第9話・裏口の鍵
世界は調和に満ちている。
それは今も昔も変わらないし、どこであろうともそうだ。
それは場所であれ組織であれ、所属する者がそのように行動した結果としてそうなっている。人も魔も獣も、等しく努力した結果に秩序を作っているのだ。
逆に言えば中に入り込んだモノが、その努力を怠ったりだとか壊そうとか思えばあっさりと瓦解してしまう。例えば魔物。魔都カルコサには普通にいるがために麻痺しがちだが、外の魔物は獣の社会を逸脱しようとした存在だ。外部のモノであるはずの冒険者や騎士といった人間が早々に討ってしまうために、獣達は形を保っていられるのは皮肉だが……もし外からすらも止めようとしないのなら既存の種は駆逐されて、そこは魔物の社会へと変わる。
魔都カルコサ。それこそは世界の異物であり遺物だった。
永遠を目指して進展しない、かつての黄金期を繰り返し続ける理想郷。例え外から来た者から見れば、地獄にしか見えないような都市であっても恩恵を受ける側からすればコレ以上の世界は存在しない。
問題なのはそれをどうやって維持しているのか……そして他の世界にどう影響を与えているかだ。
遠からずカルコサは滅ぶ。魔物と同じように、外から来たモノ達によって壊されることになる。それによって魔都と繋がる世界もまた……
「ゆえにより良き変化であることを願い、行動するのみよ。お主らがそうしておるように。今や我々と地上の境目は曖昧ゆえに、何かを壊したりでもせん限りは姿を現すことぐらいはできる」
「……それは、カルコサの力の源が貴方達の側……地下の側だからですか?」
「相変わらず聡いの。可愛げが無さすぎて生徒にはしたくないわい」
喋る肉塊に向けてイサは温めていた考えを出した。わかったからと言って何が変わるわけでもないが、そうした物思いに耽るのもイサは嫌いではない。現に会話の種になっているのだから。
「地下にいたミミズ人間どもを見れば分かること。あれは一体一体が灰の騎士で言うところの上位種とほとんど互角。地上には数名しかいなさそうな実力者が、地下には溢れている。どちらが重いかは明白というものです」
「その僅か数名の力。そして何よりも狡猾さと大胆さによって、我らは時の流れより取り残された。力を持つものが勝者になれるとは限らん良い見本だな?」
「良いことではないですか。性能だけで全てが決まるよりは波乱が多い……聞いている限りは詐欺にでもあったようですね? 何か体のいい契約でも結ばされましたか?」
肉塊のヴォルハールは賢者だ。その賢者も貪欲な銀狼の思考には舌を巻く。
再会してからずっとイサは大まかにだが、正解を突いているのだ。時がどれほど流れたかを考えるのなら、ほとんどあり得ない慧眼のように思えてくる。
「お主……どこまで知っておる?」
「いや、全然。全部当てずっぽうです」
しれっと語るイサに、肉塊が奇妙に歪んだ。あるいは開いた口が塞がらない、というやつかもしれない。
ヴォルハールはイサを過大評価している。というよりは賢者らしく理屈を考えて、熟慮の末に口を開くヴォルハールからしてみればイサのようにとりあえず喋ってみる手合が理解不能。
イサからすればどう発言しても損は無いというだけのことなのだが。
「とは言いますが、全くの根拠無しというものでもない。古今東西、力で勝る相手に対して人は策を弄してきました。酒を飲まされて倒される竜。後ろから刺される半神。美女に釣られて顔を出す魔獣……枚挙に暇がないとはこのことですね」
「ふん……儂らも滑稽な神話よろしく、間抜けを晒した敗残者というわけか」
「ふふふ……まだ負けていないんでしょう?」
「お主というやつは……まぁいい。ここに来たのはある種の助言をしに、だ」
肉塊の雰囲気が複雑さを帯びていく。哀れんでいるようにも見える。期待しているようにも見える。
その視線にイサは覚えが有った。奇異なるモノ……理解不能でどう動くか分からない、異物を見る目だった。冒険者として生きてきて高位まで登ったイサにも幾らかそうした目で見られた経験というのはあるのだ。
「レイシーではなく、私に? それはいささか不思議で面白いですね」
自信過剰で尊大にも見えるイサだが、同時に客観的に己を見ることもできた。それを両立させるからこその異常者ではあるが、名のしれた戦士には不思議と多い傾向でもある。
魔都を地上と地下の双方を征服する一番槍となる。その自信はあるし、そのように行動してもいる。だがこの冒険を一つの物語として見るなら、イサの役割は強い脇役程度の位置にあるだろう。レイシーのように生まれながらの宿命を背負った存在では無いのだ。
「地上王は感知しているようだが、我々も知らぬその武器……それは鬼札と成り得る。決して手放さずに、振り時を間違えるでないぞ」
「好愛桜が? 手放す気は毛頭ないですが……それほどに重要とは思っていませんでした。私はカタナのおまけですか?」
「それは魔法を付与した武器ではない。にも関わらず、その恐るべき異能……この時代の人間と同じように、思わぬ方向から事態を解決する糸口となるであろう」
ふぅん、とイサは愛刀を抜いて見やった。
好愛桜にまつわる逸話は大体の所は承知している。宿った異能は物質精神の両方を切断可能、それも所有者の熟練次第で切るも切らぬも自由自在。
便利だとは思っているし、強いとも感じている。しかし結局は武器である。手足の延長にはなるが、重要な局面で大局を変えるのは己だと思っていたのだが……
「意外に重要な物だったのですね。いえ、意外だからこそ重要?」
「左様。それをもってすれば聖盤……否、太陽と月が揃っていようともあるいは……」
「ほう?」
「……喋りすぎた。此度はコレで帰るとしよう。年寄りの忠告を忘れるなよ」
「ええ、地上が終わったら礼を言いましょう。それとヴァールナとは喋れませんでしたが、お元気で」
鏡の女が一礼すると、肉塊ともども既に場から消え失せていた。
イサは二人が消えた跡をじっと見ながら、鞘で地面を叩いてみた。僅かに水が張っているのが分かる。
「ふむふむ。なるほど、なるほど。水底の住人とはこうしたものなのか……しかし、喋りすぎたなヴォルハール。いやいや、あちらのほうが年上だ。それだけ老獪なはず……わざと色々な取っ掛かりを残したのでしょうか? ははっは!全く誰の味方なのやら! 実に面白い!」
地上王は好愛桜を知っている。神代の聖盤よりも高位と思しき“太陽と月”。
断片的だが、それでも推測の材料ぐらいにはなるのだ。
「いずれにせよ、私が〈好愛桜〉をまだ使いこなせていないということですね! くっははは! この年になってまだ伸びしろがあるとは! これを持ち出して勘当されただけの価値はあった!」