第10話・幕間ー〈好愛桜〉ー
それは遠い昔、魔都よりもずっと東の国で起きたこと。
もうその国では彼女を覚えているものはおらず、皮肉なことに遥か西の大陸の民だけが僅かに知っている小さな話。
残念ながら、大陸にもその女の名は伝わっていない。ことの起こった村の名前も覚えている者もいないが、それはどうでもいいことだろう。
当時、東の国では鍛冶は神職であったそうだ。農具を作るというような鍛冶であれば、必要と無知ゆえの例外も記録されているが、戦士の使う刀剣に関しては聖職者のみが行う。それでも問題は起こらないぐらいの人数はいたということだが、恐ろしいほどに徹底されていた。
結果として人数は多く賑わっているが、奇妙に閉塞性も持ち合わせた鍛冶師の村ができることがあった。
そんな村にも農業などを行う通常の村人は必要だった。女は変わった村のごく普通の農家に生まれた。
この女は器量よしではあったが、いささか奇矯というか他者と上手く関われないところがあったとされている。
そして女は恋をした。村の次期頭領……その時は年若い鍛冶衆の青年に。
他者と上手く交われない女は悩んだ。
青年は家柄も良く……と言ってもどう違うのかを女がキチンと理解できていたかは怪しいところだったが……、人柄も練れていて人気者だった。告白どころか、会話にも混ざれない。
一方の女は容姿が少し優れているだけの普通の農婦だ。ある決心をするまでは。
人と話をするには共通の話題が必要だ。
そして青年が女に合わせてくれるはずもない。名も顔も知らないだろう。ゆえに女が青年に合わせる他はないのだが、女は数ある選択の中から最悪を選んでしまう。
鍛冶。
無知が災いして、禁忌に平然と足を踏み入れた女は、最悪を重ねて奇跡を生み出してしまう。
元から才能があったのか、ただの偶然か……今となっては判別する方法は無いが至高の切れ味を持ったカタナを何と見よう見まねで作り上げてしまったのだ。
女はたちまち捕らえられた。しかし、すぐには処刑されなかった。作り出したカタナがあまりにも見事過ぎたのだ。鍛冶衆達が目指していた境地。そこに偶然に至ってしまった産物をどうするのか……青年も含めて皆が思い悩んだ。
結論から言えば、愚かな女は開放された。しかし、それは認められてのことではなかった。
女が作った作物を誰も食わなくなった。女と誰も会話しないようになった。女と誰も目を合わせないようになった。この小さな世界は女を無視することに決めたのだ。
一切の事件は無かった。そう誰もが信じようと懸命に振る舞った。無論、次代の長である青年がもっとも熱心だった。奇跡のカタナは審議の場に置かれたまま。誰かが動かそうとすらしなかった。
世を儚んだ女は身を投げた。そして世界に静寂が戻った。
審議の場……頭領屋敷の中に一本の武器を残して。
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愚かな女が好いた男に贈ろうとした一本の花。〈好愛桜〉。
鍛冶衆の村が戦乱で滅んだあと、人知れず持ち出されて剣士達の手から手へと流れるようになった遺物である。
断片的に残った逸話から所持者は縁を失い不幸になるとされており、異常な切れ味に関わらず次第に忌避されるようになる。しかし、異性との交わりを断って武を練磨せんとする求道者達が手にすることがあり、所持者のほとんどが高名な武人と成った。
極めて作りが良く、現代でも再現不能な武器だが製造時点で神秘が使われたわけではない。
噂を真実と見るもの達によって実際に異能を獲得した希少な例。流れ着いた西方大陸ではその能力から上位遺物として保管されたが、厳密には他の遺物とは異なる。
現在の所有者は第3位冒険者、イサ。皮肉にも東方の剣術を使う。




