第25話・安らぎへと落ちる
レイシーを中心とした攻め……ではない。今デメトリオはほとんどレイシーとの決闘へと挑んでいる。理由は単純に突然の強化を果たしたレイシーが強すぎて、割って入れるような存在では無くなっているからだ。
デメトリオは基本的なことを失念していた。
そもそもウロボロス教団がなぜレイシーを狙うのか。それは新しく発見された聖盤をその身に宿し、新たな“聖体”と成り得る者だったからだ。最初に“増強”を宿した聖人のように、取り込むつもりだ。
殺さぬようにしなければならないのも、聖盤を宿して無事にいられる者はごく僅かだからだ。だがもし……最初の聖人のように人としての姿を放棄することもなく、力を使いこなせる者がいたとしたら……
デメトリオほどの男がこの可能性に気付かなかったのは、今回の指令を他人事のように受け止めていたため。そして、最強の己を倒せる強者たちとの死闘の果にこそ最期を迎えるという夢想のため。
デメトリオは悪く言えば悲壮美に酔っていた。それを今、思い知らされている。
「はぁぁっぁ!」
「……ぐっ!?」
常に無い勇ましい声を上げながら、レイシーの振り下ろしがデメトリオへと炸裂した。振り下ろし自体は剣で受け止めてはいるが、ハルペーの形状から肩に刃がめり込むのは避けられていない。
強化されたデメトリオをさらに理不尽な強化をもってして上回る。誰が見てもデメトリオの劣勢であり、先程のように酩酊した様子はデメトリオから消え去っていた。
……己を縛る足かせと断じていた要素の数々。それもまた自分であると受け入れて、一個へとならんとする。
勿論、一朝一夕とは行かない。あの日以来これまでも人知れず磨いてきた。そしてこの戦い程度で終わるようなものでもない。
レイシーは怪物と言われ、避けられてきた。それがどうした。避けられるのならば、こちらから向かうのみ。人生という長過ぎる戦いに勝利するために、そして何よりも唯一無二の相棒が誇れる自分でありたい。
心技体、全ての努力に終わりはない。常に発露するのはその時点での最強に過ぎない。ゆえにレイシーの進化は現時点での成果に過ぎないが、それでも尚最強の聖騎士すら凌駕していく。
「立ち直らせるつもりと、そのための刺激物に過ぎないと思っていましたが……」
もはや音すら置き去りにしかねない勢いで振るわれるハルペーをデメトリオは太陽剣で受け止める。同じ最高位の遺物同士でつばぜり合いは成立するかに見えたが……デメトリオが拮抗できていたのはほんの一瞬だった。崩れた均衡から叩き出された騎士は、盛大に後ろへと吹き飛んでいく。
水底の住人……正真の怪物が持つ身体能力。それは“増強”された騎士の筋力でも叶わなかった。
「最高の敵手をさらに強めてしまったようで、我ながら……良い選択だったようですね」
レイシーが前衛へと変わったことで、イサはほとんど傍観者の立場まで落ちていた。隙をうかがってもいるし、両者の動きを一つも見逃してはいないが長柄のレイシーが前で暴れるのならば下手に割り込めない。
横から複雑な関係の相棒が放つ輝きを鑑賞する他やれることは無かった。
「レイシーさん、凄い……前から強かったですけど、デメトリオさんをああも……」
「レイシーの動きは全て適当なようでいて、その実しっかりと理に適った動きをします。生まれと環境のせいで捻くれてはいましたが、根が素直でマトモなのでしょうね。実戦で練り上げられた、理の動き。ならば……」
「デメトリオもまた同様。正統派の権化のような男。ならば同種であるがゆえに、飛躍的に強化された副頭目殿に対しては圧倒的に不利……というわけか」
問題はなぜレイシーがああも強化されているのかという点なのだが、いつものようにイサの無茶が良い方に回ったという点で特に疑問に思われていなかった。
動揺は全てがデメトリオの物になっていた。
「これは、何を意味する聖盤だ……! このように直接的な強化をもたらす恩恵が“増強”以外にあるとは……! レイシー様、どうやって……」
