第8話・来るべき未来
注意深く見れば、いかなる時でも発見があるという。
そこまで意識していたかはともかく、イサはこの地下がどうなっているのか少しずつ理解してきていた。
水路から流れてきたのだから、ここは暗渠の一部だと思っていた。だが違う。
鈍った身体を復調させる一貫として、ヴォルハール達と出会った空間を拠点として遅すぎる動きで歩き回ったのだ。そして第2の区画を現在最も知っている冒険者はイサだ。だから気付けた。
水路としての役割は確かに受け持っているのだろう。だが、水路や暗渠ではない……この地は地上と同じく都市なのだ。数日を過ごした空間はヴォルハールの家という訳だ。
人の代わりに水が通る通路、そして魔法。地上王が傾倒した神の力とは一体?
「水底、水底……ふむ、思索も楽しいですね。というよりは……」
見えた人影にイサはさっと壁に張り付いて、通り過ぎるのを待つ。高位冒険者とは思えないざまだが、仕方も無い。水薬を使っているとは言え適量では、そうそう早く回復しない。
「思索と探索しかできないですね。アレ相手では本調子でも辛い。独り言で憂さ晴らし、と」
通り過ぎるのはかつて戦ったミミズ人間だ。
異常なほどに強い、地下の番人……そう思っていたが、地下街では普通にいるものらしい。
その素性はイサとて気になるが、節足動物めいた人型の魔物は灰騎士でさえ霞むような怪物だ。前回はレイシーがいたから一体倒せたものの、イサ一人では良くて10本勝負で2回勝てるかというところ。
それさえ自分を高く見積もった値のような気がしてならないイサだ。こうしてじっくりと見れば、彼の思うところ、アレらは魔物とは何かが違う。
「そもそも外の魔物と、ここの魔物何が違うのでしょうか? と改めて考えればはてさて、元が人というところだが」
カルコサの魔物はもともと人間。それは前々から感づいていたイサだが、ヴォルハールという人に出会ったことでほとんど確信に至った。
ヴォルハールの言を元に考えれば、地上王とやらが何某かのまじないを使った結果として人々は魔物へと姿を変えた。灰人や灰騎士こそがその結果だとすれば、下層の魔物達は何だったのか?
彼らの血が薄かったから、血筋が違ったからそれぞれの姿へと回帰したのだとは、イサが幾ら考えたところで辿り着けないだろうが……今一人のことには頭の中で辿り着いた。
「ああ、なるほど。レイシーは……」
異色の出自で避けられる凶刃。先日までイサの相棒だった、何もかもが不明の冒険者。
噂には脚色がつきものだが、それが本当だったのならば? アレが狂ったのも道理なのかと今更ながらに思い至る。
「順番が押してきましたね。独り言はこれぐらいにして、そろそろ戻りますか」
イサの目的は進むたびに増えていく。
それ自体は望むところだが、ここいらで一個ぐらいは精算しなくてはなるまい。そう考えて水底から一度離れることにしたのだった。
ここにはもう一度訪れることになると感じながらであった。
それを言祝ぐは肉塊。
かつては蛇神の賢者と呼ばれた男が、選ばれし者の再来を謳っている。
『そうじゃ、お主はまたここへと来る』
自らの意思で、地上王を下した暁に水底へと落ちるのだと語る。
古代の賢者は預言者でもある。神の口としてではなく、王の意向を誘導することこそが知に生きた者の役割であり、それゆえに肉塊賢者は呪いの中でも意思も意識も保たれている。
『真の銀面、黒羊の服、見慣れぬ武器。それらを持った者がたまたま火炎を受けて、水底へと辿り着いてたまたま生き残った? そんなわけがあるまいのう……』
偶然と片付けてしまえば、誰も気付かない。当の銀狼も、地上の騎士達も、地上王ですらもが自らに都合のいいように解釈して世界を閉じる。
どれだけ優れていようと、どれほど能力を底上げしようと所詮彼らは人間でしかなく、その枠組の中でしか考えられない。
『肉の力を解き放った今の人間。しかし、それもいずれは忘れ去られる。ならば今ここが分水嶺……鐘の音を止める最後の機会』
されど水底の住人たちも今は虜。そして地上王が如何に愚かでも、その力量は侮ることはできない。
選ばれた者達が集い、更に力を磨いても届くかは賢人にも分からないが……どちらに転んでも損は無いようにできているのが上も下も含めての魔都だ。
現代人が地上王を止めるというのは、あくまで最も好ましい展開に過ぎない。
『止めた先に何が待っているかも知らずにの』
声はそれまでと違い、哀れみと期待に満ちている。
肉塊を支えた鏡女の鎖が揺れる。
虜囚の身を解き放ち、救世主となるのは誰なのか。結末は確定していても、役者が違えば過程は変わる。果実よりも枝葉の方が多くの者達にとってはより大事だ。どうせならば最も親しい人間に果たしてほしいと願いを込めるのは肉塊か、鏡か。
天蓋が崩れた時、星の光が水底へと届く。水底の王の願い通りに。
『我らが神のように、己の尾を食らうが良い』
肉塊達は狼を見送る。
その足元には、自らの尾に食らいついて回り続ける蛇が描かれていた。それをウロボロスと誰もが読んでいる。