青と銀
セイラ達が槍持ちと呼ぶ怪物のことを、イサは大変に軽く見ていた。イサからすれば、負けようとしても出来ない程度の相手なのだから仕方ないのだが。
だからイサはついつい助けてしまっていた。まさか、この程度の相手に三人がかりで全滅しそうになっているなど……それこそイサには理解不能である。
才と力量の差は悲しいほどに認識のズレを生んでいた。しかし、それはそれで良いことなのかもしれない。イサの上にも世界は広がり、そしてセイラの下にも人はいるのだから。
片腕を失った怪物はやせ細った体を震わせて、悲しみに打ちひしがれているようだった。残った左腕で腕を掴み、懸命に付けなおそうとしていた。
「せいっと」
その哀れな姿にも無情に鉈を振り下ろす。その様は剣士というよりは処刑人のようである。分厚く切れ味の悪い鉈で、細いとは言え魔物の首を落としたのはイサの技量によるものだった。
転がった緑の顔は、嘆きのまま固定されて見開かれた異形の目からは涙が伝っていた。
それをセイラは呆然として見ていた。自分たちが殺されかかった相手を、呆気なさ過ぎるほどに一瞬で始末されては言葉もない。
なにせ彼女からすれば、狼面の剣士が近付いていたことにすら気付いていなかったのだから、感謝する気にさえなりはしない。
「焦げ茶色の人。大丈夫ですか……色んな意味で」
髪の色で呼ばれているのだとセイラは気付いて、相手の顔を直視した。
こんな相手に苦戦するなど、何か問題でも抱えているのではないか? イサの目がそう語っていたために、セイラは礼を言う機会を逸した。
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転がる遺体からイタチの面とリスの面を剥ぎ取る。
片方は陥没しているために、階級章も取っておく。別に金銭目当ての剥ぎ取りではなく、死亡報告のためだ。他者に対する気遣いがおかしいイサでも、こうした義務を果たそうとする心はある。
「浄銀の仮面を貫いた? いや、よく見るとこの仮面……気のせいか、薄いですね」
「鍍金です。私達は最下級ですから……」
「ふぅむ。変なところで差を付けるものです。鍍金でも値が高いことには変わらない……技術代込みだと特に」
膝を抱えたままの鼠の面が虚しく笑った。
生気も覇気も無い空虚な声が、主のいない家に響く。
「……貴方みたいな高位の人は専用のモノを誂えて貰えますけど。私達のは使い回し。ひょっとしたら浄銀も偽物かも知れないです」
「へぇ。あの組合長は案外に吝いのですね。気風の良いように見えて俗っぽい。叩けばホコリが出たりはしませんかね……ちょっと面白そうです」
何が面白いのか、全くわからないという目でセイラはイサを見ていた。
そんな下っ端を欠片も気にした様子がないイサはさて、と洩らしながら雑嚢に遺品を詰め込んだ。
「私は今日は隣の区画に行く予定だったので、もう行きます。貴方はどうしますか?」
「ええっと……とりあえず組合に戻るつもりです。出来れば……助けて欲しいのですが」
「? なぜです?」
「なぜって……」
全滅しかけた者が戻るのはおかしいことではない。最下級の冒険者であるために、恥を捨てて助けてくれと願うことも不思議ではない。
だというのにそれが分からない、とイサは首を傾げている。助けることが嫌なわけでもなく、面倒でもない。ただ単に本気でよく分かっていない。
イサは分かりやすく自分本位な人間である。他人は他人であり、行動を他者からの影響で決めることが無い。そして同時に、自分が他人に何かしてやれるとも思っていない。
人と人との繋がりなどその程度だと見切ってしまっている。
「……私は弱いので、一人では入り口に戻るまでに死んでしまいます」
「はい」
「後はえーっと……その二人も私の仲間なので、報告や弔いぐらいはしたいので生きて帰りたい。それに私も死にたくありませんので助けて欲しいな――ということ……なのですが」
「ああ、成程。それでは入り口まで護衛しましょう」
今度はさっくりと通る話に、女冒険者は目を白黒させた。
優れた人間には常識が抜け落ちた者が多いという言葉が真実のように思えたが、気が変わられても困るセイラは急いで準備を整えた。
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まさか本当に送っていってもらえるとは思わなかった、という顔の冒険者を組合まで送り届けてからイサは再び活動を再開した。余計な道草を食ったとは思わない。それでも早く次へと向かいたかった。
「らしくもないことをしてるねぇ……弱そうなお姉さんだ。結局は死んじゃうでしょ」
「だが、今日ではなくなる」
高い声が耳に入って、イサは嫌そうな顔をした。
鉈の柄に手をかけながら、声の主をにらみつける姿は戦意に満ちていた。実力差など考えてもいない。笑われた恨みがまだ残っていた。
「……貴方らしいこと、とは人の試みを笑ったり魔物をけしかけることですか、レイシー?」
「人聞きが悪いなぁ。試練を与えるとか、行動を尊重するとか言って欲しいよ。実際にお兄さんはなんともないじゃないか」
それはイサが強者であったからこそ、どうにかなったことである。他の新人にあんな真似をすれば、死んで終わりだ。
「それに、自分の目で見なければ信じないでしょ? ボクらは皆がそうだ。喉元に敵の牙が突き刺さるまで、それが何なのかさえ分かりはしない」
「賢しら気な事を言いますね。確かにあのような不可思議は体験しなければ信じない……ついでに貴方のことも疑ってみましょうか?」
