彼らは他者を助ける。通常、探索者同士は同業者であるが競争相手でもある。乞われたのなら情が動くこともあろうが、進んでそうする物好きはカレル隊ぐらいだ。そして、その物好きが一大勢力になるほど存在するのだから、ある意味魔都以上に不思議とされている。
「続けて小弓! さらに近づいてきたら投げ槍で柵を作って、後退! そこの人たちーーー! 早く退いてくださーーい! 巻き込んじゃうとか嫌ですからね、ホント!」
「いや、巻き込んだの俺らだが……まぁいいか」
「ああ、犬よりは女冒険者の方とお近づきになりたい」
犬どもに足を傷付けられた冒険者達も、不思議と立ち上がれた。救い主に向かって彼らは足早に駆け始めた。一方的なお節介のはずだが、この恩はどう返そうかと考えながら……こうしてカレル隊は戦力を増して行った。