第10話・手を携えて
突如として始まりを告げる盟友同士の一戦。
青閃に悪しきところはあっても、それはレイシー自身に何の責任も無いことだ。この世に生きる全ての人間は生まれを自分で決めることなどできはしないのだから。
そこに文字通りの一石を投じる銀閃の行動こそ、道理に反している。聖盤は遺物であること以外、何も分かっていないのだ。ヴォルハールの言が本当に正しいのかさえ確認できず、あるいはレイシー以外にも適格者がいる可能性もあった。
それでもイサはそれを行った。
イサは外道ではあるかも知れないが下衆ではない。そこには彼なりの理屈がある。
単純に時間が無かったのだ。地下から戻ったイサはカルコサが再びの変革の時期に来ていることを悟った。それまでは突如として現れていた灰騎士が魔都を歩いていたのだ。
ある意味ではやりやすくなったとも言えるが、同時に警戒体勢を取られているということだ。下層と違い、体勢を変えることが可能となれば、逆に入り口街へと攻めてくることすら予想される。
少なくとも中層の攻略は陣取り合戦めいた様相を呈するだろう。そんな中で街から動こうとしないレイシーはあらゆる脅威から無防備に過ぎた。
「流石に……!」
「……」
「ええぃ! このところ独り言ばかりですねぇ!」
掠めていく鎌を弾き、躱しながらイサは苛立たしげに言う。
レイシーとの直接勝負は念願でもあったはずだが、相手が自失の状態では片手落ちだ。加えてその原因の一端は無理やりに起こしたイサにもあるのだから、堂々と罵倒することもできない。
何をこれほど焦っているのか……イサは自身に困惑していた。
レイシーとの決着の機会が失われることが恐ろしいのか。あるいはまだ利用しなければ乗り切れない難局があると、無意識に考えているのか。
それともまさか。この奇妙な相棒自体を失ってしまうのが惜しいのか。
分からない。分からない。だからとにかく勝つのだ。
余計な思考など戦い終えてからすれば良いのだと信じる他、イサには無かった。
自分の内心がどうであれ、既に行ってしまったこと。何よりも思考を分散して勝てるような相手ではない。
イサにとって直接相対するのは初めてだったが、レイシーは敵として向き合ってみると実に凶悪な戦士だった。
小柄な体格は的の小ささを意味しており、さらに素早さを生む。それでいて力はそこらの巨漢を遥かに上回る。小型かつ高性能を実現した殺戮刃羽……単純に戦闘生命としてレイシーは誰よりも優れている。
あどけなさを残して整った顔は人形のようで内心を読み取ることができない。
駆け引きを縛りごと引きちぎる見た目に似合わぬ手合であり、同時にその見た目自体が相手の思考を乱す。
レイシーを下そうとするのならば、地力が求められるのだ。
ならばイサに勝ち目が無いかと言えばそうでもない。地力という言葉には素人が思うよりも遥かに多い要素が含まれているのだ。
例えば精神力。些か自分に困惑していようとも、常に他者の上に立ちたいと思い、最終的には己が上だと確信しているイサには常に余裕がある。力任せに見えて幻惑の鎌が襲いかかろうと、本命の一撃をあっさりと見抜いてカタナの一撃で弾き返す。
「どうしましたか、レイシー。まさかこの程度では無いでしょう? 堕ちるのは結構ですが、真価は発揮していただきたい。そして……笑って欲しい」
「……」
独り言を止めるイサ。返ってくる言葉が無くとも、レイシーの精神がまだここにある以上は会話なのだ。
切実な声は問いかけであり、願いだった。
イサは歪んでいる。落ち目の者を踏みつけるよりも、相手が本領を発揮した上でその頭の上に立つことこそが本懐なのだ。イサにとってレイシーは自分の理想像だ。常に笑顔で、ミステリアス。そんな相手が自分の異常性に振り回されて自失の戦闘機械となっているのでは、勝っても嬉しさが半減する。
「笑えレイシー。イサなどその程度なのかと嘲笑して、何時も通りの常識はずれを見せてください。……私はその上を行く!」
「……るさい。うるさいよ、お兄さん! なんでボクばっかり……!」