叩きつけられる剣気を前にしてもレイシーは笑みを崩さない。全てが素通りするように感じて、油断を晒しそうになる。
「どうかな? お兄さんもボクを化物だと思う?」
「化物かどうかには余り興味無いです。ただ貴方が私の行動を妨害するかどうかは問題ですね」
答えにレイシーは少しだけ目を大きくしたあとに、口角をさらに吊り上げた。
「やっぱり君は面白いね、イサ。安心して、ボクは味方さ。なにせボクは君と一緒に行動するわけだし」
「……なんですって?」
全く聞いてない方針にイサは困惑する。
この私がこの奇人と? 何の冗談だ。そう目で訴えるが、イサはけらけらと笑って手を振る。
「さぁ行こうか相棒のお兄さん。事情を聞けば、お兄さんも相棒が欲しくなるさ」
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門と隣接する区画を抜けて、さらに一個東の区画へと行けば、再びほんの少しだけ空気が変わる。徐々に緊張感が増していくとすれば何とも作為的だった。
ほんの少しだけ肌にひりつくような緊張感があるが、これはここにいる怪物がさらに強靭になっているということだろうが……
「だが、まだ貴方と共闘する段階にあるようには思えませんね。少なくとも問題を棚上げしてまでには」
「そりゃそうさ。正直なところを言えば下層はボクやお兄さんが苦戦するような相手は少ないよ。いないわけじゃないけどね」
「下層?」
レイシーは芝居がかった仕草で手を広げる。
おどけた道化師のようだが、レイシーは人を笑わせる側ではなく笑う側であるため似合っていない。灰色の髪が少しだけ揺れる。
「冒険者っていうのも切った張っただけじゃないんだってさ。学者肌の人もいて、ここで集められた文献や手記を元に色々調べてる。……何が楽しいのかはよくわかんないけどねぇ」
それによれば、現在いる地点……というよりは円周の外郭部分は今で言う貧民などの下層民の居住区だったはずであるとのこと。
どうやら王城があるらしい中央部分に近づくほど高い身分の居住区になっていくという、古典的な作りになっているらしい。古典的もなにもこの都市が現存する中では最も古いとされているが。
「それで? 今はどこまで踏破されてるんです? 中層や上層は手強いのですか?」
「さぁ? 誰も下層から出れてないし、知らない」
「……なに? 今までの冒険者は何をしていたんですか!?」
同格は置いておくにしても第2位が二人、第1位まで揃えておいてそれでは恥とさえ言えないだろうか? そう睨むが、レイシーの笑いは崩れない。
「別になにもしてないわけじゃないよ。見たし、味わったでしょ。どういう訳かこの街は決まった道しか通れないんだもの」
「まさか……」
「そうだよ。中層……かは分からないけど上へ上がれる門を今までに3つ見つけたけど、通れなかったんだ」
あり得ないと言いたいが、実際に壁の上からは通れなかったのだ。認めるしかないだろう。レイシーの甘い声の囁きは続く。
「洗礼で東を見てこいっていうのも不思議に思わなかった? 入り口である正門から西へも行けないからさ。だから通れる門は多分、街をぐるっと回った先にある南門だ。馬鹿らしいよね、近くにいくために全力で遠回りしなければいけないんだ」
「待て、待って下さい。なぜそんな仕組みに? それではまるで……」
侵入者を阻む技術があるのなら、完全に封じてしまえばいい。それを遠回りとはいえ部分部分開放してあるとなると、むしろ来て欲しいかのようだ。それも強者に。
強者と弱者を選別して選ばれた道を通らせる通過儀礼。それを誰かに課せられているような気分になる。……考えすぎだ。この街に来たのは私の意志である。そして街から出るのも自由である。何も問題はない。
「それではまるで?」
「……いや、なんでもありません。しかしソレがなぜ私が貴方と組む理由になるのです?」
レイシーは教師のように指を立てた。
人にモノを教えるのが楽しいようで、ニコニコと笑っていた。立てている指は一本。
「まず一つ。この街は大きすぎるから探索するなら必ずどこかで休まないといけない。だから、ボクたち真面目な冒険者はチームかペアで行動するんだ。荷物を背負ったまま戦えるぐらいには強くないといけないけど、お兄さんなら問題はない」
つまりこいつは私を荷物持ちにする気らしい。そう気付いたイサは再び鉈を頭に叩き込みたくなる衝動と戦いだした。
レイシーの言っていることは間違ってはいない。食糧を持つのは先の階層に進むには不可欠だろう。水はどうするかと問えば、生きている噴水などはまだあるそうだ。
「そして、第二! なぜか誰もボクと組みたがらない」
「当たり前です。一度、自分の頭の中身を見た方がいいかと。もしくは口を縫うか」
イサの評価は厳しかった。
しかし、何が気に入ったのかレイシーはかえって上機嫌になってしまった。イサはまだ組むとは言っていないが、もうそこは気にもならないようだ。
「あはっ最後、第三。ボクがお兄さんのことを気に入っています」
「第一以外は全部個人的な理由じゃないですか……」
もう勝手にしてくれ。ともあれ、戦闘能力だけで見ればレイシーは申し分ない相棒だった。この際、利用するだけ利用する他はない。
「じゃあまずは門へのルートを確定することから。奥に行けば結構良い魔物もいるんだぁ。ソレが済んだら他の組と合流だね。愉しみだねぇお兄さん」
「はいはい。そうですね」
聞き流しながらイサは足を進めた。とりあえずはこの区画の魔物を拝んでおきたいところだった。