第19話・第二の伏兵、槍士
多少のヒビだけを残して未だ健在の石畳を革のブーツが駆けていく。イサ達、囮はこの日のために入念な準備をしてきたがここは何時も通りだ。
追いかける側と追いかけられる側がいる以上は速度が重要な場面は多いのだ。鉄靴ではこうはいかない。
今も懸命に追いかけて来ているであろう騎士たちの足取りの重さはいかばかりか。
「殺してもよければ、このような迂遠な真似をせずに済むのですが……これはこれで嫌いではありませんが、じれったい!」
「童心にかえるのもたまには良かろうというものです、頭目殿。私としては殺さずに済むのは大変にありがたい」
「ははっ! やはり、良心が咎めますか?」
「それは無論。頭目殿のように割り切れる方は滅多におりませんぞ」
元騎士であるカレルにかつての同輩を殺せというのも酷なことだ。そこを思えば今回の無理難題はある意味良心的とさえ言える。
そう。今更ではあるが、今回の戦いの肝は騎士派閥からの喧嘩を買った上で死者を出さないこと。冒険者というものが組織化されて以来、遍歴・遊歴の騎士達は英雄譚の花形を奪われてきた。とはいえ、社会的にどちらが強いかと言えば職業を示す冒険者よりも社会的身分を示す騎士の方が上だ。
世界がカルコサだけで構成されていない以上は、外の常識というものに合わせる必要がある。もちろん魔都探索が困難な中で探索者同士で争っていても不利益なだけということもある。
「アンティアは……いないんだねー、ちょっと残念。面白そうだし、一回ぺしゃんこにしたかったんだけど」
レイシーの声に絵に描いたような凛とした姿を思い出す。女性としても戦士としても、イサとしては好ましい相手だ。前線で指揮を出している姿通りに、彼女は一種のまとめ役めいた立場の一人だった。
騎士達の幹部はあの麗しき女騎士以外も見ない。今回の行動がわりに合わないと判断するだけの頭が付いているのだろう。裏から出された餌がどれほど美味でも、毒は毒なのだ。
そしてその意図に乗ってしまえば、騎士達は結局使われる側で終わってしまう。名誉に実が伴っていなければ意味がないと考えるものは、その逆の考えを持つものと同じくらい多い。
ここで勝たねば明日が無い手合は乗らざるを得ないだろうが……
「流石にコレに乗るほどアホでも無いでしょう。確かに剣を交えるなら多少面白そうな相手であるというのは認めますが、出てきたら出てきたで同時にがっかりです……っと金かけてますね」
再びの足音。
流石に先程よりは数が少ないが、それでも無視できるわけではない。
いや、場所が路地に入ってからということを加味すれば知っていて配置しているのだ。どういう訳か、裏で糸を引いている者はイサと同程度の知識を持つらしい。
普通に考えればそれはあり得ない。だがイサよりも先に進んだ者がいるということを、イサ自身が確信していた。手札を温存する気がさらさら無いのも、そこから来ている。
狼面の冒険者は先程とは違い、気の利いた召使へとするように指を鳴らした。そこには珍しく親しみが込められているが、相手には勿論届かない。
「出なさい、サーレン。きりきり働くのです」
「素直に助けて下さい、って言えや!」
馬が屋根を蹴り、跳躍する。粗雑だが同時に神経質な顔を馬の面の下に持つ無頼漢にして、浄銀級冒険者の一人。カルコサ最高の槍使いが伏兵として登場した。
影との戦い以降、仲間を持っていない槍士は単独での技に磨きをかけている。狭い中でも、その変幻自在の槍さばきが衰えることはない。
見計らっていたのだろう。降り立つと同時に傭兵らしき一団と出会したが、角から相手がわずかに顔を出した瞬間に、その眼窩に石突きを食らわす。相手がのたうち回り悲鳴をあげるせいで後続は二の足を踏んでいるらしく、奇妙な空白時間が生まれた。
「殺しちゃ駄目って言ってもよ、多少の怪我はするんだぜぇ!?」
「どこのチンピラですか。そこまでしたら、殺すよりも恨みが尾を引きそうです」
常態で恨みを買う男が口にするセリフではないが、ある意味で正しかった。この戦いで手足を失った者たちには死よりも哀れな生が待っている。
「だってよ、それは組合の都合じゃねぇか。俺が付き合う理由はねぇ。むしろ覚えていることに感謝して欲しいっつうの。この状況で文句つけてくるのは相手がおかしいわ」
ならばいっそ殺してやることこそが慈悲。腕を失っても戦える、カレルのように器用な者ばかりではない。
「はいはい。その調子でひるませ続けて下さいね」
未だにぶつくさと不平を漏らすサーレンを尻目にイサは移動を再開した。イサはサーレンを非常に高く評価していた。技量的にもイサとさほど変わらない男に心配は無用だ。
そしてサーレンとは違い、己が楽しければ良いのだ。
「お兄さんとサーレンって仲良し?」
「こっちはそのつもりなんですがね……? どうにも天の邪鬼な男ですよ」
「いやいやいや! アレで仲よくしてるつもりだったんですか、イサさん! どう見ても喧嘩を売りっぱなしで、喧嘩の商品棚みたいになってますよ毎回!」
「そうですか? まぁ買ってくれるのなら嬉しいんですが」
「やっぱり売ってるんじゃないですか!」
札を次々と使い捨て、一行は楽しげに『次』へと向かう。
何もかもがお膳立てされたような流れから、セイラ以外は先に何が待っているのかを朧気に感じ取っていた。