狼の挑戦に、龍よりも強靭なフクロウはついに叫んだ。
3界の景色に混濁しつつも、それを上回る嘆きが表面化していく。
いつもはあんなに心地よい相棒の声が煩わしいと、真っ当な感性で怒る。
「何もかもが混ざるんだ! 鐘の音が聞きたいんだ! でも聞いてしまえば、ボクはボクで無くなる――カルコサはあんなに輝いてるのにボクを受け入れない!」
それは魔物としてのレイシーの魂。この地に誰よりも順応している子の嘆き。
理想郷は眼の前にあるのに、混ざりものであるレイシーの故郷とはなってくれない。
「人は偉い人の言うことを聞く。冒険者としてどんなに功績を積み上げても、化物だから当然だって、当然だって……! 誰もボクの仲間になってくれない!」
それは人としてのレイシーの精神。寂しいのは嫌だ。自分は誰よりも優れているのだから、きっとそれだけで受け入れてもらえるはずだという、誰にでもある勘違いに苦しんでいた。
「お兄さん、ボクに何をしたのさ! この……足下に……何があるの!?」
そして水底の肉体が愛子を呼ぶ。
レイシーの脅威性である3種族の好いとこ取りという恐るべき長所が全てイサに向かう。
回転する刃は過去最高潮。長物のセオリーを完全に無視して、さらに長所を残したままという紛うこと無く最強の絶技。小剣のような繊細さと連撃が、手の届かぬ中距離から銀狼を嬲り尽くす。
その嵐の中で、イサは一定の姿勢を保ったまま。腰だめに近い形でカタナを脇構えして、一点を見つめている。見えてきた勝ち筋だけに集中する様は戦士というよりは賭博師に近い。
「知りません。レイシー、私は何も知りません。何せ貴方に埋め込んだ物が何なのかさえ知らないのですから」
「……え?」
「知らないからこそ果て無く行くのです。直に見て、触れるために。それでも既に知っていることはあります……レイシー、己の生まれに何故かと問う。己が受け入れられないのは何故かと惑う。それは全ての人間がそうなのです」
浄銀の仮面すら切り裂かれてもイサはもう微動だにしない。
己の持つ妖物。好愛桜は無形の物こそを良く断つ。狙いを定めてはいるが、失敗は一巻の終わりを意味している。
その未知を上等だと笑うイサはやはり狂っていた。
「行きますよ、レイシー。一緒に最後まで。私が貴方を受け入れましょう。私達の決着はこんなありきたりな場所では無いはず。私はそう信じているのです」
本当にここで倒してしまえば、それは何と勿体無いことだろう。
放たれるは銀閃。やはり超人であるイサから放たれた一撃は、常識を超越した速さだった。だが、それでも足りない。イサは人間の頂点程度であり、3者共存する力を持つレイシーには届かない……はずだった。
攻防一体の大鎌の柄を、刀身がすり抜ける。代償としてイサの肉体は一瞬で幾つもの傷を負うが、刃は止まらない。
妖刀がレイシーの身体を一閃した。
「あ……れ……?」
血も出ない。衣服さえも無傷のまま。
無形のモノを断つ。好愛桜が欲したのは、レイシーを縛り付ける最大の愛。すなわち魔都とレイシーの絆であった。両親からの愛という最高を無残に散らせるのだから、まさに妖刀である。
しかし無情こそが、今の青閃にとっての救いとなり得る。
間近に迫った死から開放されたレイシーが、子供のように尻餅をついて呆然とする。そこにイサは手を差し出した。
「一緒に行きませんか、レイシー。デメトリオを倒して、ミロンを下す。そして鐘の主を引きずり落とし、水底を蹂躙したその後にこそ、我々の決着をつけるのです。共に頂きへと至った暁に、最高の決着を」
レイシーは震えていた。理由は多すぎて特定できない。
異形として寄る辺がなくなったことか、水底に隠された奇跡を宿したことか、それとも……自分が本当に化物であっても受け入れる奇人がいることを知ったからか。
全てが綯い交ぜになったくしゃくしゃの笑顔で、小さな手が無骨な手を握った。
「お兄さんって本当に変わってるよね」
「貴方の相棒ですからね。世界一の変人を目指しています」