第7話・数奇な出会い
火で傷つけられたというのに火傷よりも打撲による負傷と言ったほうが正確な状態のイサ。彼は少しだけ動く左手を使って残った水薬を舐めていた。
鏡女ヴァールナが気絶中に水薬を既に飲ませてくれている。疲労感が凄まじいために一気に飲み干したくなるが、連続の服用は危険だ。最悪中毒を起こして、体力の無さから死に至るだろう。
それを知るイサはギリギリの量を服用しつつ、話をすることで適度に体力を消耗。自然に近い形の回復を狙っている。行動が可能な程度に回復するまでには5日から7日と言ったところか。
糧食は切り詰めなければならないだろうが、イサは空腹が気にならない。未知の存在との友好的な接触に心が弾んでいた。肉塊のヴォルハールは知識に富んだ存在で、刺激的な話し相手だった。
『ホ! ザクロース! 地上王の近衛ではないか。よくぞ生きていたものだ! 中々どうして、大したものだ。あれを相手取って生き残っていた者などかつての世でも稀だ』
「地上王……?」
このように話の間から魔都の概要が段々と明らかになっていく。
学者たちが聞いたら憤死するかもしれない。なにせ相手は文字通りその時代から生きているのだ。証人であり、生きた歴史書と言っていい。惜しむらくは証拠が無いため、正しいかどうかをすり合わせることが出来ない点で、史学的な功績にはならないことか。
「つまり、このカルコサは一種の二重王権国家だったのですか。水底にいる王と地上を統べる王の二人に別れている。当たり前に考えれば地下王国の側が宗教的権威。地上が世俗の権威ということになりますが……どうもしっくりと来ませんね」
鏡女の足元をイサはみやった。
足かせに鉄球……典型的な虜囚の格好だ。それでいてヴォルハールに彼女を蔑むところはない。この二人の関係性も気になるところだ。
『そうした体制はどちらも阿呆か、どちらも賢くなければ長続きせん。当時から地上王は愚かなほどに善人でな……完全な善性を得るために神の力と玉座に傾倒した。その結果がコレよ』
「これと言われても……私にはまだ魔法だのの力が信じきれていませんからね。否定するにはあまりにも見過ぎましたが、街全体を……となると規模が大きすぎて単純に疑ってしまう」
『意外に石頭だの。相応の準備がいるのは確かだが、可能ではある。事実としてこの街はこの有様じゃろうに』
意外なことだが……ヴォルハールにはこの街の景色が現実と同じように見えている。灰騎士達や灰人とは違う勢力……水底に属しているからである。しかし彼らが水底としての景色を見ていないのか? となれば疑問は残るものの判断することはイサにはできない。
この街の裏事情としても重要だが、同時にザクロースという敵はイサを見逃したわけではないことも分かった。
勢力圏外である水路に落ちてしまったために手が出せなくなってしまったために、とどめを刺すことが出来なかったのだ。
「興味があることがもう一つ。私が魔法を習得することは可能ですか? ザクロースは火の玉を作り出していました。アレらを使えるようになれば便利そうですが……」
『火の玉……全身への傷……食らったのは〈イーラ〉か。なんでお主生きとるんじゃ……強力にして回避が難しい、単純ゆえに最も強力な魔法の一つなのじゃが……どれ、ふむ……』
肉塊の目玉がぎょろぎょろと回転する。
飛び上がるように隆起した目が、身体をねっとりと這い回るような感覚をイサは味わったが、聞いた側であり以上は受け入れる他ない。
『一つ聞く。お主以外の者達も人の形を保っておるか?』
「少なくとも、私の目には。まぁ貴方のような方はいませんね」
『ふぅむ、信じ難い。……お主の血を見せてはくれんか?』
その言葉にイサは白包を解いて、カタナの鯉口を切る。僅かな一瞬、肉塊の目が見開かれたのを訝しみながら、親指に傷をつけてから、刀身を拭って仕舞う。
血が出るのを確認してからイサは指を差し出した。
『言っておいてなんじゃが、少しも迷わないのぅ……ふむ。しばらくの間、動くな』
「何というか、この絵面は嫌ですね」
肉塊が親指を中心に手へと覆いかぶさり、目玉を再び激しく動かし始めた。調査というよりは捕食にしか見えない。
たっぷりと時間をかけてから、ヴォルハールはイサを解放した。
手に伝うぬるりとした感触にはさすがのイサも嫌そうな顔をしている。
『……ふん。人間も年月が経てば奇妙な変化をするものだ。結論から言うとお主ら今の人間は、所謂魔法を使うことができん。というのも既に使っておるからな』
「……そんな特技は持っていませんが」
『聞け。お主の身体を標準とした場合だが、陳腐な言い方をすれば魔力を外に出す穴が閉じておる。恐らくは数千年もの間、魔法と遠ざかっていた影響だろう。じゃが同時に身体の内側にその力が濃縮されて、無意識に利用しているのよ』
肉塊の講義は続く。
内容も興味深いが、ヴォルハールという生物も興味深い。彼もまた元人間だというのなら、元々は賢者のような存在では無かったのか?
