第5話・カレル隊出発
一同は揃って上層区画に足を踏み入れた。
居並ぶ建物はどれもが金銀で飾られている。施された装飾は蛇や蔓といった長い生命がモチーフであるようだった。その装飾は遥かな時を経ても劣化が見られない。灰の上位騎士がまとう甲冑と同じ不可思議の力が施されているに違いなかった。
同時に異常にカビ臭い空気が鼻をつく。建物が風化していないというのに、空気だけが廃墟のそれであるということはひどく感覚を乱される。正体は下層区を覆っていた瘴気と同じなのだろうが、色が変わったような感覚は襲ってこない。
ここまでたどり着いた探索者達は、その奇怪な感覚すらも感慨深く思う。
「魔都全体にかけられている奇天烈な術……中心に近づくほどに強力なようだな。武術などと同じと考えれば、洗練されているほど静か、というわけだ」
「貴方達が見たような灰人の破裂。そして歪んだ建造物と空間。限界が訪れたことにより強力さが仇となっているのかもしれません。遠からず魔都は中心から崩れていくのでしょう」
コールマーとイサがうなずき合う。嫌われているのにこうした場ではひどく溶け込んでいるイサを見て、サーレンがげんなりした顔で混ぜ返す。
「その前にここの長を見なけりゃな。後に気になることを残しておくのはひどく癇に障るからな」
それは確かにそのとおりだった。冒険を半ばで放り投げるのは浄銀の名折れ。そして他の探索者達も思いは同じなのだ。しかし実力面で通じるかも気になるが、それ以上にこの得体の知れない“力”がいつまで持続するか……それこそが問題なのだ。
仮に一行が塔を登っているとしよう。そこで魔都の寿命が来たら、一同揃って地面へと落下して息絶えるのだろうか。それとも何事も無かったように地上に立っているのか……それを判別する術が現代の人間にはない。
「妖術など使えない我らには明確な期限が分からないのが痛いですな。戻れる回数はさほど多くないと見るのが無難。一度か二度にしておくがよいかと、頭目殿」
「カレル、カレル。頭目はお前ですよ?」
諭すように言葉を返したが、イサとしては恐らくは一度帰れるかどうかだと考えていた。この辺りは勘である。だが、高位冒険者の勘というのは案外に馬鹿にできないものがあった。実績を積み重ねる過程で、自力ではどうしようもない場面というのは幾度も経験している。その経験値こそが、無意識に計算をして頭脳に訴えているに近い。
そして不思議なことにイサは探索の中でカタナを灰騎士達に振るう度にその感覚が鋭くなっているように感じていた。イサは戦いの天才ではあれど、レイシーのような特殊な生まれという訳ではない。根拠が説明できないためにその内心は隠したままだ。
当の特殊体であるレイシーは後輩へとちょっかいをかけている最中であった。
「じゃ、セイラが副頭目? 凄い出世だねー」
「流石に冗談でもそれはちょっと……まぁお給金に大分色が付きましたけど」
「……我は貰ってないのだが」
「カレルは実力相応の地位。セイラは見合ってないので危険手当。理屈に合っているでしょう?」
「何一つ合ってねぇよ。大体なんでリーダーに部下のお前が給料出してんだ。もうそっから意味不明だ」
元々が俺の手下ですし。という言葉をイサは飲み込んだ。
今更ではあるが、報酬を分配するという形態ではなく定まった額に色を付けて渡す……というやり方はこの時代ではかなり特殊な部類に入った。外で名を挙げて一財産持っている上に、リンギのように手勢が多いわけではないイサだからこそのやり方である。サーレンの言葉は最もだったのだ。
追従するような笑いが後ろから上がる。
リーダー格の気のおけないやり取りで、緊張で強張っていた班員達も幾分は穏やかになれたようだ。イサの班以外は顔も明るくなっている。
「ところでさ。ずっと気になってたんだけど、お兄さんの新しい部下の人たちってなんでずっとむくれてるの? 態度もそうだけど……こう、物理的にも?」
