石を磨く
嫌な夢を見た気がして、部屋を出る。頭を掻きながら3階の自室から階下へと降りていく。
宿は元は兵の詰め所か何かであったところであり、門の近くにあることから人気の高い宿を選んでいた。人気である理由は外への門に近いからであるが、内装はどこかの旅籠のものをそっくりそのまま移動させたもので中々に凝っている。
大陸南部様式……目に痛くない程度の乳白色で彩られたこの宿はまさに別天地だ。扉を開いた瞬間に、外の灰色に飽きた身を安らがせてくれるのだ。
無論のこと宿泊料や滞在料はかなりの額となる。そのため、ここを利用している人間は限られておりそれがまた住人にとって都合がいいのだ。
私の場合は一年間の契約でこのカルコサへと持ち込んだ金の大半を預けているために問題なく住人の扱いである。
そこの一階の応接間に彼女とアレがいた。
「……お早うございます、レイシー、セイラ」
「おっはよーお兄さん」
「えぇっと……お早うございます」
自然に馴染んでいるレイシーは何時も通りである。一方のセイラは「なぜ、自分がこんなところに?」という疑問で溢れているようだ。卓に並べられている朝食の進み方も遅い。
「前から聞こうと思っていたんですが、レイシーはどこに住んでいるのですか。というのも生活感がまるで無い……時折、組合やここで見るぐらいで」
「ふっふーん。どこだろうねぇ? 案外、そのあたりの床下だったりして……」
「そうですか」
「あっれぇ? 疑われてない? ボクってお兄さんになんだと思われてるの?」
こいつなら墓場に住んでいてもおかしくはないだろう。……しかしながらこの僅かな時間にずいぶんと親しくなったものだと思う。
殴りつける真似をするレイシーの頭を抑えながら、今一人の同志に目を向ける。
「それで? 焦げ茶の人は随分と食が進んでいないようだが……」
「セイラです。なんというか日頃食べてるものと違いすぎて胃が……あのぅずっと聞きたかった……んですが、なぜわたしを仲間に?」
「「目の前にいたから」」
あと安いからだ、とは言わない。言いそうなレイシーの口は塞ぐ。
理由に嘘はない。稼ぐにしろ拠点をどこかに置くにせよ手っ取り早く人手がいるのだ。こちとら最初の区画で死にかけていた人間に戦闘能力は期待してはいない。
有り体に言えば荷物持ちである。
「はぁ……まぁ……お金貰えるなら何でも運びますけど。私なんかよりもっと屈強な人の方が良くない……でしょうか?」
敬語を使い慣れていないのもあるのだろうが、セイラの声は弱々しい。
提示した額は彼女の階級からすれば、格別な報酬でしかも定期的に払われる。何が不満なのか? たっぷりと考えに考えて、ようやく答えがわかった。
自信が無いのだ。幸運というのは意外にも多くの人に降ってくる。だが、掴めるかどうかがそこで問われてしまうのだ。弱者であるセイラは目の前にぶら下がったモノがなんなのかを理解していない……というよりは考えないようにしている。
考えるまでもなく仲間たちが全滅したのが原因だろう。目の前の餌に飛びついた結果の敗北。それ自体は私には全く理解出来ないが。
そんなセイラにできることは……ある訳もない。人が人にしてやれることなど大してありはしない。精々が嘘をつかないぐらいだ。
「どういう訳か……経験豊かな連中ほど組んでくれないのですよ。全員が新入りを舐めてくれてる……そのくせ、レイシーに怯えていますね」
「腰が抜けてるよねぇ、どうせ嫌いならさっさと挑んでくればいいのに」
可愛らしい笑い声をあげるレイシーだが、実力差を考えれば無理だろう。むしろ賢明とも言えるが……なぜ弱者がレイシーに擦り寄らないのか?そこが気にならないといえば嘘になる。
「レイシーは誰かと組んだことは?」
「何度かあるよ。皆死んだけどねー」
それだけが理由ではあるまいが……レイシーの持つ得体の知れない何かを、その事実が補強したのだろう。皆死んだ、だけどアイツは生きている。やっぱり疫病神だ……そんな具合に。
どういう訳か殺伐とした環境ほど人は験を担ぐ。そうした厄介者扱い自体は私にも経験があることだ。少しづつ話を聞く度に、いつの間にかレイシーに興味を抱くようになっていく。
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「それなんですけど……わたしもレイシーさんのこと、もっと怖い人だと思っていました。ごめんなさい……」
セイラがおずおずと会話に加わる。
下位の冒険者にしてはスれていない態度に好感を覚えるが、レイシーは全く逆の意見らしい。
「そう簡単に言うことじゃないけどねぇ。どっちにしろ見た目で判断してるだけじゃないか」
むしろ、何か触れてはいけないところに触れているような……剣の先でつま先立ちしているような危うさがある。
経験が少ないセイラからすれば誠意が敵意で反転してくる事態に、呆然とするばかりだ。
「人は見た目と生まれ。中身なんてどうでもいい……」
第二位の冒険者。若くして強者であり、セイラに劣るモノが一つもないレイシーがなぜだか苦しそうである。どちらが弱者かわからなくなるほどに。
泣きそうになる二人に挟まれるという、奇妙な状態に私は……
「いや、コイツを怖がるのは当然ですよ。そこは別に改めなくていいです」
ついつい助け舟を出す。それがレイシーとセイラのどちらに向いているのかは分からない。もっと言うならば放っておかない自分が分からない。
「変な鎌持ってますし、やることも言うことも極端。その上やたらに強い。怯えないほうが変です。私なら味方側じゃなければ、さっさと斬りかかってます」
事実だ。これまでに多少の損をしてでも排除しようと思ったことが何度もある。特に笑われたときなど腹立たしい。私を笑って良いのは私だけである。
――『お前は武術を習得せねばならない。だが使う必要はない』
思い出から声がした。私は家に義務を捧げるが、家は私に何ももたらさない。
「だからまぁ……なんです? その時々で適当に上手く繕えばいいでしょう。互いが互いの利益になればそれでいいじゃないですか」
「お兄さん、何か悪いものでも食べた?」
うるさいな。お前と同じものだよ。
実際、随分とらしくないことを言った気がする。気恥ずかしさなど家を出てから初めて抱いた気がする。顔から血が上下する感覚と、肺に嫌なものが入った気分がする。
慣れないことなどするものではない。
「でも……うん……そうだね。少し大人気無かったかな。ごめんね、セイラ」
「いいいいいえ!わたしこそ何だかすいません!」
そもそも人と組むという案はレイシーが発端である。もっと反省して欲しい。
これから出会う人間全員に喧嘩を売られれば、私が面倒である。
自分の責任の所在を棚に隠しつつ、切り替えるために手を叩く。
「ともあれ遅いスタートでも、やることはやりましょう。人が集まるまでは既にいる面子で行きます」
おそらくは他の浄銀も遅かれ早かれ、徒党を組むだろう。こちらの有利は、頭一つ抜けている実力者のレイシーがいることのみ。足踏みぐらいは準備運動としてしておかなければならない。
金も稼がなければならない。他所の街にある貯蓄を輸送するには時間がかかる上に、無事ここまで来るかも分からないのだ。手持ちだけではいずれ尽きる。
そのためにやるべきこともある。焦げ茶の髪をじっと見る。顔は標準、栄養状態はあまり良くなく、細い。武器の手入れも拙く、端的に言って素人に毛が生えた存在の女だ。
「ついでに鍛えておきましょう。貴重な弓手ですし」
戦える荷物持ちがいても悪くないだろう。自分は案外に酔狂者なのかもしれない。