『はるか昔の我々の常識で言えば、この街に入った途端に身体は変質して儂らのようになるか……あるいは地上の連中のように人形と成り果てるか。じゃがお主ら今の人間は内部の力で己を保っておる。簡単に言えばお主らは儂らの時代と比べて遥かに頑健なのよ。その代わり魔法のように外に放出することはできんがな。穴が完全に閉じておる』
人はあくまで人を超えることができない。持って生まれた体格、骨格、その他諸々……その要素以上のスペックをはじき出せない。本来ならば。
高位の冒険者や騎士に英雄たち。彼らは何かの切っ掛けで内蔵された神秘の力を駆動。しかし同時に外へと放出することはできなくなっているために、内部で循環して奇跡的な調和を見せる。
その状態へと辿り着いた者は力で岩を砕き、馬を凌駕する脚力を得る。実際に解剖でもすればもっと込み入っているだろうが、それが凡人と達人の間にある差に大きく関わっていた。
「なんともささやかな奇跡ですね。山を崩したり、川を干上がらせたりはできない代わりがソレですか」
『魔法をどう見るかで分かれるがな。種族としてみれば今の時代の方が便利じゃろう。身体機能の向上は一見地味じゃからそう思われるのは仕方ないがの……いずれにせよ現在に限った話ではある』
何やら思うところがある。そう暗に告げるヴォルハールの発言にイサは目を少し釣り上げた。イサは頭の出来ではヴォルハールに劣るが、そうした気配には敏感だった。
「身体機能の向上。それを世間に広めて、誰でも使える技法として確立しなければ、さらに時代が下れば人の可能性は萎んで、奇跡は遠ざかるどころか消え失せる。そんなところですか?」
『……! ホ、ホ、ホ。かわいくない生徒じゃわい』
嬉しいような苛立ったような不思議な声音がヴォルハールに宿る。
相手の痛いところを突いて笑う銀狼は、ヴォルハールにとっても話し相手としては刺激的である。若い人間が自分より捻じくれていることが愚かしくも、楽しいのだ。
『……ふぅ。話疲れた。傷が癒えればどこへなりとでも行くが良い。もう2度と会えぬであろうから餞別をくれてやろう。拾え』
肉塊が口らしき亀裂から、プッと石ころを吐き出した。
イサが鈍い動きでそれを拾うと、表面に文字のような模様が描かれている。模様は僅かに青く発光して見える。
「……これは?」
『〈聖盤〉。神々が人に文字を教えた際に使った物じゃ。御大層ではあるが、今の時代ならば持っていても大したことなどできはせん。儂はもう使う機会も無かろうからの、お守りにでもしておけ。哀れな痩せ犬には必要になるかもしれんからな』
鏡女が再び肉塊を捧げ持ち、重い足取りで部屋を出ていった。
残されたイサはじっと手元の石を見続ける。綺麗な石を川辺で拾う童のようだった。