イサの後ろの4人だけは顔が変わっていない。
変わっていたとしても判断するのが難しいだろう。女性であるマセラドには流石に多少加減したらしいが、それぞれの顔は赤黒くなっており、頬のあたりは腫れ上がっている。こめかみにも擦れたような跡が全員に刻まれていた。
「ああ……足手まといになられても困るので、少々キツめの訓練をしたせいでしょうね。どうです、この目つき。もう一人前と言っても良いんじゃないでしょうか?」
よくよく耳を澄ませば、イサの班員たちからは呪詛の声が漏れ出している。今に見てろよ、とか。後で覚えてろ、といった類の恨み言だ。
いつもならば相棒を傷つける者は快く思わないレイシーも、これには流石に引いた。
「……うん。凄いね、目つき。殺意って感じ。対象がお兄さんだけど……なにしたの?」
「肉体を鍛え上げるのには時間が無さすぎたので、強敵相手に対する慣れを植え込んだのですよ。具体的に言うとさっきまで私とぶっ続けで模擬戦闘をしていました」
「うわぁ……」
模擬とは言え打ち据えるぐらいはしたのがコルーン達の顔から分かる。数日間イサと幾度も試合をすればレイシーですら全勝とはいかない。
しかもウロボロス教団が撤退した今では水薬が手に入らない。手当は一般的な治療のみに留まる。相当痛みと恨みつらみが溜まっているはずだ。
「あー、後ろから刺されたりしないでね?」
「私に対する恐怖もばっちりと植え込んだので大丈夫です。口ではこう言っていますが、全員指示を出せば完璧に従ってくれますよ……下地がそこそこだったので4人合わされば、灰騎士とも何とか戦えるでしょう」
自慢の作品を見せびらかすような口調にレイシーの口角もひくついたが、逆に言えばそれだけしてようやく戦えるかどうか。それほどの相手が中層からこちら上層にかけての戦いというものなのだ。
そこに好き好んで残ったのだから贅沢は言えなかった。
「カレルの直属は?」
「悪くないですね。個々人はそこそこ止まりではありますが、連携が良い。ちょっとした将軍気分を味わえているところで」
「騎士達を中心にしたのか。傭兵からの参加者はいたか?」
「いましたよ。彼らこそが真の物好きと呼べるかも知れない。数は両手の指には届きませんがね。編成としてはコールマーとサーレンの班に分配しました」
「何とか“悪くない”まではこぎつけましたか……さて、隊長。そろそろご命令を?」
雇い主の笑顔を全力で無視して、カレルは胸甲を叩いて打ち鳴らした。カレルはかつての戦いで片手を失っているが、その音は力強い。その響きに残留探索者の一同は、私語を慎んで注目した。流石に直立不動では無いがそれぞれの柄を考えれば、まずまずの一体感だ。
「ではこれより……我々カルコサ最後の探索者集団は、魔都上層区画の攻略に乗り出す」
これまでの長い歴史において成されなかったことを成す。
集団が宿すのは未知への好奇心と名誉欲。宝物を追い求める者はもういない。彼らこそが全き冒険者だ。
「目的は魔都中心部にあるカルコサ王城の攻略。そして、この顔ぶれの出来うる限りの生還だ」
そして冒険はいつまでも続く。
地上を征した後は地下があるかもしれない。
必死の覚悟を持って眼前へと進みながら、まだ遠い先へも思いを馳せる愚か者共が彼らだ。
「不確定要素は多い。むしろそれしかないというほどに。だが、カルコサを攻略したのは誰か? その互いの証人となるべく多く生き残ることが必要なのだ。それが次の冒険へと繋がる」
一旦の冒険に区切りをつけるべく、一同は前へと目を向ける。
ここで成功すれば、彼らの名声は比類ないものになる。そして魔都カルコサに根ざすかつての賑わいも戻ってくる。
「理解できたのなら行くぞ。全員、進発せよ!」
その大音声に、探索者達は武器をかかげて応えた。