「さぁ? お兄さんに押し付けられた物だから知らないよ。でも慣れるとこれほど分かりやすい力も無いと思うね。ボクほど極端な人はそうそういないだろうけど」
〈混交〉が本領を発揮し始めた。
かつて宿した直後の暴走状態とは最早桁が違う完成度で、レイシーに宿ったあらゆる要素を適切な形で表していく。今のレイシーは〈混交〉を自分の意思で駆動させているのだからさもありなん。
使いこなせているにはまだ遠いが、それでも聖盤そのものを宿したレイシーと恩恵物の使用者に過ぎないデメトリオでは大きな開きがある。
完璧には遠い状態でこれを開帳したのには、レイシーなりの理由が幾つもある。合理的な理由も当然あるが、それよりもなによりも。
「お兄さんが哀れだって? よくもボクの前で言ってくれるよ……挙げ句に君みたいになると来た」
「は。本当のことを言われて頭に来たわけですかな?」
レイシーは怒っていた。
自分の相棒、好敵手、運命の人にして導き手。レイシーにとってイサは一言で言い表せない重要人物であり、それを自分以外が侮辱するなど許せはしない。
「もちろんだよ。お兄さんは行き着く果てに、最高の宝を得るのさ。勝敗は別の問題だけど、それはもう決まったことだ。だからさぁ……」
〈蛇神の顎〉の一撃をデメトリオは再び受け止めた。
しかし、今度はつばぜり合いになどならず……デメトリオの視界は嵐の只中に叩き込まれた。
鎌の形状を利用して、レイシーはデメトリオの甲冑に先を引っ掛けたのだ。そして、デメトリオを吊り下げて地面に幾度も叩きつけ始めた。
それは異常な光景だろう。子供にも似た体格のレイシーが、甲冑姿の男を洗濯物のように振り回して遊んでいた。やられている側からすればそんな牧歌的なものでなく、全身が悲鳴をあげて幾つもの内出血を拵えさせられていた。
「お兄さんの行く末はボクだけが識るべきものだ。ぽっと出が横からしゃしゃり出てくるものじゃあないよ。君が気にするまでもなく、お兄さんは君をあっさりと超えて先へと連れて行ってくれるんだから」
「ま、まだまだ……」
総身から力を振り絞って、筋肉を限界まで張り詰めさせたデメトリオが連撃から強引に離脱する。一度無事に受け身を取って、レイシーのハルペーではなく己の鎧を破壊することで先程までの地獄から開放されたのだ。
しかしそのような状態では逆転の目はもう無い……絶望に抵抗するためにデメトリオは初志貫徹すべく全てを出し切ることを一瞬で決断した。
「太陽よ……我に最後の輝きを……水底すら照らす導きを……」
逆転の目は無いはずだった。比喩ではなく燃え上がるデメトリオの腕。
まさに太陽と化した太陽剣を握ることに甲冑もデメトリオ自身も耐えきれていない。デメトリオ自身が意識したわけではないが、紡いた言葉のとおりにそれはレイシーの体から水底の力を萎えさせる効果すら持っていた。
最高位遺物は伊達ではない。太陽剣は人の手に完全に余る存在であった。
完全なる優勢から突如としてじりじりと後退をレイシーは強いられる。ここに勝負は決まった。
「合わせろ、レイシー!」
「! うん! お兄さん!」
相手は一人では無いのだ。
イサが好愛桜を手に熱の領域へと躊躇することなく踏み出す。熱が浄銀を焦がし、衣服の耐火性を超えたが一切構わない。
デメトリオは何も手に入れられないと告げたが、イサは既に手にしている。仲間からの信頼を。
「しぃいいいいいっ!」
呼気と共に放たれる銀閃が朱を切り裂いていく。イサが狙ったのはデメトリオではなく、太陽剣が作り出した炎熱だ。炎に切れ目が入り、すぐさま閉ざされようとする一瞬。それがあればイサの相棒にとっては十分な時間だった。
「やぁっ!」
可愛らしい気合と共に、銀が切り開いた道を進む青閃。長柄のそれは正確に道筋を辿った。
「ははっ……やはり負けたか。これで、ようやく……」
己を長い間頤使してきた神の遺物が、彼に長い安息を運んできた。
蛇神の顎はデメトリオの胸へと到達して、最強の騎士はここに崩れ落ちる。